風邪を引いた。久しぶりに。
一人暮らしをし始めてからだから、私は二年半も風邪を引いていなかったようだ。昔は年に三回は必ず引いていたのに。
まるで二年半分の風邪が一気に押し寄せて来たかのようにひどい風邪だった。
高熱があるのに私は何故か学校に行った。朝から夕方まで授業を受けた。
そう言えば私は二年半学校を休んだ事がない。
駅からのろのろとうちへ向かう。面白いもので、気付いたら結構な距離を進んでいる。熱のせいで思考回路が働いていないのだと思う。
まるでウォークマンでも聞いているかのように、周りに音が無かった。
サラリーマンが携帯で話す声も、女の人の歩くハイヒールの音も、おばあさんの自転車のベルも聞こえなかった。
私は一人ぼっちだった。
その新しい発見は私の頭を一層ぼんやりさせた。
もう秋も半ばなのに今日はひどく蒸し暑く、セーターを着込んでいる自分がひどく滑稽だった。額にうっすら汗をかきながら、たまった洗濯物や汚れた食器の事を考えた。
部屋に帰っても私はやっぱり一人だった。
のそのそと服を脱いでパジャマに着替え、ベッドに倒れ込んだ。天井がぐるぐる回っている。鼻が詰まり、喉には痰が絡まり、ひどく呼吸しづらい。
テレビも付けない部屋の中はシンとしていて、目をつむると外の音がかすかに聞こえてくる。誰かの笑う声とか、古紙回収車の音楽とか、トラックの音とか。
今日はまだ火曜日だったのか。一週間はとてつもなく長い。でも、どうせ一週間が終わってもまた一週間が始まって、また終わってまた始まる。一週間は延々と続いていくんだ。
小学生の頃、風邪を引いて熱が出たら、いつも母が梅干しの入ったお粥を作ってくれた。それから決まってお気に入りのアニメのビデオを見て眠った。みんなが学校で勉強している時に家でぬくぬくとしている自分が嬉しかった。
そういえば私はいつから日曜日が嫌いになったんだろう。
熱のせいか精神的にひどく参っている自分に気付いて苦笑いをする。
昔みたいに簡単に幸せは手に入らないし、嫌な出来事の次に良い出来事が待っている訳でもない。願えば叶う訳でもなく、悩みは尽きるはずもない。洗濯物と同じで、自分でやらなきゃたまっていくものばかりだ。
大人って難しいな。
この二年半、つねに何かに追われるようにして生活して来た。
一体私は何に追われていたんだろう。
どうしてこんなにも寂しいんだろう。
風邪なんか引かなければこんな余計な事なんて考えなかったのに。
何もせずに目をつむっていると時計の針がやけに大きな音を立てて私の心を急かす気がした。
昔のように、風邪を理由に全て投げ出せたら良かったのに。学校もバイトも夕御飯も掃除も。
でもそんな事したって今は何の意味もない。私はもう二十歳なのだから。
頭がひどくぼんやりしている。
意味もなく涙が溢れ出して、声も出さずに泣いた。仕舞いには咳き込む程に激しく泣いた。どうしようもなく悲しかった。
多分明日には熱が下がっているだろう。なんとなくそんな気がした。
明日もちゃんと朝七時に起きて、一時間で準備をして遅れずに電車に乗らなければいけない。学校に行って授業を受けて、昼休みにはお弁当を買って食べなくてはならない。家に帰って三十分経ったらバイトに行って働いて、また家に帰って風呂に入って寝る。大学を卒業したら就職してOLになって働いて、また一週間を繰り返していくんだろう。
一週間は果てしなく長く、でも気付いたらもう私は大人になっているのに。
どうする事も出来ないからまた明日も学校に行かなきゃいけない。でも着ていく服が無いし、ストッキングも破けている。お風呂に入らなきゃいけないし、薬を飲まなきゃいけない。もし熱が下がらなかったら病院に行かなきゃいけない。だけど病院なんてどこにあるのか分からない。
なんて悲しいんだろう。
毎日はなんて空虚なんだろう。
気が付くと朝だった。いつの間にか眠っていたようだ。熱のせいで夜中に何度か起きたのは覚えている。
枕元にあった体温計を脇にはさむ。
「あ」
声がひどくかすれている。
時計の針は午後一時を示していた。
「おいていかれたな」
つぶやいて私は、出もしない声で少し笑った。
熱は下がっていた。頭はまだ少し痛む。立ち上がると足がよろけた。鏡に映る顔はひどいものだ。泣きすぎたせいか目は腫れているし、肌はガサガサで髪はボサボサだ。あまりに間抜けだ。
こんな私も居たんだ。
なんだか不思議にすっきりしていた。
今日は学校もバイトもサボって、好きなビデオでも見よう。この恰好のままコンビニに行ってお菓子を買い込んで、1日中ベッドの上でゴロゴロしよう。携帯の電源を切って。
こんな日があってもいい。
また明日から始めればいい。
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