旅立ちー2
ここら辺に住む人間だったら、そのまま脅かさずに行きすぎればいい話しだ。 むやみに魔獣を見せて騒ぎにしたくない。
そのまま、息を詰めているクロードの前の茂みがガサガサと大きな音を立てた。 クロードは再びアウントゥエンの方を向いて手で待てと指示して構えを取る。
大きな音と共に姿を現した人影が先か、待ちきれず大きく吼えたアウントゥエンの声が先か。
クロードの前に現れたのは、一人のおさげ髪の少女だった。
「やっと出られたわ。今、大きな犬の声がしなかった?」
訛りの強いアーリア語は聞き取りにくい。 ほっとした顔でクロードに呼びかけた少女は、見た目クロードと同じくらいか、一つ二つ上に見える。 明らかにハオ族の特徴を備えている黒髪と黒い目。 大陸も西へ向かうほど、人種的には白色人種より、黄色人種であるハオ族に近い民族が増えていくのだろう。
広大なゴーダ砂漠の手前、ダルファンを過ぎるとハオタイ国はその真のすがたを見せるのかもしれない。
森の中を長い事放浪してきたのだろうか。 薄汚れた麻の膝下までの筒のような着物を腰の辺で同じ麻の細い帯で巻いている。 その下には足に沿うような細身のズボンを履いていた。 ここらの一般的な農民の服装。 支配階級や、町住まいの者はともかく、農村では男女の目立つ区別など無い。
「犬? さあ、おれは聞いてないけど」
しらばくれるクロードに構わず、少女は大木に向かって声をかける。
「そこにいるんだよね。おいでわんちゃん」
そこにいるのは、わんちゃんなどではない。 そのまま手を出せば、命の保障も無い。 クロードは仕方無く、少女の前を塞ぐように移動する。
「そう、実はおれの犬なんだけど。ちょっと躾ができてなくてさ。噛まれるかもしれないから手は出さないほうがいいよ」
躾けが出来てないという辺が気にさわったのか、大木の影から低い唸り声がする。 しかし、ちょっと噛まれるなんて生易しいことで収まるわけもない。
「止まって、今呼ぶからね。それ以上動かないでよ」
放っておくと、自ら魔獣の口に頭を突っ込みかねない少女を呼び止めてから、クロードは小さく息を吐いた。 面倒事は、望まなくても自分の足でやってくるものなのだ。
「アウントゥエン、出ておいで」
「な、何、何なの?」
クロードの声に応じて姿を見せたものに、少女は驚いて尻餅をつく。 彼女の前にいたものは、見覚えのあるような姿を一見しているが、その実この世界にいるはずの無い生き物。 暗赤色の体は狼だが、大きさは狼の倍以上はある。 それ以上に奇異なのが、その背中に生えている大きな鷲のような力強い翼だった。
「これは、犬なんかじゃないでしょ? あんた、どこの魔導師なの」
「おれは、旅の魔道師さ。今のところどこにも属してない。そしてこれは、おれが召喚した魔獣。すごいだろ、こんな生き物に会えたなんて、君ってついてるよ。じゃあ、これで」
大急ぎでそう言って背を向けたクロードの上着を引っ張ったのは、他ならぬすごい生き物、彼の魔獣だった。
「何? アウントゥエン」
上着を咥えていた魔獣は、主人の注意を引き付けたのを見てそっと上着を離す。 そしてずいっと少女のほうへ、その大きな足を向けた。
「い、いやあ、来ないで。た、助けて」
言いながらも、腰が抜けたのか少女はその場から動けない。
「おい、アウントゥエン」
クロードもまさかいきなり魔獣がこの少女を喰うわけは無いと思いながらも、焦った声を上げた。 普段は、クロードの言いつけを守ってはいるが何せ魔獣というものは、この世の理を外れた生き物なのだ。 何を思っているのかは、分からない。
べろり、と長い舌で魔獣は少女の顔を舐める。 ひっと小さい声が洩れて少女の体が横様に倒れた。
「気絶したの?」
クロードが近づくと、魔獣がその大きな前足で少女の足をつつく。 クロードは、魔獣にふざけるのは止めるように言うつもりで足に目をやる。 すると少女の膝上あたりにどす黒い沁みがあるのに気づいた。
「血痕……おまえ、これをおれに言うつもりだったの?」
地面に片膝をつくと、少女のズボンをたくし上げる。 そこにあるのは膿んでいる斜めに切れ込んだ傷。
「おまえのせいで気絶したんじゃ無かったんだな。表面が壊死しかかってる。水を汲んできてくれ」
主人が自分の鞍の横についている袋から出して差し出した水筒を咥えた魔獣は、直ちに姿を消す。
――今まで気が付かなかったが、顔色も悪い。 傷を受けてからしばらく森をさ迷っていたのだろうか。 どう見てもそれは、刀傷だった。 クロードは、自分の上着を脱いで丸めると少女の首の下に差し入れる。 触れた肌が熱いのにも気づいて眉を顰めた。
「熱が出ているのか。これは、やっかいだな」
「ただいま戻りました。……それは?」
クロードの呟きの後にかかる声に目を上げると、険しい顔の彼の従者が黒い獣を従えて立っていた。
「宿がありました。行きましょうか」
「ま、待ってよ。このままこの子を置いていける訳無いじゃないか」
「なぜです?」
ラドビアスが目だけちらりと少女に向けた後、クロードに視線を戻す。
「ここで厄介ごとに巻き込まれる必要はありません。我々は人助けの旅をしているんじゃないんですからね」
「だからって、目の前で倒れたのに知らんふりは出来ないだろっ」
クロードの抗議にラドビアスはため息をつく。
「怪我? ですか」
「どうもそうらしい。足を見てやって」
倒れている少女の元にしゃがみ込んだラドビアスが懐から短剣を取り出す。 そこに間合いを計ったようにアウントゥエンが水筒を咥えて現れる。 彼はそれを取り上げると患部に勢い良くかけていく。
「痛くないようにしてやれよ、ラドビアス」
分かっておりますよとぞんざいに答える従者の声に、クロードはまったくそんな事を考えて無かったのだと悟る。 ラドビアスときたら、関心の無いものにはとことん冷たくできるのだから始末に負えない。
低く唱える声。 唱えながら患部の上に指で描かれる藩字が浮き出て肌に貼りつく。 そして躊躇いなく剣先が壊死した皮膚を切り裂いた。 途端に濁ったどろどろとしたものが溢れる。 それを周囲の肉ごと抉るように切り取ると、今度は違う藩字を呟く。 すると白い煙としゅうしゅうと沸騰したお湯が上げる蒸気の音に似た音を立てる。 そして傷口が盛り上がりながら閉じていった。
「これで悪い物は取り除きましたから、しばらくしたら起き上がれると思います。では、まいりましょうか」
立ち上がったラドビアスにクロードが噛み付くように言う。
「意識も戻らない女の子をこのままここに置いとけるわけないじゃないか。一緒に連れて行こう」
「わたしは反対です。ここで私たちに会わなければ野垂れ死んでいたに違いありません。この後、獣に食われるか族に襲われるかなど我々の感知することでは無い。ここでへたに誰かと関わってもろくなことになりませんよ」
「だめだ、連れていく」
「クロードさま」
「ラドビアス、おまえおれの従者なんだよな。なら、おれの言うことを聞け。この娘を宿に連れていく。口答えするな」
厳しい顔の主人にラドビアスは、反論するのを止めて面を伏せる。 彼の庇護者気取りになっているのをこの若い主人は許しはしない。 誰の従者なのかと問い詰められるのは、これで何回目になるのか。 はっきりしないのは自分なのか。 主人よりも自分の思いに従う性を見咎められているようで、ラドビアスはクロードの言葉にぎくりと身を震わせた。
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