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必然ではなく

作者:恭子@新参者
五十鈴スミレさま主催、《決められた婚約者企画》への投稿作品予定でした。
遅れましたので『遅れてきた婚約者企画』へとタグをつけております。

なんてことない小景、なんてことない恋愛のお話。


祖母に決められた私の婚約者の話をしよう。
まず最初に断言するが、ここに愛はない。情はある。生まれた時からすでにして家族ぐるみで付き合っていて、なにかしらのイベントすべてにおいてペアとして扱われてきたのだ。これで情が無いといえばあんまりにも薄情だし……これで肉欲があるとするならば、それは、それでつまりその、不謹慎? というかなんというか。
モヤモヤをズバリと言い表せないが家族であることは言い切れる。うん。
うんうんソレだよ。
家族相手に欲情できるか? 答えはノー。

3つ年上の新山伸也さんは私にとって彼氏のような存在ではない。

けれど、彼氏でなくとも婚約者ではある。
祖母は伸也さんのお祖父さん、蓮司さんと恋仲だった。彼らは従兄妹同士なのだそうで、いまでこそ問題なく結婚できるが、当時の慣習というより家長の判断だったのだろう、婚姻は許されなかったのだそうだ。
恋愛というのは禁止された方が盛り上がる。
祖母と蓮司さんは世紀の大悲恋を繰り広げたらしい。ちなみに本人たち談であることは特記しておく。言うに事欠いて大恋愛である。ああいう輩が同世代の親族にいなくてよかった、私なら尻を蹴飛ばしている。
話が逸れた。つまり端的に言うと祖母と蓮司さんは結婚しなかったわけだ。時代的に言うと昭和の10年代なのでしょうがない面もある。家長の判断に従うしかなかったのだろう。
彼らは互いに違う相手と結婚し、それぞれ子供をもうけた。これが私の母と伸也さんのお母さんになる。感のいい方はここでお分かりになるか。

両家にはひとりずつ、女子しか生まれなかった。

かくして。かくありきの前言葉と共に祖母と蓮司さんの恋の決着はとうとう第三世代まで持ち込まれてしまった。
母と伸也さんのお母さん、珠美さんはそれぞれ男女の子を成した。面白いのが、第二世代である母と珠美さんは生まれながらの婚約者という立場を面白がれたという点である。
二度目で失礼、私なら蹴倒している。
敢えての打ち合わせで歳周りも近く産み合わせるという、私にしてみれば交配の手順かと罵りたくなるような手腕により私の兄と伸也さんの姉は産まれた。
歳の差ふたつ。

ここで止めておけばよかったのだ。

どういうノリの家族なのか、ああもう勿論、言われなくともわかっている。恋愛脳。ロマンス至上主義の溺愛家系。ついでにいうとノせてしまえば両家共に勢いは凄まじい。
私たちの家族は祖母連中と母親連中で盛り上がってしまったのだ。
なるほど言い方を変えればロマンかもしれない。生まれながらの婚約者。祖母たちの悲恋を乗り越え巡りあった因縁。だが自分たちの子供なのに。
私の意志はどこにある。善意ならいいのか。愛を下敷きすればそれでいいのか? なぁ。
……いいや、またも話が逸れた。母親たちはひと組では心もとなかったのだろう、ふた組目も産み合わせた。これが私と伸也さんだ。よくもまあ互いの家系に男女が混じったもので、偶然の采配が彼らをしてロマンスの渦へと叩き込んだといっても過言ではない。

3組目は女子同士だった。

肩透かしをくらい、加熱はいったんは止められた。けれどすでに二組も実験材料はある。失礼、母たちや祖母たちはそうは言わないな、『運命の恋人たち』、だ。
私たちや兄たちは結ばれて欲しい。恋愛によって。
彼らの織り成すプレッシャーたるや女子中学生時のバレンタインに匹敵する。童貞を失うときの緊張感にも似た――申し訳ない、ときおり出る下世話な単語は苦労して身に着けた悪罵の一種なのでスルーしていただきたい――テンションをずっと年長者からのワクワクの目で見守られる苦痛をご存じか。

恋に落ちる隙なんざあるか。

ふぅ、ようやく現在の私へと話が繋がる……ないな。長い長い過去物語はもう少し続く。
しばしの説明を我慢されたし。



ところで人間として生まれたからには不平等が発生して当たり前だと思うのだが如何だろうか。なに、難しい話じゃない。
致命的に私には女としての魅力がなく。
あちらには男性としての魅力が溢れている。という話だ。

好かれるはずもない、釣り合わない縁。

幼稚園小学校はともかく、中学生くらいからだろうか。伸也さんはそのイケメンの片鱗をガンガンに見せ始めた。率直に言う。
化けた。
思春期に綺麗になるのは、あれはなにも女子に限った事ではなかったようだ。伸也さんは背ばかり伸びてヒョロヒョロだった身体に筋肉を纏った。狐の糸目と揶揄されるようになったのはつまり、普段はくるりとした黒目がちの丸い双眸が考え事をするときには眇められるから。

クラスにひとりはいる、落ち着いた助言者に伸也さんは収まった。

スポーツが出来て頭もよく、たまに糸目にはなるが顔面もソコソコで人望に篤い。こんな男子がモテなかったら本人の性格を疑うがこちらも無問題。
笑えるくらいに伸也さんはモテていた。男子にも女子にも。
そんなステータスの彼とプライベートな点で縁が切れなかった私の苦悩を30字以内で述べよ。いや、そらもぅ無茶苦茶えんがちょしたかったよ。家族の絆ごと切りたかったよ。
何かの折には必ず一緒にさせられたペア。
あちらはパーフェクト。対するこちらは。

凡百の凡人。

卑屈ではなく拗ねてもない。公正な評価。友人たちも太鼓判を押してくれた。いやいや真面目に腐ってもいない。私のような存在がごまんといるからアイドルはアイドルたりえる。
チートは比べる凡庸さが無いと引き立たない。
何が言いたいか。

アレと付き合うとか、無いナイない。

ヒトはだな、釣り合うヒトと釣り合えばいいと私は思うよ。天秤を思い浮かべるがいい。自明の理だろ?
向こうもぎこちなくなって来てたし都合もいい。そんなこんなで私は中学入学時にして早々に婚約者であるというアドバンテージを投げていた。
付き合うとか冗談だろう。よしんば釣り合いを無視してお付き合いを始めたとしてもだ。そもそもの前提として私の方に恋情が無い。
っつかさぁ、どれだけ家族ぐるみで旅行に行ったりご飯を食べたことかっていうね。物心つく前からいっしょに暮らしてるような相手で、あっちが確実に格上で?
それで恋仲になることを夢見てる私の両親とおばさまたちは、言葉が悪いが、ことこの件においてはアホだと言い切れる。
伸也さんは当時、母たちのピンク色の問いにも淡々と答えていた。いまになればわかる。あれはキツイ。
昔、子供の頃は無邪気に遊んでいたものだが中学生くらいになって急に仏頂面が増えた伸也さんに対し、私も戸惑った。あちらが中学に入学した時は私は小3である。激変した伸也さんの対応にたくさん泣いたし悩んだが……自分が中学生になって理解した。
私も伸也さんも大人になるんだ。現実が見えてくる。
いっしょの拳骨もらってワンワン泣いていた子とピンク色にはなれません。
私の結論はそれで、伸也さんの結論もそうだと私は確信していた。



前置きが長くてすまんがあと1点。
うちの家訓をご存じだろうか。これだけ愛だのロマンスだのが溢れ返っている家系だ、想像もたやすいかもしれない。

恋に落ちた人との結婚は、何人たりとて離すべからず。

どこの日本人ならココを真っ先に推すというのか。いっそラテン系のノリである。祖母どころか伸也さんの祖父、蓮司さんも、蓮司さんの連れ合いである美弥子さんですら信条としている格言は第二世代にも深ぁく刻み込まれている。洗脳だ。母たちの伴侶、つまり私の父と伸也さんのお父さんも恋愛だといえば天下御免の御免状とばかりにニコニコしている。
自分たちの孫たち、子供たちのうち、どちらの組み合わせでもいいから結婚してほしいと私たちは言い聞かせれて育ってみろ。
呪いのように、恋愛はいいぞと聞かされる毎日。
……あぁ失敗したな。過去の繰り返しはもういい。大学生編に戻る。
私は無事に高校も卒業した。どぎまぎしていたとしても所詮は家族もどき、伸也さんはすぐにリラックスして私に声をかけてくれるようになった。そこらあたりにもいいヒトぶりが出ている。
学業面も体力面も、ついでに精神面も劣る私を決して馬鹿にしたりしない。丁寧に勉強を教えてくれ、あわよくば桃色の時間を過ごせとばかりのプレッシャー空間のなか、家庭教師の役を見事にやりおおせてくれた。
進学先の学科は伸也さんがいちばん役に立つ助言をくれ、女子大にした。事務や秘書などのスキルと就職先の決定率の良さで難関を誇っていたあの大学に入れたのは伸也さんのおかげといって過言じゃない。
家から少々遠いので渋っていた家族を説得してくれたのも伸也さん。どうも彼の就職先が私の大学と近いらしく、いっしょに暮らせばいいと両親その他を口説き落とした。

いっしょに暮らす? という時点で私としては穿った見方をしたかったが、……どこにどう目を凝らしてもソコには兄妹間の愛情しかない。

すわ同棲か愛の巣かと目が曇ってる関係者を尻目に、私たちはついに自由を手に入れた。伸也さんは完璧に『兄』だった。私には本物の兄がいるが、女子大に入ってからの知り合いがひとり残らず伸也さんを指して「あれ、お兄さん?」と聞いてきたほどの兄っぷり。負けず劣らずどころか肉親のレベルで私は大事にしてもらっていた。
伸也さんの方は一足早く大学で男女交際というものを愉しんでいたらしい。ぶっちゃけると私としては伸也さんにも『そういうこと』が出来るのだと知って心底から驚いた。好きなグラビアアイドルの名さえも告げないような男に、恋人。
はっはぁ、と嘆息していても女性の影はチラホラと見え続けていて。
そのうちに、彼女たちの面子が毎回違うことに気がついた。伸也さんに聞くと「別れた」のだと言う。とっかえひっかえの速さで回っていくスピードに回転寿司と名付けて面白がっていたまでは良かったが。
噂は最後に本人の耳に入ってくるのが定番。私が女子大生活を安定させた頃に伸也さんは就職したわけだが住居の条件は変わっていない。同居は解消しておらず、それを指して友人に指摘された。

「就職した先でも伸也さんモテてるんだろうなぁ。っていうかあのヒト、陽奈子の本物のお兄さんじゃないんでしょ? なのにアンタが同居してるから碌に付き合ってくれないってのが定番の振られる理由だったらしいよ?」
「……はぁ?」

振られてた。あの兄が。間違った、兄じゃない。伸也さんが。

「社会人になったところでアンタがいたら彼女も連れ込めないだろうし、意外と大変かもねぇ」
「私の方は連れて来いってうるさいんだけどねぇ」
「……は?」

今度「?」をつけたのは友人の方だった。私は、伸也さんには遠慮なく女性を連れ込めばいいと言ってあること、私の方にもその自由は保障されていることを説明した。

「伸也さんは私に万が一にでも彼氏ができたら、その時点でまず連れて来いって言われてる」
「ふぅん?」
「あっち側の女の人は、性格的に合わなかっただけだって言われてたよ。それだけ。真面目な話、私とあのハイスペックな人がお付き合いは無理でしょう。だからね、みっちょん。いままで何回も言ってるけど本気だよ。私を合コンに連れてって」
「彼氏作るために? そんで彼氏になりかけると伸也さんの前に連れてかれて面談?」

呆れた、の顔を隠しもしない友人に過保護な兄でねぇ、と愚痴る。私の熱弁に負けたみっちょんはそれから3度だけ合コンのセッティングをしてくれたが、その後は二度となかった。
彼氏予定の男性たちを蹴散らすがごとく、そーらぁもーぉ小姑のごとくに腐して萎えさせた兄さん、間違った、伸也さんのおかげで私の貞操はいまも真っ新なままだ。

ここは恨みに思っていい。

さて。
さてさてようやく話を『今』に戻せる。私は現在25歳だ。就職先はあっさり見つかった。小さな工場の事務、兼、社長秘書みたいなポジションが私に与えられた月給15万の価値で、私は喜んでその業務にどっぷりと嵌まり愉しんでいる。
年配の男性が構成のほぼ90パーセントを占める工場は私にとって居心地がよかった。
伸也さんは順調に業績を伸ばし係長だとかその辺りにいるらしく、浮ついた態度も完璧に見せなかった。金曜の夜からフラフラと私と映画に行ったり、土日にかけて買い物したりゴロゴロしたり。私との同居は続行しているがあくまで家族、どこまでいっても兄さんのような関係性。
向こうもそう思っているのではないだろうか。家政婦替わりでないことは確かだ。家事を押しつけられることもフォローが必要なこともない。パンツを洗うし洗われる。風呂に入れと口やかましく言われれば、私としては伸也さんこそ早く寝ればと言い返せる材料がない。

何度でも言う。率直に言うと私には女性としての魅力が欠片もない。

ああ待った、年齢関係なくのおばちゃんとしての魅力ならあったかもしれない。さっき語った、居心地がいい、の内訳になる。
どうも私は、やたらと年上男性に好かれる性質だったらしい。馬鹿にされつつ可愛がられるというのか、私の望んでないような好待遇を与えられる。
出張のお土産が高級菓子だったり、内緒だよといいながら会社での忘年会、二次会では美味しいお酒を飲ませてもらった。下世話に推測すると、祖母や母譲りの古風な顔立ちと色白要素だけが年配のおじさまたちには必要なようだ。

愛想笑いのひとつもしておけば、それは美味しい食べ物やお菓子や酒に変わる。

伸也さんには私のそんな、なんというかある一定層にしか届かない魅力は当たり前に効かなかった。いつでもハイスペックチートは涼しい顔をして肉親で、私の傍にいる。寝起きの態ですらハンサムという凄技は女性である私に譲ってもらえなかったのだろうか神様。
まるっとした目は垂れ目がち、なのに眇めると途端に迫力が増す。私が25歳なのだから向こうは28歳なのに彼女を紹介したことが無いせいで私にヘタレ狐だとか素人童貞猫かぶり野郎だとか言われてるのに。

いや現実には一回足りとて言ってませんけど。

だけどあんまりにも不可解でしょう? なんなの枯れた28歳って存在するの? ここにいるんだけど。
しげしげ見るのも飽きてるのでチラリと視界に収めれば十分。伸也さんは男前でギラギラしたところがなく、穏やかとはとうてい言い難い淡々とした狐顔でシャツを羽織っている。
無駄にヘラヘラする性質ではないので、こちらも笑わない。

笑わない婚約者に愛は生まれない。

どこをどう押しても完璧な理屈だというのに、祖母とあちらの祖父、蓮司さんは私の訴えをいつも笑って聞き流した。
なので。




前置きが長くて大変に失礼した。私の詳しい事情というのはこれまでの経緯を読めばいい。ちなみにこの文章は私の脳内フォルダに収められている個人日記だ。
いや、いやいや引かないでほしい。誰に言ってるのか不明だがドン引きだろうとも引くな。逃げるな。

私のきょとんに付き合ってくれ。

さぁてお立合い。私は『いま』『現在』、伸也さんに手首を掴まれて強制連行されている。どこに? 家に。
なんで?

なんで?

私が聞きたい。今夜は花火大会だったのだ。とある筋からのお誘いを受け、なるほどコレは気合の入れどころだろうと張り切った私は美容室に予約を入れた。
一張羅の浴衣を装備し化粧もしてもらった。新品の下駄の鼻緒が皮膚を擦りきりそうで不安なところは透明絆創膏を貼って予防して。
生成りの麻に朝顔は紫と青みがかった赤。帯が臙脂で裏地が黄色。若い娘さんらしい柄を地味に結うことで年齢相応に仕立て上げ、髪もかわいくアレンジしていただいた。巾着と揃いの生地で朝顔。
ここまで『セイヤッ』とばかりの格好をした理由はピンク色。つまりなんと、ジャジャーン、今夜の花火観賞は簡易の見合いなのだ。工場の方の課長さんの息子さんがお嫁さんを探しているということで私に白羽の矢が立った経緯は自然で、伸也さん以外の誰かを見つけなければ結婚できない私としても断る理由がない。
伸也さんの方も本当に普通で、出かける時ですら「おー、いってらっしゃい」としか言ってなかったのに。
偶然にばったり行き会った花火大会の会場で私の傍にいた課長の息子さんを認めるやいなや不思議そうな顔から一転、怒った顔になり目を眇められた。

そして現在の強制連行に至っている。

……うん。なるほど説明してもまだ理解できてない。どこが悪かったのか。もう少し詳しく述べる。
夜店の明かりで何割増しかに見える初対面の息子さんと私は確かに、ちこーっとだけぼんやりとしていたかもしれない。それでも私は意味がわからないながら礼儀は忘れなかったはずだ。
とりあえず紹介でもしようかと伸也さんを手のひらで示し「兄代わりのようなものでして」と言った直後。

「違います。それは俺の嫁です」

と言い切られ、それで手首を掴まれた。
はい。それでラスト。詳しくもなにもねぇじゃねぇか。トータルで今夜の経緯だよ。私の背後ではさぞかし綺麗な花火が咲いているのだと思われる。夜空が照り返しで色とりどりに輝いている。思い返すだにポカンの顔をしていた課長の息子さんよ。私のポカン顔を見て察してほしい。
今夜おうちに帰ったら是非に課長には報告しておくれ。私には知らないうちに旦那さまが出来ていたようだと。
本人知らずの旦那さま。ウケる。
ウケない。

「嫁じゃないです」
「いーーや。嫁だ」

おおぉぉ。埒が明かない。花火大会はこれからが中盤。クライマックスまでまだ間があるのでつまり、私たちは人ごみに完全に逆らって動いているのだ。手首を引かれる25歳浴衣姿のバツの悪さよ。神がいるなら救ってほしい。

「おぉ? 陽奈子ちゃんじゃないか。息子とは合わなかったのかい?」
「課長」

はははは神はいるね。このタイミングの悪さ、イエス、神さまは絶対に存在する。

「……陽奈子の夫です。このたびは俺の嫁に男を紹介して頂いてどうも」
「夫ぉ?! 陽奈子ちゃん結婚してたの!」
「してないですよ。課長、じつはこちらが私の兄でして」
「兄じゃない。夫だ。いいですか課長、さん。陽奈子は俺の嫁です。いままでハッキリ意思表示させてなくて申し訳ありませんでした。これから最速で事態を収束させます。本当に、すいません」

怖いのか、驚いたのが大きいのか。わからない。
私の目の前で私の手首を掴んだまま90度に頭を下げる伸也さんは『男のヒト』だった。兄さんにこんな顔ができたのかってくらい誠実そうな表情。間違った、兄さんじゃない、伸也さん。
伸也さん。

「陽奈子ちゃんは、きみについて何も言ってなかった。同居してるのはお兄さんだと」
「俺が気がついてなかったんです。息子さんといっしょにいるところを見て間抜けにも気がつきまして。陽奈子は妹なんかじゃない。俺のモノです。俺の嫁だ」
「ということは、きみはまだ、陽奈子ちゃんと結婚していない。どころか、彼氏にもなっていない」

課長の声が厳しさを帯びる。……まぁ無理もない。私がいちばん驚いてますから。この展開。

「彼氏には、すぐになります。というか結婚もすぐにして見せる。陽奈子とはずっと、ずっといっしょにいたんです。離れるなんて出来ない」
「それは家族の情だろう」
「違います」

ようやく頭を上げた伸也さんはゆったりと口角を上げた。伏し目がちにしてそんなことをされると悪役臭がスゴイ。なまじ顔が整ってるだけに迫力が。
ぐっと手首を引き寄せられて、挿してる簪に……たぶん、唇が来たんだと思う。汗ばんでる伸也さんは男の人の匂いがした。

「いまはまだ陽奈子に意識されてなくても。どれだけ俺がコイツと同じ時間を重ねてきたとお思いですか。自覚したからには容赦ができない。課長さん。すいません」
「…………やれやれ。まったく。よくできた子ほど、必ず誰かが先に見つけてるもんだ」
「それに気づかせていただき感謝してます。これからも御社内で陽奈子をよろしくお願いします」
「……釘まで刺してく有能さか。陽奈子ちゃん、苗字が変わる前にいちど、社で飲み会しような。辞めないよな?」
「はい」
「トラブルが、なければ」

お? あ、は? 私に向けていわれた言葉なのにどうして伸也さんが答えるの? 
なんで?

「これだけ鈍くて察しの悪い嫁ですが、愛してますので。……陽奈子を、くれぐれも」
「はいはい。まったく、まったく」

溜息をついた課長は後ろ姿で手を振りながら花火会場へと歩いていく。くるり肩を掴まれたまま私たちも方向転換。伸也さんはまた手首つなぎに戻り私の足を急かした。

急かすのはいいが、だから、鼻緒が痛い。

透明絆創膏は役目を終えたらしい。べろりと剥げていった保護材に泣き言をいう直前にハイスペック気遣い野郎はわたしの足に気がついた。慌てて近場の店に駆け込みサンダルを買ってきた。かわいい浴衣にアレンジのおしゃれな髪形。帯も巾着もかわいくて、なのに足が突っ掛けもどきのサンダル。

「…………ゼッタイに。伸也さんとは結婚しない」
「なんで」

打てば響く問いに怯むが引かない。

「意味がわかんなかった。出かけるまで、違うや、出かけた後だって伸也さんは私を止めてなかった」
「男といるなんて想像もしてなかった。女の子だけで出かけるんだと思い込んでて。それでもナンパに合うんじゃないかと心配になって来てみれば陽奈子はどこぞの男と歩いてる」
「課長の息子さんだよ」
「無茶苦茶かわいい格好して、純粋で無防備な俺の陽奈子に、誰だオマエは、ってなった」

って、なった。
何がだ伸也さんよ。なにがどう『なった』んだよ。まてまてまて、大体だな伸也さんの私じゃないよ。私はただの陽奈子だよ。
家族ぐるみで付き合ってきた妹モドキ。

「頭にきた。それで、これまでを思い返してだなぁ」
「はぁ」
「学生時代にどんな男が来ても追い返してたのは、ありゃぁ小姑の嫉妬じゃなかったわけだ」
「そもそも小姑じゃないし」
「妹の彼氏に焼いた兄、じゃなくて。陽奈子に、俺以外の男の匂いが許せなかったんだな。いま思うと」

はっはぁ。
意味がわかりませんがな。
私の反応の悪さに伸也さんは困ったように頭を掻いた。脚をぴたりと止めて上を、夜空を指差す。

「俺は、釣った魚にしか餌はやらない主義なんだ」
「ん?」
「だわな。よし、陽奈子。月が綺麗ですね」
「花火がね。いまから見に行く?」
「行かない」

伸也さんの困り顔は眇めた眼に変わる。糸目怖い。わかんないふりしてるんじゃない、よな? と言われたので首を横に振った。
ぶっちゃけだな伸也兄さん。展開早すぎて付いていけてないよ。

「十五夜の月見をしたら戻りの月見をしたいんだ。お前と。陽奈子と。ついでにいうと毎月の満月をお前と見たい」
「見ようか」
「陽奈子の味噌汁うまいよな。食べたい」
「帰ってからでいい? 作ろうか?」

うぅぅ、と唸られてもちょっとよくわかりませんね。伸也さん、それはなんというか、その、口説きたい相手に対して使うものだよ。妹モドキに言う単語じゃないし会話でもない。

「っあーーーー。結婚するなら、俺は、お前とがいい」
「そんな色気の無いプロポーズなら踏みにじって欠片にして星にすればいい」

掴まれていた手を振り払った。両手をそれぞれの腰のあたりでグーにする。腹がった。猛烈に。
あったま来た。

なんなんだ。なんなんだアンタ。伸也さん。

ぐるぐる渦巻く感情が喉元で塊になって苦しい。おっきくて熱い。これって泣く寸前の症状によく似てる。
言うに事欠いて結婚だなんて。他でもないアンタが言うなよ。私と伸也さんは血のつながらない家族なんだよ。兄さんなんだ。
言い聞かせて言い聞かせて、私にも伸也さんにも周囲にもようやく浸透してきた繋がりなのに。

「け、けっこんなんか、ぜったいにしない」
「させる」
「やだもん。伸也さんは兄さん枠だよ。友達みたいに仲良しで甘えさせてくれて無条件で好きにさせてくれる兄さんが、いい」
「夫になってもその枠は継続する」
「他人になっちゃうじゃんか!!」

せっかくのフルメイクが崩れる。小憎らしいハイスペックチートなヘタレ狐は目を眇めたまま私の巾着からティッシュを取り出した。そっと顔に当ててきて涙を吸い取らせる。
身体を引かれて道の脇に寄った。泣いてる浴衣女と慰めてる男前。滑稽な図。

「なぁ、他人にはならないよ。むしろ本物の家族になる。例えばいま、俺に陽奈子のことを責める権利はないんだ。あの男は誰だ、脂下がってスケベそうなツラだった。だいたい、いくら年上ばかりとはいえ陽奈子の会社にだって若い連中もいるだろう。そいつらのことを問いただす権利は、いまは、俺に無い。ないことが腹立たしいんだ。なぁ陽奈子。俺に立場をくれ。権利を持たせてほしい。俺のいる家に帰ってきてくれ。っあーーー、他になんていえばいい。俺はお前がいい。お前だけがいい。ずっとずっとずっと一緒にいたお前以外と、もう恋なんて出来ない」

ずっと兄だとばかり認識していた家族同然の男性から、こうも熱烈な長口舌を受ければどうなるか。
私は、ポカンと間抜けに口をあけた。

「こい」
「そう」
「あい」
「そう」

馬鹿みたいな遣り取りで涙は止まったが心肺機能も停止したし思考も回らなくなった。伸也さんは道端に私を引いたときの要領で手首を掴み、家路をたどり始める。
途中、銀色の大きな風船を買った。ヘリウムガスが入っていて、油断するとすぐに空に飛んで行ってしまう奴だ。私はこれが大好きでよくねだっていた。いかんせん高いものだから買ってもらったことはないが、齢25にして念願はかなった訳だ。

「陽奈子が、どこにもいかない目印」
「……迷子には、ならない」
「迷子じゃなくても俺が見つけたい」

壊れ物のようにそぉっと発声された宣言は私を揺らす。どういう意味だろうか。恋だの愛だの、そういうのは私たちのあいだには無かったはずだ。
困惑する私を連れてゆっくりと伸也さんは歩く。花火はそろそろクライマックス、辺りに人通りはない。
足が痛くて、すごく惨めだと思った。化粧はきっと剥げてるだろう。足元なんて間に合わせにしても酷い突っ掛けときた。目元は腫れて洟を啜っている。子供みたいに銀色の巨大風船を括られて。

「釣り合わないよ」
「俺のなかでは釣り合ってるんだ」
「他の誰かがいい」
「陽奈子が俺以外の誰を連れてきても、俺は猛烈に妨害するからな。渾身の知略を尽くして邪魔する」
「結婚させろよ」
「俺となら」

もういいかな、と観念してティッシュではなくハンカチで豪快に涙を吸わせることにした。てれてれ歩いて30分の花火会場だったからもうすぐにアパートには着く。
着いたら、どうすればいい。

「なぁ陽奈子。アパート、借り換えようぜ。マンションでもアパートでもいいけど、もっと夫婦者に似合う感じのとこ」
「……」
「新婚さんの新鮮さを、試そう? 友人枠も兄さん枠も俺のモノだった。だったら今度は夫の枠になりたい。そんなにおかしな展開かな」
「早すぎる」
「それは俺も、そう思う」

くつくつと愉快そうに喉を鳴らした伸也さんがコンビニでチョコレートとビールとジュースを買ってくる。化粧の剥げた私は背を向けて入口のところで待っていればいい。

ほら、私の好きな物ばかりを伸也さんは買ってくる。

でもわかんないよ。夫婦は他人に戻れるんだよ伸也さん。こんなに居心地のいい関係を台無しにしたくない。終わらせたくない。
凡人の私が伸也さんに愛想を尽かされることは……っあーーー、無さそうだけど。なんてったって25年の付き合いなんだし。
や、いや、だけどだな。夫婦と友人の間には深くて険しい溝がだな。
険しい溝って何なんだと自分に突っ込みながら私たちはアパートの鍵を開ける。無言のままで伸也さんは私の着付を解いた。着物用のハンガーに浴衣をかけ小物を箱に置き下駄を乾かす。
キッチンの椅子に座りながらアレンジを解してくれるあいだに風呂が沸いた。さすがに浴衣用下着は脱いでない。私はそそくさと脱衣所に行き熱い風呂に浸かる。

…………この生活を、手放す、のか。

頭と身体を豪快に洗うとバスタオルで拭い部屋着に着替える。伸也さんは私と交代し風呂に入った。私は複雑な気分でテーブルに置かれた二皿の卵焼きと茶漬け、コンビニでの戦利品を眺める。
結婚しようかな。伸也さんと。
軽い戯れは二度とできなくなった。まだワンチャンあるとしたら本当に伸也さんと結婚したあとだ。クソッタレ、それもいい。釣り合う合わないがなんだ、私と伸也さんのことじゃないか。

「……腹の立つ」
「なにが?」
「うわっ! は、早かったね?!」
「待たせたくなかったから」

短髪の人間の利点は髪を乾かさなくてもいいところだ。伸也さんはガシガシとタオルで頭を拭きつつテーブルからひょいと卵焼きを摘まんだ。指で私に食べさせる。
美味しい。甘くて。
もう片方の卵焼きは出汁巻だろう。とことん甘やかし作戦に出られれば私に勝ち目はない。そーらぁーもーぉ毛頭ない。

「ちょっと不利な気がする」
「ちょっとどころじゃないと思うけどね。早めに降参しちまいな」
「……その、その、なんだな。気にかかってるところがあってだな」

帰り道に考えたなか、どうしても答えの出なかった問いは一点しかない。

「伸也さんの言う、ぁ、あ、から始まる単語はともかく、結婚となるとね。避けては通れない事象が発生するよね?」
「あ?」
「その、つまりなんですよ、あれだ、こう、その、なんていうか」
「子供のことか。もちろん肉欲込みで結婚するんだ、うーんと仲良くなりたい。お前と。距離がマイナスになるようなことも、希望としては週9でしたい」
「7超えてるよ?!」
「新婚さんだもん」

ぺろっと言い放つヘタレ狐め。部屋のどこにもエロ本を隠さないほど淡泊だとの読みはどうなる!

「しゅ、週9」
「10でもしたい」
「したい」
「するか?」
「しない」
「そうか」

禅問答のように短文が行ったり来たりしている。ごめんそろそろ正直無理です。頭が限界ですよ伸也さん。
眠りたいです。
私はガツッと箸を掴み茶漬けを流し入れた。ごちそうさまと食器を下げ熱に浮かされたような男の人の視線に生唾を呑む。
茶化すことなんて出来ない。からかっても自棄になってもない。この人は。

「愛か」
「愛だ」

確かに、私を欲している。
だったら、こちらに勝ち目はないのだ。負けは目に見えている。本気のハイスペックチート、敗因はそんなものじゃない。
伸也さんが伸也さんとして本物の本気で私を口説いた場合には、私にはビタイチ勝ち目がないというだけ。
好きな物も嫌いな物も、理想のシチュエーションだって筒抜けのこの人に。
抗う気も起きない。これまでにも散々、似たような状況はあった。許す気のない伸也さんに許しを乞うても無駄なこと。気を変えさせたければ前提を覆す必要がある。
私には愛が無い。それがどうした。伸也さんにはたっぷりと持ち合わせがある。
私には色気がない。以下同上。

「……婚約期間は……どのくらいのご予定で」
「明後日まで」

目を合わせないままに聞くと打てば響く。これはもう駄目だ。無理だ。詰んだ。

「…………結婚、致します」



そういうことになった。
……観念して伸也さんの恋人枠、婚約者枠に納まってみると、ちくしょう、居心地はほとんど変わらなかった。嘘をついた。意地だ。

溺愛の沼に足を取られている。

この沼ときたら適温で、意地の悪いところが無い。痒いところに手が届く。先回りしてすべてを整えられる決まりの悪さはあるが、うぅん、そういう面は家族の方にも多分にあるしな。
甘やかされつつ、泳がされている。
その表現がぴったりか。伸也さんに聞けば一般の人なら束縛感で引くそうだが私も伸也さんも『あの』家族の中で育っている。おはようからおやすみのキスまでは躊躇うこともない。兄妹じゃないんだから。
その伸也さんといえば、さすがに婚約期間2日では具合の悪すぎることが多かったと理解してくれたようだ。これはこれで楽しめばいいと割り切ったようで、現在の私はといえば伸也さんと結婚式の打ち合わせと称した……なんだろうな、伸也さんはデートと言い張るデロデロした甘やかしに付き合わされてる最中。
食べさせあいとかはしないものの、視線とつなぐ手がほぼ一日中離れてくれない。

返す返すもあの夜の花火大会が伸也さんの鎖を解放してしまった、のか。

知らないオトコと親密そうにする陽奈子なんか二度と見たくないと言い切り、あのときは体中から血の気が失せたと笑ってはいたがガチだ。もしやヤンデレの気もるのか伸也さん。
家族同然で気の置けないこの子を、ぼやぼやしてたら取られる可能性もあるということに初めて気がついたのだと自嘲して次の瞬間にはキスを仕掛けてくるありさまである。
嫌がらない私の罪もあるのかもしれない。
傍からすれば重苦しい溺愛、普通の人ではまるっと抱えられないような執着が伸也さんの家系の愛らしい。そういえばそうなのかもしれない。そうして私は、伸也さん方の愛を持つタイプなのだろう。自覚してなかっただけで。
祖母は私の身の内の虚に気がついていたのかもしれない。すべては推測、だから断言はしない。けれど……そう考えれば、なるほど執拗に伸也さんと私との婚約を勧めていたのだと、いまにして良くわかる。

束縛する彼と、放っておいたらフワフワしてしまう私。

これはこれで釣り合いがとれてるようだと、長年の思いを一変させた私は薬指の煌めきを見て口角を上げた。
ちなみに、私がこうして指輪に見惚れていると伸也さんが高確率で指輪にキスする理由を知ってるだろうか。



私の視線をひとり占めする指輪を、隠してしまいたいのだそうだ。







はい。という話でした。
可もなく不可もなく毒もない。キーワードにこれほど困る作品は初めてです。
お目汚しになっていなければ幸い、時間つぶしになれればご愛嬌。

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