36話:皇国
エジンバラ皇国の皇都にて、この国で最も高貴な人間が集まる場所があった。
皇居の最奥部にある一室。
その室内にある家具や調度品はすべて最高級のもので、黒檀の長テーブルにゆったりとしたクッションつきの椅子に座るものはみな威風堂々としている。
エジンバラ皇国は皇帝にすべての判断が委ねられる、君主制の国家だ。
ウェルリア王国のような、立憲君主制》が形骸化しており、実際のところは少数の王族や上級貴族が支配する寡頭制のいびつな国とは違う。
エジンバラは皇帝が全権力を握り、皇帝が政策を判断すればそれが最短距離で実施されるスピード感のある専制政治である。
もっとも、それゆえに暴君が皇帝の座についてしまうと、エジンバラ国民は一気に不幸の奈落に突き落とされるが、今代のエジンバラ皇帝陛下は賢王として名高かった。
「それでは、定例の国家戦略会議を開始したいと思います」
眼鏡をかけた文官がそう言うと、一同はおざなりに拍手で迎えた。
エジンバラ皇帝は、仕事のできる官僚や閣僚を自身のブレーンとして重用し、こうして国家戦略の会議を定期的に開いている。
「まず今月の国庫収入ですが、依然としてうちの生産業は塩の製造と専売が強く、今月だけでも100タレントの収益があります」
この世界の通貨で、1タレントはおよそ金貨1000枚程度だ。
1000タレントということは、金貨10万枚にものぼる。
高級官僚の説明に、各メンバーが配られた羊皮紙をパラパラとめくる。
一同のなかでもっとも身分の高いものが座れる、上座につく皇帝がぽつりとこう漏らした。
「塩の製造および専売制は強いな」
「そうですね。生活必需品ですし、食料の保存などにはもっぱら塩が使われますので。来月以降も右肩上がりの収益を見込んでおります」
官僚が眼鏡を指先で持ち上げ、続きを語る。
「各地方を納めている領主からも規定どおりの納税があり、今年度はこれと言って大きな災害や大侵攻による被害もなく、穀物生産や畜産などから得られる収益も軒並みプラスです」
「そう。それだ」
「は……。それだ、と申されますと、何がでしょうレティス陛下?」
会議の司会進行役をつかさどる高級官僚は、上座に座る皇帝に困惑の色を返した。
それだと言った彼の名は、レティス・ガブリアス。
この国で一番尊い、最高権力者の名である。
「先日、カラープリア地方のシリルカ付近で大侵攻があったそうじゃないか。いつもなら皇帝軍を動員しなければ大きな被害が出るというのに、今回は数百の冒険者だけで見事防衛してみせたのだろう?」
ただテーブルについて腕を組んでいるだけなのに、レティス皇帝の風貌からは威圧感があった。
長い髪を後ろで束ね、浅黒く健康的な肌は彼の精力を現している。
事実、レティス皇帝は日夜遅くまで国の最高権力者として働き、いつ眠っているのかと思うほどの精力振りだった。
働き者の皇帝は、他を静かに圧倒する雰囲気をまとっている。
「そのようですね。あぁ、それでは話は少し飛びますが、その事についても資料にまとめていますので、皆さまお手元の3枚目の羊皮紙をご覧になっていただけますか」
官僚の言葉に、会議の場にいる全員が羊皮紙をめくった。
「陛下がおっしゃったのは言うまでもなく、カラープリア地方のシリルカの街付近で行われた大侵攻の件です。レスティケイブに隣接するかの地方には冒険者ギルドを通して定期的な偵察を依頼しておりましたが、仕事を不十分にこなす輩のせいで大侵攻の予兆の発見が遅れました」
会議室には、パラパラと資料をめくる音だけが反響する。
「皇帝軍を動員する間もなく、魔物の大軍はシリルカの街を襲いました。通常であれば、市街の壊滅は避けられない事態でした……、が」
官僚は一呼吸置いて、続けた。
「シリルカの街に駐在していた、ルークという冒険者が、この街にいる人間を指揮統率して戦ったようです。ルークは史上稀に見る戦型を用いて、大侵攻を迎え撃ちました。この時に彼が敷いた戦術が、これです」
羊皮紙の資料には、ルークの包囲殲滅陣が描かれていた。
それは中央を守りで固めて、両翼に機動力と突破力に優れた主力を置く戦術だった。
「こうして図形で見れば、ありきたりの会戦の戦型にしか見えないな」
「運用方法が優れていましたね。ルークは敵の主力が中央であり、中央突破を狙っていることを看破すると、戦いの場を両翼に限定しました。
中央を硬い防衛でしのいでいるあいだに、両翼を突破して敵の外翼と背後つく。
いわゆる、包囲機動ですね。動きの中の戦術として、これほど見事な戦い方もないでしょう」
プライドが非常に高く、『国家を動かしているのは自分たちだ』と言ってはばからない高級官僚という人種が、こうまで手放しで褒めている。
ルークの功績は、それほどのものだった。
「類をみない戦型ですね」
「えぇ」
他の一同も、渋々と認めざるを得なかった。
「ダース。このルークとかいう冒険者、何者か調べたか?」
「もちろんです。どうも裏を取ったところによると、ウェルリア王国の辺境の村出身でしたが、王都で罪を着せられ国外追放されて、エジンバラに流れ着いた様子ですね」
レティス皇帝はわずかに目を見開いた。
「ウェルリア出身? こいつは何をやらかしたんだ」
「貴族相手に女性関係の揉め事を起こしたようですよ。もっとも濡れ衣だったようですが」
「それはご愁傷様。大侵攻に勝てるほどの才能を手放した、馬鹿なウェルリアへの皮肉だが」
皇帝の毒づきに、会議の面々は苦笑する。
「ルークという男は、どういう人格なんだ。皇国にとって忠誠を誓ってくれる人間たりえるか」
「難しい話ではないと思います。素直で前向きな性格のようですし、陛下や皇女殿下と個人的に親交がおありな、剣神ロイ様の庇護下で育てられている様子です」
「ロイが面倒を見ているのか! それはうちに引き込める材料になるな。
なるほど。天才は天才にしか育てられんか。
いずれにせよ、ウェルリアが二度も手放した逸材が、こうしてうちで活躍してくれている。ルークやロイにとって、これほど見事なウェルリアへの復讐もあるまい」
レティス皇帝の発言に、会議の面々はウェルリア王国への失笑を漏らした。
白兵戦に関しては、間違いなく歴代最強の剣神ロイ。
それに、冒険者たちを指揮統率して動かせる戦術派のルーク。
「……こいつら2人がいれば、ウェルリアも落とせるな」
何気なく言った皇帝陛下の言葉が、会議室に波紋を呼ぶ。
「ウェルリアを攻めるおつもりなのですか!」
「本気ですか、陛下!?」
淡い微笑を浮かべたまま、レティスは続けて言った。
「まずはルークを手に入れたい。何を使ってでも」
「……左様でございますね。現在はルークとロイの2人でペアパーティーを組み、レスティケイブの攻略を行っている様子です。いかがなさいますか。皇宮へ呼び出し、我が軍勢に下るように説得しますか」
ダース高級官僚が言うと、しばらくレティス皇帝は沈黙を守った。
それから間を空けて、ぽつりと言った。
「彼にとって故郷のウェルリアを攻めるから力を貸してくれと言って、『はい、分かりました』と言うほど脳天気な男でもあるまい。
……まずは外堀から固めるか。おい、ルーティア!」
「は。いかがなさいましたか、お父様」
レティス皇帝が自分の娘の名を呼ぶと、長い黒髪にレティスと同じように浅黒い肌の、活発としている美少女が応えた。
「護衛をつれて、シリルカの街まで赴け。そしてルークに緋龍褒章を与えてこい」
「緋龍褒章……!」
一同がざわめいた。
赤い竜を模したその褒章は、この年代に最も皇国に貢献した人物だけに贈られる、まこと名誉な賞だった。
緋龍褒章を与えられた人物は、この国では皇帝に次ぐ名誉と権勢を得られるとされる。
公爵貴族ですら、緋龍褒章持ちには頭を下げる。
「緋龍褒章を始めとして、ルークを懐柔するのに金や物はいくら使っても構わん。あいつが皇国にとって有益な人材と成り得るよう、お前がやつの心を掌握して来い」
「かしこまりました。必ずや、お父様のご期待に応えてみせます」
美しい皇姫が、深々とお辞儀する。
漆黒を思わせる髪が、赤い絨毯の上へと流れ落ちた。
「では、陛下。本気でルーク殿を重用し、ウェルリアを落とされるお覚悟を……?」
かつては頭の良さで智謀や策謀を存分に振るった老いぼれた閣僚が、震える声で尋ねた。
老いた文官を一瞥して、レティス陛下はゆるやかな微笑をたたえるだけだった。
「陛下! お考え直しください! よしんばウェルリアを落とすにしても、うちの軍勢にはハーデス元帥やコックス上級大将と言った有能な武将がいるではありませんか! 何もいまさらどこの馬の骨とも分からぬ男を使う必要はありませぬ!」
話に上がったハーデス元帥やコックス上級大将は、すでに齢50を越える熟練した老兵だった。
彼らは有能な将官ではあったが、いかんせん新しい時代を切り開くには老いすぎている。
レティスは老いた閣僚の名を呼んで、こう言った。
「ライゼス。新時代を切り開こうとする時、一番足かせになるものはなんだと思う?」
「は……? い、いえ、無知蒙昧たるわたくしには、とても陛下の深謀遠慮には敵いませぬが……」
こんな時でも己に追従するライゼスへ苦笑して、頂点に立つもの特有の孤独にまとわりつかれている皇帝陛下は、寂しげな顔で言った。
「新時代の成功を収めようとする時、最も足かせになるのは、過去の成功体験だ。
優れた業績を上げたものほど、過去のやり方に縛られる。
今はもう、ハーデスやコックスの時代ではないんだよ」
「彼らが聞いたら、柳眉を逆立てますぞ」
「それならそれで結構。だがこれは事実だ。
時代を変革させるような大事業を成し遂げる人間は、いつの世も才ある若者だ。
人間は老いていけばいくほど、才能を摩耗していく。
そう。エジンバラかねての悲願である『ウェルリア王国征服および、大陸の中原制覇』を成し遂げようとするなら」
レティス陛下は己の言葉と理想に、恍惚とした表情で言った。
「天才が最も光り輝く、今この時しかないんだ」
ルークは己のあずかり知らぬところで、壮大な国策へと巻き込まれていた。
◇ ◆
僕らは三階層を踏破し、四階層につながる階段を発見したところでまた街に戻ってきた。
僕のレベルが3上がっているため、四階層に挑むまでに新たに魔法を習得し、それから装備もいくつか新調して戦力を整えることが目的だ。
シリルカの街に帰ってきた時の恒例行事となった、聖教会での成長の儀をお願いすることにした。
神父さんに頼んで、覚えられる魔法を列挙してもらう。
【ルーク 取得可能魔法・スキル一覧】
<新規取得魔法>
雷系統聖級魔法 スリヴァーシュトローム
威力A 攻撃速度S++ 消費魔力S
(※範囲攻撃魔法:魔法の出足が全魔法の中でも最速の部類の攻撃魔法です。大地に雷の共鳴地を発生させ、そこから雷蛇が出現して敵中範囲に襲いかかります)
水系統中級魔法 キュア
威力E 攻撃速度C 消費魔力C
(※支援魔法:毒、麻痺、凍結、呪い、低下などの、全ステータス異常を回復させます)
水系統上級魔法 ウンディーネの加護
威力E 攻撃速度A 消費魔力B
(※常時発動型魔法:全ステータス異常を完全に防ぎます)
土系統中級魔法 アースシェイク
威力D 攻撃速度C 消費魔力B
(※妨害魔法:大地を激しく揺らして敵を行動不能に陥れます。飛行可能な魔物には効果がありません)
光系統中級魔法 レイ
威力A 攻撃速度A 消費魔力S
(※範囲攻撃魔法:速度と火力を両立させた、鋭い閃光を放つ魔法。横一列の敵を同時に攻撃できます)
風系統初級魔法 ウィンドショット
威力E 攻撃速度D 消費魔力D
(※遠距離攻撃魔法:威力と攻撃速度は遅いですが、50~100ヤルドの相手を狙撃できる魔法です)
<前回取得可能になった魔法>
フレア
ライゼスホーン
ヒール
アイスカーテン
<既存取得可能魔法>
ファイアバレット
ファイアランス 以下省略……
取得可能数 3
さすが習熟度加速&経験値加速。
取得できる魔法がほとんど上級のものになってきている。
特に使う頻度の多い雷系は、もはや聖級の魔法を習得することが可能となっている。
今の段階で僕にとってこれは、どう考えてもスペックオーバーの魔法だったが、四階層攻略の切り札としてとっておいて損はないはずだ。
せっかく習熟度を上げた光中級のレイとどちらにするか迷ったが、ひとまずはスリヴァーシュトロームに最速の魔法として十分に活躍してもらおう。
神父さんに頼んで、僕は1つ目の取得魔法を『スリヴァーシュトローム』にすることにした。
スリヴァーシュトロームがある以上、縦一列攻撃のライゼルホーンなどはとらなくていい気がする。
あとはサブの火力魔法として光系中級の『レイ』を取得し、安全に戦える相手ではレイを使って光系統を積極的に伸ばしていくことも考えたが、火力魔法はひとまずこれでよしとしよう。
次は、支援と妨害魔法を取りたい。
注目すべきは、現段階で覚えられることが可能になった『ウンディーネの加護』。
全ステータス異常を防ぐ常時発動型魔法ということで、これは早めに取っておいたほうがいい気がする。
ただこれを取ると、水系中級のキュアと効果が競合してしまうことになる。
常時ステータス異常を完全に防ぐが消費魔力がとんでもないウンディーネの加護か。
ステータス異常を受けた時にしか使えないが、その分消費魔力は単発で収まるキュアか。
どちらも一長一短だが、キュアだとリカバー不可能な状態に陥ると弱い。
今のところ、レスティケイブでは状態異常攻撃を使ってくる魔物はほとんどいないが、これから深い階層を探索する時、たとえば麻痺と凍結のダブルでステータス異常を食らってしまうと、キュアだと立て直せないかもしれない。
だから、常時発動できて異常を完全に防いでくれるウンディーネの加護にしよう。
消費魔力の問題は、消耗品と装備で解決すればいい。
2つ目取得魔法は、『ウンディーネの加護』にすることにした。
それからなんと言っても妨害魔法を伸ばすために、三階層ではあまり効かないサンドロックを必死で使っていたので、妨害の中級魔法はなんとしても取らねばならないところだった。
覚えられる妨害魔法は、土系中級のアースシェイク。
これがサンドウィザードが使ってきていた、大地を揺らす魔法に違いない。
大きな地震を起こす魔法だから飛行可能な魔物には効果がないが、これを使われた時は足場がかなり揺らいだので、アースシェイクを取っておけば相手の体勢を崩すことができる。
先制攻撃でアースシェイクを放って敵の足止めをし、ダブルキャストで安全な距離から一方的に攻撃することも可能だろう。
よし、これで問題ないはずだ。
3つ目取得魔法、『アースシェイク』。
この3つの魔法を覚えて、神父さんに成長の儀の代金である銀貨1枚を支払い、聖教会を後にした。
着実に強くなってきている自信がある。