第二十六話:風と知識の王剣
『寒いわ、戯け』
突然聞こえた声に、義人は目を瞬く。
「……サクラ、何か言ったか?」
「小賢しいと言いました」
「そうか、じゃあ違うわ」
ついいつものノリで返してしまったが、サクラは自分を殺そうとしている人物である。義人は空耳かと王剣を握り直す。
『ようやく剣を抜きおったな、この戯けめ。最初に引き抜くなりすぐに鞘に戻すなど何を考えておる』
再び脳内に声が響く。
やべえ、恐怖のあまりおかしくなったか、俺。
まさか恐怖で狂うことになるとは思わなかった。あまりの緊張感に精神が異常になったらしい。
先程とは違う、嫌な汗が背中を伝う。そんな義人をサクラが訝しげな目で見ていた。
「……そうやって油断を誘うつもりですか? ですが、そうはいきませんよ」
「い、いや、違っ!?」
『さっきから何を言っておる。早く目の前の人形を妾で叩き斬らんか』
「うっせえ! 電波の癖に命令すんな!」
思わず怒鳴る。突然怒鳴った義人を、サクラは哀れんだ目で見た。
「ヨシト王……わたしが、すぐに楽にして差し上げますね」
「ちょ、そんな哀れんだ目で見ないでくれ!? 俺は正常だっての!」
今にも殺されそうだが、弁解しなくては精神衛生上悪すぎる。
『誰が電波か、戯けめ。お主、『王』であろう? 妾を引き抜いておいて、そうでないはずがない。それと、声に出すな。念じよ』
「は? 念じる?」
『心の中に言葉を浮かべよ。そのくらい考えてわからんか、戯け』
「戯けって……ていうか、誰だお前」
視線をあちこちに向けるが、寝室には義人とサクラ以外誰もいない。
『前を見んか! くるぞ!』
叱咤の声に慌てて王剣と鞘を構える。見れば、すでにサクラは地を蹴っていた。
狙いは心臓。放つは氷刃の突き。防がねば、容易く殺される。
『右に体を捻れ! 捻りながら相手の武器に鞘を叩きつけよ!』
声に体が追従する。体を右に回転させつつ、左手に持った鞘を氷刃に叩きつけた。すると簡単に氷刃が砕け、空中へと消えていく。
『左足を一歩前に出して軸足にせよ! 体を捻って右後ろ回し蹴りじゃ!』
促されるままに体が動く。まるで誘導されるかのように左足を前へと踏み込み、軸足を基点に体を捻る。そして遠心力の乗った後ろ回し蹴りをサクラの腹部へと放ち、吹き飛ばした。
「きゃっ!?」
サクラの体が宙に舞い、そのまま寝室の扉へと叩きつけられる。咄嗟に両腕でガードしたらしいが、義人自身芯にくるような蹴りだった。下手すれば、ガードした腕が折れたかもしれない。
「だ、大丈夫かサクラ!」
我に返って駆け寄ろうとする。
『待たんか戯け! お主はさっきから何をしておる! そんな魔法人形なぞさっさと片付けんか!』
「誰が戯けだ! サクラに……」
そこまで言ったとき、声の台詞に足が止まる。
「魔法人形、だと?」
『気づいておらんかったのか? そやつは魔法人形じゃ。人間ではない。だから早く妾で叩き斬れ』
「マジかよ! っていうか、お前まさか……」
義人は、右手に持った王剣に目を落とす。
『やっと気づいたか、この戯けめ。妾は『風と知識の王剣』じゃ。この剣に植えつけられた擬似人格とでも言えばわかりやすかろう。外部からの魔力吸収により、今しがた起動したところじゃ』
「……喋る剣って、なんてファンタジーだ……っと、この世界はそんな世界だったか」
『理解したか?』
「ああ。俺は義人だ。さっきは助かった」
『ふん。妾の役目は、私を引き抜いた者を助けることじゃ。礼などいらん』
「そうか。いや、でもありがとうな」
『礼はいらんと……横に跳べ!』
声に体が従い、横へと身を投げ出した。今まで立っていた場所を幾多もの氷の矢が通り過ぎ、壁へと突き刺さる。
「あ、あぶねー」
『油断するでない。まだあの人形は止まっておらんぞ』
王剣の声に従ってサクラを見ると、ユラリと幽鬼のように立ち上がっている。先程の義人の蹴りで右腕が折れたのか、二の腕から下が不自然に曲がっていた。
「ひどいです、ヨシト様。わたしの腕を折るなんて」
裂けるほどに口の端を吊り上げ、サクラが凄惨な笑みを浮かべる。痛みを感じている様子がなく、義人は息を飲んだ。
「ほ、本当に人形なんだな?」
『そうじゃ。あの者からは生命の鼓動を感じぬ。だから安心して斬るがよい』
「安心してって……サクラの姿をしてるのに斬れるわけないだろ!?」
人間とは視覚に左右される生き物である。目の前のサクラが人形と言われても、義人には斬
れるわけがない。
「他に止める方法は!?」
『体の中心に動力の魔法石があるから、それを貫くしかあるまい』
「斬るのと変わらねーよ!?」
『ならば、殺されるか?』
王剣からの声が一段低くなる。
『殺さなければ殺される。それがわからぬほど愚かではあるまい?』
「ぐ……それしか、方法はないんだな?」
苦渋を含んだ声。相手は人ですらない魔法人形に過ぎない。だが、姿形が人であるものを斬るのには大きな抵抗があった。しかし、殺さねば殺される。
元の世界での倫理観が、殺し合いという極限の状況で理性とせめぎ合う。殺すのではなく、壊す。その二つにどれほどの違いがあるか義人にはわからなかったが、一度深呼吸をすると鞘を捨てて王剣を両手で構えた。
「……わかった。斬る」
死にたくない。その一念で王剣を構え、義人はサクラを見据えた。
『その覚悟や良し。斬るなら最初に妾を振るがよい。風の魔法で動きを止める』
「魔法? 使えるのか?」
『さっきも言ったぞ? 妾は『風と知識の王剣』だと』
自信溢れるその言葉に、義人は僅かな安心感を覚える。そして覚悟を固めると、一息に駆け出した。
対するサクラは氷の矢を生み出し、正面から迫りくる義人に向かって撃ち放つ。
『振れ!』
短い一言に、義人は迷わず王剣を振る。すると一陣の風が吹き荒れ、氷の矢の軌道を横へと逸らす。さらに、突風はサクラの体を壁へと叩きつけた。
「ああああああああ!!」
踏み込み、王剣を振り上げる。
人の姿をしたものを斬る後悔は後ですればいい。今は、生き延びる。
それだけを考え、振り上げた王剣は袈裟懸けにサクラを切り裂く。手に伝わる“斬る”感触に吐き気がするが、それを飲み下して王剣を振り切った。するとサクラの動きが止まり、その姿が崩れていく。
まるで幻のように消え去ると、今までサクラいた場所に一つの人形が転がっていた。
木で作られた、小さな人形。どこかで見たことのある人形だと義人は記憶を漁る。
「……『お姫様の殺人人形』か」
それは、いつの日か商人のゴルゾーが売りにきた人形だった。
義人は本当に人形だったことに安堵すると、力が抜けて床に座り込む。
『良くやった。だが、まだまだ荒い太刀筋じゃのう』
「知るか……剣を振ったのは今日が始めてだっての」
一気に気が抜けた。だが、このまま座り込んでいるわけにもいかない。義人はなんとか立ち上がると、寝室の扉を開ける。
扉の脇には兵士が二人倒れており、義人は慌てて駆け寄った。
「おい! 大丈夫か!?」
見た限り外傷はない。口元に手を当ててみれば、きちんと呼吸もしている。人形の手によって気絶させられたのだろう。
ひとまず大事がないことに安堵すると、義人はサクラの部屋へと走る。
廊下は必要最低限の明かりしか灯されておらず、守衛の兵士も見当たらない。途中でカグラの部屋の前に差し掛かり、義人は若干荒くカグラの部屋の扉を叩いた。
「カグラ! 起きてくれ!」
何度か扉を叩くが、カグラからの返事はない。
『中には誰もおらんようだぞ』
右手に提げた王剣からの声に、義人は舌打ちを打つ。
「こんなときにどこへ行ったんだ?」
今は時間がない。そう判断した義人は再び走りだす。
義人やカグラのような高官とは違い、使用人扱いであるサクラの部屋は遠い場所にある。
頭に叩き込んである城の地図を思い出しながら廊下の角を曲がり、目の前に人影があるのを見てすぐに足を止めた。
「誰だ!?」
王剣を構え、問いただす。相手も手に持った何かを構えようとしたが、相手が義人だとわかると直立する。
「こ、これはヨシト王! どうされましたか!?」
人影は執務室の守衛を勤める二人の兵士だった。義人は安堵して王剣を下げると、すぐに指示を飛ばす。
「魔法人形がサクラの姿をして寝室に忍び込んできた。とりあえず人を集めてくれ。俺はサクラの無事を確認する」
「はっ! では、私がお守りいたします! お前は人を集めてくれ!」
「わかった! それではヨシト王、失礼します!」
すぐさま一人の兵士が駆け出し、もう一人は義人に従って走り出す。
そうして走ること一分ほど、使用人の部屋が集まっている区画にたどり着いた義人はサクラの部屋を目指して走る。兵士が置いていかれないように必死な形相で走っているが、気が逸っている義人に気にする余裕はない。
廊下の絨毯を滑るように疾走し、義人は廊下に誰かが倒れているのを遠目に見つけた。
この一ヶ月で見慣れたメイド服とその顔は、サクラのものだ。義人はすぐさま駆け寄ると、王剣を放り出してサクラを抱き起こす。
「サクラ! おいサクラ! しっかりしろ!」
頬を叩いてみるが返事はない。義人はすぐに、ついてきた兵士へ目を向ける。
「すぐに医者を呼んでくれ!」
「は、はっ! わかりました!」
再び兵士が駆け出し、廊下の角に姿を消す。揺らすと拙いと判断した義人はサクラを床に寝かせた。すると、サクラの目が開く。
「あ……ヨシト、様?」
「ああ。大丈夫かサクラ? どこか痛いところはないか?」
そう尋ねると、サクラは義人へと手を伸ばす。
「サクラ? どうした?」
どこか痛いのだろうか、と心配する義人に、サクラは口元を笑みの形に変える。
「もう一人のわたしを殺してきたんですね?」
「―――え?」
その言葉を理解するには、あと一瞬足りなかった。
目を見開いたサクラが義人の胸倉をつかみ、体を入れ替えて地面へと転がす。そしてすぐさま義人に馬乗りになると、凄惨な笑みを浮かべた。
「お、まえ! 『お姫様の殺人人形』か!?」
「はい。人形が一つだけだと思いましたか?」
義人は王剣に手を伸ばそうとするが、それに気づいたサクラが氷の塊を放って遠くへと弾き飛ばす。
それならばとサクラを跳ね除けようとするが、へその上に乗られては力が入れにくい。その上魔法で身体能力を上げているのか、逆に押さえ込まれるほどだ。
必死にあがく義人だったが、そんな義人を嘲笑うように空中にいくつもの氷の矢が作られていく。
この場所では誰かが来る可能性があったため、サクラはすぐに行動に移す。
「それじゃあ、死んでくださいね」
笑顔で告げられた言葉と共に、氷の矢が降り注いだ。