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第九章:聖者の導き(二)
 バンベール陥落から二週間が経過していた。帝国領内で調査を行っていたクラウディアは、帝都シュルツハウゼンでその報を受けた。同時にミラリアでの教皇暗殺未遂事件も伝え聞いた。

「ジュヌヴィエーヴが……、にわかには信じられん話だ。それで、カティア様はどうなさったのだ」クラウディアは碧眼を突き立てた。

「二人ともファンティーネに落ち延びたって話は聞いた。そっからは知らねえな」答えたのはタルナトだった。

 クラウディアは帝国内での調査にあたり、タルナトにも声をかけていた。
 タルナトはもともとカティア達の監視役として側にいたが、先の帝国との戦いで瀕死の重傷を負うなど帝国からは完全に見切りをつけられていた。
 性格に難はあるものの、諜報の能力には秀でていたため、今のところ共通の敵を持つのならばと、協力を要請したのだった。
 タルナト自身、選択肢が限られた中では断る理由がなかった。

 シュルツハウゼンにある古い宿屋の一室。
 陽が落ち、辺りは藍色から黒に染められつつあった。
 タルナトは備え付けの椅子に座り、足を組んでいた。猫のように丸まった状態で顔だけクラウディアに向け、灰色に濁った目でクラウディアを見上げている。
 クラウディアは直立して報告を聞いていた。
 開け放たれた窓からは食欲をそそる香りが風に運ばれてくる。周囲の賑わいも一層増している。
 クラウディアはすっと窓に歩み寄る。首にかかる部分で切りそろえられた金髪がさらさらと揺れた。外の様子をうかがった後、静かに窓を閉める。振り向き、その場でタルナトに視線を向けた。

「帝国の行動も解せないな。一体何のためにバンベールを……。街の様子は聞いていないか」

「ファルコとクルトがいるんだぜ? 落ち着いたもんだろうよ。前より住みやすくなったんじゃねえか?」タルナトは口元を歪めた。

 クラウディアは呆れたように一瞥し、溜息を吐く。

「不本意だが、最近お前の性格がなんとなくわかってきた。今の言葉は流しておこう」

 タルナトは舌打ちをして視線を逸らした。

「カミュに任せたとは言え、カティア様のことを思うと今すぐにでも戻りたいが……」クラウディアは視線を落とした。

「はっ、俺の苦労を台無しにする気か? やっと今夜、約束を取り付けたってのによ」

「わかっている。ようやくここまでたどり着いたのだ。今更引くわけにはいかない」

「じゃ、ひとまず俺の役目は終わりだな。他に何かあるか? こっからは別料金だぜ」

「ファンティーネに行ってもらいたい。カティア様の状況を把握しておいてくれ」

「へいへい、いつまで経っても変わんねえこって」タルナトは椅子から立ち上がった。

「それから、これを預けておく」クラウディアは言って、腰に帯びた剣を外し、タルナトに差し出した。

 タルナトは目を剥いてクラウディアを見た。

「カティア様に渡してくれ。私が戻らない場合、ふさわしい人に託して欲しいとも伝えてくれ」

「……へぇ、高く売れそうだな。いいのかよ」

「下手に売ろうとすれば足が付くだけだ。頼んだぞ」

「まあ、いいけどよ……。にしても、丸腰で行くつもりかよ」

「剣は後で調達する。心配しなくてもいい」

 誰が、とタルナトは言って、マルガリテスを受け取った。重い、そう感じた。

「(クラウディア、決して無茶な真似はしないように……)」マルガリテスが言った。

「わかっている。生きて帰ると約束したのだ。ただ最悪の事態は想定しておかねばならない。お前を奪われる訳にはいかないからな」クラウディアは笑顔で応えた。


 タルナトは足音もたてずに部屋を出ていった。
 クラウディアはそれを見送ると、闇色の外套を羽織り、フードを目深にかぶって部屋を出た。
 道中、既に閉まっていた武器屋に無理を言って剣を一振り手に入れた。


 シュルツハウゼンの中央に位置する王宮の近く、指定された屋敷に着いた。裏手に廻ると、聞いていた通りローブを纏った女が立っていた。
 女はクラウディアと距離を置いたまま裏口を開け、敷地内に入っていく。
 クラウディアはその後に続く。足元は暗い。木々の生い茂った裏庭を抜け、屋敷の裏手に出る。
 女は扉を開けると、そそくさとどこかへ走り去った。

 クラウディアは扉から屋敷に入る。
 明かりのない廊下を慎重に進む。暗闇に慣れた頃、指定された部屋の前に到着した。何も言わず扉に手をかけて開いた。そのまま中に入る。

 ランプの明かりが目に入った。続いて、大きな窓の側に立つ男の後ろ姿が飛び込んできた。
 男はクラウディアの入室に驚くこともなく、背を向けたまま窓の外を眺めていた。

「お久しぶりです。ラザファム将軍」クラウディアの声が響く。

 ラザファム・ヴァンデルフェラーはゆっくりと振り向いた。ランプに揺らめく漆黒の瞳が、冷たくクラウディアを見据えている。黒髪を短く切りそろえ、後ろに流すように整えている。無骨ながら整った顔付きは三十台半ば相応のものであったが、表情と言うものがない。クラウディアを僅かに見下ろす長身の体躯は、服の上からでもはっきり分かるほどに引き締まっていた。

「帝国の内情を嗅ぎ廻っているそうだな。何が目的だ」低く、鋭い声だった。

「内情ではありません。『神の欠片』を持ち込んだ、あの魔術師について調べているのです」

「同じことだ。それに、それだけではあるまい。フェルディナント様のことも調べあげているそうではないか」

 なるほど、とクラウディアは思った。ラザファムとの会見にこぎ着けるために、タルナトはかなり情報を提示したようだ。ラザファムの実直な性格を考えればそれも仕方がなかった。ならばと、クラウディアは包み隠さず話すことに決めた。

「あの男が何を企んでいるのか、それを知りたいのです。『神兵しんへい』というものをご存じですか?」

 ラザファムは一瞬目を瞑った。
 初めて感情らしきものが表情から伺えたと、クラウディアは思った。

「概要はな。真意については知らぬ。陛下も黙認されている」

「なっ、あのような危険なものを、どうして陛下は――」

「クラウディア! 控えろ」ラザファムの目に殺気が籠もる。

 クラウディアは怯むことなくその視線を見返した。

「『小事』だと、陛下はおっしゃられている。うまく使えればよし、そうでなければフェルディナント様が失脚するだけだ」

「『次期』皇帝が心配ではないのですか」

「『次期』や『ぜん』に意味などない。元来より我らは、『皇帝陛下』にのみお仕えするものだ」

 そうだった。クラウディアは思い出していた。ラザファムにとって、いやヴァンデルフェラー家にとって、皇帝とは唯一にして絶対の存在。彼らは『帝国』に仕えているのではない。その時代の『皇帝』の命令のみ忠実に守る一族なのだ。
 それを物語る逸話がある。
 皇太子だったゼルギウスは、父親であるかつての皇帝に反旗を翻した。その際、一族の何人かや当時四将軍だったラザファムの父親はゼルギウスに対峙し、結果殺害された。だが、ゼルギウスが皇帝の座を奪ったその瞬間、彼ら一族はゼルギウスに絶対の忠誠を誓ったのだ。前日までともに戦っていた仲間に剣を向け、当主を兇刃にかけた男の盾となった。

「陛下が黙認されている以上、私からフェルディナント様に進言することはない。用は、それだけか?」

 ラザファムは話は終わりだと言わんばかりにクラウディアに視線を突き立てた。
 クラウディアはじっとラザファムを見据える。調査した限り、四将軍の中で唯一フェルディナントの息がかかっていないのがこの男だ。だからと言って協力を求めに来た訳ではない。
 ここからだ、とクラウディアは一つ息を吐いた。

「陛下に直接お伝えしたいことがあります。お取次ぎ願いたい」

 何? と、ラザファムは眉を吊り上げた。あからさまに嫌悪感を抱いている。
 意外な表情をするものだと、クラウディアはそれを見て思った。そしてたたみ掛ける。

「カミュ・ファーネルからの使いで参りました」

 一瞬、ラザファムは大きく目を見開いた。真意を探るようにクラウディアを見据える。
 
 クラウディアは黙っていた。いきなり切り札とも言えるカードを切ることに躊躇いはなかった。
 いまやフェルディナントは帝国内で群を抜いた発言力を持っている。第一皇女アヌシュカをも取り込み、次期皇帝は確実な情勢だ。多くの文官、武官も自然、フェルディナントになびいている。そして『神の欠片』を持ち込んだトゥロという名の魔術師も側近として召抱えている。まさに磐石であった。
 だが、そのフェルディナントが唯一恐れている人物がいた。それが『恐帝きょうてい』と呼ばれ、大陸北部の連邦を一代で平定して大帝国を築き上げた皇帝、ゼルギウスだった。

 しばらくの沈黙。ラザファムは出口に向かって歩き出した。

「いいだろう。付いて来い」ラザファムは歩きながらそう言った。

 クラウディアは呆気にとられた。まさか今から皇帝に謁見できるとは考えてもみなかったのだ。何かの罠かも知れない。だからと言って躊躇するわけには行かない。クラウディアはラザファムの後を追った。


 馬をあてがわれ、ラザファムに付き従ってシュルツハウゼンを離れた。郊外の森に入り、しばらく山道を進んだ。やがて森にそびえる大きな屋敷に辿り着いた。
 つたが絡みついた武骨な鉄製の門が来るものを拒むように立ちふさがっていた。クラウディアはそれを見上げる。疑問が湧いた。

「ここは、ヘンリエッテ様の……。どうしてここに……」

 今は亡き第三王妃、ヘンリエッテが晩年療養のために逗留した屋敷だった。カティアとローゼマリエの母親であり、クラウディアも子どもの頃よくここに遊びに来たことがあった。そしてこの場所は、ヘンリエッテが帝国に反感を抱く賊によって惨殺された場所でもある。

 鈍い音を響かせて門が開かれた。
 潜ると真っ先に懐かしいたたずまいの建物が目に入った。壁は補修跡が見られるが、歴史を感じさせる重厚な空気を纏っていた。月明かりに照らされ、静寂の中で瞑想に耽っている老人を思わせる。
 その向かいに、真新しい建物があった。クラウディアは見たことがなかった。同じく大きな建物であったが、禍々しい雰囲気を辺りに撒き散らしているように見えた。

 ラザファムは真新しい建物に入っていった。クラウディアもそれに続く。
 建物の中は暗く、僅かなロウソクの灯りが二人の姿を壁に揺らめかせていた。
 重く、濁った空気がクラウディアの身体に纏わりついてくる。腐臭というほどではないものの、鼻を突く臭いが時折漂ってくる。汗が背中を伝う。一歩進む度、身体を締め付けるような感覚が強くなっていく。
 大きな扉の前に来た。クラウディアはその時になって初めて、長い廊下の途中に扉というものがなかったことに気付いた。

 ラザファムがゆっくりと扉を開く。扉の前に立ち、クラウディアを促した。
 ごくりと、クラウディアの喉が鳴った。前から圧し掛かってくる見えない何かに抗うように、一歩一歩力を込めて進んだ。
 入り口の左右にランプが置いてある。灯りはそれだけだった。揺らめく灯火が、正面に座る人物を照らしていた。
 薄暗い室内の正確な広さは分からない。それでも相当な広さであることは窺えた。天井ははっきりとしないが高さは相当にある。少なくとも、目の前に座る『アレ』が収まるほどには広いのだろう。

 息を呑む。

 その姿は、かつて見た『恐帝』そのものであった。異なる点は二つ。金髪が白く変わっていること。そして、クラウディアの三倍はあろうかというほどの巨躯に変貌していることだった。
 野獣のような鋭く蒼い眼光がクラウディアを突き刺している。顎の部分に白い髭が茂っていた。
 巨大な椅子に座っていながらも、クラウディアの倍近くある。椅子に左腕の肘を付き、左拳に顎を乗せてクラウディアを見下ろしていた。
 ヴィルハルト帝国皇帝ゼルギウス・ヴィルヘルムは、既に『人』ではなくなっていた。

「ほう、珍しい。ラザファム、鼠を招き入れた理由を聞こう」重く響く声が静寂を地に押しやる。

「カミュ・ファーネルからことづけがあるとのことで、連れて参りました」クラウディアの後ろで控えていたラザファムが答えた。

 瞬間、気温が一気に下がったようにクラウディアは感じた。
 余裕を見せていたゼルギウスから殺気に似た威圧感が放たれる。
 全身に力を込めなければ立っていられないほどの圧力に必死に耐えた。マルガリテスがあったとしても、目の前の魔物に対抗できるかどうか。クラウディアは睨みつけるようにゼルギウスを見上げていた。

「女を使いに寄越すとはな。あの男の情婦にでもなったか。して、あの男は何と?」殺気が薄れ、値踏みするようにクラウディアを見据えた。

「貴方との決着を望んでいると。そのためにも確認したいことがあると、申し付かって参りました」声が震えるのを必死で抑えた。

 ゼルギウスは眉根を寄せた。直後、声を上げて笑った。
 地獄の底から響き渡るようなその声に、クラウディアは気圧された。次の瞬間、戦慄する。

「あの男が『決着』を望むだと? クラウディア、人のじょうが理解できぬ内は、浅ましい謀計をめぐらすことはやめておくのだな」

 クラウディアは心底悔やんだ。せめてマルガリテスがあれば、逃げ出すことはできたかもしれない。剣に手を伸ばそうとした時だった。

「下衆が! 貴様如きが、まさか本気で余に傷を負わせられるとでも思っているのか?」ゼルギウスは立ち上がった。

 遥か上から、クラウディアを見下ろす。
 クラウディアは身体を動かすことができなかった。愕然と、ただ見上げていた。

「何を恐れる。覚悟を持って来たのではなかったのか?」ゼルギウスは続ける。

「奴の気紛れは理解できぬな。まあよい。あの男の使いと名乗るのであれば、無下にはできぬ」

 ゼルギウスは口元を歪めると、硬直したままのクラウディアに言い放つ。

「聞きたいことがあるのなら二、三、答えてやらんでもない。心の底から知りたいことだけを言葉にしろ」

 クラウディアは屈辱にまみれていた。それでも全力で考え抜いて、二つの疑問を口にした。

「貴方の目的は何ですか。大陸統一と言う野望は、今やフェルディナントが担っている。いずれ貴方に牙を剥くであろう男が、です」

「興味は失せた。フェルディナントもそのような小事にかまけている内は、余を脅かす存在には成り得ぬわ。余はただ、より大きなものを手に入れるためにこの力を得たのだ。貴様ら俗人には理解できぬものだ」

「では、その力を得るためにトゥロという魔術師を利用したのですか。あの男は、一体何者なのです」

「知らぬな。知る意味もない。余にとっては力をもたらした者。利害の一致した協力者。今も、これからもな」

 クラウディアは押し黙った。
 ゼルギウスとフェルディナントが敵対していることがはっきりすれば、光明が見出せると思っていた。そしていずれそうなる可能性が高いことが今回分かった。だが、この状況はとても楽観できるものではない。事態が更に深刻であるということが分かったに過ぎないのではないかと、クラウディアは思っていた。
 それでももう一つ、聞かねばならないことがある。クラウディアは震える声を抑えることができず、その言葉を口にした。

「貴方とカミュ・ファーネルは、どういう関係なのですか」

 ゼルギウスは薄く笑った。

「盟友だ。あの男に出会ったからこそ、今の余があるのだ」ゼルギウスは続ける。

「あやつは悪魔だ。その強さは神をも凌駕する。いや、実際に神を滅ぼしたのはあの男だと、トゥロは言っておったな」

 ゼルギウスのどこか狂気に染まった笑いが、静寂を切り裂き、響き渡っていく。
 クラウディアはただ呆然と、立ち尽くしていた。
 そしてその後ラザファムの口から出た言葉に凍り付いた。カティアが公国に捕らえられたと。その言葉に激しい怒りが込み上げてきた。我を忘れ、踵を返して出口へと走った。
 それを見てゼルギウスが叫んだ。

「カミュに会ったら伝えておけ。もうじき『決着』を付けてやる、とな」

 クラウディアが立ち去るのを確認して、ラザファムはゼルギウスに向き直った。

「最後のお言葉は耳に届いていない様子でした」

「構わぬ。それより、ファルコからの情報は確かなのだな」

「はっ、負傷の度合いも、先にお伝えした通りで間違いありません」

「くっくっく。やはりそういうことか。まだ見つからぬのだな?」

「はっ、今のところ姿は現しておりませんが、引き続きファンティーネを中心に捜索を行います」

「うむ。トゥロは何か知っておるやも知れんが……。まあよい、アレはしばらく放っておくか」

 ゼルギウスは椅子に深く腰掛けた。
 ラザファムはそれを見て一礼すると、出口へ向かい、部屋から立ち去った。

 ゼルギウスは天井に視線を向けた。先ほどまでの禍々しい威圧感は消え去っていた。慈愛に満ちた表情と言えるほど、優しい眼差しを空中に漂わせている。

「もうすぐだ、ヘンリエッテ。我が宿願は、もうすぐ叶う」言って、ゼルギウスは静かに目を閉じた。

 ――ああ、ときは近い。お前は我が同胞たる資格がある。その願い、見事叶えてみるがいい。

 ゼルギウスはその言葉に薄く笑みを零すと、満足そうに頷いた。
 風が舞う。直後、声の主の気配は掻き消えた。










(2009.10.29)
同じ指示語で別の人物を示していたところを一箇所直しました。混乱を避けるためです。
誤字・脱字、矛盾点等々、お気づきの箇所がございましたら、ご指摘いただけますと幸いです。
また、よりよい作品作りに向けての参考とさせていただきたく考えておりますので、ご意見、ご感想もお気軽にお寄せ下さい。メッセージにて個別でも構いません。

ブログもやってます。
キャラクター紹介や世界設定など徐々に載せていきます。また改版前のものもログとして残してあります。その他、小説に関する雑記やら綴っていますので、お時間があるときにでもお立ち寄りいただけますと幸いです。
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