135話
ホーク、ピジョン、クロウ、ムツキ君、リリーとモンちゃんと秋子。
それぞれが5人の不意を突いて一撃入れて、反撃される前に次の攻撃へ移る。
それぞれの武器がそれぞれに動く状態で、私の武器になるものは、スコップだった。
そういえば、最初に私自身の意志で人を殺した時に使ったのもスコップだったっけ。
久しぶりのスコップは、思いのほか手に馴染んだ。
クロウに心臓を貫かれたロイトさんの喉をスコップで突き刺して、ついでにその奥、首の骨まで破壊する。
引き抜いたスコップで、今度は、ムツキ君に首を絞められているルジュワンさんを。
それから、リリーとモンちゃんに絞められていたスファーさんを。
サイランさんとアークダルさんは、ホークとピジョンがそれぞれ、一刀で殺してくれたらしく、それ以上攻撃する必要も無かった。
こうして、この場にはロイトさん達の死体が5つ、朝日に照らされて静かにそこにあるばかりとなった。
ロイトさん達の死体に、簡単に土をかぶせた。こういう時にもスコップは便利だ。
「お疲れ様。いえーい」
すっかり満身創痍になったけれど、気持ちは晴れやかだった。今の朝焼けのように。
いつも通り、皆とハイタッチして、お互いを労う。
……本当に、皆、よくやってくれた。
誰かが欠けていたら、負けていたかもしれない。
「ありがとうね」
なんとなく、しんみりしながら、少しだけ、その場で休憩することにした。
「じゃあ、いこうか」
疲れた体はもっと休息を欲しているけれど、今は急ぎたかった。
最後の一歩にまで来ているのだから、今更のんびり休んでなんていられない。
ジョーレム君に運んでもらって、向かった先はマリスフォールの遺跡。
前回ここに来た時みたいに、悪魔像を退けて、そのまま先へ進む。
奥へ奥へ進むと、前に来た時と同じ、通路の両側には壁画が続く。
そして、最奥には黒い石に金色の文字が光る石板。
邪神を讃える内容が記された石板以外に、ここには何も無い。
……つまり、この石板が、壁なのだ。
私は石板を破壊した。
破壊した石板の奥に、空洞が現れる。
一歩、奥へ足を踏み入れれば、墓地のような静けさがある。
主の死んだダンジョンの気配だ。
そのまま奥へ奥へと進めば、あっさりと、目的の部屋に辿り着いた。
床には漆黒の魔法陣。壁にかかる鏡は一際大きく、中には漆黒の闇が渦巻いている。きっと全てのダンジョンに繋がっているのだろう。
砂時計型のオブジェは無く、代わりに大きな水盆がある。
底の方に少しだけ、魂が溜まっているだけなのは、さっき邪神が復活するために魂を使い切ったからなんだろう。
……そして、最奥には玉座。
闇が凝り固まったかのような玉座は、いかにも禍々しく見える。
けれど今更躊躇う事も無い。
私は、きっと今まで邪神が座っていたであろうそこに座った。
私はこの世界を創造した神の座に着いた。
指先を動かすように、全てのダンジョンを動かせる。
全てのダンジョンが私の力の顕現であり、私の一部でもある。
……そして、私は邪神として、邪神の力を行使できるようになった。
邪神の力は、破壊のための力ではなく、創造のための力だった。
争うためではなく、ただ、穏やかに何かを作り続ける為だけの力だった。
本来なら、火炎放射器じゃなくて花火を作るための力で、ギロチンではなく包丁を作るための力で、落とし穴じゃなく畑を作るための力だった。
成程。邪神は今まで、それらを無理やり破壊のための力に変えていたのか。道理で、戦い下手な邪神だったわけだ。
……きっと、壊す為じゃなくて、生み出すための神だったのだ。邪神は。目指していた物がちょっと混沌とした世界だったにしろ、何にしろ。
なんとなく、他意も無く、ミセリアとあの世で穏やかに過ごせていればいいな、と思う。
世界を取り戻す前に、1つ、やらなくてはいけないことがある。
それは、また世界が無為に壊されることがないようにしておく最低限の後片付け。
『ヴメノスの魔導書』を処分すること。
そして、『ヴメノスの魔導書』を読んだ可能性が高い人物を始末しておく事だ。
……今現在、ヴメノスの魔導書を読んだ可能性が高くて、かつ、まだ生きている人が1人居る。
ストケシア姫。
悪魔召喚の術を知っていた彼女は、ヴメノスの魔導書そのものを知っている可能性がある。
エピテミアは、栄えていた。
元々、魔道学校があったりして、そこそこ栄えた町だという認識はあったけれど……今や、一国の都と言ってもいい程度の賑わいを見せる町になっていた。
人々が何かの目標に向かってひたむきに働いている様子は、希望に満ち溢れている。
最早ここは、町ではなく、1つの国になろうとしている。
滅びた国から溢れ出た人達が、よくもこんなに団結できたものだ、と思う。
これがストケシア姫の手によるものなら、あのお姫様は優れた指導者なのだろう。
ストケシア姫の場所は見当が付いていた。
エピテミアの中でも大きな建物、恐らく聖堂と思しき建物の周りが、兵士によって厳重に警備されているからだ。
……多分、ロイトさん達の無事を祈って、聖堂の中に篭っているんだろう。
しかし、聖堂の上空はがら空きだ。
夜になるのを待ってから、聖堂へ向かう。
《ラスターステップ》で遥か上空まで上って、そこから自由落下。
宵闇に紛れて高くそびえる尖塔の切先に着地する寸前に《ツイスター》で速度を落としたら、そのまま尖塔の屋根を音もなく斬り裂いて中に侵入した。
聖堂の中で出くわした人は、全員不意打ちで殺して黙らせた。
声1つ上げることなく死んでしまえば、助けを呼ぶこともできない。
そのまま、階下へ、階下へと降りて行き……遂に、聖堂の中央の部屋へ辿り着く。
月光を透かすステンドグラス。薄明りに照らされる女神像。そしてその女神像の前で膝をつき、祈りを捧げるストケシア姫。まるで一枚の絵のように思える光景の中へ、一歩、足を進める。
毛足の長い絨毯を避けて、白大理石のタイルを踏む。
靴音が響けば、ストケシア姫がはっとして振り向いた。
そして、私と目が合ったストケシア姫の表情は、みるみる驚愕に染められていく。
「……メイズ、さん」
「久しぶり」
一歩、近づいてみた。
「……私、あなたに聞きたいことがあるんです」
しかし、ストケシア姫は騒ぎ立てたり、助けを呼んだりすることは無かった。
その代わり、声を潜めて、じっと私を見つめる。
「メイズさん。あなたの目的は、何なのですか?」
私は特に、答えなかった。言う必要は無いし、特に言いたくもない。
でも、ストケシア姫はどうしても、この話をしたいらしかった。
「私、調べたんです。ダンジョンと、邪神の話を。メイズさん。あなたはきっと、邪神の力の顕現なのですよね?だから、『王の迷宮』を操って、テオスアーレを……滅ぼせた」
ストケシア姫はそこで一旦、喋るのをやめた。
そのまましばらく、私が何か言うのを待っていたようだったけれど、私が何も言わないと、諦めたのか、続きを話し始めた。
「……私、15になった時にお父様に見せて頂いた本がありました。恐ろしい魔法がたくさん書いてある本。その中の、1ページだけ、私は確かに読み、そこにあった魔法を身に着けました。テオスアーレの王族として……悪魔を呼び出す魔法を」
反応しなかったか、と言われれば、否、と答える。
私は、ストケシア姫が読んだ、という本の事を知っている。
「……それから、邪神について調べるため、エピテミアの魔道学校の禁書を探しているうちに……これを、見つけました」
ストケシア姫は、真白いケープの内側から、1冊の本を取り出した。
黒い絹張の本。白い模様と文字が書いてある。
……。
「これは、私が読んだその本の写しだそうです」
ストケシア姫の手には、ヴメノスの魔導書の写本があった。
「……メイズさん」
ストケシア姫は、何も喋らない私に痺れを切らしたように、畳みかけるように、言葉を続けた。
「あなたは……あなたは、もしかして、異世界の方なのでは、ありませんか?異世界の……滅ぼされた、異世界の!」
「その本、貸して」
手を伸ばすと、ストケシア姫は一瞬、躊躇した後、私にヴメノスの魔導書の写本を手渡してきた。
私は手の上で、ヴメノスの魔導書の写本を燃やす。
魔導書は燃え上がって、明るく輝く。
「……メイズさん、答えて」
炎の光に照らされたストケシア姫の顔は、請うような、祈るような色を湛えていたように見えた。
「メイズさん」
「別に、あなたを恨んだりはしてないよ」
私が喋ると、ストケシア姫は言外の意味を悟ったか、目を見開いた。
「……メイズさん……それって……」
「だからこれは別に、復讐とかじゃなくて……でも、未来のために、必要なことだから」
けれど、次の言葉の意味は、分からなかったらしい。考える時間も無かっただろう。
ストケシア姫の体から、クロウの刀身が突き出す。
そして次の瞬間には、ピジョンがストケシア姫の首を斬り落としていた。
聖堂に火を放つ。
内側から火を吹いた聖堂に、聖堂の周りを張っていた兵士達が慌てふためく様子を見ながら、私はエピテミアの魔道学校へ向かった。
道中で、各地のダンジョンに居る強化ゴーレム達に呼びかけて、エピテミアへ向かってきてもらいつつ、魔道学校にも火を放ち、逃げてきた人たちは極力殺した。
それにより得られた魂は、ダンジョンで回収するまでもない。
ダンジョンの大本とも言える邪神の座に着いた今、私は自力で魂の回収ができるようになっていた。
……それから、後からやってきたゴーレム達やクロノスさん、ダイス君や水キメラドラゴンの助けもあり、エピテミアは1晩で廃墟になった。
声なき叫びを聞いたような気がしたと思ったら、私の体は凄まじい力をたっぷりと吸い込んでいた。
精霊が死んだのだろう。
「エピテミア、国になってたんだ」
もしかしたら、死んだのは国の精霊ではなくて、町の精霊とか、そういうものだったのかもしれないけれど……エピテミアを滅ぼすことで、私は大量の魂を得ることができたのだから、どちらでもいいか。
そして私は、最初のダンジョンへ戻ってきた。
「それじゃあ、ちょっと、世界を復活させるから」
装備モンスター達を全員外そうとすると、彼らは抵抗しはじめた。
……だから人型にしなかったのに、無駄だったね。もうお互いに愛着が湧いてる。
「大丈夫。お別れじゃないから」
抵抗するモンスター達にそう言えば、不審げにしながらも、私を離してくれた。
装備モンスター達を置いて、私は玉座の部屋へ進む。
邪神の座に着いた今でも、世界を取り戻す為の魔法は難しい。
けれど、エピテミアを滅ぼすことで手に入った魂が、私を助けてくれる。
……イメージなんて、いくらでもできる。
懐かしいと思う事すらない程に当たり前だった風景。
当たり前に通り過ぎていただけの風景。
それらが、自分でも驚くほどに鮮明に、脳裏に描き出される。
……鴉の声。夕焼けの色焼けたアスファルト。熱く重い空気。長い影。点滅する信号機。ビルの窓ガラスに反射する夕陽。夕ご飯の匂い。微かに揺れる電線。歩道を舗装するタイル。子供の声。それから、それから、それから、それから……。
それから、私。
私が注いだ力が、『世界のコア』を通じて広がっていく。
広がって、膨れ上がって……そして。
熱く焼けたアスファルトから立ち上る熱気が、夕方の風に吹かれて少し和らぐ。
蝉の声と鴉の声が混じって、夏の夕方の気配を空気に滲ませる。
自転車のチェーンの軽やかな音。遊び終えた子供の声。
傾いた日差しに照らされる道に、長い影が落ちる。
……本当に只々、『いつも通り』な世界が、そこに広がっていた。
私はしばらくぼんやりと、道端に立ち尽くして世界を見ていた。
道行く人達は私を見ることなく通り過ぎて行くにつれて、次第に影が長く長く、伸びていく。
そして、そんな中。
……1人の女子高生が、私の目の前を歩いていった。
そっと、後をつけた。
けれど途中で、別にそっとしなくても大丈夫だという事に気付いて、堂々と後をつけた。
女子高生は慣れ親しんだ、久しぶりの道を歩く。
くすんだ赤と緑のタイルが並んだ道を歩いて、薬局の看板の手前で曲がる。
紫陽花の植え込みが茂る公園の横をずっと歩いて、曲がり角をもう1つ曲がる。
そうして、電柱を3本ほど数えたところに……私の、否、彼女の家がある。
女子高生は軽やかに玄関へ向かい、ドアを開けた。
「ただいまー」
玄関のドアの奥から、「おかえりなさい」と、声が2つ、返ってきた。
……そして、ぱたぱた、と女子高生は玄関の中へ入っていき……玄関のドアが閉まり、中は見えなくなった。
そのまましばらく、家を見ていた。
『私』が母と妹と一緒に何か話しているらしい話し声や、笑い声が微かに聞こえてくる。
『私』は妹の宿題を見てやっているのかもしれないし、『私』自身の宿題を始めているかもしれない。
それとも、母が夕飯の支度をするのを手伝っているのかも。
……なんにせよ、この世界は、ちゃんと、蘇った。
元の姿のままに、戻った。
だからこの世界にはちゃんと、『私』が居る。
幸福そうな家をしばらく見て、私は心底、安堵した。
それから、宵闇の町をぶらぶらと歩いた。
町に素朴な街灯が灯る中を、のんびり歩く。
のんびり改札を素通りして、のんびり電車に乗って、自分が通っていた高校もちらり、と覗いてきた。
特に何があるでもなく、ただそこに何も変わらないものがあるだけだったのだけれど、それらは私をひどく安堵させた。
しみじみと、達成感と幸福感と、それから少し、喪失感のようなものを感じる。
……これでもう、大丈夫。
「ただいまー」
世界と世界の境界を繋ぐドアを開けると、そこには薄暗い部屋があった。
床には薄青の魔法陣。壁には華奢な壁掛け鏡。それから、玉座と、ほとんど空っぽの砂時計型オブジェ。
……そして、リリーが私にとびついてきて、モンちゃんがごりごりと私にひっついてきて、ボレアスが頭から被さってきたと思ったらさらにその上から春子さんがぺしょん、と乗っかり、ホークとピジョンとクロウと秋子が私の周りを飛び回り、ムツキ君が影からにゅっ、と手を出して……それから、ガイ君のガントレットが私の左手を握った。
「ただいま」
改めてもう一度言えば、ぱたぱたかたかたガシャガシャむにむに、それぞれが動いて、改めて私を出迎えてくれた。
本当は、もう帰ってくるつもりは無かった。
私が居た世界を取り戻してしまえば、もうそれ以上、私がやるべきことは無いし、やりたいことも無かった。全部無事に取り戻せて、私が居た世界はまた動き始めて、それ以上望むものは無かったし、望むべきじゃないような気がしていた。
だから、適当に……有体な言い方をしてしまえば、消えてしまおうと思った。本当に適当に、ふらっと。それが相応しい気がしていた。
「でも、まだ、働かなきゃね」
……でも、私はまだ、この世界でやるべきことがある。
ヴメノスの魔導書の写本が、他に無いとも限らない。
ヴメノスの魔導書の中身を読んで知っている人が、居ないとも限らない。
その可能性がある限り、私の居た世界が脅かされる可能性はまだ残っていることになる。
だから、私はこれからもこの世界で戦う。戦って、私が居た世界を守り続けよう。
……それに。
「駄目。もう駄目。愛着、湧いちゃった」
ふらっとお別れするにはちょっと、私を繋いでいるものが多すぎる。
私が居た世界を取り戻して、『私』も取り戻したらもうそれで、私を繋いでいるものはなにもかも無くなってくれるはずだったのに。
つまり、うっかりモンスターに愛着が湧いてしまったせいで、この世界で一緒に居たモンスター達とお別れするのが、惜しくなったのだ。
……まあ、丁度いいよね。これからもこの世界で頑張らなきゃいけないし。
これで、いいよね。
ふと、私の感覚が侵入者の存在を告げる。
エピテミアから焼き出された人が泊まる場所を求めて来たのかもしれない。
「じゃあ、いこうか」
装備モンスター達を改めて装備し直して、声を掛ける。
それぞれが個性豊かな返事を返してくれたところで、私達は侵入者に向けて、足を進めた。
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