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第四章
第九十七話:着手
 秋の気配が完全になくなり、寒さが厳しくなり始めた十二月。
 元の世界に比べれば緩やかな変化ながらも、四季が存在する“この世界”で迎える初めての冬である。
義人は最近の冷え込みに眉を寄せながら、執務室で自分の椅子に背を預けた。
 レンシア国から帰国して二週間ほど経ち、その間に溜まっていた政務もすでに片付けてあるため机の上に書類の山は存在していない。
 召喚されて七ヶ月。だいぶ慣れたものだと自画自賛する義人である。もっとも、帰国した際に机に積まれた書類の山を見た時は逃げたくなったが。

「ふぅ……寒い時にはお茶が美味いな」

 義人はそう言って、手に持った湯飲みに口をつける。そしてほど良い熱さのお茶を飲み干し、満足気なため息を吐いた。元の世界では日常的に飲むものではなかったが、今では毎日口にしている。
 年寄り臭くなったかな、などと義人は苦笑して、湯飲みを机の上へと置く。すると、少し離れた場所に置かれた机で政務に励んでいたカグラが顔を上げた。そして、どこか嬉しげに口を開く。

「お茶のお代わりですか?」
「いや、大丈夫。というか、そういうのはサクラの仕事だろ? 気持ちだけありがたく受け取っておくよ」
「そうですか? でも、何かありましたら言ってくださいね?」

 カグラは義人の言葉に納得したのか、視線を手元へ戻して政務の続きを始める。義人そんなカグラの様子を眺め、密かにため息を吐いた。
 相変わらずの巫女服姿で政務に励むカグラのその姿は、どこかやる気に満ちている。思わず『寒くないのか?』と聞きたい義人ではあったが、そんなことよりも気になることがあった。

「あ、あの……ヨシト様……」

 義人が眉を寄せていると、背後に控えていたサクラがおずおずといった様子で声をかける。その声を聞いた義人は、上機嫌で書類を捌くカグラに気付かれないように小さな声で返事を返す。

「ん? どうかした?」
「いえ、その……カグラ様、何かあったんでしょうか? ここ最近、ずっとあの様子ですが……」

 ここ最近とは帰国から今日までのことを指し、あの様子とはやけに機嫌が良い状態のことである。そのことに関してどこか不安そうに尋ねるサクラに、義人は思わず苦笑した。

「それはサクラがカグラに対してどんな印象を持ってるか、非常に興味が湧く質問だな。ずっと機嫌が良いカグラはおかしいと?」
「えっ!? そ、それはその……」

 苦笑混じりの義人の言葉だったが、サクラは慌てたように言葉を探す。それを見た義人は苦笑を深めた。

「冗談だよ。でも、カグラの機嫌が良い理由か……」

 ふむ、と一つ頷いて、義人は首を捻る。そして、数秒の後に口を開いた。

「なんだろうな?」

 本当に皆目見当もつかない……わけではなく、単に(とぼ)けているだけである。
 義人としてはある程度の予測がついているが、それを口にすることはない。何か下手なことを口にして、カグラの機嫌を悪くする必要もないのだ。

「ちゃんと仕事もしてるし、大丈夫だろ? しばらくすれば元に戻るか、もしくはサクラ自身が慣れるよ、きっと」
「そう、ですか?」

 義人の言葉に対して、半信半疑ながらも頷くサクラ。カグラの機嫌が良くて困ることはないと自分に言い聞かせ、一応の納得を見せて義人の背後へと下がる。
 そんなサクラの様子にもう一度苦笑すると、義人は机の上に置かれた書類へと目を落とした。急ぎの案件として追加の仕事が来なければ、本日最後となる書類だ。内容は玉鋼の製造に関する報告で、義人は普段と比べてゆっくりと書類の内容を確認すると、特に不備がないと判断して王印を押す。これは報告を受けたという証拠なのだが、義人は手に持った王印を見て僅かに思案に耽る。

 ―――これって、どういう原理で印がつくんだろうな……。

 召喚された当初は常々思っていたことだが、いつの間にか気にしなくなっていた疑問。自分しか使うことができないという点では王剣のノーレと一緒だが、ノーレに比べれば印象が薄いため、今まで忘れていた義人だった。
 王印はある意味、義人がこの国の王であるという証の一つ。ノーレと同様に、現状では義人しか扱うことができない。つまり“コレ”も義人が国王である証だ。
 何故自分しか使えないのか。それを静かに考える義人ではあったが、そう簡単に答えが浮かぶわけもなかった。だが、それと同時にある考えが頭に浮かぶ。

「王印……王印ねぇ……」

 義人はしばらく考え込み、頭を捻った。そして、とりあえずといった様子で背後のサクラへと振り返って王印を差し出す。

「サクラ。ちょっとこれを紙に押し付けてみてくれないか?」
「これって、王印をですか?」

 義人から差し出される王印を恐る恐る受け取りながら、サクラは首を傾げる。義人の突然の発言の意味がわからないのだろう。それでもサクラは義人の言葉を守り、王印を紙に押しつける。

「どれどれ……って、やっぱり無理か」

 そして王印をどけてみるが、そこには何の印も押されていない。予想通りの結果に義人がため息を吐くと、サクラは慌てたように頭を下げた。

「ご、ご期待に応えられず申し訳ありません!」
「いやいや、そんな謝ることでもないから」

 頭を下げるサクラに軽く手を振り、義人は頭を上げさせる。

「しかしサクラでも無理かぁ……カグラは最初の説明の時に試したしな。これも魔法具みたいだけど、魔法の腕は関係ないのか?」

 そもそも、使用するのに魔法の腕が関係するのならば自分が使えるはずがない。義人は自分の口にした考えを自分で否定すると、こういったものは専門家に聞いたほうが良いと判断し、傍に立てかけてあるノーレを掴んで立ち上がった。すると、それを察したカグラが仕事の手を止めて義人の方へと顔を向ける。

「どうかされましたか?」
「どうかしたってわけじゃないけど、調べたいことができたからちょっと外に出てくるよ。何か急な仕事
ができたら人を寄越してくれ」
「それは構いませんが、護衛はどうされるおつもりですか?」

 いないのならば自分が。
 そう言いそうなカグラの機先を制し、義人は首を横に振った。

「いや、護衛には近衛隊についてきてもらうから大丈夫だ。カグラは自分の仕事をしていてくれ」

 今日は提出された書類に目を通して王印を押すだけだった義人とは違い、カグラには様々な仕事がある。義人としても手伝えるなら手伝うが、カグラでしか判断できないものも多い。それを案じての義人の言葉に、カグラは微笑むことで応えた。

「そうですか……それでは、お気をつけて」

 それは、どういった心境の変化か。特に説教もなく外出の許可が出たことに、義人は内心だけで驚きの声を上げる。

「あ、ああ。それじゃあ行ってくるよ」

 それでもカグラの気が変わらないうちにと、義人は足早に執務室を後にするのだった。





「それでここに来たってのか?」

 呆れ顔でそんな言葉を投げたのは、城下町の外れにある製鉄所の主、ドワーフのローガスである。
 突如来訪した義人に目を丸くしたものの、用件を聞くなり呆れたような表情を浮かべた。一国の王様が、そこまで気軽に外出をして良いのかと。そんなローガスに対し、義人は口を尖らせる。

「いやいや、仕事はちゃんと片付けたし、会議も入ってないから大丈夫だろ。護衛だってちゃんとつけて
る。それに、これは俺にとっては非常に気になる疑問なんだって。ローガスならこういったものには詳しいだろ? それと、頼みたいことがあってね」

 そう言って、義人は懐から王印を取り出す。餅は餅屋と判断して持ち込んだのだが、義人の差し出す王印を見てローガスは眉を寄せた。

「俺は鍛冶師で魔法具の作成はあまりしないんだがなぁ……ま、こういった魔法具の扱いに覚えがないわけでもなし。見るだけは見てやらぁな」

 義人から王印を受け取り、目を細めて王印を注視するローガス。時折見る方向を変え、何かを見透かすように口を開く。

「何か魔法がかかってるな。『魔法文字』……いや、刻んだ跡がねえから『付加』を使ったのか?」
「ん? 『付加』ってなんだ?」

 ローガスの呟きを聞き、義人は首を傾げる。名前からして補助魔法の一種だろうかと予想を立て、そんな義人の考えを肯定するようにローガスが頷く。

「補助魔法の一種だ。何かしらの魔法を武器や防具なんかに『付加』させることができる魔法でな。そこまで難しい魔法ってわけでもねえ。ま、他にも色々と使い道がある魔法だがな。帰ったら、あの巫女の嬢ちゃんに聞いてみるといい。」
「何かしらの魔法を『付加』する? つまり、剣に炎とか雷を纏うのも『付加』を使うのか?」

 そう言いつつ、義人は脳裏にミーファの姿を思い浮かべた。
 以前志信と模擬戦を行った際に、刀に炎を纏わせて攻撃したことがある。義人はその時の光景を思い出し、“あれ”も『付加』を使っていたのかと納得を込めて頷いた。ついでに、元財務大臣のエンブズと一緒にいたガルアスも同じように雷を剣に『付加』していたことを思い出す。

「ああ。しかし、本来『付加』はその場限りの効果しかないんだが……こいつは微妙に違うな。魔法文字みたいに使うことで消耗していくわけでもなさそうだ。他に何か仕掛けがあるのか、それとも壊れない限り永続するような『付加』を使ったのか……」

 王印に対して興味が湧いてきたのか、王印を手の上で転がすローガスはどこか楽しげである。義人はそんなローガスの様子を眺めつつ、軽くため息を吐いた。

「魔法についても調べる必要があるか……しかし、効果が永続するっていうのはかなり便利じゃないか?」
「そりゃ便利といえば便利だろうな。もっとも、永続する『付加』を使える奴なんざ話に聞いただけで実際に見たことはねえ。先天的に素質が備わっているか、馬鹿みたいに強大な魔力を持ってる奴が『付加』をかけたか。もしくは、南のほうにある魔法技術が発達してる国にでも行けば似たような技術が見つかるかもしれねぇな」
「ふーん……しかし、効果の永続ねぇ。いまいちピンとこないなー」
「お前さんが元いた世界には魔法がないんだったか。そうさな……」

 そこまで口にすると、ローガスは義人の護衛として傍に立っていた志信が手に持っている棍へと目を向ける。

「お前さんが持ってるその棍、『魔法文字』で魔法が刻まれてるな?」
「……それが何か?」
「『魔法文字』で刻まれた魔法を使わなければ、その棍に刻まれた魔法もある意味で永続することが可能だ。だがどんな魔法が刻んであるにしろ、使えば文字が消えて効果がなくなるだろ? だが、永続的に『付加』をかけることができればその効果がずっと続くのさ。それこそ、棍が壊れるまでな」

 そんなローガスの言葉に、義人と志信の表情が僅かに動く。

「もし炎の魔法を『付加』したら、ずっと燃え続ける剣ができるとか? それだったら逆に不便そうだなぁ……持ち運びが大変そうだ」

 義人はふと浮かんだ自分の考えに対する呆れから。

「……効果の永続か。可能かどうか、あとでシアラに聞いてみるとしよう」

 志信は限定的に魔法を打ち消せる『無効化』の棍の発展を考えて。
 義人と志信は互いの呟きに顔を見合わせ、小さく笑い合う。そんな二人を見ながら、ローガスは手に持った王印を傍の机へと静かに置いた。

「悪いが、俺にわかるのはこのくらいだ。あとは、巫女の嬢ちゃんにでも聞いてみるといい。もしくはアルフレッドの旦那か、お前さんが背負っている奴にでも聞いてみるといいさ」
「ノーレに?」

 義人は首を傾げつつ、背中に背負ったノーレをひとまず机の上へと置く。すると、どこか不機嫌そうな声でノーレが声を上げた。

『話は聞いておった……が、ドワーフよ。何故妾に話を振るんじゃ?』
「そりゃあ、ある意味アンタが一番“適任”だろ? この王印といい、アンタといい。召喚された国王にしか使えないって共通点があるんだ。それなら話せる方に尋ねるさ」
「なるほど。王印は喋らないし……喋らないよな?」

 もしかしたらノーレのように喋るかもしれない。そんな考えが頭をかすめ、義人は机の上に置かれた王印へと目を向ける。“こちら”の世界へと召喚されてからは驚きの連続であり、義人としては例え王印が喋ったとしても本気で驚くことはないだろう。むしろ、喜びの声を上げるだけだ。

「……ふむ、喋らないな」

 どこか期待したような声を漏らしたのは志信である。だが、その言葉の通りに王印が喋ることはない。そのことに義人は残念そうなため息を吐き、机の上へ置いたノーレに目を向ける。

『…………』

 だが、ノーレは黙して語らない。知らないのか、それとも話したくないだけなのか。義人はノーレの沈黙から、どことなく拒否の雰囲気を感じ取って苦笑する。

「まあ、ノーレが話したくないならいいさ。理由がわかったとしても、何かの役に立つかわからないし。それに……」

 そこまで言って言葉を切り、義人はローガスが机の上に置いた王印へと手を伸ばす。

「話が脱線したけど、頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと? そういや最初に言ってたっけか……玉鋼の質の向上にはもっと時間がかかるぜ?」

 思い当たることが他になく、ローガスは頭を掻きながらそんな言葉を口にする。しかし、そんなローガスに義人は首を横に振った。
 手に持った王印をローガスに差し出すようにしながら、先ほどまでの冗談混じりの表情を真剣なものへと変える。

「この王印を複製してほしい。ただし、特定の人間しか使えないんじゃない。新しく作った王印は、誰でも使えるようにしてほしいんだ」
「……おいおい、そいつはまさか」

 頼みの内容が予想外だったのか、それとも別の理由か。ローガスは狼狽したような声を漏らす。
 そして、義人は真剣な表情のままに頷き、静かに告げた。

「この国を変える第一歩だよ」



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