38話:湿地帯
シリルカの街で補給を終えた僕たちは、再びレスティケイブへと向かった。
この大陸には大きく分けて、西側にエジンバラ皇国、東側にウェルリア王国が存在する。
その二つの国を隔てているのが、大陸の中央に存在するこの不毛の大地だった。
草木が生えず、魔物以外の動物も生息していない。
岩山が連なる大峡谷の下に、魔物が湧き出てくる地下迷宮が存在する。
この全体像を、ひとくくりにしてレスティケイブと呼ぶ。
岩山が重なる一部分に、地下に続く階段がある。
そこから、いつものようにダンジョンへと潜っていく。
足早に1階層から3階層まで駆け抜け、僕らは4階層へとやってきた。
基本的な構成の冒険者パーティーのダンジョン攻略速度は、魔物との戦力差やレベル上げを完全に無視できるとして、半刻で2クピテ分が標準的な攻略速度と言われている。
単純な距離換算で、1階層分がだいたい直径8クピテほど。
理論上なら、1層を2刻で攻略できることになる。
ただ迷宮区は道順が入り組んでいるし、山岳区も地形が複雑なので、初見でマッピングしながらだともう2刻ほどはかかる。
ここに強敵とエンカウントした時は攻略速度が3分の2ほどに減少するだろうし、豪雨や積雪地帯ならば攻略速度は半減か3分の1ほど。目に見えて遅くなる。
そして問題の第4階層。
ここは山岳層の3階層と違って、4階層は全体的に湿度が非常に高く、地表に沼やぬかるみが多い階層だった。
一歩足を踏み出すだけで、ぬかるんだ地面にどぷんと足が取られる。
「これは……」
「湿地帯だな。足場が非常に悪くて、並の近接職はだいたいこの階層から苦戦し始める。そして4階層から状態異常の攻撃を使う魔物が出てくるぞ」
「なるほど」
タッグを組むロイさんの言うことに、冷や汗を垂らしながら頷いた。
泥濘した地表はただでさえ足場が悪い。
その上、魔物との戦闘もあるのだ。
ここは攻略速度が極端に遅くなっても致し方ないところだろう。
幸いにして、僕は中~遠距離攻撃のできる魔法職だ。
戦闘において、足場の不利はあまり影響ない。
問題は、状態異常の攻撃を使う魔物への対策だ。
「ルーク。先日、状態異常を防ぐパッシブを覚えたんだろう?」
「あ、はい。早速使います」
「そうしたほうがいいな」
先日取得したウンディーネの加護がこの階層から輝き出す。
取ってよかった、ウンディーネの加護。
これを使わない手はない。
「ウンディーネの加護、発動」
魔法が発動し、水神・ウンディーネの加護が僕の身体に降り注ぐ。
これで理論上は、すべての状態異常は抵抗・防御できる。
「しかし魔力が……」
ウンディーネの加護は常時発動型魔法のため、発動しているだけでガンガン魔力が吸われていく。
一応は僕のレベルも20近くまで上がって、総魔力量もそこそこのものになっているのだが、しかし。
魔力消費Bの魔法を常時発動させて、その上に上級や聖級の攻撃魔法なども使っているとすぐに魔力の底が見えてきそうだ。
使う魔法が優秀なものばかりになってきているがゆえに、魔力消費の問題にここでぶち当たってしまった。
「これからは魔力の問題も解決しないといけないか……」
シャーレさんの装備品店で、魔力吸収の魔法付与効果がついた装備を買うべきだろうな。
杖の魔物探知と習熟度加速が優秀だし、ローブの経験値加速も外せないから、あと残る部位で改善できる装備は、腕輪、靴、ベルト、指輪、首輪ぐらいか。
まだまだ結構、改善の余地があった。
そんなことを思案していると、ロイさんが体ごとこちらを振り向いて黙って見てくる。
「なんですか?」
「いや、3階層のような作戦を立てるなら聞くが」
「あぁ……」
地形が入り組んでいて、射界の通らなかった3階層。
しかし4階層は足場が悪いことを除けば、それほど地形として見るべきところは少ない。
視界の先には、平らな湿地帯がひたすら続いている。
気をつけるのは、沼か。
「この階層の魔物って、沼から出てきたりしますか」
僕が言うと、ロイさんは静かに首肯した。
「ヒューマンワームやポイズンドートのたぐいは、沼の奥底に潜んで冒険者を奇襲する」
「ならば4階層は沼地からの奇襲を警戒することですね。幸いにして、僕の魔物探知にひっかかると思うので、奇襲に関してはそれほど気を張り詰めなくても大丈夫でしょう。あとは、そのヒューマンワームだかなんだか言う魔物に足をとられたり崩されなければ、たぶん問題ないと思いますが。まぁやってみないと、事前情報だけでは分からないですけど……」
「実戦あるのみだな」
「いつもながらぶっつけ本番ですけど、4階層は大丈夫かと思われます」
「よし、ならば行くぞ。ヘイストをくれ」
「あ、はい!」
ロイさんにヘイストをかけて、僕らは前後に隊列を組んで、湿地帯の4階層を攻略し始める。
予想通りではあるが、足場が非常に悪く、ちょっとした事で足を取られて転びそうになる。
そんなぐだぐだの地面を、僕は慎重に、しかしロイさんは何事もない風で進んでいく。
「あの、ロイさん」
「ん?」
「なんでそんな簡単にスイスイ歩いていけてるんですか?」
「お前のヘイストがかなり優秀なのと、あとは経験とスキル補正」
「あー……」
さすがは剣神といったところか。
ちなみにロイさんが世間一般で『剣神ロイ』と呼ばれていることは、つい最近屋台でご飯を食べている時に知ったことだった。
僕はとんでもない人とパーティーを組んでいるわけだ。
早く彼に追いつき、助力ができるようにならなければ。
どぷんどぷん、と浅い沼の中に沈んでいく足を引きずって、僕は前に進む。
それでもヘイストによって、浅い沼地から足を引き上げたりする行為に魔法的な補助がかかるので、だいぶ移動の負担が減っている。
やはり色んな魔法を覚えて万能型を目指す戦略は間違っていないようだ。
となると、あとはやはり魔力不足の問題か。
次にシリルカの街に帰ったら、シャーレさんに相談してみよう。
そう思っていると、50ヤルドほど先の魔物を探知できる杖によって、脳内にマッピングされている先の地点が赤く光る。
「敵襲です」
「分かった」
やがて行く先の沼地の中から、突如として地面が盛り上がり、僕らの行く手を阻む。
魔物の襲来だ。
ロイさんが剣を抜刀し、僕は杖を構える。
沼の中から出てきたのは、いつものように前衛と中衛と後衛の3つに分かれていた魔物の群れだった。
敵前衛に、毒々しい色のカエルの魔物・ポイズンドート×3、肉体が腐っている騎士の魔物・ゾンビナイト×2。
敵中衛は、七色の羽毛を持ち見るからに禍々しい・七色鳥×2。これは飛行可能な魔物だ。
それから敵後衛は、黒いフードを被った魔導師の魔物・ブラックメイジ×3。
「どれから落とす!」
情報も少ないし、まずは先制攻撃。
「現最強魔法のスリヴァーシュトロームで先制します! 残った魔物を適宜、各個撃破で!」
「了解した」
もうロイさんとの戦闘もかなりの数をこなしてきている。
お互いが欲しい時に、欲しい援護を、声掛けなくてもできるようになりつつあった。
僕らは短く意思疎通し終えると、戦闘に突入する。
気炎を上げて襲い掛かってくる魔物の群れに、全魔法の中で最速の部類の魔法が先制する。
ぬかるんだ沼の表面に、雷の共鳴地が発生する。
あっと思ったが否や、そこから目にも留まらぬ勢いで4頭の雷蛇が飛び出した。
牙を剥いて迸る雷の蛇。
敵前衛のポインズンドートとゾンビナイトのほどんどがこの雷蛇に飲み込まれ、噛み砕かれると、あっけなく消滅した。
悲鳴を上げ、魔石へと変わる。
さすが聖級魔法。
とんでもなく強いな。
ロイさんがひゅーうと口笛を吹いた。
しかし、常時発動中のウンディーネの加護に加えて聖級の攻撃魔法をポンポンと使うと、魔力があっという間に底をつく。
倒せる敵は中級魔法で倒すべきか。
残る敵は飛行可能な七色鳥に、魔法職のブラックメイジだった。
「先に七色鳥を叩く! 射撃援護してくれ」
「了解しました」
一瞬で戦況を判断した彼に、僕も同意する。
青白い魔法剣で虚空に軌跡を引きながら、ロイさんはぬかるんだ地面などまるで関係ないかのように突進していった。
あの不利な地形でも行動にまるで影響を受けないスキルは、前衛職にとっては喉から手が出るほど欲しいだろうな。
七色鳥は翼を広げロイさんを有利な上空から迎撃しようとするが、僕が弓なりに放ったサンダーランスが七色鳥に突き刺さり、上空に逃がすことを阻止する。
「ナイス援護」
一閃のもとに、ロイさんが七色鳥を切り伏せる。
僕はそれと同時に、魔法を詠唱していた敵後衛のブラックメイジへも妨害魔法を放つ。
これも新取得した、土系中級の妨害魔法・アースシェイクだ。
ブラックメイジたちが立つ沼地が激しく揺らされ、魔法の詠唱を阻害する。
ブラックメイジの魔法の発動がキャンセルされ、その隙にサンダーランスを投擲。
雷の槍がブラックメイジに突き刺さり、鈍い悲鳴を上げるもそれだけではまだ倒しきれない。
やはり階層が深くなるにつれ、魔物の耐久値も上がってきている。
被弾硬直を起こしている魔物に、僕は追撃の魔法を放った。
雷系統ばかり使うのも芸がないので、続けてバーングラウンドを使用。
大地に炎の渦が立ち込め、ブラックメイジを飲み込んでいった。
そこに至って、ロイさんも七色鳥を完全に始末したようで、僕とブラックメイジ戦に突入してくる。
おそらくロイさんはなんらかの属性抵抗スキルを持っているのだろう。
炎の渦などお構いなしに突撃し、火炎にあえぐブラックメイジを斬り伏せ、消滅させた。
すべての魔物が魔石へと変わり、戦闘が終了する。
沼地に落ちて泥だらけになった魔石を拾い、布で拭き取りながら僕らはお馴染みの反省会を行った。
「今回、どうでしたかね」
「どうも何も、文句をつけるところなんてなかったんじゃないか。一度も窮地に陥っていないだろう」
彼の言葉に、はっと目を見開いた。
「魔法の二重発動ができるのもいいし、妨害や援護攻撃も豊富になってきた。強くなったな、ルーク」
剣神のささやかな賞賛が、誰の褒め言葉よりも嬉しかった。