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第十一章:奪われる欠片(二)

 ダリオはもう一度、先ほどのことを思い返す。
 トゥロと名乗った道化師――魔術師は、ダリオが斬りかかった時もその前にも、詠唱はしていないはずだった。口が動いているようには見えなかった。あの距離で見逃すはずはない。あり得ない。詠唱もなく魔術を行使するなど、少なくともダリオの知り得る範囲ではあり得ないことだった。だが胸を切り裂いたのは間違いなく風の魔術であり、攻撃を防いだのは魔術防壁だった。
 ダリオは混乱した。が、一つだけ思い当たるものがあった。

「てめえも、聖剣の契約者か!」

 ダリオの叫び声に、リアーナも身構える。
 トゥロは不気味な笑みを崩すことなく、

「皆さん、そうおっしゃる。ワタシが神と契約するなど、そのような大それたことを。ああ、畏れ多い」頭を抱えて大げさに首を左右に振る。

 やがてピタリと動きを止めた。「そんなことをするわけが、ないでしょう?」とケラケラとわらいながら、リアーナでもダリオでもなく空中に視線を漂わせる。

「さて、お決まりの文句ではありますが『そろそろ遊びはおしまいにしましょう』か」続ける。

「お二人がご一緒されているのは僥倖ぎょうこうなのか不幸なのか。まあ、どちらでもかまいませんけどね」

 返していただきましょうと言って、両手を左右に広げた。
 それを――。

「そうだな。初めから、お前と遊ぶのはつまんなかったしな」リアーナが冷たい目を向けて応えた。

 槍の先端に小さな炎が揺らめいている。それが丸く形を変える。そして徐々に大きく膨らんでいく。

 トゥロは両手を広げ、不気味な笑顔を浮かべたまま、固まったようにそれを見ていた。
 リアーナの周囲がゆらゆらと揺れている。
 離れた場所にいるダリオにもはっきりと熱が伝わってきた。じりじりと肌を焼く。

「そんじゃ、燃え尽きろ!」

 リアーナが消えた。
 同時に、リアーナのいた位置の地面が抉れ、破裂音が鳴り響く。次の瞬間には、爆発音が響きわたり、熱風が吹きすさんだ。

 ダリオは腕を顔の前に置いて熱風を防ぐ。砂塵が舞い、視界が遮られる。
 やがて風が落ち着くと、砂煙の中からトゥロが姿を現した。

 その左肩から左胸にかけて、大きく抉られている。左腕は消えていた。首も三分の一ほど焼き取られ、右肩に頭が転がるように傾いている。抉られたところは白い湯気を上げながら、肉を焦がす音を出している。

 遠く、リアーナが立っていた。だらりと腕を下げ、重そうに右手に槍を掴んでいる。
 ゆっくりと振り向いた。
 苦しそうな表情ながら、不敵に口の端を上げていた。

「よく避けたじゃないか。でもそれじゃあもう――」リアーナが言いかけた時だった。

 くるりと、トゥロの首が後ろに倒れ、リアーナに向く。ケラケラと嗤いながら、

「いや、スバらしいデス。すばらシイ威力でス」調子の外れた声で言った。

 首が起き上がり、勢い余ったのか抉られた左胸に転がった。

「ホントウに遊びが過ぎテしまいまシタ。危うク死んでしまうトコロでシタ」

 トゥロは言いながら、右手で自身の頭を掴んだ。上に戻し、くるっと回して顔を前に向けた。そのまま身体ごと振り向いて、再びリアーナに視線を伸ばした。
 その瞳に、リアーナは固まったように動けなくなった。実際に固まってしまったのだ。瞬きはおろか、呼吸すらできない。
 トゥロは右手を頭から離した。頭はまたもごろりと左側に転がった。抉れた胸の部分まで落ち、頭の先がほぼ真下に向く。逆さまになったかおが冷たくわらう。

「力をツカい果たしマシたカ。切り札、だったノでしょうネ。ザンネンでしタ」右手を前に出す。

 と、肉を叩く鈍い音がした。それに合せてトゥロが前に倒れこんだ。

「ち、頑丈な奴だ」ダリオは言って、トゥロの背後から離れ、リアーナのところに駆け寄った。

 リアーナが咳き込んだ。膝を突き、槍を右手に握ったまま両手を地面に付ける。肩で息をして、なんとか顔だけを前に向けた。

「立てるか? って言うか立て。こっから先は俺がやる。てめえは先にファンティーネに行ってろ」ダリオはリアーナを見ることなく、トゥロに向かったまま言った。

「お、お前じゃ、……無理だろ。バカ……」リアーナは苦し気に毒づいた。

「今のてめえよりはマシだろ。そもそも俺の目的はあの野郎をぶっ潰すことだからな。あれは俺の獲物だ。邪魔すんじゃねえよ」

 ダリオはもう一度、行けと言った。
 リアーナはなんとか立ち上がる。ふらつきながらも槍を構えようとして、

「(リアーナ。彼の言う通りだ。今の君では足手纏いにしかならない)」手にした槍がリアーナを諭す。

 それでもリアーナはその場から離れなかった。
 溜息が二つ漏れる。

「おハナしは終わりですカ?」トゥロはダリオを見た。

 トゥロが言い終わらない内に、ダリオは大きく右に跳んだ。跳ぶ直前、身体が重くなったように感じた。やはり『目』か。ダリオは思った。
 遅れてリアーナもその逆方向に跳んだ。
 ダリオはそれを確認すると、咆哮を上げてトゥロに斬りかかった。

 衝撃音。空気が震えた。
 ダリオはトゥロの目の前で停止した曲刀を一度引き、身体をトゥロの横に回り込ませてまたも斬りかかる。
 トゥロは左側に転がった頭を右手で押さえると、地面を滑りながら移動する。
 ダリオは更に速度を上げて斬撃を繰り出す。連撃の圧力を増していく。
 トゥロは頭を押さえたまま躱していく。躱しきれない攻撃は魔術防壁で防ぎながら、するすると地面の上を滑っていく。
 リアーナも加わった。僅かに距離を置き、ダリオの攻撃の間を縫って突き掛かる。ダリオが左から斬りかかったところで右に回りこみ、最後の力を振り絞ってゲオルギオスの能力を解放した一撃を放った。

 魔術防壁が弾けた。
 ほぼ同時にダリオの曲刀がトゥロの右脇腹に食い込んだ。曲刀が肉を裂き、骨を砕く。
 トゥロは身体を右側に折り曲げた。右手で抑えていた頭が、ダリオの前に跳ねてくる。
 ダリオは目を合わせないように身体を沈め、更に力を込める。
 トゥロが押し飛ばされた。そして勢いそのままに、リアーナの前に飛んで行く。カクカクと身体を動かしながら器用に着地すると、リアーナに顔を向ける。リアーナと目が合った。

 まずいと、ダリオは遅れて跳んだ。
 曲刀を左手で持ち、硬直するリアーナを右手で突き飛ばした。

 ずぶりと、身体の中で何かが動くのを感じた。胸の奥に、うごめく何かを。ダリオは胸を押さえながら横にいるはずのトゥロを見た。
 道化師がいた。不気味な笑顔をダリオに向け、肘から先のない右腕を前に突き出している。そして――。

「でハ、まずはアナタのカケラから返してモラいましょウ」ケラケラと嗤う。

 ダリオがうめいた。一つ咳き込み、血を吐き出す。胸が内側から押される。ダリオは苦しそうにけ反った。
 ダリオの胸の中央がいびつに盛り上がり、やがて皮と服を突き破って、真っ赤に染まった腕が飛び出てきた。
 ダリオがまたも呻いた。忌々しげに飛び出した腕に目を向けた。その指先には、妖しく光る小石が握られていた。

「ダリオ!」リアーナが叫び、槍を構えてトゥロに飛び掛った。

 飛び掛った直後、リアーナは空中で停止した。浮いたまま、ピクリとも動くことができない。それをトゥロはケラケラと嗤いながら見ていた。

「しょウしょウお待ち下サイ。すぐにアナタのモ返していたダきマスのデ」これまで以上に調子が外れた声で言った。

 その時だった。
 がくんと、トゥロが前に押しやられた。いや、引っ張られた。トゥロはダリオを見た。
 ダリオは右手で胸から突き出た腕を掴み、引き抜こうと力を込めた。
 またもがくんとトゥロが前に倒れるように一歩進んだ。そこへ――。

 振り向きざま、ダリオは左手に握り締めた曲刀を思い切りトゥロの首へ向けて振り抜いた。
 鈍い音の後、白塗りの顔がくるくると回りながら宙を舞う。首なしの身体は地面に落ちた。その頭も遠くに落ちて転がった。ダリオの胸にあった腕も消え、地に伏せったトゥロの身体に戻っていた。小石を握り締めたまま。

 リアーナが動いた。その場に倒れこみ、なんとか身体を起こしてきょろきょろと周りを見る。立ち尽くすダリオと、地に転がるトゥロの姿を見つけた。
 ダリオに駆け寄る。

「おい! 大丈夫か」

 リアーナの声に、ダリオは何か返そうとするが声にならない。代わりにごふっと血が口から吹き出た。
 ダリオは僅かに顔を横に向け、地面に転がるトゥロの身体を見た。目的は果たした。これでもう、父親に受けた背中の傷も疼くことはないだろう。そう思い、薄く笑みを浮かべると同時に膝が折れた。
 リアーナが慌ててダリオを支える。小さな身体の上からダリオが力なくもたれ掛かる。何度もダリオの名を叫んだ。目に涙を浮かべながら叫ぶ。
 だがダリオは、やがて静かに息絶えた――。





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