第十二章:新たなる息吹(五)
バンベールの北に、フォルティリア公国軍三千が進軍していた。
曇天の下、兵士達の逸る気持ちそのままに、通常よりも速度を上げて進んでいる。
ラマの村を通過し、夕刻にはバンベールに到着する予定であった。
バンベールには四将軍のファルコ・シュヴァルツとクルト・ザカが率いる帝国軍が駐留している。
総数が増えたと言う情報はなく、五百程度であると公国軍は見ていた。もっとも四将軍の二人がいる以上、数で圧倒していても油断はできなかった。
だからこそ、アンジェリーヌは今考えられる万全の体制を整えて軍を編成した。
聖剣の契約者であるリュリュとリアーナ、剣士としての能力の高いズマナ、更にジェネを筆頭とした魔術師も厳選して三十名を帯同させた。
内戦一歩手前の緊張状態が逆に幸いし、進撃準備はすぐに整えられた。オーギュスト達に出撃を通達した二日後には出陣していた。
森の出口に差し掛かった。
曇り空が茜色に染まりかけている。
ジェネは隊の中央付近にいた。
馬上で前方を見据える。まだバンベールが見えるところではなかった。
緩やかな坂を下りるところに差し掛かると、大きな槍の先が左右に揺れるのが目に入った。その横には一本の角を生やした巨大な馬。そしてその上にはエリアーヌの姿があった。
ジェネはその後姿を見つめる。
あの少女は『欠片持ち』だと言う。だから詠唱もなく魔術を行使できるのだろう。蟠りがないと言えば嘘になる。だがそれでも、エリアーヌの力になりたいという想いが勝っていた。
ジェネは一つ深呼吸をした。と、隣にいたオーギュストが話しかけてきた。
「いよいよだな。留守を狙われたとは言え、我がベルジュラック家の失態だ。何としてでも取り戻さねばならん」まっすぐに前を見ながら、左右に伸びて上に反り返った特徴的な口髭を撫でている。
ジェネはその横顔を見ながら、はいと力強く答えた。
前回の戦いで四将軍の二人の力は嫌というほど分かっていた。今回はリアーナもいれば、魔術部隊もいる。激戦は予想されるものの、敗れるという考えはなかった。ただそうなれば、街にどれほどの被害が出るか――。
「セドリックと連絡が取れればよかったのですが……」ジェネが呟いた。
それも心配の一つであった。ミラリアに引き渡されたという話は聞かない。半ば人質のような形でバンベールに留まったセドリックを安易に殺すようなこともないだろう。ただ接触を試みれば、セドリックを危険に晒すことになる。もっとも攻撃を仕掛けるとなればセドリックの身も危うい。
「勇敢にも街のためを思って留まった彼のことは心配ではあるが、貴族である以上、彼にも覚悟というものがあるはずだ。それに、彼の技量であれば何とかしてくれると信じている」オーギュストはジェネに笑顔を向けた。
ジェネは頷いた。
左手にはめた魔術師用のグローブにそっと右手をかける。出発前にアンジェリーヌからお守りにと渡されたもので、手の甲と手首を包むものだった。手の甲の部分には赤、青、緑の三色の宝石が逆三角形の形に配置されている。
やがてバンベールの城壁が現れた。
オーギュストは進軍停止を命令する。陣形が整うのを待つ。
と、前方から単騎で迫る影があった。
最前線に緊張が走る。だがその人物はオーギュストに面会を求めてやって来たという。オーギュストはその名を聞いてすぐに連れてくるように指示した。
やって来たのはセドリックだった。オーギュストの前に進み出るなり事情を説明した。
「既に帝国兵は街から撤退しています。四将軍の二人も最後に街を出て、ミラリア方面に向かいました。恐らく東西のどちらかに進み、街道を避けて帝国領内に戻るつもりでしょう」
バンベール進軍の報を聞いたファルコは、即座に撤退を指示した。兵士は旅装束を身に付け、何度かに分けて散っていった。今朝にかけてすべての兵がいなくなり、数刻前に四将軍の二人も街を出たのだった。
念のため斥候を街に向かわせて様子を探ったところ、セドリックの言った通り帝国兵は姿を消していた。街の住民の話もそれに合致した。
オーギュストは警戒を解くことなく、リアーナやリュリュといった主だった者と五百の兵を引き連れてバンベールに入った。
一通り街を確認して帝国兵がいないことを確信すると、ファンティーネに向けて状況を知らせる早馬を飛ばした。
ジェネの屋敷に主要人物を集め、セドリックにこれまでのことを聞いた。
ファルコの厳命の下、帝国兵は街の住民の脅威となるような振る舞いを全く行わなかった。日々の暮らしにもほとんど干渉することがなく、むしろ街の運営方法などをつぶさに聞きまわり、参考にさせて欲しいと頭を下げることもあったのだった。
当初は警戒し不安に駆られていた住民も、気さくに話しかけるファルコやまじめで優しく振舞うクルトに好感を覚えるようになり、四将軍という畏怖の対象は人間味溢れる統治者として認識されるようになった。
話を聞き、ジェネはほっと胸を撫で下ろした。
街の住民が非道い扱いを受けていないか心配だったが、カミュが言った通り帝国軍は破壊や蹂躙が目的ではなかったようだ。が、オーギュストとセドリックの険しい表情に気が付き、首を傾げた。
「何のためにバンベールを襲ったのか不思議だったが、まさか……」オーギュストは髭を撫でる。
「はい、恐らく戦後を見越してのことでしょう」セドリックが俯いて応えた。
ジェネは理解できなかった。
が、その後ズマナを交えての話の内容から、帝国の深慮遠謀の一端を垣間見た。
戦争においては、戦闘に勝利することよりも占領後に統治することの方が何倍も難しい。公国の民衆には、アンラード侵攻の際に帝国が行った非道な振る舞いが頭に焼き付いている。それを払拭し、更にフォルティア王家よりも帝国に統治された方がよいと思わせることができれば、戦後統治がしやすくなることはもちろん、公国との戦い自体をも有利に進めることができる。公国にとっては裏切りが横行する危険があった。
話を聞くうちに、ジェネは別の不安に襲われた。漠然とした不安。バンベールを占領し、そこで善政を敷く。それだけで、帝国の目的は達成されたのだろうか。
左腕のグローブに手を添えた。アンジェリーヌがいつも身に着けていたグローブ。遠く、ファンティーネにいるアンジェリーヌのことが気になった――。
ジェネ達がファンティーネを出発した日、クレマンは朝から王宮の私室に篭っていた。
夜になっても部屋から出ず、下を向いて何かぶつぶつと呟きながら室内を行ったり来たりしている。
なんとかしてアンジェリーヌを引き摺り下ろさなくてはと、そればかり考えていた。幸いなことに、腹心であるベルジュラック伯爵がバンベール奪還の遠征に出ており不在であった。クレマンは最後の手段も辞さない決意を固め、立ち止まった。
と、俯いた視線の先に誰かの足があった。驚いて顔を上げると、黒髪を左側で一つに纏めたメイド姿の女性が笑顔を向けていた。
「見ているとこちらまで情けない気分になってしまうくらい悲壮感が漂っていましたよ」にこにことしている。
クレマンは声が出なかった。ただの使用人だとはとても思えない。その背にある二本の長刀が目に入り、一歩下がった。誰だと、それだけが何とか言葉になった。
「ただのお使いです。あっちへ行ったりこっちへ来たり、人使いの荒いご主人様を持つ苦労は、我侭放題の坊ちゃん王子には分からないのでしょうね」溜息を吐いた。
「貴様、一体どうやって……」
「クレシダさんに少しご協力いただきまして。他の聖剣に比べると地味な能力なんですけどね」またもにこにこと笑って続ける。
「だめですよ。上ばかり気にして足元をお留守にしているようでは。防御結界を張るならちゃんと地下まで展開しないと」幼子を嗜めるように優しく語りかけた。
「一体、何を……」
「大したことではありませんよ。我が主からの、餞別と言う名の八つ当たりです」そう言うと、長刀の一つをゆっくりと引き抜いた。
恐怖に引きつるクレマンに、笑顔で続ける。
「寂しくはないですよ。先にお待ちの方もいらっしゃいますから。せっかくの機会ですし、ご兄弟でゆっくり話し合われてはいかがですか?」
そして最後に告げる。
――では、さようなら。
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また、よりよい作品作りに向けての参考とさせていただきたく考えておりますので、ご意見、ご感想もお気軽にお寄せ下さい。メッセージにて個別でも構いません。
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