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動くー2
「今日は饅頭と野菜の炒め物らしいです……おや、アウントゥエン帰りましたか。サウンティトゥーダは、まだなんですか?」
 ラドビアスがドアを開けた。
「そうだな。サウンティトゥーダが戻ったら姫は出発してもらう」
「承知しました。話してきます」
 ふんっと大きな鼻息が聞こえる。 注意を即すような魔獣の態度にクロードが窓を見ると黒いものがこちらへ向かって飛んできていた。 どんどんとそれは大きくなっていく。
「お帰り、サウンティトゥーダ。どうだった?」
 あっと言う間に窓からその長い髭をくるりとクロードに回してドラゴンは姿を一回り小さくした。
「国境は流石に警備は厳重だが、空はなんということもない」
「国境までじゃなく、その途中で森かなんかを壊せ、注意を引きつけろ。 なんなら同胞を呼び出してもいい」
「同胞?」
 薄ら惚ける魔獣にクロードは髭を摑まえて軽く引っ張る。
 魔界から沁み出るように小物がこの世界に出ているのは事実だった。 山に住んでいる二股の蛇、沼に住む大きなナマズ。 そんな話の主たちはおそらく魔物。 ある意味、地元民たちは本当のことを言っている。
「そう、おまえの同胞だ。惚けるんじゃない。そこら辺にいるんだろ」
「同胞なものか。あいつらは考える頭も持たないただの雑鬼どもだ」
 一緒にされるのが我慢ならないというようにサウンティトゥーダが棘のある尻尾をぶんっと振った。
「とにかくそれらを総動員して大騒ぎしろ。魔獣が主から離れて命を破ったってことでいいだろう」
「言っとくが自分はそんなばかじゃないぞ」
 横で赤い狼が笑うように鼻に皺を寄せる。 それに気づいてドラゴンが殺気だった。 空気がぐっと重くなったのを感じて、クロードはいつも一言多い赤い狼を一睨みする。
「おいおい、ここで暴れろなんて言ってない。サウンティトゥーダ、アウントゥエンに構うな。アウントゥエン、おまえ黙れ」
 つんと横を向いて顎を前足に置いた赤い狼にため息をつきながら、クロードは隣の部屋に入った。
「いきなり部屋に入るなど無礼であろう」
 コウユウがランカ姫を庇うように立ち上がった。
「出発してもらうよ、おれの眷属が戻ったからな」
 クロードはそう言って手に持っていた古着をコウユウの手に置いた。 その頼りない重みにコウユウは絶句する。 頼りない自分に見えない未来。 これで良かったのかと急に足が竦む――そんな様子にクロードは思う。
 今更だと。 今更思い悩んでどうする。 姫の手を取った瞬間に二人の行く選択は限られていたのだ。
 冷静に対処するなら、賢明な者なら。
 自分の立場を諭して、自分は職を辞して姿を消すのが一番だった。 何が変えたのか。 それは愚かな恋心というやっかいなもののせいだったのだろう。
 愚かだが、御しがたい強い欲求。 捕われてしまって、姫の手を取ったのだから。 そして偶然とは言え、おれの前に現れてしまったのだから。
 捕まって処刑されるか、万が一助かって人知れず生きていくか。 そして今はおれの手駒となってぎりぎりまで逃げてくれなければ。
「行かなきゃ、そのためにここにいるんだろ。二人で生きろ」
「そうだ……そうだな、ありがとう」
 コウユウの肩に手をぽんと置いてにこりとクロードはほほ笑んだ。 邪気の無い笑顔、それはいくらでも作れる。
「着替えたらおれの眷属を紹介するよ、無口だけど良いやつだからね。ランケイ、姫の着替え手伝って差し上げて」
 自分とすれ違いに入って行くランケイが咎めるようにクロードを見る。 それもクロードはにっこりと受け流して部屋を出た。
「ラドビアス、羊皮紙あった?」
 ええ、こちらにとラドビアスが卓の上に丸めた羊皮紙を広げて四隅に重しを置いた。
「インクが手に入らなかったのでこれを」
「何?」
「墨と言います。大陸の東ではインクでは無く、これを細い筆に含ませて使うのですよ」
 初めて使う筆は太さを一定にするのは結構大変だが、藩字を書くのには向いているのだと知った。 藩字は装飾的な文字でクロードが使っていたアーリア系の横に書いていく文字とは明らかに違う。 古代レーン文字とも違うそれは、この筆で本来書かれるものだったのだろうと知れた。
 円が切れないように苦労して新円を何個か組み合わせて、そこに相対する線を引き、藩字を書き入れていく。 一つでも間違えると術は発動しない。 手が擦れて線を消してしまってもダメだ。 慣れない筆を使っての作業に遅々として作業は進まない。
「少し、休憩なされませ。墨も乾く時間が必要です」
「そうだな、ここまでで間違ってないか、見てくれラドビアス」
 席を立って窓際に行くと赤い魔獣がクロードの手を舐める。 黒の魔獣の長い髭が腕に絡んだ。 二頭の間に座り込んでクロードは体を魔獣に預けて目を閉じた。
 立ったままで羊皮紙を上から眺めているラドビアスは内心驚いていた。 ここまでどこにもわずかな間違いが無い。 前にこれを見たのは三、四年も前のはず。 何百年も生きる自分たちは記憶が常人と違い掠れる事が無い。 積み重なっていくだけだ。 それと同じくらいクロードの記憶能力が優れていると思わざるを得ない。
 カルラが描いた内容をこれほど緻密に覚えているとは思っていなかった。
 これは本当に忘却術をかけることになりそうだと目を閉じている主人に視線を向けた。



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