第百五十五話:少女 その2
“こちらの世界”へと戻ってきて五日ほど経ち、政務にある程度の目途がついた義人はサクラと志信を護衛に、そしてノーレを連れて城下町へと足を運んでいた。
今までならばサクラではなくカグラが護衛についていたが、さすがに現状のカグラでは護衛が務まるはずもない。そのため、サクラに護衛を頼んだのである。
「しかし、悪いなサクラ。カグラの世話があったのに」
そう言って、義人は申し訳なさそうにサクラを見た。しかし、サクラはそれに首を振って答える。
「いえ、カグラ様も体調には問題がありませんから。あとは魔力と視力が回復すれば良いのですが……」
サクラは表情を曇らせて呟く。それを聞いた義人は同じように表情を曇らせると、今も自室で療養しているカグラのことを思い浮かべた。
“こちらの世界”に戻ってきて以来、カグラとはあまり会っていない。戻ってきてからカグラと会ったのは、初日と二日ほど前だけだ。
その中でも、義人は二日前のことを思い出す。少しだけ顔を見に行ったのだが、その時のカグラの反応は今まで見たことないほど奇妙なものだった。
部屋に入室した時は非常に暗い表情だったのだが、入ってきたのが義人だとわかるとその表情を一変させ、まるで枯れた花が逆再生で満開の頃に戻るようにして笑みを浮かべたのだ。
その上、義人と話している時の距離感が、以前と比べて遥かに近い。義人は記憶の中にあったカグラとの違いに戸惑い、話もそこそこに切り上げてしまった。
その時のカグラは非常に残念そうにしていたものの、再度来ることを伝えたら嬉しそうに笑ってこう口にしたのだ。『いつまでも待っています』と。
声や仕草、それに自身と話すときのカグラの雰囲気から、義人は“そう”なのかと頭を抱える。
“元の世界”に戻った義人との再会を望み、志信とサクラすら打ち倒し、命を賭けて『召喚』を実行した。そこに、『召喚の巫女』としての職責があっただろう。しかし、それ以上にカグラ自身の感情が透けて見えた。
義人は以前、酒に酔ったカグラに押し倒されたことがある。その時は酒の勢いと『召喚の巫女』としての職責、そして、カグラ自身が持つ感情のせいだと思っていた。だが、今のカグラは違う。純粋に、自身の持つ感情だけで行動し、『召喚の巫女』ではなく一人の少女として義人を見ている。
それが感じられたからこそ、義人は頭を抱えることになった。たしかに、以前からカグラの好意は感じていたが、よもやここまでとは、と。なまじ義人自身が優希のことを強く想っているため、カグラの心情も理解できるのが苦しいところだ。
どうしたものかと悩みつつ、しかし、“こちらの世界”に来て翌日に目を覚ました優希に相談するわけにもいかない。半ば逃げるようにして政務を片付け、そして、今度は物理的に逃げるように城下町へと足を運んでいる。
「それで義人、今日はどこに行くんだ?」
そんな義人の心情を知ってから知らずか、志信がいつも通りの様子で話しかけた。そこには喧嘩の影響など微塵もない。そのため、義人も特に気にすることなく、思考を一時的に放棄した。
「ローガスのところだよ。ほら、ドワーフの」
「ああ、ローガス殿か……ノーレのことか?」
志信がそう尋ねると、義人は肯定するように頷く。
「武器については詳しいだろうしな。ノーレを元の姿に戻すことはできなくても、何かしら参考になる話が聞けそうだし」
そう言いつつ、義人は人出で賑わう城下町を歩いていく。時折義人の姿に気付く者もいたが、その場合は苦笑しながら手を振るだけに留めた。
そうやって歩いていく内に、義人達は城下町の外れにあるローガスが働く製鉄所までたどり着く。外まで響く鉄を叩く音や煙突から昇る煙を確認すると、義人は製鉄所の中へと入っていく。すると、そんな義人に気付いたのだろう。職人達を指揮していたローガスが義人の方へと振り向いた。
「ん? おお、王様じゃねぇか。久しぶりだなぁ」
そう言いながら、ドワーフのローガスは厳つい顔を緩める。
「久しぶり、ローガス。今日はちょっと聞きたいことがあってきたんだ」
「聞きたいこと? 玉鋼に関することってわけじゃあなさそうだな……ん?」
ローガスはノーレに目を向けると、珍しいものを見たと言わんばかりに目を見開く。
「おいおい、珍しい生き物がいるな……って、“お前さん”、王様が持っていた剣の中に“いた”やつじゃねぇか?」
ローガスの反応に、義人は首を傾げた。
「珍しい生き物って……ノーレが何なのかわかるのか?」
その口ぶりから何かを知っていると思った義人が尋ねる。すると、ローガスは義人と同じように首を傾げた。
「何って、こいつは剣精だろう?」
「ケンセイ?」
オウム返しに聞き返す義人。その隣では、志信が感心したような声を上げた。
「ほう、剣聖か。一度手合せを願いたいものだ」
「シノブ様、何か間違っている気がします……」
志信の声に、すかさずサクラが突っ込みを入れた。そんな志信の無自覚なボケを背後に聞きながら、義人はローガスに続きを促す。
「武器や防具に憑く精霊だよ。武器だろうが防具だろうが、本当に優れたものには命が宿る。といっても、こいつは亜種みたいだがな」
「亜種?」
「ああ、元々は別の精霊みたいだな。風と……んん? 人間の半々か? いや、これは人間、か?」
ローガスがそう言うと、ノーレはびくりと肩を震わせる。そして、驚愕したようにローガスを見た。
「お主、何故……」
「俺はドワーフだからな。種族的には精霊、妖精と似たようなもんだ。だから、わかるんだよ」
何やら話が通じているらしいローガスとノーレの姿に、義人は横から口を挟む。
「でも、アルフレッドは何も言ってなかったぞ?」
ローガスと同じことに気付いているならば、アルフレッドとて教えたはずだ。しかし、これまで義人はアルフレッドからそんな話は聞いたことがない。
ローガスは義人の言葉に、首を横に振る。
「アルフレッドの旦那も俺と似たような存在だが、旦那は人間と暮らして長い。ありゃ、もはや妖精というよりも人間に近いからな。気付かなくても仕方ねえよ」
そこまで言うと、ローガスは言葉を切ってノーレへと視線を向けた。
「それで、聞きたいことっていうのはなんだ? まさか、これだけじゃないんだろ?」
そんなローガスの言葉に、義人は頷く。
「あ、ああ。ローガスなら、前みたいにノーレを剣の姿にすることができるんじゃないかと思ってね」
「このお嬢ちゃんを、剣の姿に?」
訝しげに尋ねるローガス。そして、ローガスはノーレに視線を向けたままで口を開く。
「お嬢ちゃん、お前さんはあの剣に宿ってから何年経ったんだ?」
「およそ六百年といったところじゃな。まあ、大半は魔力が足りなくて寝ておったが」
だからお嬢ちゃんと呼ぶな、とノーレは不機嫌そうに呟いた。それを聞いたローガスは、苦笑しながら肩を竦める。
「あいよ。年齢だけで言えば、俺よりも遥かに年上みたいだしな」
そんな二人のやり取りを聞いて、義人はサクラと顔を見合わせた。
「どうしようかサクラ。今まで呼び捨てにしていたけど、よく考えたらノーレは俺達どころかアルフレッド並に歳を取ってぶわぁっ!?」
「ヨシト様っ!?」
余計なことを口走ろうとした義人が、ノーレの放った風の塊で吹き飛ばされる。サクラは慌てたように吹き飛ばされた義人を受け止めると、怪我がないことを確認して安堵の息を吐いた。
「いや、マジすんません。つい……」
「大半は寝ておったと言うたじゃろうが!」
髪を逆立てながら怒るノーレに、義人は恐縮しながら頭を下げる。じゃあ何歳、などとは聞かない。さすがに、義人も命が惜しいのである。
「六百年以上の時を重ねた剣精か……さすがの俺も、見たことがねぇな。よし、アンタ今日はここに泊まれ。興味があるし、色々と調べたいことがある」
その目に好奇心を宿らせ、ローガスはそう提案した。ノーレは気が乗らないようだったが、それでもしぶしぶと頷くと、その目に鋭利な光を宿らせる。
「言っておくが、妙なことをしようとすればその首が胴体から離れることになるぞ?」
「おお、おっかねぇ。だが、そんな台詞は出るとこが出てから言うんだな」
ガハハ、と命知らずなことを口走るローガスに、義人は自分が同じことを言ったら問答無用で吹き飛ばされるなと内心で恐怖した。そして、今この場で余計なことを言えば、ローガスの発言に対する怒りもまとめて自分自身に降りかかるだろう。そう判断した義人は、僅かに頬を引きつらせながらも話を変える。
「そ、それじゃあ後は頼むよ。玉鋼について何か報告があればこの場で聞いていくけど、何かあるか?」
「今のところはねえな。もう少ししたらさらに質の高い玉鋼が作れそうだが、まだ試行段階だ。そっちの目途がついたら報告するぜ」
「わかった。それなら、俺達は城に帰るよ。あと、ノーレのことをよろしく」
義人がそう言うと、ローガスは心得たと言わんばかりに頷く。そんなローガスに義人も頷き返すと、サクラや志信を連れて製鉄所を後にするのだった。
城に戻ってきた義人は、執務室に戻る道程で足を止める。その足を止めた場所はカグラの部屋の前であり、背後についてきていたサクラへと振り返って苦笑を向けた。
「ちょっとカグラと話をしていくよ。サクラ、お茶の用意を頼めるかな?」
「はい、かしこまりました」
義人の言葉に、サクラは一礼して調理場へと向かっていく。義人は続いて志信へ目を向けると、これからの予定を聞くべく口を開いた。
「志信はこれからどうするんだ?」
「近衛隊の訓練に参加してくる。国王代理として政務を行っていたから、少し練度が下がっていてな。鍛え直しているところだ」
「あはは……まあ、ほどほどにしといてやれよ?」
政務から解放されてやる気を見せる志信を前にして、義人は近衛隊の隊員の無事を祈る。さすがに怪我人は出さないだろうが、それでも疲労困憊になることは確実だ。どこか楽しそうな気配を滲ませながら歩き去っていく志信の姿に小さく笑みを浮かべると、義人は一度深呼吸をしてからカグラの部屋の扉をノックする。
「カグラ、今大丈夫か?」
そう尋ねると、僅かな間を置いて声が返ってくる。
「ヨシト様ですか? もちろんです」
「んじゃ、失礼します、と」
一応断りの言葉を入れてから扉を開き、義人はカグラの部屋へと足を踏み入れていく。するとその音を聞いたのだろう、椅子に座ったカグラが義人のいる方向へと華やぐような笑みを向けてくる。
義人はそんなカグラの笑顔を受け止めると、同じように笑みを浮かべながら内心で暗鬱な気分を覚えた。
―――さて、どうしたもんかなぁ……。
今の状態では、カグラのためにもならないだろう。病床の身からは脱したが、依然として視力と魔力が回復していない状態ではある。しかし、さすがにこのままの状態を引きずるわけにもいかず、義人は息を呑みこんだ。
「ヨシト様?」
カグラは不思議そうな声を出しながら椅子から立ち上がると、義人がいる方向へとゆっくり歩いてくる。足取りが多少怪しいものの、その姿だけを見れば今までのカグラと変わらない。
「カグラ、歩くと危ないって」
そう言いつつ、義人もカグラの方へと歩み寄る。するとその足音を聞いたのだろう。カグラは義人がいる方向へと足を向けるが、床に引かれた絨毯に足を取られ、体勢を崩す。
「っと! 危ない!」
体勢を崩して倒れそうになるカグラを、義人は咄嗟に抱き留める。そして腕の中に納まったカグラに怪我がないことを目で確認すると、ため息を吐いた。
「ほら、だから言っただろ? サクラもいないんだし、大人しく座っておくこと」
言い聞かせるように告げて、義人はカグラから身を離そうとする。だが、それを気配で感じ取ったのか、カグラは義人の袖をつかんで逆に義人へと身を寄せた。
「サクラは、いないんですね」
そして、囁くように呟く。
「い、いないけど……」
その声色に艶のようなものを感じ取った義人は、詰まるようにして答えた。ついでに無意識を装って体を離そうとするが、カグラは義人の服を握って離さない。
義人は僅かに困惑すると、カグラは頬を赤く染めながらゆっくりと義人に向かって体重を預けていく。
「カグラ?」
身を預けるというよりも、抱き着く形になったカグラに義人は戸惑いの声を上げた。このまま身を離せばカグラが地面へと倒れることになるため、義人としても離れるわけにはいかない。それでも肩を掴んでカグラを離そうとすると、カグラはその手をすり抜けるようにして義人の背中へと両腕を回す。
「あ、あの、カグラさん?」
正面から抱き着かれ、義人は本心から戸惑った声を上げた。肩をつかもうとした腕はそのまま空を切り、義人は両腕を万歳の形で上に上げる。すると、カグラは義人に密着したままで顔を上げ、至近距離から義人を見上げた。
「どうしたんですか、ヨシト様? “いつもみたい”に、“名前”で呼んでほしいです」
頬を上気させ、蕩けるような笑顔で義人への言葉を向けるカグラ。正面から密着する形になった義人は、体のあちこちに感じる柔らかい感触から意識を逸らしつつ、内心で悲鳴を上げた。
―――ちょ、カグラに何をやってくれたんだあの魔法人形!? 近い! 近いって!?
僅かに香るカグラの匂いが鼻に届き、義人は万歳した両手を意味もなく上下させる。傍から見れば間抜けな動きだが、混乱に陥った義人は気付かない。それでもカグラを抱き締め返すわけにもいかず、ひとまず口を開いた。
「か、カグラ? さすがに近すぎるのではないかと小生は愚考するのですが」
場の雰囲気を砕くようにそう言うと、カグラの表情が僅かに変わる。蕩けるような笑顔を無垢な疑問のものへと変えると、小さく首を傾げた。
「どうしたんですか? あ、もしかして、今になって恥ずかしくなった、とか?」
そこまで言うと、カグラは再度笑みを浮かべて義人を抱き締める力を強くする。魔力がないためその力強さは年相応の少女のものだが、だからこそ、義人は声に出さず心の中だけで悲鳴を上げた。
―――誰かっ!? 誰でも良いから来てくれ! いや、やっぱりサクラ助けてくれ!?
お茶の準備をしに行ったサクラに助けを求める義人。さすがに、誰でも良いとは思ったが、優希にこの場を見られたらと思うと心臓が止まりそうになる。
そうやって冷や汗を流す義人に構わず、カグラはより一層体を密着させてくる。
「もう、最近お忙しいとは聞いていますが、わたしだって、ヨシト様がいらっしゃらないと寂しいんですからね?」
甘えるように口を尖らせるカグラに、義人は思わず首を横に振った。
一体何があった。魔法人形はカグラに何をしたんだと、内心で罵詈雑言を吐く。
何があったかは話に聞いていたが、それでも、ここまでとは聞いていない。今までカグラと会った時は他にもサクラなどがいたが、二人きりの時はここまでカグラが変わるものなのかと、義人は恐慌に陥った頭で逃げるように考えた。
「えっと、その、カグラ?」
それでも、抵抗するように義人は距離を取ろうとする。すると、カグラもそんな義人の動揺を理解したのか、ゆっくりと身を離した。そして、それまでとは種類の異なる笑みを浮かべる。
「ヨシト様、もう一度“わたしの名前”を呼んでいただけますか?」
それは、笑顔は笑顔でも、まるで刃物のような薄い笑み。
笑顔が本来は攻撃的なものであることを証明するような、見る者の背筋を凍えさせるような笑みだった。だが、ようやくカグラの抱擁から抜け出した義人は、それに気づけない。
カグラからの言葉や態度を疑問に思うこともなく、その名前を口にする。
「名前って……“カグラ”だろ?」
義人がそう言った瞬間、“カスミ”の体が動く。
視力がないことを悟らせないような流麗な動きで義人の手を払うと、その喉元目がけて貫手を繰り出す。『強化』がなくとも人を殺傷し得るその一撃は、カグラがそれまで培った研鑽の賜物だろう。
「っ!?」
そして、義人がその一撃を辛うじて避けられたのもまた、義人自身の研鑽の賜物だった。多少とはいえ、死線を潜り抜けた直感が義人の体を動かす。
まともに食らえば呼吸を絶たれていたであろう一撃を、義人は首を横に倒すことで辛うじて避ける。それでも爪が掠めたのか、義人は首筋に焼きつけるような熱さを感じながら床を蹴り、カグラから距離を取った。
「カグラ!? いきなり何をするんだ!?」
首元を手で押さえつつ、義人は叫んだ。避けるのがあと僅かにでも遅れていたら、喉を潰されずとも動脈が切られていたかもしれない。それでも首からは血が流れ出し、早急に手当てをする必要がある。
カグラの突然の凶行に混乱するものの、義人は何かの間違いだろうとカグラに声をかけ続けた。
「落ち着いてくれよカグラ。何か気に障ったのなら謝るから」
自分の取った行動のいずれかがカグラを傷つけたのだろう。もしかすると、抱き締め返さなかったのがまずかったのか。そんなことを義人が考えていると、カグラはそれまで浮かべていた笑みを消した。
「今のを避けるなんて、やはりあなたはヨシト様の偽者だったんですね」
「……は? にせ、もの?」
カグラの発言が理解できず、義人は呻くようにしてカグラの言葉を繰り返す。そんな義人にカグラは頷くと、ゆっくりと腰を落として両腕を構えた。
「たしかに魔力がなく、目が見えずとも、そう簡単にはやられはしません。いえ、ヨシト様を騙ったのですから、この場で―――」
何かの言葉を残し、カグラが床を蹴る。そして一足飛びに義人の懐へと飛び込むと、今度は目を狙って手刀を繰り出した。
「くそっ!」
義人は振るわれた手刀を腕で受け止めると、自身に『強化』をかけながら背後へと飛んでカグラから距離を取る。続いて背後へと回し蹴りを叩きこんで扉を無理矢理こじ開けると、転がるようにして廊下へと飛び出た。その際驚きに目を見開く兵士の姿が目に入ったが、悠長に説明する暇もない。
「きゃっ!? よ、ヨシト様!?」
すると、すぐ傍まで来ていたのかサクラが悲鳴を上げる。だが、首から血を流し、カグラの寝室から飛び出てきたその様子に尋常でないものを感じたのか、サクラは手に持ったお盆を放り投げて義人の元へと駆け付けた。
「ヨシト様、一体何が……カグラ様!?」
義人を追いかけるようにして飛び出てきたカグラに、サクラは驚きの声を上げる。しかし、カグラの右手に血がついていることに気付くと、すぐに義人とカグラの間に割って入った。
「止めてくださいカグラ様!」
「その声は、サクラですか……丁度良いです。早く、その偽者を捕まえてください」
「え? 偽者って……」
カグラの言葉に、サクラは困惑しながら義人へ視線を向ける。
「カグラ様、一体何を……」
どう見ても、本物の義人だ。サクラはカグラが義人を偽者と呼ぶ理由がわからず、困惑する。
「……そうですか、サクラまで欺くとは」
そう言って義人の元へと歩み寄るカグラに危険なものを感じたのだろう。サクラは床を蹴ると、カグラの懐へと潜り込んで腹部へ掌底で当て身を入れ、カグラの意識を強制的に刈り取る。
もしもカグラが万全ならば防がれただろうが、目が見えないカグラが相手ならばその意識を奪うことはサクラでも可能だった。
サクラは意識をなくしたカグラを抱き留めると、困惑するようにカグラの周囲を囲んでいた兵士へとカグラを抱き渡して他の兵士達に視線を向ける。
「ヨシト様が怪我をなさっていますから、早く治癒魔法が使える人か小雪様を呼んでください! それと、カグラ様を寝台に寝かせて! 典医様から鎮静作用のある薬を処方してもらって、カグラ様が当分眠っておくようにしてください!」
「は、はいっ!」
怒鳴るようにして命令するサクラに、兵士達は慌てて走り去っていく。本来ならばサクラに兵士への命令権はないが、今はそれどころではない。それがわかっているからか、兵士も文句の一つも零さなかった。
「ヨシト様は傷を見せてください」
「あ、ああ……」
カグラに襲われた影響か、怒鳴るサクラという珍しいものを見たからか、義人は反論することなくサクラに首の怪我を見せる。サクラは義人の血で手が汚れるのにも構わずに手を伸ばすと、義人の呼吸を妨げない程度に傷口を圧迫して血を止めた。
「わたしが『治癒』を使えれば良かったんですが……」
そして、申し訳なさそうな顔をして頭を下げる。義人はそんなサクラの言葉に首を横に振ろうとするが、サクラの手で首元を押さえられているためそれもできず、言葉だけで否定することにした。
「いや、助かったよ。ありがとうな、サクラ」
「い、いえ、わたしは別に……でも、何故カグラ様がヨシト様に攻撃を?」
義人の首元を手で押さえているため、サクラは至近距離で義人に尋ねる。義人はそんなサクラの問いに数秒考え込んだが、理由が思いつかずため息を零した。
「俺にもよくわからないんだ。カグラと話をしていたら、突然……」
そこまで言って、義人は言葉を切った。そして、カグラの言葉の中から気にかかるフレーズを拾い上げる。
「そう言えば、『“わたしの名前”を呼んでいただけますか?』って言ってたな」
「名前、ですか?」
「ああ。それでカグラって呼んだんだけど……」
自分で言いながら自信をなくしたのか、義人の声が尻すぼみに小さくなっていく。それを聞いたサクラはしばし考え込んだ後に、首を傾げた。
「そういえば、幼い頃にアルフレッド様からカグラ様の名前について話を聞いたような……」
サクラがそう呟くと同時に、遠くの方から複数の足音が近づいてくる。
慌てたように近づいてくるその足音を聞いた義人は、アルフレッドに後で話を聞くとしても、この場をどうやって収めるべきか苦悩する羽目になった。