3days-“幽霊”に導かれし人たち-
「……今日は1週間ぶりの休みなのに……」
朝7時過ぎ、いつもより早く起きたその日は、しとしとと雨が降り続いていた。梅雨時とはいえ、5日も続くとちょっとね……。今自分は高校を卒業してから、『やりたいことがある』と言って親元を離れたものの、結局はなかなかうまくいかず、現在は、ふたつのバイトを掛け持ちしながら、とりあえずお金を貯めるために、苦労している毎日である。実際、独り暮らしを始めてもう1年以上たつが、カードの残高は10万を少し越えたぐらいでなかなかたまらない。しかも、訪問販売で断り切れず買うはめになった物の支払いが重くのしかかっている。まるで今の自分の状況を表すかのような天気に、心も重くなっていた。せっかくやら外へ、と思ったが、出る気がなくなってしまった……。仕方が無いから、スマホでゲームでもしておこう……
8時半過ぎ、朝のコンビニのバイトがある時は、いつもこの時間に家を出るのだが、この日は両方共休みなので、とりあえず遅めの朝飯を食べているところだ。ちなみに今自分が住んでいるところは、少しでも家賃を節約するために、春先から引っ越してきたところである。また、ここは前住んでいた人が引っ越しする際に、いくつか家財道具を置いていたらしく、その辺は大いに助かっている。しかも古いとはいえ、部屋がふたつと台所に風呂まであり、街中としては結構家賃も低い上に、バイト先に近いため、迷わずここに決めて、現在に至るまでこのアパートに住んでいる。実はこの部屋には、ちょっとした秘密があるのだが、この時の自分は、そんなことを気にする余裕も考えもなかった。さて、朝飯を食べて、片付けようとしたその時、ドアホンが鳴ると同時に、ドアを強く叩く音が聞こえた。何事かと思いドアを開けると、いきなり、
「助けて!」
と言いながら、ひとりの女性が抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと……、いきなり……、あ、あの……、何が、あったんですか……??」
突然の出来事に、自分は全く訳がわからないまま、しどろもどろになってしまった。すると女性は自分に対して、
「いいから……、早く、鍵を、閉めて……」
そう言いつつ、自分をつかんだまま背後を離れようとしなかった。その声は弱々しい感じがしていた。だが、彼女が急かすように自分を揺さぶるため、
「わかったから、今閉めますって……」
慌てるようにドアの鍵を閉めた。すると彼女は、
「ありがとう……」
と言いながら、その場にうずくまった。その時、時刻は9時を回ろうとしていた。しかしこの時の自分には、この出来事を合図に、これからの三日間が騒々しいものになるとは、全く想像がつかなかった。
改めて、うずくまった女性を観ると、言葉を失った。彼女が着ていたブラウスはぼろぼろで、ブラウンのストッキングも何ヵ所も破れていた。そのうえ、長い黒髪は乱れ、あちこちにアザができていたために、何かひどいことをされたということが、容易に想像がついた。ただどうしてよいかわからない自分は、
「あの……、大丈夫ですか……?」
と、この場では無難と思われる言葉をかけた。すると彼女は、自分の胸ぐらをつかんだあと、
「アンタねえ、この私の姿を見て……、全然大丈夫じゃないってことが……、わからないの……!?」
力を振り絞るように、自分に怒りをぶつけた。
「ちょっと、痛いって……。だから、落ち着いて……」
自分は、シャツをつかんだ彼女の腕を握ったあと、
「ごめんなさい……。そこまでひどいことになってたとは知らなくて……。だから、今すぐ病院か警察に行こう」
早く安全な場所に行こうと呼び掛けた。その言葉を聞いた彼女は、
「どちらもお断りよ……。こんな状況で、今外へ出たって、あの人に見つかって、殺されるだけよ……。それに、警察なんて、私が何度も『助けて』って訴えたって、事態を解決してくれなかったし……。だから、アンタが私を、絶対に、守って……」
そう言ったきり意識を失ったのか、自分に抱きついたまま、力なく崩れ落ちた。
「あ、あの……、大丈夫ですか……!?」
自分は、何度も彼女に呼び掛けたが、全く反応が無かった。仕方なく、自分が寝る部屋とは違う部屋(実質的な物置部屋)に布団を敷いて、彼女をそこまで運んで、そのまま寝かせた。彼女の表情を見つめていると、何となく胸が苦しくなった。
女性を寝かせたあと、ぬらしたタオルを彼女の頭にのせ、別のタオルで身体中の汗を拭いた。しばらくスマホでゲームをしながら、彼女を見守っていた。彼女は背が高いところ以外は、いわゆる“標準的な若い女性”、といった感じであった。すると9時半を回ったところで、彼女が目を覚ました。その様子を見た自分は、
「よかった……」
と、ほっとしながら、
「ええと、何が、あったんですか……? 色々とわからないことだらけで……。それに、『あの人』っていうのは……」
彼女に事情を聞いてみた。彼女はムッとしながらも、
「その人は、私の彼氏なの……。……そして、彼に、殺されそうになったの……。しばらく前から、暴力を受けて、私が謝る度にまたやめて、優しくしてくれたあとにまた暴力……。この繰り返しが続いたの……。確かに、最初は私が何かひどいミスをしてしまったことが原因だったけど……。それでも、次第に、ささいなことで私を……、殴るように……」
こう話したが、表情はだんだんと曇っていったのが、自分の目からもうかがえた。自分は、
「ええと……、そういえば、さっき、警察が解決しなかった、とか、何とか……」
何か聞こうとしたが、歯切れが悪い感じになってしまった。すると彼女は、
「アンタねえ、ぐちぐち言わないで、もっとはっきり言ったらどうなの……!?」
こう言いながら、自分に詰め寄ってきた。自分は、
「ご、ごめんなさい……。ええと……」
彼女に謝りながら、聞きたいことを思い出そうとした。そして、これとは違うだろうと思いつつ、
「あ、そういえば、名前は何でしたっけ……?」
と、彼女に聞いてみた。ただよく考えてみると、自分は彼女とは全く面識が無いから、名前も何も知らないのは当然なので、本当は最初にそれを聞くべきところなのだが、何分、色々なことがあったために、名前を聞くタイミングを取れないままに、ここまで来てしまった。自分の質問を聞いた彼女は、
「……私はミカ。27歳のOLよ。で、アンタは誰なの?」
こう答えた。自分は、
「自分はトオルと言います。ええと、19歳です」
名前を言ったあと、何かを思い出したように、
「あ、そういえば、さっき『警察が事態を解決しなかった』ということを言ってた、みたいですけど……」
改めてミカさんに問いかけた。すると彼女は、
「アンタねえ……、私の傷口に塩でも塗るつもり!?」
と言いながら、自分につかみかかろうとした。自分は慌てて、
「そんなつもりないですよ」
両手を横に振りながら言った。それから、
「まさか、と思っただけですよ。警察がこんなミカさんをほったらかしにするとは思えないから……。それに自分も、ミカさんのために何か出来ないかと……。倒れた時のミカさん、とても悲しい表情してたし……。だから、少しでも、ミカさんの力になれたら、と……」
できるだけ、正直に彼女に気持ちを伝えた。すると彼女は、
「……バカねえ、アンタって……」
半ばあきれるような感じで答えながらも、
「……でもありがとう……。トオルちゃんの気持ちは、十分伝わったわ。アンタは、あの人とは違うわ……」
と言いながら、自分を抱き締めた。自分は、こんな経験は初めてなので、どうしていいのかがわからなかった。そんな自分に気づいたミカさんは、
「どうしたの? ガチガチに固まってるわね」
自分の体を触りながら、甘い感じの声色でささやいた。自分は、
「いや、あの、自分は、まともに女の人と、話したことが、全然ない、もので……」
もう訳がわからない感じに、いわばパニック状態に近い状況に陥ってしまっていた。するとミカさん、
「そうなの……。じゃあ、わかったわ。アンタ、今日1日だけでいいから、私の彼氏になって。そして、ちゃんと私の命を守って」
いきなりこんなことを言い出した。自分は、
「えええええー!? ちょっと、あの……」
突然の彼女の“申し出”に、完全に頭の中が真っ白になってしまった。今度はミカさんが、
「ねえ、どうしたの、トオルちゃん……?」
自分のことを心配しながら、なぜか頭を抱えていた。
そんなこんなで、正気を取り戻した自分は、壁にかけてあった時計を確認すると、10時を少し過ぎていた。改めてミカさんの目の前で、
「今日1日、ミカさんのために、全力を、尽くします」
と、上ずった声で“宣言”した。彼女は、
「……別にそこまでしなくてもいいわ……。アンタが悪い人じゃないのは、私にも伝わってるから」
半ば困惑ぎみに答えた。すると突然、ドアを叩くが耳に飛び込んだ。最初は軽く『トントン』だったのが、すぐに音が大きくなって回数も増えてきた。その音に怯えたのか、ミカさんは、
「その人、無視して。きっと、私を殺そうとしてる人よ」
と言いながら物置部屋に入って、ふすまを閉めてしまった。その様子を見た自分は、とりあえず玄関まで足を進め、
「ええと、誰でしょうか……?」
こう聞いてみた。相手の男は、
「ここにミカがいるのはわかってるんだ。早く出た方が身のためだ」
と、いかにも映画やドラマに登場するしたっぱの悪役、という感じの声で答えた。自分は、
「ちょっと、あの、それって……、一体、どういうことでしょうか……?」
ミカという名前を耳にした自分は、動揺した感じで、話しがぎこちなくなってしまった。すると別の男が、
「居留守を使おうったって、そうはいかんぞ。出ないというのだったら、こっちから入るぞ」
その言葉を合図に、玄関の鍵を開けようとしてきた。それに気づくのが遅かったため、鍵を開けられてしまった。そして、3人の男が家の中に入ってきた。自分は、
「あ、あの、ちょっと……、やめて、下さい……」
男を止めようとしたが、その中のひとりが、
「なに、そのままおとなしくしておけば、お前に危害は加えん。ミカさえいりゃそれでいいんだ」
と言いながら、自分をさえぎる形で止めに入った。自分は、その男を振り切ろうとしたが、逆に止められて、つかまれてしまった。何とかして振りほどこうとしてもがいたが、状況を打開できなかった。そんな時、ミカさんがいる部屋に、他の二人の男がふすまを開けて入ろうとした。自分は、
「そこはダメです……。大切なものがあるから……」
大きな声でこう言った。せめて、少しだけでも時間を稼いで、ミカさんに早くどこかに隠れてもらおうと思ったが、それもかなわず、お構い無しに部屋に入ってきた。ミカさんは恐怖の余り、布団をかぶりながら震えていた。その様子が自分にも伝わったのだが、助けにいけないのが歯がゆかった。このままではまずいと、『ミカさん、早く逃げて!』と叫ぼうとしたその時、インターホンが鳴って、
「宅急便です。“203号室”にお届けものが来てます」
配達員の声が聞こえた。その声を聞いたことで、
「……ちっ、まずいな。どうやら、部屋を間違えたようだ」
と言いながら、リーダーと思われる男が自分の家から出ていった。すぐさま、ひとりも後を追った。そして、自分を止めていた男が、
「……悪かったな。うちのリーダー、勘違いするクセがあってな、そのまま思い込むと聞き返さないこともあるし……」
こんなことを口にした。自分は意を決して、
「あの……、あなたたちがさがしてる“ミカ”って、一体誰のことでしょうか……?」
こう問いかけた。すると男は、
「ああ、20代前半の女だ。それ以上は言えん」
と答えた。『20代前半』と聞いて、とりあえず一安心した。家の中にいるミカさんのことじゃないとわかったからだ。男は、
「迷惑かけて悪かったな」
こう言って、その場を後にした。玄関先での一連の出来事に、配達員も何とも言えない表情を浮かべながら、
「一体何があったんですか……?」
自分に問いかけた。とは言いながらも、ちゃっかりスマホに3人の写真を撮っていたところが、自分の目に映っていた。自分は、
「何か、ミカさん……、いや、違うか、あれ……? どっちだっけ……?? あのミカさんではないと思うけど……」
ミカの名前のことで、なぜか頭が混乱してしまった。配達員は、
「まあ、とりあえず警察に伝えた方がいいかもしれないですね」
そう言いながら伝票を出して、
「ここにフルネームでサインして下さい」
ボールペンを自分に渡した。自分は名前を書いたあと、深呼吸をしながら心を落ち着かせた。それから、
「すみません。さっきの件なんですけど、あの男たちは、20代前半のミカという女性をさがしてたらしく、それで自分の家に入ってきたんです。ただ、部屋を間違えたみたいで……。幸いこっちも被害が無かったからよかったですけど……。もしかしたら、気にかけた方がいいと思いますが……」
と話しながら、ボールペンを返した。配達員は、
「そうですね。それでしたら、こちらで警察に伝えましょう。あ、それとこれがお届けものです」
配達物を自分に手渡したあと、
「どうもありがとうございます」
と言って、この場を後にした。さっきまで騒動で気づかなかったけど、外を見回すと、いつの間にか雨はやんでいた。
嵐のような騒動も収まり、届いてきた商品を開けようとした時、
「あ、ミカさんが……」
色々とあったせいか、ミカさんのことが頭の中から抜け落ちていた。慌てて物置部屋に入って、
「ミカさん、もう大丈夫ですよ。さっきの人たちは、あなたとは別人のミカという女性をさがしてただけですよ。だから、安心して下さい」
と、ミカさんに呼び掛けた。すると彼女は、起き上がるや否や、自分のシャツを両手でつかみ、自分を押したまま部屋を出ながら、顔に一発強烈ともいえる、張り手に近いようなビンタを食らわせた。そして、
「トオルちゃんのバカ! 何で私の言うことを無視したの!? そんなに私を殺そうとしたいわけ!? 少し前に言った『私のために全力を尽くす』というのはウソだったの……!?」
怒りに震え、何度も揺さぶりながら、自分にまくしたてるように話した。自分は顔をゆがめながら、
「あの……、ミカさん……、痛い、ですよ……。それに、何で、あなたを殺そうとしなければ、いけないん、ですか……!? そんな理由、自分には全く無い、ですよ……」
必死に話したのだが、あまりに彼女が強くつかむものだから、ちょっと意識が飛びそうになってしまった。どうやら、力は強い方だ。彼女は、自分をつかんだ両手を離すと、
「だって、私が恐怖で布団の中から一歩も出られなかった時、アンタ助けてくれなかったでしょう!? どうして……!? ねえ、どうして……、せめて一言、私に『逃げて』と言ってくれなかったの……!?」
うつむきながら、うずくまって話した。床には、ポタポタと光る粒がこぼれ落ちていた。自分は、どう説明していいのかわからなかった。どう言っても、言い訳にしか受け止められないと思ったからだ。結局は、
「ごめんなさい、ミカさん……。あなたの力になれなくて……」
涙ながらに、土下座をしてミカさんに謝った。ただただ何度も謝った。この時の自分には、それしか出来ないと思ったからだ。それからしばらく時間が過ぎたところで、ミカさんが自分のもとへ寄ってきて、
「……でもトオルちゃん、私うれしかった。布団の隙間から、アンタが何とかして私のもとへ行こうともがいた様子が目に飛び込んだの。あの人には、あの時の必死さがほとんど感じられなかったわ。それとさっき、私アンタにビンタを食らわせたり、ひどいことを言ったりしたでしょう? 本当に謝るべきなのは、私の方よ。だから顔をあげて……」
と言いながら、自分の頭をさすった。自分が顔をあげると、ミカさんは突然自分を抱き締めて、
「ごめんなさい。そしてありがとう。アンタがやさしい人で本当によかったわ……」
こんなことを口にした。穏やかな表情をしたその目には、涙が浮かんでいた。そしてそのまま、
「トオルちゃん、けがはない?」
心配そうに聞いてきた。自分は、
「大丈夫ですよ。むしろさっきのビンタの方が強烈でしたし……。それに、部屋も荒らされた様子はなかったですから……」
と答えたあと、さらに、
「あの、ミカさん……、ちょっと言いにくいですけど」
少し小さめの声で、視線を反らしながら言った。ミカさんは首をかしげながら、
「トオルちゃん、私に何かついてるの?」
自分の顔を見つめながら問いかけた。自分は、
「ミカさん、早く着替えて下さい……。ぼろぼろの服のままだと、ちょっとまずいですよ……」
彼女にお願いする感じで頼んだ。彼女もそれに気づいたのか、
「あら、ごめんね、トオルちゃん……」
と言って、玄関の前に行ったあと、何かを持ってきた。そして、
「ちょっとバスルームを貸してほしいけど、いい?」
こう聞いてきた。自分は、
「いいですよ」
一言彼女に伝えたあと、スマホのゲームを始めた。改めてふと考えてみると、ここまでミカさんに着替える暇が無いのも、当然といえば当然であった。彼女は、命からがら自分の家にたどり着いてから、今落ち着くまで、いつ殺されるかもしれない状況だったからだ。ようやく一段落したところで、どうすればいいのか、彼女と一緒に考えた方がいいと自分は思った。状況をもう一度整理しないと、また混乱しかねないからだ。ちなみに、ミカさんには宅急便の配達員がここに来る直前に、彼女に“『逃げて』と言おうとした”ことは話していなかった。事実とはいえ、言い訳にしか聞こえないと思ったので断念した。ただ結果論ではあるが、あの場面で、『逃げて』と言いそびれたために、話がさらにややこしいことにならずにはすんだ。というのも、彼女にはある重大な秘密があったのだが、もちろん、この時の自分にはそんなことなど知るよしもなかった。
「お待たせ、トオルちゃん」
しばらくたった時、ミカさんが風呂場から出てきた。その姿を見た自分は、
「ミカさん、きれいですね」
こう言ったあと、
「これからどこか出掛けるんですか?」
思わず口にした。着替えたあとの彼女はスーツ姿で、いかにも『キャリアウーマン』という感じであった。ストッキングも黒に変わって、彼女のスタイルの見映えもよくなり、より『頼れるリーダー』といった感じに映った。出掛けるかどうかを聞かれた彼女は、
「トオルちゃん、きれいと言ってくれるのはありがたいけど、外には出られないわ。まだあの人が私を殺しに来るかもしれないし……」
と答えた。自分は、
「……ごめん」
と謝った。よく見ると、何ヵ所かあるアザは消えていなかった。『ミカさんは自分が守る』と彼女に宣言した以上、危険にさらすことは出来なかったからだ。改めてスマホを確認すると、11時半になろうとしていた。自分は、
「あの……、ミカさん、これからどうするのか、一緒に考えましょう。外には出られないけど……」
ミカさんにこんなことを呼び掛けた。すると彼女は、
「……そうねえ、トオルちゃんって、まだ女性と付き合った経験が無いみたいだし……。だから、今後のアンタのために、私がレクチャーしてあげるわ」
こう答えた。確かに、彼女の言う通り、自分は今まで女の子と付き合ったことがない。だから、
「あ、あの……、よろしく、お願いします」
こう言う他なかった。その様子を見た彼女は、
「あら、緊張してるのね。さっきまで普通に私と会話が出来たのに、一体どうしちゃったの……?」
首をかしげながら、自分の肩を軽く叩いてこう聞いた。そして自分が何か答えようとした時、突然思い出したように、
「ああ、そうねえ。確かトオルちゃん、『私の力になってあげる』って言ってくれた時、『女の人と話したことがない』ということを言ってたわよね」
こんなことを言った。自分は、何とも言えない感じになってしまった。それを見た彼女は、
「ごめんね、トオルちゃん」
と言いつつ、
「トオルちゃん、まずは服を着替えて、ボサボサの髪の毛は整えてね。話はそれからよ。その格好のままじゃみっともないわ。身だしなみはしっかりしておかないと、女性と付き合うどころじゃなくなるわよ」
自分に身だしなみを整えるように忠告した。
「わかりました、ミカさん」
そう言いながら着替えを取りに行ったあと、そのまま風呂場に直行した。ミカさんを横目でちらっと見ると、それに気づいたミカさんは、
「後でチェックするからね」
こう自分に言ったあと、近くに置いてあった本を読み始めた。
「……とは言うものの、何を着ればいいのだろう……??」
風呂場に入った自分は、何を着るべきか悩んでいた。髪の毛の方は、あまり整える必要が無い髪質だったので、いつもバイトに行く時の感覚でよかったのだが、ファッションに関しては、バイト先でも『ちょっといまいちかな』と言われるぐらいである。もともと、ファッションにはあまり興味が無いし、ダサいというほどではないから、それほど気にも止めなかったが、ミカさんがチェックするというので、あまりダサいのはまずいと思ったからだ。それでも、あれこれ考えても仕方ないからと、とりあえず普段着で行くことにした。風呂場から出た自分を見たミカさんは、
「あら、ちょっと時間がかかったみたいね。もう12時を回ってるわよ。どうしたの?」
本を読みながら聞いてきた。自分は、
「ミカさんがチェックするというから、どれを着ていいかわからなくなって……。とりあえず普段着で行ってみましたけど……」
こうは言ったものの、ミカさんに『ダサい』と言われないかと、少し不安になった。そんな自分を彼女は笑顔で見つめながら、
「トオルちゃん、とりあえずその格好なら大丈夫よ。センスはあまりいいとは言えないけど……」
と言った。センスについては自分も仕方ないと思っていたから、あまり気にはならなかったが、『ダサい』とは言われなかったからひとまずはほっとした。すると彼女は、
「トオルちゃんも男の子なのね」
突然こんなことを言い出した。自分は何のことを言っているのかさっぱりわからなかったが、彼女は、
「私が気を失ったあと寝てた部屋に、何冊かアダルト系の本があったのを見かけたの。私もちょっと読んでみたけど、あそこまではね……。男の人が何を考えてるのかを知るための参考にはなるけど……。トオルちゃん、これから女性と付き合うのだったら、あんな感じではなく、相手を大切にする、理解する気持ちがないとだめよ。何も恋愛に限ったことじゃないけど、ね……」
こう自分に伝えた。自分は、
「あの、ミカさん……」
このあと、『勝手に読んじゃだめですよ……』といった感じで続けようとしたが、結局やめることにした。彼女ともめても仕方ないからだ。そんな自分を尻目に、彼女は一冊の本を見せて、
「……でも、アンタも私とよく似てるところがあるわね……」
こんなことを口にした。彼女が持っていた本は、平常心を保つ方法を書いたものであった。自分は、
「ええ? ミカさんもそんな感じですか!?」
思わず驚いてしまった。そんな感じには見えなかったからである。その様子を見たミカさんは、
「意外と思ったでしょう?」
と言いながら、自分の顔を見つめた。自分は、
「ええ、まあ……」
言葉を濁すように答えた。すると彼女は、
「私もね、たまにパニックになることがあるの。リーダー、係長としてやることがいくつも立て込んだり、付き合ってる彼に色々と強く言われると、どうしていいのかわからなくなる時があってね……」
自身に言い聞かせるように話した。さらに、
「それで、アンタが『女性とまともに話した経験が無い』と言って、色々パニックになってたでしょう。私ね、あの時思ったの。最近『ある人を、近いうちに女性と話せるようにしてほしい』なんていう夢を見ててね、その人がアンタだっていうことを。だから、アンタが話せるようになるための協力は、一切惜しまないわ」
軽く左肩を叩いて伝えた。自分は、
「あの、ありがとうございます」
少し緊張気味に答えた。その様子を見た彼女は、
「もっと肩の力を抜いて、トオルちゃん。それじゃ、他の人と上手く会話が出来ないわよ」
と言いつつ、自分のもとに近寄り、
「大丈夫よ。トオルちゃんなら、必ず女性と会話が出来るようになるから……。ほら、勇気を持って最初の一歩を踏み出せば、間違いなく上手くいくわ」
両手を握って、甘い感じの声で語りかけた。自分は、
「わかりました。ミカさんが言った通りにやってみます」
そう答えた。彼女は少し苦笑いしていた。その時、インターホンが二度鳴ったので、玄関に行くと、
「すみません、商品に関する説明でこちらにうかがいました。お話だけでも聞いていただけないでしょうか?」
パンフレットを持った若い女性が立っていた。自分は、
「どんな商品ですか?」
と聞いた。すると女性は、自身の名前を名乗りながら名刺とパンフレットを自分に渡し、
「これは、あなたのような一人暮らしの人には必要になるものです。一台置いておけば、何年でも使えますよ」
と言いながら、商品の説明に入った。そして10分近くがたって、ひととおり説明が終わったところで、
「それでは、簡単なアンケートの記入をお願いします」
と言って、記入用紙とボールペンを自分に手渡した。自分はそれを受け取り、書こうとした時、
「トオルちゃん、だめよ。そんなの断って」
ミカさんの声が聞こえた。自分は、
「あの……、すみません……。少し待って下さい……」
そう女性に伝えて、一旦玄関を離れた。そしてリビングに入ってミカさんに、
「どういうことですか!? ミカさん」
首をかしげながら聞いた。ミカさんは、
「あの女の人、訪問販売の営業の人でしょう?」
と、少し冷やかな目で自分を見つめながら問い返した。自分は、
「ええ……、まあ……」
答えがあいまいな感じになっていた。するとミカさんは、
「はっきり断って。訪問販売の人にあいまいな言葉や態度を取れば、そこを突かれて、何かいらない物を買わされるだけよ」
厳しい口調で言った。自分は、
「まあ、とりあえず、話を聞くだけなら、と思って……」
恐る恐る答えたが、
「だめ! すぐに断って! 遠慮なんてしなくていいわ。いらない物だったらなおさらよ」
さらに態度も厳しくなった。自分は、
「わ、わかりました」
そう言いながら、慌てて玄関に戻った。そして、
「すみません、自分はいらないですので……」
という感じで、断りを入れた。営業の女性は、
「そうですか……。それでしたら、アンケートだけでもお願い出来ますか……」
お願いするように言った。アンケートぐらいは書いてもいいかと思ったが、ミカさんの冷たい視線が自分に降りかかるのが気になったので、
「いや、自分はその商品はいらないですから……」
とひたすら断った。女性の方も、
「それでは、先程お渡ししたパンフレットにのってある商品で、気になる点がございましたら、そこに書いてある電話番号におかけ下さい」
そう言ったあと、ノートなどをカバンに入れ、玄関を後にした。自分もドアを閉めてリビングに向かうと、ミカさんが腕を組んで、厳しい表情をしながら立っていた。そして、
「トオルちゃん……、今ここに私がいなかったら、どうなってたと思う……!?」
と、自分を問いただすように話した。その表情にたじろぎながらも、
「ええと……、さっきは……、商品の説明とアンケートだけだったから……、何かを買わされる感じではなかったけど……」
こう答えた。すると彼女は、
「いいえ、アンタなら、ほぼ間違いなく何かを買ってしまったと思うわ。私にはわかるの」
厳しい口調で、こんなことを述べた。そんな彼女に自分もつい、
「そんなこと、どうしてわかるんですか!? まだ今日会ったばかりなのに……。なぜ自分が買うと決めつけるわけ……!? 意味がわからないよ……」
カッとなって、ミカさんに怒りをぶつける感じになってしまった。その瞬間、自分の心に後悔の念が響き渡った。その声が耳に入った彼女が、さらに激しい口調になるものと覚悟していたが、彼女は、
「トオルちゃん、よく聞いて。アンタは、その辺に関しては以前の私とそっくりだということがわかったの。実は、私も一人暮らしを始めてしばらくたった頃、アンタと同じように、訪問販売でいらない物をいくつも買ってしまったの。彼らのセールストークに押されて、断り切れずにそのまま……。家族にも迷惑を掛けてしまって……。だからアンタには、私と同じ目にあってほしくないの。それで、言葉も厳しくなったの。これから私の経験をもとに、アンタに色々教えてあげるわ。恩返しも兼ねてね……」
自分の両手をつかみながら、穏やかな口調で語りかけた。全く考えもしなかった自分は、ただただうなずく他なかった。彼女は、
「そうと決まれば、すぐに始めましょう」
と言いながら、カバンの中から何か取り出そうとしたが、チラッと時計を見た自分を見かけて、
「どうしたの? トオルちゃん」
一旦物を探す手を止めて聞いてきた。自分は、
「もう昼の1時を回ってますよ、ミカさん」
今の時刻を彼女に伝えた。すると、
「あら、もうそんな時間!? ずいぶんたってるのね」
少し驚いた様子で答えた。自分は、
「ミカさん、せっかくだから、一緒に外で昼飯でも食べましょう」
と、彼女を誘ってみた。しかし、
「気持ちはありがたいけど、今回は遠慮しておくわ」
やんわりと断られた。
「そうですか……」
外の様子をチラッと見ると、また雨が降っていた。しかも朝より雨足は強くなっていた。これじゃ仕方ないと思った自分は、
「それじゃ、自分が昼飯を作りましょうか?」
改めてミカさんに問いかけた。すると彼女は、
「本当!? それじゃ、アンタにお願いするわ。レクチャーは食べたあとにするわ」
うれしそうに答えた。そして自分は、遅い昼飯作りに取りかかった。
「何を作ろうかな……」
悩みながら準備を始めた。ああは言ったものの、自分は大した料理は作れない。冷蔵庫の中にもあまり食材がないから、どうしようかと考えた末に、野菜炒めを作ることにした。
「ミカさん、おいしいって言ってくれるかな……」
楽しさと不安が入り交じったまま、自分は料理を作った。そしておよそ15分後、野菜炒めが完成した。そしてミカさんの分も一緒にリビングに運んだ。彼女は料理を見ると、
「トオルちゃんも料理が出来るのね」
感心しながら言ったあと、
「食べてもいい?」
と聞いた。自分は、
「せっかくですから、一緒に食べましょう」
そう答えたあと、
「いただきます」
二人一緒に言いながら、野菜炒めを食べ始めた。
「これ、おいしいわ」
ミカさんが笑顔になった。その様子を食べながら見ていた自分は、
「よかった。ミカさんに喜んでもらえて……」
とりあえずほっとした。昼飯を食べ終わったあと、食器を洗ってから、新品のノートと筆記具を持って、ミカさんが待つリビングに戻った。
「トオルちゃん、そろそろ始めるわよ」
彼女は、自分が来るのを待っているかのように、教えるための準備を終えていた。自分も、テーブルにノートを置いたあと、
「お願いします」
と言いながら、軽く一礼した。すると、
「……とその前に、ちょっと玄関を出て」
彼女は、自分に外に出るように言った。自分は、
「どういうことですか? ミカさん……」
首をかしげながら彼女に聞いた。彼女は自分を外に連れ出して、表札を指差しながら、
「トオルちゃん、そこを見て。何かマークがついてるでしょう?」
と言った。彼女の言った通りに表札を見ると、確かに小さい星印のようなマークがついていた。彼女は自分の様子を見つめながら、
「これはね、『この部屋の住人は何か買ってくれる』というような合図を示してるの。早い話が、『自分はカモですよ』ということを周り、特に訪問販売の人に伝えてしまってるわけなの。トオルちゃん、アンタのところに、度々訪問販売の人が来ているでしょう。だから、このマークは一刻も早く消して」
厳しい口調でこう言った。自分は、急いで台所用洗剤とスポンジを持って来て、マークを消した。マークが消えたのを確認した彼女は、
「それでいいわ。私も、そのようなマークがあることを友人に指摘されるまで、アンタと同じように、訪問販売の人がよく家に来てたの。これでだいぶ少なくなるけど、油断してはだめよ」
そう言いながら、家の中に戻っていった。自分もすぐに中に入って、ドアを閉めた。
リビングに戻ってイスに座ったあと、改めてミカさんが、
「それじゃ、準備はいい?」
ノートを持って呼び掛けた。自分は、
「もう出来てます。お願いします」
と、彼女に伝えた。そして、ミカさんのレクチャーが始まった。このレクチャーでは、一人暮らしにおいて必要なことや、他人(特に女性)との会話のやり方や言葉遣い、身だしなみにその他もろもろ……、もちろん訪問販売などを含めたサギ関連の対策も、彼女に教えてもらった。その時の彼女は、まるで自分に何かを託す感じであった。自分もそれに応えるべく、彼女が教えてくれたことを出来る限りノートに書き留めた。そして時間が過ぎ、時計を確認すると、すでに3時を回っていた。ひととおりレクチャーを終えた彼女は、自分のもとに近づき、
「トオルちゃん、とりあえず私が今教えてあげられることは、出来るだけ教えたわ。後はアンタがそれを生かせるかどうかにかかってるわ」
こう言った。自分は、
「わかりました、ミカさん。毎日忘れないようにノートを見ます」
と、自身を奮い立たせるように答えた。それを聞いた彼女は、苦笑いしながらも、
「あのね、トオルちゃん……、ノートを書いて見ただけじゃ、全く意味が無いわ……。書いたことを実行に移さないと……。そうしなかったら、アンタの自己満足だけで終わってしまうわよ。だから自分なりに考えて、すべてでなくていいから、必ずやってみること。これは、彼氏であるアンタに対する“お願い”よ」
自分の両手をつかんで、縦に軽く振って頼んだ。
そうだった……。自分とミカさんは、今『当日限定の恋人同士』だったことが、すっかり頭の中から抜け落ちていた……。
ミカさんに“彼氏”と言われた自分は、ちょっとしたパニック状態に陥っていた。とりあえず、
「わ、わかりました、ミカさん。ぜひやってみます」
こう答えたが、何やらぎこちない感じになってしまった。すると彼女は、
「……どうしたの、トオルちゃん? 少し落ち着いて」
肩をさすって、自分を落ち着かせたあと、
「トオルちゃん、ひとつ聞いてもいい?」
と言った。落ち着きを取り戻した自分は、
「何でしょうか、ミカさん……」
彼女の目を見ながら答えた。彼女は、
「トオルちゃん、職場で女性とちゃんと話は出来てる?」
こんな質問をしてきた。自分は、
「とりあえず、バイト先の人とかお客さんとは話せるけど……。だけど時おり『話がつながらない』と言われたこともあるし……」
と答えた。彼女は、
「あらら……、それはまずいわね……」
と言いながら、
「まあ、その辺は場数を踏まないと、なかなか上達しない面もあるけど……。ただどうすれば会話がつながるかは、アンタの友達なり、バイト先の店員なりに聞いてみた方がいいわ」
こう自分に話した。自分は少し考え込みながら、
「そう、ですね」
と言った。その様子を見た彼女は、
「どうしたの、何かおかしな点でもあったの……?」
首をかしげながら聞いた。それに対して自分は、
「いやぁ、自分たちって、“恋人同士”っていうより、“先生と生徒”か“姉と弟”っていう方がしっくり来るんじゃないかな……?」
ちょっと思っていたことを口にした。すると彼女も、
「ふふ、アンタの言った通りかも知れないわね……。まあ、そう言われてみれば、そっちが本当になるのかしらね」
笑みを浮かべながら答えた。そして、
「だけどね、アンタと『恋人同士』でいるのには、私なりの考えがあるの……」
こう話した。どういう意味なのかわからず、頭を悩ませていると、彼女は、
「私はね、アンタには絶対に恋愛をしてほしいと思ってるの。失敗してもいいから……」
と言いながら、
「ほら、アンタってやさしい人でしょう? だからね、女性と付き合うことで、もっとアンタの人間的なやさしさを伸ばすことが出来ると思うの」
こんなことを話した。自分はやってみようと思いつつ、
「だけど、相手の女性がまだ……。そういった人が見つかれば、やってみたいとは思うけど……」
悩みながら言った。すると彼女は、
「何言ってるの!? トオルちゃん……。相手ならここにいるでしょう? 私という相手が」
自身の胸を軽く何度か右手で叩きながら、自分にアピールした。その様子を見ていた自分は、
「そうでした……。ミカさんが恋人になってくれてるんだ……」
苦笑いしながら言った。その様子を見た彼女は、
「もう、トオルちゃんったら……。スタートからそれじゃ、先が思いやられるわ……」
ため息をつきながらこう言ったあと、
「それじゃ、早速“実戦演習”に入るわね。私たちは恋人同士だから、自分なりに考えたやり方でどう私と会話するか、やってみて」
自分に振ってきた。自分は、
「ええと……、ミカさん、趣味はなんでしょうか……?」
とりあえず、無難と思うところから聞いた。彼女は、
「そうねえ……、まずはサイクリングかな……。それと読書もね。休みの日に自転車で、図書館や本屋に行くのが“マイブーム”みたいになってるの」
と答えた。それを聞いた自分は、
「そうなんですか。自分もバイトに行く時は、自転車でバイト先に向かいますよ。休みの日に自転車で、どこか行くこともあったりしますね」
こう話した。彼女は二度うなずいたあと、
「トオルちゃんと趣味が同じなんだ……」
感心しながらそう言った。そして、
「近いうちに、アンタと一緒にサイクリング出来たらいいわね」
笑顔で自分を見つめながら、こんなことを口にした。その言葉に対して自分も、
「そうですね、ミカさん」
うなずきながら答えた。その直後に彼女は、
「それでトオルちゃん、他に趣味はあるの?」
と聞いてきた。少し考えたあとに自分は、
「まあ、趣味といっても、スマホでゲームするくらいかな……。あ、それと夏になったら、幽霊が出るという場所に行ったりすることがあるけど……。いわゆる、“心霊スポット”を巡るのが好きというか……」
と答えた。その話を聞いた彼女は、なぜか驚いた表情をしつつ、しきりに感心するような仕草を取っていた。そして、
「トオルちゃん、幽霊とか怖くないの?」
と聞いた。自分は、
「いや、全然怖くないですよ、ミカさん。それに、ちょくちょくお化けが見える時があります」
こう言いながら、何かを探しに物置部屋に向かった。そして、そこから一枚の写真を持ってきた。その写真をミカさんに見せて、
「これが、幽霊が写った写真です」
そう言って、彼女に写真を渡した。それをじっと見つめた彼女は、思わず声を失った。その写真は、どこかの公園の風景に混じって、何か悲しげな表情をした若い女性の幽霊が写し出されていたものであった。そんな彼女の様子に疑問を感じた自分は、
「ミカさん、どうしたんですか?」
こう聞いた。彼女は、
「……これ、ありがとう」
と言いながら、写真を自分に返した。
「それじゃ、他の写真も見ます? まだたくさんありますけど……」
別の写真を見るかどうかを、彼女に打診してみた。しかし、
「いいえ、さっきので十分よ。また別の機会に見ることにするから……」
軽く手を振りながら断られた。自分は、持ってきた写真を物置部屋に戻した。その際、改めてミカさんに見せた写真を見てみると、
「これ、ミカさんによく似てるよ」
思わず言葉を失った。それでも、
「いやいや、違う。ミカさんじゃない。ミカさんはリーダーにふさわしい女性だ」
顔を横に振りながら、さっき感じたことを否定した。すると、
「トオルちゃん、何かあったの?」
という声が聞こえた。自分は、
「何でもありません。今行きます」
慌てるようにリビングへと戻った。そして、
「ごめんなさい。ちょっと片付けに手間がかかって……」
と言った。彼女は、
「慌てなくていいのに……」
そう言ったあと、
「トオルちゃんって、幽霊が好きなのかしら……。というより、幽霊に好かれてるのかも知れないわね」
冗談とも本気とも付かないことを口にした。自分は、
「いやいやミカさん、それはちょっと……」
と言いながらも、
「だけど、中学生の時に、夏休みにお化け屋敷をやることになったことがありまして、その時に自分が担当を任されたんです。その時に作ったものが、『リアルに怖かった』と評判になって……」
こう話した。それを聞いた彼女は、
「すごいわね、それって……。今度の夏、アンタと一緒にお化け屋敷に行こうかしら……」
なんてことを言い出した。自分は、
「いいですね……。それでしたら、自分がミカさんをお化けから絶対にお守りします」
彼女を守ることを宣言していたとはいえ、およそこれまでの自分の柄にもないようなことを口にした。すると、
「ありがとう、トオルちゃん。その時は頼むわね」
笑顔でこう言った。
それからしばらくの間、ミカさんと会話が続いた。気がつくと、時間は4時半を回っていた。自分が時計を見る様子に気づいた彼女は、
「トオルちゃん、どうしたの?」
と聞いた。自分は、
「あ、いや、結構話が続いたな、って……」
そう答えた。彼女もその答えにうなずきながら、
「そうね、確かに『女性と会話をしたことがない』という感じじゃなかったわね」
こう話した。自分は少し照れながら、
「いや、ミカさんが相手だったから、何とか会話が出来たっていうのか……。それでも、少しは話せるようになったようですし……」
こう答えた。それを聞いた彼女は、
「まあ、そこはアンタ次第かもね……。だけど、いくつか気になる点があったから、そこは言っておかないとね」
こう話したあと、
「ちょっとトイレに行ってもいい?」
と聞いた。自分がうなずくと、彼女はそのままトイレに向かった。自分はその間、彼女と行った会話について考えていると、ドアホンが鳴り、玄関に向かうと、
「すみません、警察の者ですが」
という声がした。声を聞いた自分は、ミカさんがレクチャーしたことを思い出しながら、これがサギではないかと疑った。そして、
「どんな用件ですか?」
と、玄関を閉めながら聞いた。すると別の人が、
「先程、この近辺で発生した事件のことで、何か情報があれば伝えてほしい」
こんなことを話した。自分は、
「それは本当ですか? まさか警察をかたった何か、というわけではないでしょうね……!?」
ひとまず疑いながら聞いてみた。すると、
「わかった。それなら、詐欺師ではないことを伝えよう」
と言うと、玄関を開けて、警察手帳を開いた状態で見せた。その男性が、県警の警部であることがわかった自分は、
「どんな事件ですか?」
と聞いた。警部は、
「昼前に起きた、若い女性に対する殺人未遂事件だ」
と答えた。そして、もう一人の刑事とおぼしき男性が、
「この女のことを知ってるか?」
被害者の名前を言いながら、写真を見せた。被害者の名前が“ミカ”で、年齢も20代前半であることを知った自分は、
「この人のことは知らないですけど、この人を3人組の男が探してたみたいです」
と答えた。その後、
「ええと、その3人組の写真を撮った人がいます。宅急便の人です」
そう言いながら、朝通販を届けてきた時の控えの伝票を取りに行った。そして、
「この宅急便の会社の人です」
警察の人に伝票を見せた。すると警部が、
「……そうか」
大きくうなずいたあと、
「とりあえず、何らかの関連はある、と考えられるな」
こう言った。そして、
「ご協力感謝する」
と言いながら、その場を後にしようとした。その時自分は、なぜだかわからないが、
「あの、すみません……、その、被害者のミカという女性は、どうなってますか?」
不意に気になって、“もう一人のミカ”-仮にフミカとよぶ-の状況を聞いていた。その問いに刑事が、
「ん? 君は被害者の関係者かね?」
こう問い返した。本当は全く面識が無いのだが、
「……ええ、彼女の知り合いでして……」
一応そのように答えた。刑事は、
「かなりのけがを負ってるようだ。今のところは何とも言えない状況のため、搬送された病院については、今は教えることが出来ない」
と言った。自分は、
「わかりました」
と答えた。そして刑事は、
「突然のことですまなかった。これで失礼する」
そう言いながら、その場を後にした。それからリビングに戻った自分は、しばらく、フミカのことについて考えてみた。朝、ミカさんを勘違いで襲おうとした3人組とどんな関係があったのか、彼女はミカさんと似ているのか……。とはいえ、自分はフミカのことは全く知らないから、当然すぐに行き詰まった。悩んでいると、
「ごめんね、トオルちゃん。待った?」
ミカさんがトイレから出てきた。自分は、
「ミカさん、聞きたいことがあるんだ」
と言った。彼女は少し驚きながら、
「いきなりどうしたの!? トオルちゃん」
そう言った。ちょっと考え込んだ自分は、とりあえず、
「朝、ミカさんを襲ってきた男たちがいたでしょう? 実はあの人たちが追ってたもう一人のミカ、一応ここでは“フミカ”とよぶけど、彼女が誰かに襲われて、命にかかわる大ケガを負ってしまったんだ。さっきミカさんがトイレに入ってた時に警察の人たちが来て、そのような話をしてたんだ。ところで、フミカに何か心当たりがある?」
ミカさんにこう問いかけた。すると、
「え!? そうだったの……」
と、驚きの声をあげた。そして、
「あの女の子ねえ……」
少し考え込んだあと、
「私と同じ名前をしてるのが、ちょっとあれだけど、確かアンタと同じ、幽霊が好きな人だったわね」
こんなことを口にした。それを聞いた自分は、
「まさか、本当にフミカを知ってたなんて……」
思わず言葉につまってしまった。ミカさんは、
「でも、フミカが襲われたって……」
なぜか顔をしかめた。自分も、
「何とか助かるように、二人で願いましょうか……」
と言ったあと、
「一度お見舞いに行ってあげないと……。ただ、今はだめだけど……」
こんな話をしていた。どういうわけか、この時の自分は、全く面識が無いはずの女性のことが、無性に気になって仕方がなかった。実は自分のこの気持ちが、フミカという女性の運命を変えていくことになったのだが、当然、この時の自分にそんなことなどわかるはずもなかった。ミカさんは、
「トオルちゃん、アンタの気持ちはわかるわ。だけど、見ず知らずの人に、わざわざ病院までっていうのはちょっと……」
難色を示した。自分は仕方がないか、という表情を浮かべながら、
「それなら、フミカに大ケガを負わせた人たちをさがそうよ、ミカさん……」
こう呼びかけた。ミカさんは苦笑いしたあと、
「あのね、そういうことは向こうに任せて、アンタは、私を守ってくれればそれで十分よ」
こう言った。自分は、
「わかりました、ミカさん」
と答えたあと、なぜかお互いが沈黙したまま、時間だけが過ぎていった……。
それから10分近くが過ぎて、ミカさんが、
「ねえトオルちゃん、私がトイレに行く前に、アンタに言っておきたいことがある、と言ったの覚えてる?」
と話した。それが何だったのか考え込んでいると、
「ほら、さっきアンタと話した時、『気になる点があった』といったでしょう? それで伝えたいことがあるの」
と言った。自分は、
「何ですか? それ……」
首をかしげながら聞いた。すると彼女は、
「ズバリ、アンタの話す“内容”よ」
そう言いながら、
「アンタはねえ、自分が興味のあることばかり話したがるところがあるの。それだと、相手からドン引きされたり、嫌われたりするわ。その話に飽きない人を除いてね」
こんなことを話した。さらに、
「それとね、アンタの話には時おり誰、または何のことを言ってるのかわからないことがあるの。……そうね、“話すことが整理されてない”というのか、あるいは、話の『主語が無い』というべきなのか……。ここは相当気をつけておかないといけないわね」
こう付け加えた。自分は、
「それじゃ、どうすればいいんですか!?」
少し興奮気味に言った。彼女は首を横に振りながら、
「トオルちゃん、怒ってはだめよ。ちょっとしたことで怒っても、いいことはないから」
と言った。そして、
「まずひとつ、話すのが得意でなければ、話を聞く方を磨いていけばいいわ。要は“聞き手”に徹することね。もちろん、話が合う相手なら、自分の話したいことを話しても構わないけど」
こう話した。さらに、
「それとアンタには、もっと場数を踏んでほしいの。一人でいる時があってもいいけど、自分を成長させるには、本を読むこととともに、他人との会話を出来るだけ行うこと。これは、相手のことを理解するきっかけにもつながるわ」
こんなアドバイスをした。自分は、
「わかりました。だけど、店の人とは何とか話せますが……」
自信なさげに答えた。すると彼女は、一枚の名刺を取り出して、
「それじゃ、アンタにとっておきの女性を紹介してあげる」
と言いながら、自分に名刺を渡した。そして、
「彼女は私の後輩だけど、根っからの話し好きなの。今は夜の世界にいるけど、結構人気があるわ。今度そこの店に行ったら、私の名前を出して『会話を出来るようにして』と伝えて。必ず、アンタの味方になってくれるわ」
こう伝えた。自分は、
「でも、自分は19ですよ。そういったところに行くのは、もう少し後になってからの方が……」
戸惑い気味に答えた。その様子を見た彼女は、
「そうねえ、まだお酒が飲めない年齢だったわよね、アンタって……」
そう言いながら、
「それじゃ、アンタのスマホ貸して。後輩にアンタのことを直接伝えてあげるわ」
自分のスマホを貸すように頼んだ。自分はおろおろしながら、
「あの、ミカさん……、ちょっと、勝手に、スマホのデータを……」
彼女がまだ自分のスマホを持ったわけでもないのに、勝手にどたばたしていた。彼女は、
「心配しないで。後輩にメールを送るだけよ。それ以外は何も扱わないわ」
と言った。それでも、
「本当に大丈夫なの!? メールを見たりしない!? それとデータとか消したりしないでよ、ミカさん……」
心配になって、彼女にお願いした。すると彼女は、
「大丈夫よ。何かあったら、私が責任を取るわ」
きっぱりと答えた。それを聞いた自分は、彼女にスマホを渡した。彼女はそれを受け取ると、さっそく、メールを作成し始めた。それから10分ぐらいたったあと、メールの着信音が鳴り、
「あ、さっそく着信が入ったみたいね」
こう言って、自分に着信メールを見せた。
-あのミカさんが“恩人”と言ってた人がいたなんて……。あの時、そのことに気づいてあげられてれば、あんなことには……。ごめんね、アタシが力になれなかったばかりに……。だから、一度はミカさんを助けてくれた“恩人”というトオルって男の子に、アタシやミカさんの代わりに改めてお礼を伝えてあげて。……あ、そういえば、さっきのメール、恩人というトオルのスマホから送信してきたって、書いてあったわね。本当は、そういうことはしない方がいいと思うけど……。まあいいわ、それなら話は早いわね。このメールを送ってるアドレスに、今の気持ちをメールにして送ってね。その前にこのアドレスを、アリサの名前で登録して。電話番号はまだ後になるけど、ね。近いうちに、トオルにはアタシの店に来てほしいの。お酒はまだ飲めないみたいだけど、そこはアタシが何とかするわ。来てほしい時に、メールで必ず連絡するから、それまでは、色々話を聞かせて。アタシも、まずは会話の基本を伝えるから-
このメールを見せたミカさんは、
「トオルちゃん、今アリサのメールを登録するから、すぐに一言、あいさつのメールを送って」
アリサという女性のメアドを自分のスマホに登録したあと、スマホを返した。自分はそれを受け取って、すぐにアリサに返信のメールを送った。
-よろしくお願いします、アリサさん。自分はトオルと言います。トオルちゃん、でいいです。今度は1週間後に休みが開いてます。それと、今住んでるアパートを伝えます。今、話をしたいのと同時に、不安があります-
このメールの直後に、自分の住んでいるアパートの名前と部屋番号、近くの状況を書いたあと、アリサに送信した。ミカさんは、
「今は夕方の5時半過ぎみたいね……。まあ、この時間帯に送っていれば、大体はすぐにメールが返ってくるわ。まだ仕事前だから」
と言いながら、自分の様子をじっくり見ていた。数分後、着信音が鳴った。返信してきたメールを開くと、そこには、こんなことが書いてあった。
-1週間後ね……。わかったわ、トオルちゃん。前日までに『ここに来てほしい』という連絡を入れるから、それまで毎日、その日あったことをアタシに伝えて。アタシも伝えてあげるわ。まあ、一応実際に出会うまでの“会話の代わり”ということだけど、楽しみにしてるわ。だけど、変なことを考えたら、ちょっと許さないけど……-
このメールを見たミカさんは、
「よかったわね、トオルちゃん。最後にあんな感じのメッセージが入るってことは、これがセールストークじゃなくて、アリサが『本当にアンタと会ってみたい』と思って送ってる証なの」
肩を叩きながら、笑顔でこう言った。それを聞いた自分は、
「そうなんですか……」
メールをじっくり見ながら答えた。そして、
「ああ、もう6時になるんだ……」
とつぶやいたあと、ミカさんに、
「あの、晩飯はどうします?」
こう聞いた。すると彼女は、
「そっちはいいわ。もう少ししたら帰ろうと思うの」
と言ったあと、
「今日はありがとう。アンタに会えて本当によかったわ」
自分を抱き締めて、感謝の気持ちを伝えた。そして、
「私、決心したの。今の彼と別れることにするわ」
表情を引き締めて、こんなことを口にした。自分は、
「ところで、ミカさんが今付き合ってる男性って誰ですか?」
こう問いかけた。すると彼女は、
「……その人は、大物の国会議員の息子なの……。それも、閣僚経験者のね……」
こう答えたのだが、その声にはあまり力が感じられなかった。その理由を聞こうと思ったところで、慌てて取り止めた。ミカさんは、その彼に殺されそうになったために、自分のアパートに逃げてきたのだ。そんなことを忘れてしまいそうになった自分を情けなく思った自分は、思わず頭を何回か叩いた。その様子を見たミカさんは、
「ちょっと、トオルちゃん、一体どうしたの!?」
心配そうに声をかけた。自分は、
「いえ、気にしなくていいです」
そう答えた。彼女は、
「そうなの……」
と言ったあと、
「アンタのおかげで踏ん切りがついたわ。これまで私も何とか耐えてきたけど、もう考えなくていいと思うと、本当に心が軽くなったわね……。ただ、もう少し早くアンタみたいな人に出会えたら、もっとよかったけど、ね……」
ということを話した。そして、
「ねえ、しばらくあの部屋にいさせて。帰る時に呼ぶから」
と言いながら、物置部屋を指差した。自分は、
「いいですけど、周りの物をぐちゃぐちゃにしないで下さい」
こう答えた。それから、
「それじゃ自分は、晩飯を作って食べますけど、改めて、ミカさんの分はなくても大丈夫ですか?」
彼女に問いかけた。すると、
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、トオルちゃん」
こんな答えが返ってきた。それを聞いた自分は、自分の晩飯を作り始めた。
晩飯を食べて、片付けまで終えた自分は、最初にミカさんがアリサに送ったメールが気になって見ようとしたが、なぜか削除されていた。なぜだろうと思いつつ、結局スマホのゲームをすることにした。それから、しばらく時間がたった8時前、
「トオルちゃん、もう帰るから、こっちに来て」
ミカさんが自分を呼ぶ声がした。それを聞いた自分は、物置部屋のふすまを開けたあと、
「ミカさん、お帰りですね……」
と言った。彼女は、
「そうね、残念だけど……」
未練を残すような感じでつぶやいた。自分も、
「また今度、お会いしたいです」
と言いながら、
「そういえば、ミカさん、スマホとか持ってます?」
ふと疑問に思い、聞いてみた。というのも、アリサに自分のことを伝えるのに、なぜか彼女自身の物を使わなかったからだ。彼女は、軽く謝ったあと、
「ごめんね、実は今、スマホが壊れて修理に出してるの。それに、仕事用のスマホでは、私的なメールは送れないから、アンタのスマホを使わせてもらったの……」
こう答えた。それを聞いた自分は、
「それじゃ、自分のスマホの電話番号とメアドを書いた紙を渡しますので、あとで登録して下さい」
近くにあったメモ用紙に、番号とメアドを書いて、彼女に渡した。それを見た彼女は、
「トオルちゃん、これに間違いはないわよね……?」
なぜか笑顔が多少不気味な感じで問いかけた。自分は、
「もちろんですよ。ミカさん……。ですから、変な笑顔で話しかけないで下さい……」
間違いがないように、二度確認したのだから、心配ないだろうと思いつつ、ちょっと不安になった。すると彼女は、
「今日は本当にありがとう。アンタのおかげで、生きる気持ちまで取り戻せた気がするの。だから、今の彼と別れたら、私と本格的に付き合ってくれる?」
こんなことを口にした。自分は、
「もちろん、ミカさんとなら喜んで」
素直に答えた。彼女は、
「それじゃ、また今度ね。彼と別れた時には、必ずアンタに連絡入れるから」
と言い、大きな荷物を抱えながら、靴をはいて自分のアパートを後にした。出る直前に自分を見つめたその目には、涙が浮かんでいた。自分には、それが輝いて見えた。
ミカさんが帰ったあとは、特に何も起こらず、11時過ぎに寝て、その日は過ぎていった……。次の日には、この日とは別の騒動が起きるとも知らず……
「アンタなのね、わたくしの大切なパートナーに『心の傷』をつけたの……」
若い女性は自分に対し、詰め寄るように問いかけた。自分はなんのことかわからず、
「あの、言ってることの意味が全くわからないですけど……」
ただただ困惑していた。すると女性は、
「問答無用。そんな真似が出来るのは、幽霊がはっきりと見えるアンタしかいないわ」
と言いながら、自分に襲いかかってきた。自分は、
「だから何で自分が攻撃の対象になるんですか……!? 全然あなたのことを知らないですよ……」
ただ逃げ惑うばかりであった。ところが、何かにぶつかって、女性に追い付かれてしまった。そして、
「アンタがやったのは、わたくしの夢の中で、わたくしのパートナーにひどいことをしたこと。最もそのために、わたくし自身は意識を取り戻せたけど……」
こう話したあと、
「だから、アンタがわたくしのために働いてくれるのなら、傷をつけた件は許してあげるわ」
こんなことを言ってきた。それでも、自分には心当たりが全く無い以上、答えようがなかったために、沈黙を守るだけであった。彼女は何も答えない自分に対し、
「そう……、それじゃ、アンタを殺してもいい、というわけね……。一言も返答が無いというのなら……」
怒りに震えながら、自分に攻撃の手を加えた。
「ちょ、ちょっと……、うわあああー‼」
彼女の攻撃をよけきれず、いよいよ、顔面に攻撃が当たろうとしたその瞬間、
「うわあああー、……え!?」
目が覚めると、そこは自分の部屋であった。
「何だ? 今のは……」
どうやら、さっきのは夢だったらしい。
「これで二度目だよ……。誰なんだ、あの女性は……!?」
今回夢の中に出てきた人も、最初に見た夢と同じ女性だったようだ。しかし、最初の夢は内容が思い出せず、『まあいいか』と思いつつ、すぐに寝たのに比べ、今回は確実に脳の中に刻み込まれていた。改めて、その女性の表情が誰かに似ているのか探り出してみると、ある人が浮かび上がった。
「……ひょっとして、あの女性のこと……!?」
その人とは一度も会ったことがないのだが、ミカさんが『幽霊が好き』と言っているのが気になっていた。自分も同じようなものなので、何か他人とは思えない感じはしていた。もう一度、夢の内容を整理してみると、それは“確信”へと変わっていった。
「間違いない。あの人はフミカだ」
夢の中の女性が誰かわかったところで、ひとまずほっとしながら眠りについた。まだ夜中のことであった。
次に起きた時は、朝の8時前であった。この日もコンビニの方は休みだが、夕方からの倉庫のバイトはある。こんな時は、昼過ぎに出掛けて、そのままバイト先に行くこともあるが、この日もあいにくの雨だった。冷蔵庫を開けると、食材があまり残っていなかった。
「どうしようかな……」
朝飯を作りながら悩んでいた時、ドアホンが鳴った。
「あの、誰でしょうか……?」
こんな早くに……、と疑問に思いながら玄関を開けた。そこには、一人のスーツ姿の若い女性が立っていた。営業の人でもこんなに早くは来ないだろうと思っていたところで、その女性は、
「すみません、トオルという男性の住んでいる部屋はどこでしょうか……?」
こんなことを聞いてきた。それを聞いた自分は、
「ここです。自分がトオルです」
と答えた。すると女性はいきなり自分の両手を握って、
「あなたがトオルさんですか。昨日、夢の中で姉さんがあなたに感謝してました。『これで私も心おきなく旅立てる』と」
玄関の中に入ってこう話した。自分は戸惑いながら、
「あ、あの……、話がよくわからないのですが……」
と言ったあと、
「ええと……、お名前は、何と言いますか……?」
こう質問した。彼女は、
「私はレイカと言います。改めて姉のミカに代わって、あなたにお礼を伝えにここに伺いました」
と答えた。『ミカ』という名前を聞いた自分は、思わず頭の中が混乱していた。
「あの……、ええと……、ミカさんの妹さん……ですか……」
なぜかしどろもどろになって言ったのを聞いたレイカは、
「トオルさん、落ち着いて下さい」
フォローに入ったあと、
「あなたの言う通り、私はミカの妹です」
と答えた。改めてミカさん本人ではなく、妹が来たのを疑問に思った自分は、
「ところで、ミカさんは今どうしてますか?」
レイカさんに問いかけた。すると彼女は、顔を曇らせながら、
「トオルさん、残念ですが、姉さんは数ヵ月前に、何者かに殺されました……」
こんなことを伝えた。それを聞いた自分は、あまりにも衝撃的な事実に、言葉を失っただけでなく、意識まで飛んでいきそうになった。その様子を見た彼女は、
「あの……、トオルさん、大丈夫ですか……!?」
自分を揺さぶりながら、心配そうに言った。しばらくして我に返った自分は、深呼吸をして自身を落ち着かせながらも、
「ミカさんが、殺されたって……」
動揺は隠せなかった。そして、
「それじゃ……、昨日実際に会ったミカさんは……、まさか……、“幻”ということ……!? それか、誰かが成りすましたわけ……!?」
また頭を抱えながら、混乱することになった。一方、『ミカに実際に会った』という話を聞いたレイカさんも、持っていたカバンを落として、そのまま茫然と立ち尽くしていた。彼女にすれば、姉が生き返ったことになるから、普通は喜びそうなのに、そういった実感が全く感じられなかった。しばらくたって、
「……姉さんが……、あなたに……」
やっとの思いで絞り出すように言った。自分は、
「ええと……、少し待って下さい……」
と言いながら玄関のドアを閉めたあと、いつも寝る部屋に入って、スマホやノートなどを持ち出した。そして、レイカさんのいる玄関に向かい、
「あの、レイカさん……、せっかくですから、中に入って下さい。お話ししたいことがあります」
彼女に家に入るようにすすめた。彼女は、
「ありがとう、トオルさん」
そう言いながら、家に入っていった。
レイカさんが自分の家に入ったあと、とりあえず、昨日ミカさんからレクチャーを受けた時に使ったノートや、アリサさんの名刺をレイカさんに渡した。そして、
「ええと……、昨日自分は、ミカさんからレクチャーを受けました。その時に使ったノートを見て下さい」
と言って、レイカさんにノートを見るように伝えた。それから、
「レイカさん、それと、アリサという女性は、知り合いなのでしょうか……? ミカさんは、『自分の後輩』と言ってましたが……」
レイカさんにこう問いかけた。“アリサ”という名前を耳にした彼女は、
「ええ、彼女なら知ってます。姉さんは彼女のことを気に入っていて、私もいい人だと思ってます。ただ、夜の仕事をしているとは知らなかったですが……」
このように答えた。そして、読んでいたノートをテーブルに置いたあと、
「間違いないと思います。このノートに姉さんが書いた字にそっくりの筆跡がいくつもあります」
こんなことを口にした。自分は、
「そうだったんですね……」
と言ったあと、
「それと、ミカさんのスマホって、壊れてました? 『修理に出した』と言って、じかに自分のスマホから、アリサさんに連絡してましたけど……」
改めて、レイカさんに疑問をぶつけてみた。すると彼女は、
「スマホ? その話が、何か“昨日の姉さん”のことと関係するのでしょうか……」
首をかしげながら聞き返した。自分は、
「ちょっと、念のために聞こうと思って……。いや、もしかして、別人の可能性があると思ってから、ね……」
後頭部を右手の指で軽くつつきながら言った。彼女は、
「ええ、確かにトオルさんが言った通り、殺される数日前に、姉さんは、『自分のスマホを修理に出した』という連絡を私に伝えて来ました。そのスマホは、現在は私が預かってます」
と答えた。
間違いない……。昨日のミカさんは、決して“成りすまし”なんかじゃない……
これで少なくとも、“成りすまし”ではないことを確信出来た。普通に考えてみれば、誰かに命を狙われて自分の家に逃げてきたところから始まって、訪問販売の件や、自分にしてくれたレクチャー、それから、アリサさんのことやスマホなど……、到底成りすましとは考えられないくらいに条件が揃っている。だから、普通はそんなことは考えないのだが、この時の自分は、前日のことが“大変な出来事”であったことを十分に認識出来ていなかった。
成りすましではないことを確信した自分は、レイカさんに、
「……昨日のミカさんは、確かに自分に対して、たくさんのことをアドバイスしてくれました。それと、自分が女性と話が出来るようにと、“一日恋人”みたいに過ごしてくれました。帰りには『自分と付き合いたい』とも言ってました」
こう話した。その話が本当のように感じた彼女は、
「そうですか……」
一呼吸置いたあと、
「トオルさん、本当にありがとう。姉さんを救ってくれて……。それと、以前姉さんが話してた“もう一人のミカ”のこともわかった感じがします」
自分に感謝の言葉を述べながらも、何か疑問が解けたという感じで話しかけた。それを聞いた自分は、
「もう一人の、って、フミカのことですか?」
レイカさんに問いかけた。すると彼女は、首をかしげながら、
「フミカ……!? それは誰のことですか……!? 名前が違いますけど……」
こう答えた。自分は、
「ええと……、“フミカ”っていうのは、レイカさんの姉さんである方のミカさんと区別するために、自分がそう呼んでるだけです。ミカさんが説明してくれた話だと、自分と同じように、幽霊が好きな女性です。それと実は、昨日誰かに襲われて、ひどいけがを負ったみたいです」
詳しくレイカさんに伝えた。その話を聞いた彼女は、
「……確かに、今朝の新聞に掲載されてましたね……。昨日の時点では意識不明だったみたいですけど、深夜に意識を取り戻したようで、とりあえず、『最悪の状況は脱した』と伝えてました……」
と答えた。もしやと思った自分は、今朝の夢のことを彼女に伝えようとしたが、やめた。フミカが“自分が現れた夢で意識を取り戻した”などということを言っても、逆に白い眼で見られるのが関の山だ。そんなこともあって、ちょっと考え込んでいると、
「あの、トオルさん、何かあったのですか……?」
彼女が聞いてきた。自分は、
「いや、別に。まあ、フミカが助かってよかったな、って思っただけですよ」
と言った。本当は、一度フミカと会って真相を聞きたいと思っているのだが、どこに入院しているのかわからなかった。そこで、
「あの……、レイカさん、ひとつ聞きたいことがあります」
レイカさんにこう話したあと、
「今朝の新聞やニュースなどで、フミカの入院先は、伝えてました……?」
こう問いかけた。彼女は、
「いえ、詳しい入院先は伝えてありませんが……」
考え込みながら答えた。それを聞いた自分は、
「そうですか……」
と言った。少し間をおいてレイカさんが、
「トオルさん、お話ししたいことがあります。時間の方はよろしいでしょうか?」
改まった感じで自分に問いかけた。自分は、
「そうですね、午前中いっぱいなら大丈夫ですよ。バイトは夕方からですし」
と答えた。その答えを聞いた彼女は、
「わかりました。今後もお会いするあなたに、姉さんのことを出来るだけお話しいたします」
そう言ったあと、ミカさんのことについての話を始めた。自分は、慌ててテーブルに置いてあったノートを取り、レイカさんが話したことをノートに書き記した。話はミカさんの好きなものから、会社で評判だったことや、付き合っていた例の彼氏のことまで、結構濃い内容だった。そして話が終わった時には、もう10時になろうとしていた。その時、おもむろにレイカさんが立ち上がったあと、
「トオルさん、今日はありがとうございます。これで、姉さんも喜んでくれると思います」
と話したあと、一礼した。自分が返しの言葉を言おうとした時、突然彼女は、
「あ、そう言えば、あなたとは近いうちにお会いすることになると思います。『幽霊が好きで、その姿が見える』ということでしたら……」
こんなことを言い出した。自分は、
「ええ? それって、どういうことですか??」
彼女の言ったことの意味がわからず、ただ考え込むばかりであった。後にこの言葉は現実になるのだが、このときは、ミカさんのことがあったとはいえ、そうなるとは思えなかったからだ。考え込む自分を見たレイカさんは、
「ごめんなさい、トオルさん。ちょっと戸惑わせて」
軽く謝りながら言った。それから、一枚の紙を自分に渡したあと、
「トオルさん、これが私のスマホの番号とアドレスです。すぐ登録して下さい。だけど、連絡を入れるのは明後日以降にしてほしいです……」
こう話した。
「え!? なんでですか?? すぐにでもここで確認した方がいいと思いますけど……」
不思議に思った自分は、とりあえず普通に聞くであろう質問をした。すると彼女は、
「まあ、後になればわかると思いますよ、トオルさん。だから私と約束して下さい。『私への連絡は明後日以降にする』と……。必ずや、あなたにいいことがありますよ」
何か、自分がはぐらかされているような感じになる答えを返してきた。それから、
「改めてこの部屋を見てると、何かとても懐かしい感じがしますね……」
こんなことを口にした。“懐かしい”、そんな言葉を耳にした自分は、首をかしげながら、
「あの、レイカさん……、『懐かしい』というのは、どういうことなんですか?」
こう問いかけた。すると彼女は、
「実はね、トオルさん、以前ここに姉さんが住んでたんです。姉さんが殺されたあとに、私もしばらくいたのですが、事情があって部屋の片付けが十分出来ず、そのままになってしまってます。それと姉さんは生前『私が住むところは、いわくつきの部屋で、ここなら大丈夫』みたいなことを言ってました」
こんなことを話した。
……ええ!? ミカさんがここに住んでた……??
その言葉を耳にした自分は、ただただ声を失った。レイカさんはそんな自分の様子を気にもせず、
「それとこの部屋、夏が近づくと、色々な幽霊が出るみたいです。何でも、姉さんから聞いた話によると、『たまに以前この部屋に住んでて、殺された女性の幽霊が出てくる』ということで……」
こう話した。
そういった話って、さらりと言ってのけるものなのか……??
何を話していいかわからなくなっていた自分は、頭を抱えながら、下を向いていた。そりゃ、幽霊は嫌いじゃないけど、「この部屋に住んでた人が殺された」なんてね……、というふうに思っていると、
「トオルさん、何かあったのですか?」
レイカさんが首をかしげながら問いかけた。自分は、
「さっきの話、本当ですか……!?」
逆に彼女に問い返した。すると彼女は、
「ええ。この部屋で殺されたわけではありませんが、姉さん以外にも二人が……」
淡々と答えた。それを聞いた自分は、
「えええええ~!?」
思わず声をあげてしまった。早い話、今自分が住んでいるこの部屋が、いわゆる「事故物件」であったことがわかった瞬間である。そんな自分の様子を目にした彼女は、
「トオルさん、落ち着いて下さい。あなたなら大丈夫ですよ。いえ、きっと解決出来ると思います」
きっぱりとした表情でこんなことを口にした。自分は、
「あの、いきなり“解決出来る”って言われても……」
彼女の言ったことがさっぱりわからなかった。頭を抱えている自分を横目に、彼女は、
「トオルさん、私が思うには、あなたは『幽霊と会話が出来る』能力をお持ちだと感じています。ですから、その力を磨いて下さい。必ずやあなたの助けになります」
こう述べた。それを聞いた自分はハッとした。確かに自分自身、幽霊は怖くないどころか、何度もハッキリと自分の目で見たことがある。そのせいであまり友達が出来なかったという苦い経験があったために、『自分の助けになる』とはなかなか考えなかった。改めて自分は、
「あの、レイカさん、それどういう意味なんですか?」
彼女に問いかけた。すると彼女は、
「まだ確信は出来ないのですが、昨日の出来事がすべて本当だとすれば、あなたには、そちらの分野で多くの人たちを救う力を持つことになります。その時には、私もトオルさんに関わることになるでしょう……」
こんなことを口にした。突然の発言に自分は戸惑いを隠せなかった。彼女は、そんな様子を見つめながら、
「そんなに慌てなくていいんですよ、トオルさん。必ずわかるようになりますから」
と言った。そして時計を確認すると、
「あ、もう時間ですね」
そう言いながら、靴をはいて玄関を出た。そして、
「トオルさん、本当にありがとう。これで姉さんも安心して……」
話す最中、言葉につまった。それに気づいた自分は、レイカさんに何か言葉をかけようとした時、
「トオルさん、またここに来ますので、その時を楽しみにして下さい……」
と言いながら、アパートを後にした。自分は、彼女の様子を見守ってから、玄関を閉めた。前日のミカさんの時と同様、後に起きる「事件」を知るよしもなく……
レイカさんの突然の訪問で、朝飯を食べ損なってしまった自分は、作りかけの朝飯を急いで作り、そのまま食べた。そして早めに仕事の準備にかかった時、またドアホンが鳴った。
「誰でしょうか……?」
玄関を開けてみると、カメラを持った一人の男性が立っていた。少々オタクの要素を持ったカメラマン、といった感じの男性は、自分を見るなり、
「ちょっと部屋を見せてもらっていいかな?」
と言いながら、カメラのピントを合わせていた。自分は、
「あの……、いきなりそういうことをされても……」
困惑しながらも、家の中に入らないようにするので手一杯だった。カメラマンは、カメラの他にスマホでも写真を何枚か撮影したあと、
「本当にすまなかったね。どうしてもこのアパートを撮りたくて、つい……」
軽く謝りながら、
「このアパートがね、いかにも“昭和という雰囲気”を醸し出しててね……。だから、この中の部屋を撮影したかったんだ」
こう話した。自分は、
「いや、ちょっと、そういうのはまずいと思いますけど……」
そう話しながら、やんわりと断ろうとした時、
「ああ、このアパート、結構幽霊が出てくる感じだね……。こういうの、SNSに出しても面白いかな……」
このカメラマンのつぶやきを耳にした自分は、思わず目の色を変えた。そして、
「そう言えば、このアパートにも『幽霊が出る』って話、何度も聞いたことがありますし、現に自分もこの目でハッキリと見かけたことも……」
こう話したが、ミカさんのことをこのカメラマンに伝えようかどうか迷っていた。話しから、自分と同じ幽霊に興味を持つ人であることは想像がついたが、はたして彼が信じてくれるのかわからなかったからだ。それに自分自身、まだわからないことがあった。例えば、他の人がミカさんを実際に見かけたかどうか、など……。するとカメラマンは、
「そうか……」
こうつぶやきながら、考え込んだ。そして、
「出来れば、ひとつそういった話を聞かせてくれるかな? 何かの参考になるかも知れないし……。ただ、『写真に映った』という程度じゃなく、ちょっとディープなものでも」
自分に問いかけた。自分は、
「わかりました。それじゃ……」
と言いながら、少し考え込んだ。そして、
「これは、ほとんど誰にも話したことがないんですけど、『とっておき』というもので……」
こう前置きをしたあと、話を始めた。
「今から何年か前、自分が高校生の時に、ある夜の帰りに公園で少年の幽霊を見かけたことがあって、実際に話をしたことがあります。その少年は何か悲しげな表情を浮かべながら、自分に助けを求めて、手首をつかんできたのです……。その時の感触は、今でも心の中にハッキリと残ってます」
こう話したあと、一旦深呼吸をして、落ち着かせた。カメラマンは、天井を向いて右指を動かしながら、
「おいおい、それって、何かの怪談に登場する感じのヤツだな? そいつが本当ならば、すごい話だけどね……」
自分に聞いてきた。それに対し自分は、
「まあ、ほとんどの人は全く信じないか、いぶかしげか、もしくは疑問に思ってるでしょう……。正直言って、自分自身も最初は『本当か』と思ってましたけど」
こう答えた。すると彼は、
「ああ、以前私も、『幽霊と会話出来る』という人の話を耳にしたことがあってね……。確か若い女性だったかな……」
と言ったあと、
「して、君に助けを求めた少年の幽霊はどうなったのかね?」
再び問いかけた。自分は、
「ええと、あれから、その少年と一緒に行動して、願いをかなえてあげました。すると……」
そう答えた。彼は耳を傾けて、うなずきながら話を聞いていた。自分は更に、
「その翌日には、自分と一緒にいた幽霊によく似た少年が『数日ぶりに意識を取り戻した』ということが話題になりました。きっかけはその人がインタビューで、『ある高校生が、ボクと会って、その時にボクの願いをかなえてくれました。そのあと、意識を取り戻しました』と答えたことみたいです」
こう続けた。すると彼は、驚いた表情を浮かべながら、
「おいおい、それ本当か……!?」
と言った。それから、
「ひょっとすると、それ、数年前に大阪で起きた、“何人もの歩行者を巻き込んだ事故”のことか……?」
思いがけないことを聞いてきた。自分は、
「ええ!? それが少年の話とどう関係するんですか……!?」
つい聞いてしまった。彼は、
「実はな、女性も会話が出来るようになったきっかけが、先の“事故”でね……。そして、少年と出会ってることも週刊誌に語ってたな。その時、少年の話も載っていた。だから、君の話を聞いてピンときたわけだ」
淡々と答えた。自分は、
「そうだったんですか……」
そう言った。彼は、
「あ、その時の週刊誌見てなかったんだ」
と言ったあと、
「それじゃ、実際に幽霊と話した経験があれば、私に話してほしい。君の“能力”に興味を持ってね……。恐らく、君の話したことは本当だろう。ただその前に、写真を撮らせてくれないかな?」
こう問いかけた。自分は、
「いいですけど……」
と言った。それを聞いた彼は、軽く一礼したあと、カバンの中からカメラを取り出して、辺りを撮影し始めた。カメラだけでなく、スマホでも同じように撮影していた。すると、スマホを自分の目の前に差し出しながら、
「これだけど、何か妙なものが映ってるのだが、何かね?」
こう聞いてきた。自分は、彼のスマホを手に取って、その画面をじっと見つめながら、
「……これは、女性の幽霊ですね……。しかも、何か悲しげな表情を浮かべてます。自分が思うには、以前ここに住んで、何らかの事件かなにかに巻き込まれたんじゃないか、って……」
このように伝え、スマホを返した。その話を聞いた彼は、
「……本当か!? 私も何かの幽霊だとは感じてたが、ぼんやりとしたものとしか認識出来なかったな……」
感心しきりの表情を浮かべながら言った。そして、
「いや、このアパートは昭和の雰囲気と幽霊がものすごくマッチしてるね。是非SNSで発信したいものだ」
そう言いながら、スマホをいじっていた。恐らく、この部屋の様子を何かのSNSに書き込んでいるのだろうと思っていると、彼が、
「君には本当に感謝したい。これでいい写真が撮影出来たからね。幽霊の話もよかったし、また出会う機会があれば、君が幽霊と共に生活するシーンでも撮影してみたいものだな」
と言った。思わぬ話に自分は頭をさすりながら考え込んだ。そうしていると彼は、
「ちょっとお邪魔してすまなかったね。改めて協力してくれてありがとう」
そう言ったあと、アパートを出ていった。その後に自分のスマホを確認すると、すでにお昼に突入していた。どうしようか考えていたが、早めに出かけることにした。あのカメラマンには聞きたいことがあったのだが、突然帰ってしまったために言えずじまいになった。改めて自分なりに考えようとしたが、考えがまとまらないと思い、ならばと買い物ついでに外で昼飯を取ることにした。
「どこで食べようかな……」
そんなことで悩んでいたところ、
「何をやってるんだ、トオル」
一人の若者が、自分の肩を叩きながら言った。
「しばらくだね、ベイゼル」
ベイゼル……、彼は自分の高校時代の友人であり、成績は優秀な留学生であった。今は大学に進学しており、そこでも優秀な成績を上げている。そのため、奨学金などで学費に困ることがなく、最近では、「“ちょっとした研究”を行っている」という話をメールで送ってきている。その内容についてはメールでは語っていなかったが、実は高校時代、自分と彼は幽霊について、幾度か夜通しで語ったことがある。高校を卒業後にも1、2回は同じように過ごした。自分やカメラマンほどではないが、彼も幽霊には興味があり、自分の特質を理解してくれる数少ない友人である。ちなみに日本語はけっこう達者で、不勉強な人ではかなわないほどである。そんな中、数ヵ月ぶりに出会った彼は、以前語り合った時よりも、一回り成長した感じが見て取れた。そんな彼は、
「せっかくだから、そこの店に入ろうか」
と言いながら、近くの食堂を指差した。自分も何も言わず、ただ一度だけうなずいた。
「それじゃ、決まりだね」
二人でそこの食堂に向かった。
午後の1時を回ってはいたが、食堂の中は相変わらずお客さんで一杯だった。空いていた奥の席に座った自分たちは、注文を終えたあと、互いに水を飲み、一息落ち着かせた。そしておもむろにベイゼルが、
「そういえば、今何をやってるんだ? トオル」
こう話しかけた。自分は、
「まあ、今はぼちぼち、っていったところかな」
とりあえず、当たり障りのない感じで答えたが、前日からの出来事について、彼に話そうかどうか悩んでいた。そんな自分の様子を知らない彼は、
「そうか……」
ただうなずきながら言った。それから何かを話そうとした時、自分は何かを思い出した感じで、
「あ、そうそう、自分は春に引っ越ししたんだ」
と言った。すると彼は、
「本当か? 前住んでたところで気に入らなかったところでもあったのか?」
こう問いかけた。自分は、
「いやいや、そういうんじゃないんだけど……」
右手を横に振りながら否定した。それから、
「まあ、色々事情があってね……。それはそうと、今住んでるところは、何度も幽霊を見かけるし、仕事場に近くて家賃も安いから、悪くないよ。あれだったら場所教えるよ」
と言いながら、ベイゼルにアパートの名前と、最寄りのコンビニを伝えた。それを聞いた彼は、
「それだったら、トオルの家に寄ろうか。ついでだから」
自分に打診してきた。自分は、
「ウーン、今日は夕方から仕事があるけど……。少しぐらいなら時間はあるか」
そう答えた。その直後、
「日替わり定食です」
注文した日替わり定食がきた。二人はそれを食べ始めた。その最中ベイゼルが、
「なあ、さっき『幽霊を見かけた』と言ってたけど、それって本当か……?」
こう質問した。自分は、
「そうだけど」
と答えたあと、
「昨日なんだけどさ、実はね、ある殺された女性の幽霊と実際に出会って一日を過ごしたんだ……」
小さな声で彼に伝えた。すると彼は、
「……それ本当か……!?」
驚きのあまり、立ち上がって叫んだ。周りがざわつくのが目についた自分は、
「あ、あの……、ベイゼル、ちょっと落ち着いて」
彼の右腕を握って言った。それから、
「詳しいことは自分の家で話すから、早く昼飯を食べよう」
と伝えた。彼も納得したのか、再びイスに座ったあと、日替わり定食を食べ始めた。そして10分ぐらいで食べ終わったあと、食堂を後にして、二人で自分の家に向かった。
「ここが自分の住んでるアパートだよ」
と言いながら、203号室の玄関の鍵を開けた。そしてベイゼルに、
「入って」
と伝えて、先に中に入った。すぐに彼も入ったのを確認して、ドアを閉めた。
「今日はあまり時間が無いから、踏み込んだ話は出来ないけど、それでもいい?」
彼にこう打診した。彼は、
「わかった。トオルが休みの時に話をじっくり聞くことにしよう。いつが休みか、後でいいからメールで知らせてね」
こう答えた。自分は、
「ああ」
と言ったあと、
「さっき食堂で話したことなんだけど……」
こう言いながら物置部屋に入って、一冊のノートを取って、彼のいるリビングに戻った。それから、ノートを彼の目の前に差し出して、
「これが前日に一緒に過ごしたという証拠だよ」
こう言って、彼にノートを手渡した。彼はそれを手に取って、最初のページから読み始めた。
読み始めてから10分ほどたったあと、ベイゼルがなぜか考え込み始めた。そしてしばらくして、
「なあ、この“ミカ”っていう人、誰なんだ?」
こう問いかけた。自分は、
「ええと、一応27歳のOLで、会社では係長をつとめていた、リーダー的存在の女性だったんだ、生前はね……」
と答えた。彼は特に変わった様子もなく、
「なるほどね、それがトオルが昨日一緒に過ごしたという女性の幽霊、ってわけか……」
淡々と話した。自分は、
「ああ、それとついでにね、今朝ミカさんの妹というレイカさんに会って、ミカさんのことについて、色々と話したんだ。もうひとつ、今自分が住んでるここは以前、ミカさんやレイカさんが住んでたこともわかったんだ」
付け加えるように語った。その話を聞いた彼は、何度も首をかしげながら、
「ひょっとして、それ本当?」
こう問いかけた。自分は、
「なんで!? そのノートもレイカさんが『姉さんの筆跡だ』って言ってたし……」
いぶかしげに答えたが、話を続けようとした時、急にベイゼルが顔色を変えて、
「トオルがいうレイカって、確か数日前に、関東のある大手企業のオフィスで毒殺された女性のことだよ。しかも、彼女の両親は、葬式や司法解剖を拒んでるというので連日話題になってるし……。だから、そのレイカというのは違う人のことでは……」
こんなことを口にした。その話を聞いた自分は、ただその場に立ち尽くすだけだった。
「ちょっとトオル、どうしたんだ!?」
あれからしばらくたっていたのだろうか、ベイゼルが声をあげながら自分の体を揺さぶるのを感じた。
「あ、ああ……」
ただ言葉にならない声を発した自分を見かねたのか、
「ああよかった……。トオルがその場で気絶した時はどうしようかと思って……」
こんなことを話した。その話を聞いた自分は、
「ええ!? どれだけ気絶してたの!? 自分……」
ただ驚くほかなかった。彼は、
「ウーン、15分ほどかな……」
スマホを見ながら答えた。自分は、
「ごめんね……」
軽く彼に謝ったあと、
「今日はここまでにしてほしい。ちょっと気持ちの整理がつかなくて……。今度ゆっくり話そう」
こう伝えた。彼は、
「わかった」
と答えたあと、
「ひとつだけいいかな?」
自分に聞いてきた。
「どうしたの? 急に」
首をかしげながら聞き返した。すると彼は、
「このノート、ちょっと借りてもいい? すぐに戻って返すから」
こんなことを頼んできた。自分はしばらく考え込んだあと、
「わかったよ。そのかわり、ちゃんとすぐに返してね。自分にとって大切なノートだからね」
こう答えた。彼は、
「ありがとう。すぐに戻ってくるよ」
と言いながら、例のノートを持って、一旦203号室を後にした。
それから20分後、ドアホンが鳴って、
「トオル、戻ってきたよ」
ベイゼルが戻ってきた。右腕にノートと、ノートのページをコピーしたと思われる紙を持って、家に上がり込んだ。
「ありがとう、トオル。ちゃんとノートは返したよ」
と言いながら、ノートを自分に手渡した。自分がノートを受け取ったのを見届けた彼は、
「このノート、色々参考になる内容だと思って、コピーしたんだ。これを見ると、とてもトオルが言ってたことがうそだとは思えないからね……」
こんなことを口にした。そして、
「それと、来月の休みがわかったら教えてくれるかな? 休みが重なった日に、ここでミカたちのことについて話そうか」
と言った。自分は、
「ええ。出来ればどちらかを呼んでね」
迷いなく答えた。それを聞いた彼は、
「そうだね」
と言ったあと、
「今度また、ここで会おう」
そう言い残して、アパートを後にした。
ベイゼルが帰ったあと、自分はしばらく考え込んだ。というよりも、急にどうしていいのかわからなくなっていた。彼が言っていたことを確認すべく、スマホでニュースを見ると、確かにレイカさんは「殺されていた」。ただあくまで、彼女が亡くなるまでの状況や、病院での検査などをもとにした、警察による推測の段階であったのだが、彼女が病気によって突然死するとは極めて考えにくい状況でもあった。そのため、警察も殺人を中心に捜査を始めていた。しかし、どこで毒物が混入されたのかがわからない上に、確実な証拠が無いというまさにミステリー小説さながらの事件ということで、日本中が騒然としていた。数分後、スマホに新たなニュースが入って、『レイカさんの両親が彼女を警察に引き渡した』ことが伝えられた。さらに『ミカとレイカの二人の娘の無念を晴らしてほしい』という両親の思いも書かれていた。そこで、ハッキリと“ミカさんとレイカさんが姉妹であった”ことが判明した。
「レイカさん……」
その事実を知った自分は、ただ下をうつむいて、涙するほかなかった。彼女本人に対して、そして、何もやれないことに対し……
その日の夕方、倉庫へバイトに向かった自分だが、いつもと違い、作業が手につかなかった。日勤のメンバーからも、
「どうしたんだ? いつものお前らしくないな」
そう心配されたほど、動きがよくなかった。
「まあ、ちょっと体調が……。悪いというほどじゃないですけど」
言葉を濁す感じで話すほかなかった。さすがにレイカさんのことを話すと、「病院に行った方がいいぞ」などと言われるだけで、信じてもらえないのは目に見えている。とりあえず、後半は何とか持ち直す形で、目立ったミスもなく仕事を終えることは出来た。その後、買い物を終えた自分は、レイカさんのことが頭から離れず、帰り際に雨が降りだしたことにも気づかないほどであった。今にして思えば、よく事故やトラブルにあわなかったな、という状況であった。結局その日は、帰ったあとに晩飯も食べず、風呂に入っただけで、そのまま眠りにつくことになった。玄関の鍵をかけていなかったことにも気づかないまま……
「起きて、ねえ起きて!」
誰かはわからないが、若い女性の声が耳に入った。
「ねえ、どうしてここから逃げないの!?」
何か大きく揺さぶられる感じがしたために、いきなり目が覚めた。そして、
「はぁ? 『逃げる』ってどういうこと……??」
いきなり起こされた上に、寝ぼけまなこの状況のため、何がなんだかさっぱりわからなかった。辺りを見回したが、電気を消していたために、女性と思われる人の姿は見えなかった。そこで電気をつけようと立ち上がって歩き出した時、
「わ、冷たい! 何するんだよ、いきなり……」
突然水をかけられた。すると、一人の女性がタオルを持って自分のもとに近づき、
「ごめんなさい……。あなたに水をかけて……」
そう言いながら、自分の体をふいた。訳がわからないまま話だけが進む状況に自分は、
「あの……、いったい何があったんですか……?」
少しいらだちながら、女性に問いかけた。すると彼女はいきなり自分に抱きつき、
「よかった……。あなたが火事に巻き込まれなくて……」
こんなことを口にした。そして、
「さっき玄関の前で何かが燃えてたの。あなたの家のドアの鍵が開いてたから、火を消すためにキッチンを使わせてもらったわ」
と言って、自分に外に出るようなしぐさを行った。それにこたえるように、懐中電灯を持って玄関を出てみると、真っ黒になった壁が目に飛び込んだ。自分は思わず言葉を失った。女性は、
「でもあなたは、アタシが何度も起こしても、全然起きてくれなかったから、本当にどうなってしまうのかと……。鍵が開いてたからまだよかったけど……。いったいあなた、何を考えてるの!?」
こう言いながら、自分に詰め寄った。
「ちょっと、いきなりそんなことを言われましても……」
自分は、ただただ困惑するしかなかった。そんな自分をよそに、彼女は隣の部屋の鍵を開けながら、
「そういえば、あなた誰なの?」
名前を聞いてきた。自分は、
「ええと、トオル、と言います」
と答えた。すると彼女の表情が変わり、
「ええ!? あなたがトオルちゃん!?」
驚きながらこちらを振り向いたあと、
「アタシはアリサ。昨日、いやおとといのトオルちゃんのメールを見てびっくりしたわ。あなたがアタシの隣の家にいるってことに」
改めて、自分に名刺を渡しながら話した。それから、
「でも、あなたまで失わなくてよかったわ……。そこの部屋の犠牲者がこれ以上増えてほしくないし、それに、ミカさんの『命の恩人』を助け出せて」
こう話すと、いきなり自分を抱き締めた。しかも、その目には涙が浮かんでいた。そんな状況で自分は、
「あの、アリサさん……、先程『犠牲者』がどうとか、そういったことを言ってましてけど……」
疑問に思ったことを口にした。するとアリサさんは、抱き締めていた両手を、自分の両方の肩の上に乗せながら、
「トオルちゃん、そこはそういうことを聞くところじゃないでしょう……」
半ばあきれる感じで言ったあと、
「今時間は大丈夫?」
と自分に聞いてきた。自分は、
「今日バイトがあるから、寝ないといけないですけど……」
と答えた。彼女は、
「ごめんね。転けそうになった弾みで、あなたに水をかけたりして……。だけど、トオルちゃんにとってとても大切な話があるから聞いて」
軽く謝ったあと、急に真顔になって頼んできた。眠たい状況であったのだが、『大切な話』ということで、聞かないわけにはいかなかった。そして、ここでアリサさんが話したことは、日本中、いや、世界を驚かせる内容であった。
「……レイカさんが……」
何かを話そうとした時、慌てたアリサさんがとっさに自分の口をふさいだ。
「トオルちゃん、うれしい気持ちは十分わかるわ。アタシだって、あなたと同じ気持ちよ。だけど今は深夜よ。大きい声を出したら、近所迷惑になるでしょう」
そう伝えたあと、
「トオルちゃん、一旦アタシの部屋に入って」
自分に彼女の部屋の中に入るようにすすめた。自分は、
「わかりました、アリサさん。ですがその前に鍵を閉めますので、ちょっと待ってください」
と言ったあと、部屋に戻って鍵を取り、玄関の鍵を閉めた。その様子を確認したアリサさんは、
「それじゃ、アタシの部屋に入りましょう」
そう言いながら、彼女自身の部屋に入った。自分も入ろうとした時、ドアに書かれてある数字を見つめながら、
「自分の隣にアリサさんが住んでたとは……」
感心するようにつぶやいた。すると彼女が、
「トオルちゃん、何してるの? 早く入って」
自分をせかすように言った。自分は、
「わかりました。今入ります」
と言いながら、彼女の家-204号室-に入った。
「きれいな部屋ですね。アリサさんと同じで……」
辺りを見渡した自分は、感心しきりであった。アリサさんは、
「ありがとう、トオルちゃん。だけど、何も出ないわよ」
笑顔でそう言いながら、ハイヒールを脱いで部屋に上がった。自分も彼女の後に続くように、靴を脱いで上がった。壁にかけてあった時計にチラッと目をやると、2時半を過ぎていた。
「あの、アリサさん、今日自分バイトがあるから、手短に出来ますか……?」
そう彼女に頼んだ。すると彼女は、
「わかったわ。今そっちに行くから」
と言って、自分のいるリビングに向かった。改めてアリサさんを見つめると、美しい女性であることを実感した。ミカさんがリーダーとしての風格を感じさせる『かっこいい』女性に対して、アリサさんは夜の仕事、ホステスとかをしている関係上、ああいう衣装になっているのだろうけど、気品を感じる出で立ちがする『りりしい』女性に感じられた。すぐに話が始まると思いきや、彼女は、
「ちょっと待って、トオルちゃん、すぐ終わらせるから」
と言いながら、何もはかずに玄関を出た。しばらくして戻った時、スーツを両手で持って見ながら、
「あーあ、せっかくのスーツ、ダメになっちゃったわ……。けど仕方がないわね。これでトオルちゃんを助けられたし、財布なども燃えてなかったから、よしとしなければね……」
そう言ったあと、所々燃えた跡があるスーツを玄関に置いた。それからその場で一旦座り込み、そばにあったタオルで、彼女がはいている、何かの模様がデザインされたラメ入りのタイツの足の部分をふいた。そして、そのタオルを風呂場に投げ入れたあと、台所に向かった。
「ごめんね、トオルちゃん。今から伝えるから」
と言いながら、自分がいる台所のイスに座った。そして深呼吸をしながら、
「改めて伝えるけど、昨日の夜、『司法解剖が行われる直前に、女性が意識を取り戻した』ということで騒然となってたわ。そしてその女性が、数日前にオフィスで毒殺されたというレイカだったの」
こう話した。その話を聞いた自分は、
「……それでアリサさんも、部屋に入る前に、『うれしい』って言ってたわけですね?」
彼女に問い返した。すると彼女は、自分の手を握りながら、
「そうよ。こんな“奇跡”って、本当に起きるとは思わなかったわ。アタシの大切な人が生き返ったのよ」
と答えた。笑みを浮かべた彼女の目には涙があふれて、いつしかほおをつたって、次々とこぼれ落ちていった。それにつられたかのように、自分の顔からも喜びの涙が流れていた。そして、いつの間にか自分とアリサさんは、喜びのあまり二人で抱き合っていた。
数分後、アリサさんが時計を確認すると、
「あら、もうこんな時間なの……」
と言いながら、自分のもとから離れた。そして、
「トオルちゃん、時間を取って悪かったわね」
そう言ったあと、冷蔵庫を開けて、彼女の手作りと思われるジュースを取り出した。それをコップに注いだあと、
「トオルちゃん、隣まで送ってあげるから、昼間に話そう」
ジュースの入ったコップを持ちながら、自分と一緒に玄関へ向かった。そして203号室に入ろうとした時、自分は、
「あの、ひとつ聞きたいことがあるんですけど……」
と言った。彼女は、
「ちょっと、寝なくて大丈夫なの!? 後でメールとかでも送ってくれれば、ちゃんと答えるから」
いぶかしげに言った。それでも、
「どうしても聞きたいんです」
彼女に頼み込んだ。すると彼女も、
「わかったわ。そのかわり、あなたが体調を崩しても責任は取れないわよ」
しぶしぶ、といった感じで頼みを受け入れた。それを聞いた自分は、
「あの、アリサさんって、今やってる仕事、どうなのですか?」
早速彼女に問いかけた。すると彼女は、驚いた表情を浮かべた。“今そんなことを聞くの!?”といった感じで、自分を見つめていた。それでも、
「一言でいうと、“充実してて、誇りに思ってる”わ。他の女の子に関しては、それぞれに色々事情があって、アタシからは何とも言えないところがあるけど、少なくともアタシは誇りを感じてるわね。まあ、履歴書には書けないかも知れないけど」
こう答えたあと、
「アタシが今してる仕事は、キャバクラガールやホステスなんだけど、アタシ自身は、今の仕事を『ナイトカウンセラー』と考えてるの。そう、アタシの店に来る男性たちの話やグチを聞くことで、彼らの不安やストレスを軽くしてあげたり、活力を与えてあげたり……。アタシ自身、話は非常に好きだから、そういったことが“つらい”とか、“ストレスがたまる”なんて思ったことはないし、それに、色んな立場の男性が訪れるから、アタシも色々と“人生の参考書”みたいに知識を学べたり、色々な情報を仕入れたりすることが出来るの。だからいうなれば、『ナイトサポーター』や、アタシにとっての『生きた夜の授業』という面もあるかなって……。それに、色々アタシにプレゼントしてくれることもあったり……」
と言いながら、いかにも高価なペンダントを自分に見せた。それを見た自分は、
「すごいですね……」
ただ感心するほかなかった。彼女は、
「それでも、さすがにトオルちゃんのような、『幽霊と交際出来る』なんて、アニメとかにしか出ないような奇特な人はこれまでにはいなかったわ。しかも、アタシの部屋のすぐ隣のいわゆる『呪われた部屋』に住んでるなんて……。あなたからおととい送られたメールに、部屋の番号は書いてなかったから、まさかとは思ったけど……」
こんなことを口にした。自分は、
「……気づいてたんですか……!? そういうことに……」
驚きのあまり、声をあげてしまった。すぐに彼女が、
「静かにして。周りの人が目を覚ますでしょう」
首を横に振りながら、自分の口をふさいだ。自分は、
「すみません……」
彼女に謝った。すると彼女は、
「謝らなくていいわよ、トオルちゃん。これから気をつけていけばいいから」
笑顔でこう話した。そして、
「もう寝ましょう、トオルちゃん。また話は聞いてあげるから。よかったら、アタシが休みの時とか、部屋をたずねてもいいから。来る時には電話やメールで知らせて」
こんなことを自分に伝えた。それを聞いた自分は、
「わかりました、アリサさん。お休みなさい」
と言って、自分の部屋に入ろうとしたが、偶然彼女の足元にあったコップが倒れているのを発見した。そして彼女を見ると、スカートやタイツが何かで濡れていた。
「あの、アリサさん……」
その声を耳にした彼女は、
「トオルちゃん、まだ寝ないの!?」
若干いらだった感じで自分に言った。それでも自分は、
「スカートやタイツ、何かで濡れてますよ……」
彼女にこう伝えた。すると彼女は、
「やだ、せっかく新調したばかりのスカートが……。それにお気に入りの網タイツまで……。これじゃシミが出来てしまうわ……。アタシいつジュースをこぼしたの……!?」
困惑した表情を浮かべながら、頭を抱えていた。
「ごめんね、こんな恥ずかしいところを見せてしまって……。アタシね、たまにこんなドジをやってしまうの……。常に気をつけてはいるんだけど……」
そう言って、ポケットからハンカチを取り出したあと、急いでスカートとタイツをふいた。それから、
「これから、夕方に仕事に出る前に、アタシがあなたの部屋のドアホンを鳴らす時があるけど、その時部屋にいたら、アタシと一緒に部屋を確認して。実は一度、確認不足が原因でボヤ騒ぎを起こしたことがあるの。だからお願い」
自分に頼んできた。自分も、
「わかりました、アリサさん」
とうなずいた。それから、
「お休みなさい、アリサさん」
そう言いながら、部屋のドアを開けた。彼女も、
「お休み。そしてありがとう、トオルちゃん」
笑顔でそう言って、204号室に入っていった。それを見届けた自分も部屋に入り、ほどなく眠りについた。
「何か変な感じだな……。体がだるい……。熱もあるみたい」
どうやら、風邪をひいたようだ。ふとんから出て体温計を取りにいったあと、体温計を左の脇に差した。それから、スマホをチェックした自分は、改めて「レイカさんが生き返った」ことの反響の大きさを実感した。彼女が生き返った瞬間から取材が殺到し、そのニュースが世界中を駆け巡ったのだ。
「よかった……。またレイカさんに会えるんだ……」
そう思った自分ではあったが、「ピー」と音が鳴り、体温計を確認すると、37.5度と表示されていた。
「……これじゃ、アリサさんに怒られるよ……」
ため息をつきながら、体温計を直した。そして、冷蔵庫から冷凍食品を取り出したあと、フライパンで炒めて皿に入れ、ご飯をついでから、朝飯を取った。そして、着替えたあとマスクをして家を出た。時刻は8時を過ぎたところだが、早目に出て薬を買った方がいいと判断したからだ。ただし自転車は押しながら、歩いてバイト先に向かった。別のコンビニで薬を買ったあと、バイト先のコンビニに入ったのは、8時40分を過ぎたあたりであった。
「おはようございます」
店員にあいさつをした自分であったが、すぐには気づかれなかった。というのも、店員とお客さん、あるいはお客さん同士で話が弾むほど、例の話題で持ちきりだったからだ。店員の一人が自分に気づいて、
「あ、おはよう、トオル」
自分に声をかけた。
「おはよう、ジュンジ」
ジュンジという名の店員にあいさつを返した。自分がマスクをしていることに気づいたジュンジは、
「どうしたんだ、トオル? 体調でも悪いんか?」
心配そうに聞いた。自分は、
「ああ、ちょっとだるくて熱も出て……。せきは出てないけど」
こう答えた。すると彼は、
「無理はするなよ。悪くなったら、早目に店長に声をかけた方がいいぞ」
そう言って、レジを離れてから、近くの棚の品物を整理した。自分は、すぐにスタッフルームに入り、マスクを外してユニフォームに着替えたあと、もう一人の男性と交代でレジ前に立った。直後に、その深夜担当の男性がスタッフルームから出て、あいさつを交わしたあと、店を後にした。
それから1時間ほどがたったあと、一旦お客さんがいなくなったところで、ジュンジが、
「なあ、トオル、『殺された女性が生き返った』って、お前はどう思う?」
ふいにこんなことを聞き出した。自分はレイカさんに昨日実際にお会いしたから、レイカさんが生き返った理由について、心当たりがあるのだが、それをジュンジに話したところで、信じないことは容易に想像がついた。ましてや、幽霊は嫌いなために、下手をするとケンカにまで発展しかねないからだ。そういうわけで自分も、
「本当にすごい話だと思ったよ。あんな“奇跡”が実際に起きるなんてね……」
とりあえず、当たり障りのない答えで、はぐらかす形になった。その答えを聞いたジュンジは、
「そうだろう、そうだろう」
と言ったあと、
「何か一部で『幽霊が関わってる』とか言い出す連中が増えてさ、本当に何考えてるんだよって思ったよ、おれは」
こんなことを口にした。これに対し自分は、どう答えていいのか迷ってしまった。その様子を見た彼は、
「何だお前、まさか『幽霊が彼女を生き返らせた』と思っているんじゃないだろうね……!?」
いぶかしげに聞いた。自分は、
「いや、そういうわけではないんだけど……」
言葉を濁したあと、
「ちょっとトイレに行ってもいい?」
と彼に聞いた。
「ああ」
彼がそう答えると、そのままレジ裏から入り、スタッフルームでスマホを持ったあとトイレに向かった。どうやら、お腹の調子が悪くなったようだ。
トイレに入って、スマホでニュースをチェックすると、
『生き返った女性、奇跡的に後遺症無し』
という見出しが載っていた。その内容に目を通した自分は、喜びのあまり、思わず涙を流していた。その直後、一通のメールが入ってきた。レイカさんからのメールだった。そのメールを開くと、こんなことが書かれていた。
-トオルさん、私をこの世に連れ戻してくれて、ただただ、感謝の気持ちで一杯です。あの時、『実体化した幽霊と付き合える』という、他にはない能力をお持ちのあなたに、姉さん共々お会い出来たというのは、何かのご縁や、“見えない何かの意思”が働いてたと私自身、そう感じております。それとトオルさん、あなたのおかげで、“私自身がなすべきこと”が見つかりました。退院する前に必ずその内容を伝えます。それと、記者会見を開いて、ある“決断”を発表するしだいです。最後に、昨日私があなたの家を離れる前に伝えた言葉の意味、あなたならわかっていただけると信じてます。もっとも、一日前倒しになりましたけど……-
この内容に目を通した自分は、右手で小さくガッツポーズをした。しかしその直後、水が飛び散って、一部がユニフォームについてしまった。それを見た自分は、すぐにスマホを小物入れの中に置いたあと、トイレットペーパーを巻き取り、ユニフォームと便器の周りを急いでふいた。そして便器の中をのぞいてみると、水っぽい便がたくさん出ていた。どうやら、下痢を起こしていたようだ。なかなか下痢は止まらず、やっと止まった時には、トイレに入ってから10分が過ぎていた。その後、薬を飲んで表に出た時、
「遅いじゃないか、どうしたんだ? トオル」
ジュンジから突き上げられる口調で言われた。
「いや、ちょっと下痢を起こしてね……。今薬を飲んでるから、何とか持つと思うけど……」
そう言ったあと、レジの前に立った。その後、調子が悪いながらも、バイトの終了時間間際までは、何とか持ちこたえた。
昼過ぎ、ちらっと時計に目をやると、午後の3時になろうとしていた。あれから少し頭も痛くなり、また熱も上がったために、早退して病院に行こうとも考えたが、何とかなると思い、しばらく辛抱した。そんな時、スーツ姿をした女性が店内に入ってきた。
「いらっしゃいませ」
ジュンジが応対したが、彼女はそれに目もくれず、自分のところに向かった。
「あら、トオルちゃん、ここでバイトしてたの」
アリサさんであった。
「いらっしゃい、ませアリサさん……」
なぜか緊張した面持ちのまま、ぎこちないかけ声になってしまった。すると彼女は、
「どうしたの? トオルちゃん。アタシが何かあなたを緊張させることでもしたのかしら?」
首をかしげながら考え込んだ。その様子に気づいたジュンジが、
「ああ、彼はね、誰かと話す時、たまにこういった状況になるんだ。これでも、入った当初に比べれば、だいぶ話が出来るようになったけどね……。入った当初なんてひどかったよ。何せ彼の話を聞いても、何のことを言ってるのかわからないことが結構あってね。彼が入って10日ぐらいたった時かな、お客さんの一人が、『誰に何のことを伝えたいかがわからない』と言ってたの、今でも覚えてるよ。まあ、そんな悲惨な状況を知ってるから、今の彼が“成長したな”と思ってるけどね……」
フォローに入ってきたが、「フォローになってるのか?」という感じで、ため息をつきながら話を聞くばかりであった。そんな彼の話を聞いたアリサさんは、
「なるほどね、先輩がアタシにメールで伝えてた通りね……。これはやりがいがあるわ」
こんなことを口にした。自分は、
「“先輩”って、ミカさんのことですね?」
と聞いた。彼女は、
「そうよ」
こう答えた。そして、
「ところで、バイトはいつ終わるの?」
と聞いた。自分は、
「3時だから、もうすぐ終わります」
と答えた。すると彼女は、
「それじゃ、買い物が終わったら、外で待ってるわ」
そう言ったあと、店の中を回り始めた。自分たちの会話を間近で聞いていたジュンジは、
「おいトオル、あの女性、まさかお前の恋人じゃないだろうな……?」
小声で自分に問いかけた。自分は、
「いや、今住んでる自分ちの隣にいる人だよ」
と答えた。すると彼は、
「そうだよね、あんな美女がお前の恋人なわけないよな……。姉さんだったらまだしも……」
納得したように言った。
「あのね、ジュンジ……。そこまで言わなくても……」
ため息をつきながらつぶやいた。その時、急に頭が痛くなり、その場にうずくまった。
「お、おい、大丈夫か!?」
ジュンジが自分のもとに駆け寄った。そして、
「トオル、時間だぞ。早く帰って体調整えた方がいいぞ」
と、声をかけた。自分は、
「わかった。また明日ね」
そう言いながら、スタッフルームに入っていった。そしてユニフォームを脱いだあと、帰りのあいさつをかわしてスタッフルームを出た時、アリサさんと鉢合わせした。彼女は、
「トオルちゃん、バイト終わったのね。それじゃ、アタシと一緒に帰りましょう」
一緒に帰るように自分を誘った。
「そうですね」
すぐに快諾した。自分からすれば断る理由が無いし、それにアリサさんと一緒に帰れるなんてラッキーだと思っていた。ただ、体調を崩した点が少し気がかりではあったが……
コンビニを出たあと、二人で一緒に歩いていたが、帰りの途中で自分がお腹を押さえるのに気づいたアリサさんは、
「どうしたの? トオルちゃん」
心配そうに声をかけた。自分は、
「あ、いや、ちょっと体調を崩してね……」
小声で答えた。すると彼女は、
「もう、言わんこっちゃない。あの時早く寝なかったから、こうなったんでしょう……」
と言いながら、自分の額に手のひらをあてた。
「やだ、熱が出てるじゃない! 早く帰って休みなさいよ」
そう言ったあと、自分の代わりに自転車を押した。幸い、家まで自転車で2、3分の距離だったので、何とか辛抱して家にたどり着けた。家に着いて鍵を開けたあと、そのまま寝室で布団の中に倒れこんだ。すぐにスマホで倉庫の事務所に電話をかけ、「体調を崩して出られない」ことを伝えた。
「大丈夫? トオルちゃん」
アリサさんが、濡らしたタオルを自分の額に当ててくれた。
「ごめんなさい、迷惑をかけて」
彼女に謝った自分は、申し訳ない気持ちで一杯だった。
「いいのよ。困った時はお互い様でしょう? あなたは先輩のミカさんを助けてくれた優しい人なんだし、アタシも、今はあの世で見守っている先輩や、生き返ったレイカさんのために、あなたを助けてあげないと」
と言いながら、彼女は台所に向かった。そして、スポーツドリンクとおにぎりを持ってきて、寝床のそばに置いた。体温計を自分に手渡して、
「早く体温を測って」
そう言いながら、その場に座り込んだ。自分は体温計を脇に差したあと、アリサさんに
「あの、ひとつ聞いてもいいですか……?」
と言った。彼女は、
「どうしたの? 急に」
そう言いながら、自分のそばに近寄った。自分は、
「アリサさんって、夜に仕事してるんでしょう? どうして今スーツ姿なのかなって……」
彼女に疑問をぶつけてみた。彼女は、
「まあ、一言でいえば、『表敬訪問』かな」
こんな答えを返してきた。その言葉に自分は考え込み、
「『表敬訪問』って、どういうことなんですか?」
さらに聞いてみた。すると彼女はおもむろに立ち上がって、
「そうねえ、向こうからお誘いはあったのだけど、アタシ自身も一度訪ねて、お礼を述べておきたかったの。その方は、今アタシがやってるキャバクラガール、早い話キャバ嬢なんだけどね、その仕事を『ナイトカウンセラー』として、誇りに持てるきっかけを作ってくれたの」
窓から景色を眺めながら、話を始めた。さらに、
「その方は、小さな会社、いわゆる町工場の社長なんだけど、アタシの働いてるキャバクラに来た時は、本当に苦しい時期だったの。他の人が別の客と話すことで彼を避ける中で、アタシのところにまわってきたわ。その時は、入って1年たつ前だったんだけど、なかなか彼とは話が続かなかったわ。それでも、彼の話に真剣に耳を傾けることで、『アタシに出来ることがあれば』と思い、思いきってどんな状況か彼に聞いてみたの。こう見えてアタシ、簿記2級を含めたいくつかの資格を持ってるの。あと、財務関係には興味があってね」
こう話しながら、窓の前を行ったり来たりしていた。話を聞いた自分は、ふと疑問に感じ、
「え? それじゃ、なんで就職しなかったんですか!?」
彼女に問いかけた。すると、
「いや、高校を卒業したあと、一度就職はしたわ。だけど家庭の事情があって、やむなく会社を辞めることになったの。辞める直前、友人の代わりにキャバクラに1日だけ働いたことがあって、それがきっかけで、今の仕事につくことになったわけ。元々話が好きだったから、人気も徐々に上がってきたし、アタシ自身、『これが合うんじゃないか』って思っていた頃なの。そんな時に現れたのが、あの社長なの」
こんな答えが返ってきた。自分は、
「そうだったんですか……。アリサさんにも、そういったことがあったんですね」
と、感心しながら言った。
「それじゃ、話を進めるわよ」
彼女はひとつ間を置いたあと、再び話を始めた。
「あれから、その社長とは何度かお会いしたわ。だけど、『会社が危機的状況』だと知ってたアタシは、彼からお金をもらうわけにはいかないと思ったの。そこで当時の店長から許可をもらって、彼の分はアタシの給料から引くことにして、出来る限り話を聞いてあげることにしたの。そして、彼を励ましつつ、昼間に勉強して自分なりのプランを出したりもしたわ」
そう言ったあと、一旦話を止め、
「ちょっと飲み物をもらってもいいかしら?」
こう聞いてきた。自分は、
「冷蔵庫に麦茶やジュースが入ってますから、飲みたいものがあれば、棚の中にあるコップを取ってついでください」
そう答えた。すると彼女は、
「ありがとう」
軽くお礼をしたあと、台所に向かった。体温計を差したことを忘れていた自分は、改めて体温を測りなおした。音が鳴ったあと、体温計を確認すると、38度と表示されていた。何気なく窓を眺めると、いつの間にか雨が降り始めていた。
「雨が降り始めたわね……」
そう言いながら、アリサさんが外を眺めていると、
「ねえトオルちゃん、アパートの周りでスマホを持ってる人たちが何人もいるけど、心当たりはない?」
こんなことを聞いた。自分は首をかしげながら、
「さあ、なんでだろうね……」
こう答えた。すると彼女は、
「わかったわ。それじゃ、続きを話すわね」
そう言ったあと、その場に座り込んだ。
「あれからしばらくして、あの社長の会社は何とか立ち直ったわ。そして数ヵ月ぶりに来店した時に、彼がお礼をしてくれたの。実はその時に受け取った品が、深夜にあなたに見せたペンダントなの。そしてもうひとつ、直筆の手紙もね」
アリサさんはそう話すと、スーツのポケットから、一枚の紙を取り出した。それから、
「これは、アタシがその人からもらった手紙のコピーなの。その中でも、特にアタシが励まされた一枚よ。その一枚で、本格的に今の道を進むことになったの。よかったら、トオルちゃんも読んでみて。ちなみに、手紙はアタシの一生の宝物として、大切に保存してるの。あとね、手紙をコピーしたものは、肌身離さず持ってるわ。アタシの“道しるべ”みたいなもの、としてね」
そう言ったあと、その紙を自分に手渡した。自分はそれを受けとると、じっくり目を通した。するとそこには、
-個人的な話ではありますが、私の現在の妻も、結婚前は君と同じように、キャバクラ嬢をしておりました。『店に来てくれた男に、癒しと活力を与える』というのが、当時の彼女の口癖でした。彼女はそう言って何人もの男性を励まし、幸せにしてきました。私自身もその一人です。君に何度かお会いした時、昔の妻の姿を思い出したしだいであります。私の会社に来ていただけないのは残念ではありますが、君には、私の妻と同じように、人を幸せにする才能が感じられます。これから、どんな道を歩むことになっても、そのことを忘れないでほしい、そう願っております。もし、私の妻と同じように結婚するまで、またはそれ以降もキャバクラ嬢を続けるのであれば、君には『ナイトカウンセラー』として妻と同じように、いや、それ以上に人を幸せにしてほしい……、それが私の正直な気持ちです。余談ではありますが、君のことを妻に話すと、彼女も「君のことを応援する」と言っておりました。そして、「君に会って話がしたい」とも……。機会がございましたら、一度ゆっくりとお話を交えたいと思っております-
このような文章が書かれていた。
「アリサさんって、すごい人なんですね……」
自分は、ただ感心するほかなかった。アリサさんは、
「その手紙に書かれていた『ナイトカウンセラー』という言葉、これが私の心に響いたわ。アタシ自身人と話すのは好きだけど、あの時のアタシにはそんな考えはなかったわ。実は、『これが合うんじゃないか』という気持ちと同時に、不安が生まれていたの。キャバ嬢をしてたことを知った家族や親戚、知り合いが反対してきたわ。そんな状況で社長からもらったその手紙が、アタシに自信を与えてくれたの。それ以来、アタシも色々な男性を励まし、生きる力を与えることで、今の仕事に深い誇りを持てるようになったわ。だからアタシは、少なくとも結婚するまでは、キャバ嬢を続けようと思ってるの。履歴書になんて書けなくてもいいわ。アタシの店に来る人たちを癒し励まし、同時にもっと多くのことを学べる、それで幸せになる人が増える。それを続けることで逆に今度はこっちが励まされる。それが続いて充実している実感を得ることにもつながったわね。だから今はこの仕事をやっててよかった、と思ってるわ。『幽霊と交際出来る』というあなたにも会えたし、色々な体験が出来て」
淡々と話した。その表情には、笑顔があふれていた。自分は、
「アリサさん……、本当にすごい人なんですね」
と言ったあと、
「ところで、表敬訪問はどうなりましたか?」
彼女に聞いてみた。すると彼女は、
「ええ、とてもいいものになったわ」
と答えた。そして、その時の様子を話し始めた。
「今日の昼間に、アタシが例の社長の会社に、手紙で励ましてくれたお礼と共に近況報告をするために伺ったわ。手紙をもらった時から2年あまりがたつけど、会社の経営はすごく好転していたみたいで、その時また『出来ればアタシの店から一人を営業担当として雇いたい』という話を持ちかけられたの。以前、アタシのいるキャバクラから、アタシが一人を選んで、その会社に就職させたの。その女の子は町工場に関心があったからね……。すると、職場の雰囲気がガラリと変わって、成績を上げる人がたくさん出たの。それがあって、アタシにまた依頼が入ってきたわけ。だから近いうちに、営業職を希望してる店の女の子に話を持ちかけるわ。出来れば、工場関連で働きたいという人がいいけどね……。それと、トオルちゃんのことを社長に話したら、すごく気に入ってたみたいね。彼自身、実際に幽霊を何度も見かけたことがあったみたいで、『ぜひとも話を聞いてみたい』と言ってたわ。最後に、アタシが選んだ本を10冊ほどプレゼントしたら、『ぜひ社員に読んでもらいたい』と。そして帰りに講演まで依頼されて……。アタシの中では話す内容は決まってるけど、さすがにそれはあなたにも言えないわ」
話が終わったと感じた自分は、
「その会社の社長って、幽霊が好きなんですね……。ジュンジとはえらい違いだね」
こんなことを口にした。彼女も同意見だったらしく、ただうなずいていた。そして今度は
「ところで、深夜の時とは装いが違いますよね?」
と聞いてみた。すると彼女は、
「当たり前でしょう。キャバクラじゃないし、いくら社長と親交が深いからって、あんな派手な衣装で表敬訪問なんて出来ないわ。アタシは女優や芸能人じゃないんだし……。だから、控えめにしてるの」
ため息をつきながら答えた。そして、
「だけど社員の人たちは、アタシのこのスーツ姿を見て、すごく感心してたわ。それに会社に顔を出してた社長の奥さんも、「あなたらしい気品がある装い」と評してたみたいね」
こう話した。改めてアリサさんの服装を眺めてみると、質のよいスーツとスカートを身にまとい、足元は、ラメが入った柄物のストッキングでかためてあった。確かに、彼女だからこその気品が感じられる、という装いではあったが、どちらかというと、セクシー系に近い感じが見てとれた。それと同時に、「“控えめ”っていうのかな?」とも感じた。そんな中、玄関のドアホンが鳴り、
「すみません、ちょっと中の写真を撮りたいんですけど、よろしいでしょうか……?」
という声が耳に入った。玄関に行こうとした自分を制するように、アリサさんが玄関に向かい、ドアを開けた。すると、彼女を一目見た誰かが、
「アリサさんですね!? あなたの活躍は、私たちの耳に届いてます。一度お会いしたかったです」
と言いながら、彼女のもとに近づいた。そして、
「あなたは私たちキャバクラ嬢の『誇り』です。ぜひ、私たちに男を元気づけるより良い方法を伝授してください」
そう言ったあと、その女性はアリサさんに色紙とマーカーを渡した。アリサさんは、驚いた表情でそれを受けとると、自分の名前のサインと『出来るだけ不安を取り除いてあげる』という言葉を書き、自分と同じキャバクラ嬢とおぼしき女性に返した。すると女性は一礼したあと、アリサさんをスマホで撮影して玄関を後にした。アリサさんは、「何をしに来たの?」という表情を浮かべていた。そして辺りを見渡すと、驚きの表情に変わっていった。その様子に疑問を感じた自分は、
「どうしたの? アリサさん……」
こう問いかけた。すると、
「アタシたちが帰った時より、人が増えてるわ。しかも、カメラを持ってる人も多いし……。トオルちゃん、本当に心当たりはないの!?」
逆に彼女に問い返された。しばらく考えた自分は、その理由を探ってみると、一人の男性にたどり着いた。
「そうだ、あのカメラマンだ」
布団から起き上がって、手を叩きながらこう叫んだ。彼女は、玄関のドアを閉めたあと、自分のそばに近づき、
「いきなりどうしたの? トオルちゃん。それに“カメラマン”っていったい誰!?」
少し心配そうに問いかけた。自分は、
「ええと、昨日のことかな……、午前中にレイカさんが自分の元を訪ねてきたあと、そのカメラマンの男性が来て、『家の中を撮影したい』と言い出したんです。なんでも、昭和の風景や光景を愛してるらしく、そういった写真を集めて、投稿してるみたいなんです。しかも、幽霊に興味を持つ人で、『自分の能力のことを知らせてほしい』とか言ってましたね。幽霊のことで話が合ってましたから。あとは“実際に幽霊が現れた”場所を集めるとかなんとかとも……。あ、『この家のことをSNSか動画サイトに投稿する』と言ってたから、ひょっとして……」
投稿の話を耳にした彼女は、すぐさまスマホで検索を始めた。そして、このアパートによく似た画像を発見したらしく、
「あったわ、トオルちゃん。これよこれ」
と、その画像を自分に見せた。
「間違いない、これだ」
何度もうなずいた。見出しには、『幽霊に“出会えた”という九州のアパート』と書かれていた。
「それであんなに人が来てたわけね」
彼女は、納得の表情を浮かべながらこう述べた。そしてスマホを直そうとした時、
「あら、もうこんな時間。急いで店にいかなくちゃ」
と言いながら立ち上がった。そして、
「ごめんね、トオルちゃん。今日は急ぎの用があって。早く体を治してね。鍵は早く閉めた方がいいわ」
そう言いながら、玄関に向かい、ハイヒールをはいた。自分は、
「ありがとう、アリサさん。お仕事頑張ってください」
と声をかけた。すると彼女も、
「ありがとう、トオルちゃん。お互い頑張りましょう」
笑顔でそう言いながら、部屋を後にした。自分もすぐに鍵を閉め、ゆっくり休むことにした。そして、バイト先で受信したレイカさんのメールにじっくりと目を通した。改めてそのメールの内容を自分なりに考えてみたが、どうにもピンと来なかった。レイカさんにメールを送ってみようかと考えていたその時、メールの受信音が鳴った。レイカさんからだった。
-トオルさん、あなたにお伝えしたいことがあります。“私がなすべきこと”についてです。それは「幽霊が相談出来る場所をつくる」ということです。実は私も、一度殺され、昨日生き返った時に、あなたほどではないですが、“幽霊が実体化して見える”という能力が身についていました。あなたには「幽霊と交際出来る」という才能をぜひ活かしてほしいと考えております。ですので、私と一緒に相談所を立ち上げてほしい、それが今の私の願いです-
このメールに目を通した自分は、思わず涙を流していた。いままで、そういった発想自体が無かったために、レイカさんのおかげで、自分も進むべき道が見えてきたことがまずひとつ。なにより、生き返ったレイカさんが、自分のことを理解して、必要としてくれていることがうれしかったからだ。そして、このメールをスマホ内の“とっておき”というフォルダに保存して、充電器をセットしたあと、そのまま眠りについた。こうして、幽霊をめぐる騒々しい3日間が終わりを告げた……
次の日、世界が度肝を抜くニュースが飛び込んできた。朝の9時過ぎに、レイカさんが入院している病院で記者会見が行われた際、彼女がこんな発言をした。
-私はしばらく前、オフィスで誰かに毒を飲まされて、いったんは命を落としました。ですが、姉のこともあって、死んでも死にきれなかった私は、幽霊となってさまよっていました。そんな中、姉が実際にお会いしたという少年が九州地方にいるというので、私もそちらに向かったしだいです。すると、その少年には、「幽霊を実体化させて付き合う」という能力が備わっていたようで、私も、「幽霊のまま彼の手の温もりを体感する」という経験をしました。その日の夜、両親が私の遺体を解剖に出したことがわかり、急ぎ私の遺体がある病院へ向かいました。そこで、今にも解剖が始まりそうになったその時、見えない力が働いたみたいで、いつの間にか意識を取り戻していました-
この発言が流れた瞬間、日本はもとより、世界中で騒然となった。よく臨死体験とかで、「亡くなった肉親の声が聴こえた」という話を耳にするが、このレイカさんの発言は到底そんな程度のレベルではなく、まるで「生きたまま幽霊になった」としか考えられないぐらい、ハッキリと、そして詳細に語られていた。まさに、“アニメやゲームの世界がそのまま現実になった”とでもいうべき現象が実際に起きたことになる。そしてさらに、会見では、このようなことも言っていた。
-それから、私の命を奪った犯人に伝えたいことがあります。もしも、私を殺したことを認めて出頭してきた場合、私自身は、その人を許します。もし可能ならば、一緒になることも検討しております-
この一連の発言については、賛否両論が巻き起こっており、今になるまで議論は続いている。ちなみに自分自身は、彼女のこれらの発言については、バイトから帰ってスマホでネットニュースを見た時にわかった。そして前日、彼女が自分にメールで伝えた“決断”の意味を知ることになった……。ただ、なぜかベイゼルからの連絡が無いことが気になってはいた。
翌日、どちらのバイトも休みだったので、8時過ぎに起きて、最近読み始めた新聞を取りに玄関に向かった。そして鍵を開けて新聞を取ったあと部屋に戻ろうとした時、いきなりアリサさんがパジャマ姿のまま駆け込んできた。
「大変なことになったわ、トオルちゃん」
そう言いながら、スマホを自分に見せた。それから、
「本当に大胆なことをしてくれたわね、レイカさんも。それでトオルちゃん、これからどうするの? 名前こそ言ってなかったけど、あなたが九州のどこかにいることはわかってるわ。近いうちに、あなたのところに取材がかならず来るわ。それに幽霊絡みならば、なおさらあなたを放っておくわけがないでしょう」
と言った。自分は、
「自分はしばらくは出ないつもりです。昨日レイカさんからメールが入って、『まだあなたのことは明かさない方がいい』と伝えてました。それと、『話してほしい時が来れば、かならずあなたに伝えます』とも……」
こう話した。すると彼女も
「そうね、アタシもそう思うわ。今あなたが出たところで、かえっておかしなことになるわね」
納得するように答えた。それから、
「アタシも出来る限り協力するわ。あなたも、自分のことを知ってる人に、あなたのことを話さないように伝えた方がいいわね。特に幽霊に関する性質を知ってる人ならばなおさらよ」
こんなことを伝えた。自分は、
「そうですね……」
と答えたあと、
「あ、急いでベイゼルに知らせないと。いずれ自分のことをSNSにのせると思うから、いや、すでにSNSにのせてる可能性が高いし……」
そう言いながら、自分のスマホを部屋に取りにいったあと、
-……いきなりで悪いんだけど、今は自分のことを話さないでほしい。もちろん、SNSなどで他人に知らせるのも遠慮してほしい。実はレイカさんが直々に自分にそう言ってきたんだ。もし“レイカさんが話してほしいと自分に伝えた”時が来れば、かならずそのことを伝えるから、それまでは辛坊してほしい。それと、レイカさんに頼んで、連絡先を伝えるから、それを待っててほしい-
こんな内容のメールを送った。すると彼女は、
「ねえ、トオルちゃん、“ベイゼル”って誰なの?」
と聞いてきた。自分は、
「彼はね、高校時代からの友人で、欧州からの留学生です。成績もよくて、自分と同じく幽霊に興味があって、自分のことを理解してくれる人で、何回も夜通しで“幽霊談義”を行ってるんです」
と答えた。彼女は感心しながら聞いていた。そして、
「あなたのことを理解してくれる人がいて、本当によかったわ。アタシも彼に会ってみたくなったわね。せっかくだから、アタシのアドレスを彼に伝えてあげて。悪いようにはしないから」
こんなことを話した。自分は、
「わかりました、アリサさん」
と言いながらスマホを取ろうとしたその時、受信音が鳴った。すぐにメールの確認をしたところ、
-わかったよ、トオル。実は昨日、数日前にコピーしたノートの内容をSNSにのせようかどうか、迷ってたところなんだ。連絡がなくてごめんね。そういう事情なら、トオルの言う通りにするよ。ぼくもレイカさんが生き返ったというニュースを聞いた時は、本当にうれしかったよ。だけど、レイカさんもすごいことを言ってるね……。それで、レイカさんの連絡先を伝えてくれるって本当? トオル……。それなら楽しみに待ってるよ-
こんなメールが送られてきた。もちろんベイゼルからだった。すぐに自分は、アリサさんのアドレスを付け加えた感謝のメールを彼に送った。そして直後にレイカさんに、彼のことを紹介したメールを、彼に連絡先を伝えてもいいかどうかという質問をつけて送った。
「これで大丈夫なの? トオルちゃん」
アリサさんが心配そうに問いかけた。
「え? “大丈夫”って……?」
自分は首をかしげながら聞き返した。すると彼女は、
「他にも伝えた方がいい人はいない? 例えば、家族や他の友人とか……」
自分にこう伝えた。それを聞いた自分は、すぐに考え始めた。家族はこの件では全く気にする必要が無いからいいとしても……、などと悩んでいると、ふとある男性のことを思い出した。
「そうだった、カメラマンを忘れてた」
思わず立ち上がりながら叫んだ。突然の自分の行動に、彼女は思わずのけぞった。それから立ち上がったあと、
「いきなりどうしたの!? トオルちゃん……」
少し困惑した表情を浮かべながら言った。それから、
「もしかして、“カメラマン”って、まさか……」
と言いながら、自分の方を向いた。自分は、
「そうです。おととい、アリサさんに話した人のことです。あの時、自分の名前やミカさんたちのことは話さなかったから、たぶん大丈夫とは思いますが……」
そう答えながらも、内心は気が気でなかった。しかし、下手に頼もうとすると、かえって自分のことがわかってしまう気がしたために、なかなかカメラマンに伝えることが出来ず、ただ話さないように信じる他になかった。そんな気持ちを察知したかのように、彼女も、
「そうね、アタシも自重した方がいいと思うわ」
と言ったあと、
「今日はアタシもキャバクラがおやすみだから、一緒に付き合ってあげるわ。それとその前に、ちょっと着替えていいかしら?」
こう聞いてきた。自分が、
「いいですよ」
うなずきながら答えたのを見た彼女は、
「すぐ戻ってくるから待ってて」
そう言ったあと、一旦家に戻っていった。しばらくして、メールの受信音が鳴った。レイカさんからのメールだった。
-トオルさん、紹介した人が、あなたと同じ幽霊に興味を持つ人ということが伝わりました……。それでしたら、喜んでベイゼルという方に連絡先を伝えます。それと、1週間後に退院しますので、それから近いうちに、あなたの家を訪ねます-
このメールを見た自分は、うれしいのと同時に、少し不安になった。というのも、レイカさんがこちらに来ることがわかると、取材陣が殺到するのが予想されるからだ。あれこれ考えていると、
「お待たせ、トオルちゃん」
アリサさんが戻ってきた。その格好を目にした自分は、
「あの、どこか出掛けるんですか?」
こう問いかけた。彼女は、
「いや、今日はどこにも出掛けないけど」
と言った。
出掛けないんだったら、普段着でいいのに……
自分は思わずそう感じてしまった。というのも、もうすぐ7月になろうかという時に、外に出掛けないのになぜかスーツ姿で(上着は脱いでいたが)、しかも薄手の黒のストッキングをはいていた。首をかしげながら、
「アリサさん……、どうしてスーツ姿なんですか……?」
と問いかけた。すると彼女は、
「ああ、この格好ね。まあ、一種の“職業病”っていうのかな……、これは。ほら、アタシキャバ嬢をしてるから、どうしてもおしゃれに気を使う必要があるでしょう? それに、結構外に出たりたまに別の仕事、例えば講演とか頼まれることがあるの。だから、いつ何があってもいいように、極力休みの日にもこんな格好をしてるわ。それにアタシ、こういった格好の方が好きだし、落ち着くの。さすがに暑い日とか、友達と遊ぶ時とかは、その時に合わせた格好をするけど」
外を眺めながらこう答えた。自分は、
「そうなんですか」
と言ったあと、
「さっきレイカさんからメールがきたんだけど、来週退院するらしいんだ。その後、自分のところに来ると……」
アリサさんに、レイカさんからのメールの内容を伝えた。すると彼女は、
「そうなの……。よかったわね、トオルちゃん。アタシもレイカさんに聞きたいことがあるから、レイカさんがあなたの家に訪ねる日がわかったら、すぐにアタシに教えて。もちろん、アタシとトオルちゃんとレイカさんの秘密よ。他の誰にも知らせない方がいいわ」
笑みを浮かべながら話した。自分は、
「わかりました、アリサさん」
と答えた。それからなぜか、
「あ、昨日すごい試合があったよ。もうね……」
という話を出した。さらに続けようとした時、
「はあ? “試合”って何!? 何でいきなり話が飛ぶわけ!? それに主語が無いから、何の話か全然わからないわ」
アリサさんは、あきれた表情を浮かべながら、このように言った。考えてみれば当然の話であるが、今でもこのような、突拍子もないこと、または全然関係ない話を言ったりすることがたまにある。自分では、話の内容をわかって言っているつもりでも、相手には全く通じないために、話がつながらないこともしばしばである。そんな中、考え込んだ彼女は、
「なるほどね、ミカさんが指摘してた通りね」
と言ったあと、自分のもとに近づき、
「トオルちゃん、そんな話し方じゃ、他の人に笑われるわ。今すぐに直した方がいいわ」
とんとん、と軽く自分の左肩を叩き、うなずきながらこう話した。自分は何も言わなかったが、彼女は、
「トオルちゃん、今からアタシが話し方を叩き込んであげるわ。ちゃんと理解して実行に移して」
と言ったあと、すぐに“一日会話教室”が始まった。“叩き込む”と言っただけあって、内容は厳しいものがあったが、キャバクラで鍛えたアリサさんの「会話力」は本物であることを、改めて実感することとなった。その日を境に、自分の会話力も徐々にではあるが、上がっていった。
それから10日あまり後、退院したレイカさんが自分のもとを訪ねた時、改めて“相談所”について、アリサさんと交えて話を聞いた。この頃は、まだまだ生き返ったことについての議論や、ネットなどのメディアでの“少年さがし”(つまり自分をさがすこと)なども盛んであった。そこでレイカさんから、相談所を開設する場所や、“幽霊スポット巡り”などについての提案があった。自分は、その提案に驚きながらも、これを受け入れた。その際、お金については、アリサさんが“自分への恩返し”として、「帯つき」で(それも二冊も!)出してくれることになった。こう見えて彼女は、すでに“スーパー・キャバクラ嬢”として取材を受けるほどの有名人であり、数千万の貯金も持っている。もちろん、彼女に感謝したのはいうまでもない。それから、アリサさんがレイカさんに対して、インタビュー時の“犯人と一緒になる”という発言について問いただしたところ、レイカさんは、「結婚することも考えている」という、意味深なことを言った。この話があった数日後、自分は10日ほどの日程で、全国各地の“幽霊スポット”を巡った。その際、ミカさんのような“実体化した幽霊”に何人かに出会った。改めて、貴重な体験を自分に与えてくれたレイカさんとアリサさんに、帰ってから何度も感謝した。そして、近々掛け持ちしていたバイトをやめることを、彼女たちやそれぞれのバイト先に伝えた。旅行によって、ようやく決心がついたからだ。
さらにそれからしばらくたった夏の終わり、自分のもとにレイカさんが男性を連れて訪れてきた。実はこの男性、レイカさんを毒殺した犯人で、彼女の同僚でもあった。例の発言を聞いた彼は、すぐに出頭してきて、同時に殺害に使用したとされる白色の粉も提出した。それは特殊な毒物で、通常では手に入らないはずの物であった。彼によると、毒物(白い粉)の入手には、“何かの幽霊”が絡んでいたという。実際、ある研究機関からその毒物が紛失したという連絡があり、さまざまな捜索をした結果、“人為的になくなったわけではない”という結論に達した。つまり、「何者かが持ち出した可能性はきわめて低く、勝手に紛失した物をたまたま犯人=同僚だった男性が拾ったか、幽霊が持ち出したと考えられる」ことを意味していた。結局、長期化すると思われた事件はあっけないほどスピード解決した。また男性に殺害の意思があったとは認められず、生き返ったレイカさん本人の意思や、使用した粉が毒物であったことを知らなかったことなども考慮され、殺人事件としては、無罪以外では最も刑が軽く、しかも執行猶予付き(1年)の判決となった。当初は「無罪にしてはどうか」という声も(特にネットでは)結構上がっていたが、男性が固く辞退し、また「法的にも難しい」ということなどで、先にあげたような判決結果となった。その後、レイカさんがこの男性を引き取って、「相談所」の立ち上げの一員として受け入れた。今では、彼女と一緒に活動しており、良好な関係を築いている。さて、レイカさんはというと、玄関に入るなり、
「トオルさん、この方が私たちに協力してくれる、タカヒコという男性です。彼とはすでに付き合ってます」
と言いながら、彼を紹介した。彼は、
「タカヒコと申します。レイカには本当に申し訳ないことをしました。もし君が、幽霊となった彼女に会ってなければ……。君には本当に感謝したいです」
そう話したあと、自分の後ろにいる何かに気づき、
「あの、君の後ろに誰かいるのは……」
と聞いた。自分は、
「ああ、ミカさんのことですね」
と言いながら、彼女を呼んだ。すると彼女が現れ、
「レイカ、まさかこの人……」
不安げにレイカさん問いかけた。レイカさんは、
「ええ、彼が私を殺したタカヒコです」
こう答えた。周りは血の気が引くように、呆然と立ち尽くした。すぐにレイカさんは、
「安心してください、姉さん。彼は今、私たちの大切なパートナーとして、そして近い将来、結婚するというもとで活動してます。そうですよね、タカヒコ」
こう言った。するとタカヒコは、
「ええ、レイカは私の心の支えです。そして大切な彼女です。こんな私を許してくれただけでなく、結婚まで申し出てくださったのですから、ミカさん……。だから、レイカをかならず守ってみせます。それが、今の、そして、これからの私に課せられたことだと思ってます」
こう答えた。どうやら、彼にもミカさんのことが見えるようだ。それから、二人はその場で抱き合い(キスこそしなかったが)、互いの絆を確かめていた。これは今でも1日に数回は行っている、彼らにとっていわば“ルーティン”のようなものである。その様子を見つめたミカさんも、納得した表情を浮かべていた。紹介が終わったあと、リビングに集まった4人(正確には3人と幽霊1体)は、相談所の件で議論を交わした。議論は翌日に及び、色々なことが議題の対象になっていた。自分を含め、相談所に対する熱意が本物であることが読み取れた。
9月も終わりを迎える頃、ついにこのアパートの一室に、相談所をオープンすることになった。相談所の扉を見た自分は、
「ついにここまで来たんだ……」
感慨深げにこうつぶやいた。そして、
「あの“3日間”がなければ、ここまで来なかったよな」
そう言った。レイカさんも、
「そうですね。あなたがいなければ、姉さんを“助けてくれなければ”、私もそのまま幽霊として、姉さんともども、満たされぬ想いを引きずりながら、生きてる人たちに不安を与え続けたかも知れませんね」
こんなことを口にした。ミカさんはしばらくの間、二人の様子を眺めていたが、誰かが来るのを見かけると、そこに近づき、
「アリサ、アンタも来てくれたの」
こう声をかけた。アリサさんも来た。するとアリサさんは、
「トオルちゃん、ミカさん、アタシも出来るかぎり協力するわ」
と言ったあと、一人の男性を連れてきた。
「よろしくお願いします」
アリサさんと親交が深い、会社の社長である。社長は、
「君がトオルかね。なんでも、すごい能力を持っているとアリサから聞いたが……」
と話した。自分は、
「はい」
こう言ったあと、
「実はすぐ近くに、ミカさんという名前の女性の幽霊がいます。試しに、彼女から何かを受け取りましょうか」
ミカさんに飲み物を取りにいくように頼んだ。彼女は、すぐに相談所の中に入っていった。すると社長は、驚きの表情を浮かべながら、
「これは……」
食い入るように、相談所のドアを見つめた。
「私も、女性の幽霊が中に入っていくのは見えたのだが、まさか……」
と言いながら待っていたが、ドアが開いて、コップだけが出てきたのを見ると、すぐに納得した。そして、
「本当にすごい能力を持ってるね、君は。それなら、微力ながら私も金銭面で君の助けをしたい」
感心しきりであった。その上、金銭面での援助まで申し出てくれた。そんな中、ある人がいないことに気づいたミカさんは、
「レイカ、タカヒコはどこに行ったの?」
レイカさんに問いかけた。レイカさんは、
「彼は今、幽霊が絡んだ解決してない事故や事件などを調べてる最中です」
と言った。するとアリサさんがうなずきながら、
「確かにそうね。もう一人のミカという女性、トオルちゃんのいう『フミカ』のこととか、一度はあなたの命を奪ったという事件も“幽霊が絡んでいた”というし……。後は数年前の大阪で起きた事故も……。あれはフミカにとっても“その後”を変えることになったけどね」
こう話したあと、
「アタシね、フミカに会ったの。最近なんだけど、アタシがトオルちゃんの知り合いであることを知ったフミカは、ちょっと無愛想な面持ちだったけど、自分を助けてくれたトオルちゃんに感謝してたわ。本当は幽霊好きな優しい人なんだろうけどね」
空を見上げながら言った。自分は、
「まあ、これからが大変ですけどね……。バイトは当然やめましたから」
とつぶやいたあと、
「自分はね、例えば、生きてる人とミカさんのような幽霊をつなぐ橋渡しみたいな役目を果たせればいいかなって。もちろん、幽霊絡みの事件を担当することにもなるし、フミカともっと絡んでくることになるでしょうね、必然的に……」
こういう話をした。そして相談所の中に入ろうとした時、
「ところで、相談所の名前って、どうなってるのかしら?」
アリサさんが問いかけた。
「正式にはまだ決まってません」
きっぱりこう答えた。するとアリサさんは、
「決まってないって……!? これじゃ先が思いやられるわ」
ため息をつきながら言った。確かに、先が思いやられるかも知れないが、自分には、『実体化した幽霊と交際出来る』という能力がある。後は、これをもとに活かしていくことで道は開けると信じて……
「それじゃ皆さん、中に入りましょう」
そう言って、相談所の中に入るようにすすめた。自分たちの“たたかい”は、まだ始まったばかりだ