掌編――あなたの幸せを祈らせてください
「あなたの幸福を祈らせてください」
扉を開けて最初に聞いたのがこれよ。
あたしは激しく後悔した。
いつもこれでもかっていうぐらい警戒して、覗き窓から相手を見てから応対するかどうかを決めてたのに。
あまりの暑さに油断してた。
部屋を掃除して汗だくになって、シャワー浴びたタイミングで、ぼーっとしてたのは確かだけど。
それにしても、こういうべたべたな宗教の勧誘とか、いまだにあったのね。
しかも、普通こういうのは女の人が相場なんじゃないの?
ポマードでがちがちに固めた七三分けに黒縁メガネ、暑いのにネクタイをきっちり締めてスーツ着込んで、銀行員かっつーの。
「お断りします」
「あなたの幸せを――」
エンドレスで何回も言わなくても聞こえてるっての。
それとも借金取りみたいに「祈らせないと帰らない」とか居座るつもり?
「祈ってもらわなくても幸せですから。お断りします」
「いえ、これはボランティアでして」
にこやかに笑ってた男の顔に焦りが浮かんだ。
「ボランティアって、あたしは助けを必要としてないんですけど?」
もわっとした外気が部屋の温度を上げていく。
「いえ、そうではなくてですね。あの、よく誤解されるんですが、その、私に祈らせて欲しいのです。祈らせていただけないと、その、あのですね」
「よくわかんないんですけど、あたしはそういうのに祈られなきゃならないほど不幸せじゃないです」
男の歯切れの悪い説明というか言い訳にいらっときて語気が荒くなる。相手が丁寧だからそれ以上はやんないけど。
「いえ、その、だからですね。私が幸せになるために、あなたを祈らせて欲しいと、そういうわけでして。ボランティアというのは」
「なにそれ」
どこかで聞いたことはある。人に功徳を施すことで自分の徳が上がるとか。あ、これは仏教だったっけ? でも、仏教で人を祈る……なんかそぐわない。
「どこかのお坊さんかなにかなわけ? まあ、よくわかんないけど。祈るのは勝手だと思うけど」
「ありがとうございます! では、早速」
「でも、あたしこれから出かけるんで」
「え、でも」
また汗がじっとりしてきた。せっかくシャワー浴びて涼んでたのに。
「目の前で目を瞑って立ってなきゃ祈れないわけじゃないんでしょ?」
「あ、はい、それは」
「じゃあ、部屋の外でも構わないわよね。出かける準備するんで、適当に外でやっちゃってください。あたしはぜんぜん構いませんから」
「あ、はあ」
とびきりの営業スマイルでごまかして扉バタン。天下のセールスレディをなめんじゃないわよ。
あ~あ、汗かいちゃった。もう一度シャワー浴びよっと。
外に出ると、さっきの男はもういなかった。ポマードのにおいだけ残ってる。
「あら、三国さん、いたの? さっき何回も呼び鈴鳴らしたんだけど」
1階に住んでる大家さんだ。ほとんど挨拶する程度の付き合いなんだけど、珍しいな。
「ええ、お風呂入ってまして、ぜんぜん気がつかなかったです。何かあったんですか?」
「さっきそこに座ってた男の人が」
「え?」
さっきの勧誘の人だろう。座って何やってたんだろ。
「いきなり三国さんの部屋の前に薪を積み上げたと思ったら、火をつけたのよ。あたしびっくりしちゃって、バケツで水もってってぶっ掛けて。放火だと思ったから」
い、いったい何やってくれたのよ、あの男。火?
「ほら、そこの床。少し焦げてるでしょ。で、警察と消防に電話かけてる間にいなくなっちゃって。あなたの知ってる人だったのかしら?」
「いえ、そういう人は知り合いにはいないです」
「そうよねえ。でも気をつけてね? 最近このあたりも物騒になったから。おでかけ?」
「はい、ありがとうございます。ちょっと友人と約束が」
「そう、気をつけてね。また変なのがこないか、しばらく見張っとくから」
こういうとき、大家さんが同じアパートにいると少し安心する。まあ、家賃滞納したときには顔合わせづらいんだけど。
それにしても、シャワー浴びてたの、一時間程度よね。それとも風呂で寝ちゃってたのかな。その間にいったい何が起こったの?
「それって最近増えてるお祈り詐欺よ」
待ち合わせに大幅に遅れてたどり着いて話をすると、友人の由美は周りを気にしながらそうささやいた。
「え?」
「うちの管内でもぽつぽつ通報があって。祈らせてくれといって部屋に上がりこんで、家人が目を閉じている間に金目のものを掠め取っていくの。あんた、運がよかったわね」
「よかったのかなんなのか……うちの前に火をつけようとしてたってんだから、悪質よ。大家さんがいなかったら部屋から出られなくて丸焼けになってたかも」
「そうよね。顔とか覚えてない?」
「たぶんまだ覚えてる。ただ、格好は印象的だったんだけど、本人はとっても地味なイメージだったわよ」
☆
「戻りました」
「おう、おつかれ。首尾は?」
「いやー、参りましたわ。部屋の外で祈れとか無理難題言われちゃいまして。仕方なく外に祭壇構えて祈り始めたら、水ぶっかけられちゃいましたよ」
「じゃあ」
「ええ、失敗っすわ。うまくいってれば魂取れたんすけど」
「胡散臭がられたんじゃねぇのか?」
「人間界では一番怪しまれない姿だっていうからサラリーマンの姿借りたんすけどねえ。残念っす」
「あと一人だっけか。次で決めて来いよ、死神検定」
「うぃっす。行ってくるっす」