76話:焦土戦
「初戦のシリルカは――捨てましょう」
僕のその発言は、皇宮の最奥部にある豪奢な会議室に波紋を呼んだ。
「ばっ……何を馬鹿な事をっ!」
「シリルカは防壁こそたいした設備でこそないが、広い平原とレスティケイブを見渡すことのできる、ウェルリア王国との防波堤になってくれている要衝だぞ!?」
「さては……ルーク殿。いまだ祖国の土が忘れられないのではあるまいな!」
エジンバラ皇国の高官たちが、僕にいぶかしがるような視線を向ける。
「別にウェルリア王国が恋しくなったわけでも、この皇国を負けさせたいわけでもありません。
いいですか、大事なことは、ウェルリア王国との戦争に勝つということです」
ぴん、と右手の人差指を天に向けて、僕は言った。
「「「…………?」」」
会議室の面々が「何を当たり前のことを」と疑問の表情を浮かべる中、レティス皇帝だけは「面白そうなことを言い出すな」とばかりに、にやにや笑いを浮かべていた。
「ウェルリア王国は、なぜ国力や地力で勝るエジンバラ皇国に戦争を仕掛けようと思ったのでしょうか」
「それは……ウェルリア王国自体の財政悪化と、我が国が以前から徹底して行っていた対外工作により、周辺諸国から孤立しているからでは?」
「そう、そうです。ウェルリア王国は大陸の最強国家と呼ばれたことも今は昔。現在はとんでもない財政危機に陥っている」
僕は手元の羊皮紙資料をめくりながら、言った。
それは間諜がウェルリア王国の本当の台所事情を調べて作った財務資料であり、その資料によればウェルリアの破綻はさしせまった状態だと記してあった。
「王族や上級貴族の放蕩により、ウェルリア王国はすでに放っておいても瓦解するでしょう。
その風前の灯を照らして、最後の戦争をエジンバラ皇国に仕掛けようとしているのです。
最強と呼ばれた聖十字騎士団を筆頭に、武力に物を言わせて略奪すれば、また以前のような栄華な王国を取り戻せる、という夢を見ている。
つまり、ウェルリア王国には長期の戦争に耐えられる国力がない。
だから、この戦争で確実に勝ちたければ、ウェルリア王国に長期戦を強いさせればいい」
「回りくどいですな。それがどうして、シリルカを捨てるという発言に至るのです」
僕の含んだところがある説明に、ハゲ頭に眼鏡の軍務相シーダが、いらだちを見せて言った。
「シリルカには、貴殿と馴染みの者も多いはず。こちらはきちんと調べ上げていますよ。冒険者ギルドの職員、やり手商人のシャーレ、屋台で店を出すロドリゲス、工房ギルドの職人たち。ルーク殿と交流のある彼らが、戦火の中に倒れていってもいいと言うのですか?」
「もちろん、彼らを無駄死にさせたりしません。遣い鴉を飛ばして、一刻も早くシリルカの街から退去させましょう」
「だから、何故わざわざ街を捨てるという愚行を犯すのだと、我々は聞いているのだ!」
ダン! とテーブルを叩き、小太りの閣僚がそう言った。
「こうするんですよ。シリルカだけでなく、周辺に住む民にすべての街を放棄させ、皇都まで輸送する。そして、その街や施設、道中にある資材や食材として使える政治資源は、すべて燃やし尽くしながら逃げていくのです」
そこに至って、彼らの頭にも、僕の言いたいことが理解できたようだった。
「己の国が、街や資材、糧秣をあえて焼き払う――……」
ぽつりと漏らしたシーダの言葉の後に、全員の声音が重なった。
「「「焦土戦か!!」」」
彼らの解答に、僕はアルカイックスマイルで頷いた。
「そう。ウェルリア王国は我が皇国の豊かな資源を略奪したい。そのために戦争を仕掛けている。
しかし、侵略したはずの敵国に、略奪できる資源や食料が一つも無かったら、どうすると思いますか?」
「逃げ帰る……と言うわけにはいかないでしょうな。ウェルリア王国は黙っていたって、崩壊寸前なのですから」
出来の良い生徒に教えるように、僕はシーダに頷いてみせた。
「そういうことです。一般的に兵の維持には、莫大な補給が必要です。おそらくウェルリア軍は、エジンバラ皇国内で必死に糧秣を探すでしょう。しかしその補給基地や糧秣地がことごとくが焼き払われているか、すでに使えなくされているとしたら?」
「餓死……しますな」
「餓死とまでは行かなくとも、士気はだだ下がりでしょうね。そして、彼らは死にものぐるいでエジンバラ皇領内を進撃してくる。空腹で空腹でどうしようもない空きっ腹を抱えて。前に進み、略奪するしか道がないのだからね。
伸び切った後方連絡線、届かない補給、ダダ下がりの士気、敵国の深い位置まで入り込み地理にも疎いウェルリア軍。
そこを――全力で叩くのです」
僕がそう言葉を発すると、会議室の面々がぶるりと震え上がった。
「なるほど……恐ろしいことを考えなさる。たしかに、聞いてみれば合理的な作戦ではありますな。我が皇国が自らで行う被害を勘定に入れなければ」
「焦土戦をやるにしても、どこでウェルリア軍を叩くのだ、ルーク殿。我が国家には鉱山や豊かな田園が多く、すべてを焼き払うわけにはとてもではないができんぞ」
閣僚たちの言葉に、僕は大きく頷いて、テーブルの上に広がる巨大地図の一点を指差す。
シリルカの街から、皇都に至るまでの道の途中にある城塞都市。
「皇都の衛星都市、リパンダール城塞都市で行う攻城戦でケリをつけましょう。
ここなら、城塞から魔導銃によって騎兵を狙い撃ちすることも可能ですし、そもそも攻城戦は防衛が圧倒的に有利な戦いです。
ここまでウェルリア軍をおびき寄せれば、もはや撤退も増援も敵わぬでしょうし、敵の士気も最低レベルになっていて、打ち砕くことは容易でしょう」
僕はちら、とレティス皇帝を見た。
意思決定を仰ぐべく。
「うん、問題ないだろう。焦土戦で行こう。ルーク殿の戦略を採用しようと思う」
最高権力者の鶴の一声でそう決まった。
こうしてエジンバラ皇国の、ウェルリア軍が進撃する道中にある街、施設、田園、糧秣地、その他もろもろの政治資源は、すべて焼き払われることになった。