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第七章:使者(五)

 ラディスの路地裏で、ジェネとセドリックは特査官の一人であるマルティーノと対峙していた。

 マルティーノは長剣を右手に持って構えた。「お前達は下がっていろ」と鎖を持つ痩せた男に告げる。
 痩せた男はマルティーノを睨みつけた後、セドリックにも睨みをきかせ、周囲を固める衛兵の中に下がった。地面に転がって斬られた腕を押さえていた小柄な男もそれに続いた。

 セドリックは呼吸を整えると、両手で剣を握って構えた。左手にほとんど力は入らない。深呼吸を一つ、そして、咆哮とともに跳んだ。

 鈍い金属音が響く。
 セドリックの渾身の一撃を、マルティーノは弾き返した。
 一歩、セドリックが下がる。その距離から力の限り剣を振るった。切っ先が弧を描き、直線をなぞる。左から薙ぐ。弾かれる。右から斬り付ける。受けてかわされる。正面から突く。軌道を逸らされ、体勢を崩した。
 マルティーノはほう、と感心しながらも、余裕の笑みをたたえていた。 

 ジェネは詠唱を開始した。鎖を持つ男が退いたのは有り難かった。油断してくれているのなら最大限に利用させてもらう。そう、ジェネは考えていた。

 ジェネを横目に見て、マルティーノが何かを口ずさんだ。セドリックの連撃を受け流しながら、まるで関係ないことを語りかけている。
 止まった。
 マルティーノは薄く笑うと、左手をジェネに向けた。
 空気が騒ぐ。直後、岩を斬り付けるような音が二つ鳴り響いた。ジェネも声を上げる。
 ジェネの後ろの壁が、十字に斬り裂かれていた。

「魔術剣士……」ジェネは目を見開いてマルティーノを見つめる。

 イオアネスを掲げた。氷の刃を展開し、マルティーノに向けて一斉に放つ。
 マルティーノは既に次の詠唱に入っていた。セドリックが後退したのを見届けると、氷の刃に身体を向けた。
 氷の刃が空中で砕け散る。目に見えない風の刃が無数に放たれていた。なんとかマルティーノに届いた氷も、剣で叩き落とされる。

「君は契約者ではないんだろう? その威力では私には届かないよ。さて、いつまで魔力が持つのかな?」

 涼やかな声でマルティーノは語りかけた。ジェネは攻撃を止め、マルティーノを睨み付ける。
 
「もういいだろう? おとなしく投降したらどうだ?」マルティーノはそう言うと、セドリックにも目を向ける。


 勝てないと、セドリックは思った。
 体力は限界に近い。左手の感覚もなくなってきた。ジェネの魔力がどのくらい残っているかもわからない。時間もかけられない。あと一人でも特査官がやってくれば、もう逃げることはできないだろう。

 ――どうしようもなくなったら、とにかく逃げることだな。全身全霊をかけて逃げるんだ。

 ふと、カミュがかつて言った言葉が頭に浮かんだ。ジェネの屋敷の裏庭で剣の稽古をこっそりつけてもらっていた時、よく話もした。

 ジェネを見る。目が合った。ここまで逃げてくる途中、何か言っていたのをセドリックは思い出した。
 ジェネは視線をマルティーノに移していた。その顔を見る。そこには、別の誰かの顔が重なって見えた。三年前のことが頭をぎる。ぎりっと、奥歯が鳴った。
 ジェネから視線を外した。マルティーノを見据える。ゆっくりと息を吐き、そして吸った。もう一度、カミュの言葉を思い出した。
 言葉を、紡ぐ――。

 
 マルティーノが気付いた。剣を構えたまま、セドリックが何事か呟いているのを見た。

「貴様……」マルティーノが駆けた。

 セドリックは必死に避ける。振るわれた長剣を横に大きく跳んでかわす。言葉を紡いだまま、剣で捌いて、跳び退いて、身を屈めて、致命傷を避けることだけ考える。左腕に傷が増えても、剣が頬を掠っても、言葉を続けた。

 マルティーノは詠唱を開始した。簡単に詠唱を終えると、小さな風の刃でセドリックを攻撃する。転がるように避けるセドリックを執拗に追い回す。セドリックの魔術攻撃を警戒しながら、小刻みに風の魔術で攻撃を加えていく。

 セドリックが後方に大きく跳び退いた。正面からやってくる風の刃の軌道をなんとか剣でずらす。だが威力を殺し切れず、背中から地面に叩きつけられた。
 息が止まる。直後せき込んだ。
 それでもすばやく立ち上がり、剣を構えた。肩で息をする。言葉を発する余裕はなかった。

 マルティーノは剣を構え直し、セドリックを見据える。思わず、笑みがこぼれた。

「姑息な真似を……」
 
 警戒させて隙でも突こうと思ったのかと、マルティーノは内心で呆れた。自分自身、魔術と剣術を同時に駆使して戦っているのだ。魔術剣士がどういった戦い方をするかは熟知している。その相手に魔術剣士を装って戦いを挑むなど、呆れるにもほどがある。稚拙な考えだ。ただの時間稼ぎにしかならない。
 ……時間稼ぎ? マルティーノは背筋に冷たいものを感じた。

 マルティーノは振り向いた。ジェネを見る。憔悴しきったその顔に、笑みが浮かんでいた。
 マルティーノがぜた。同時に詠唱を開始する。まだ魔術は行使していない。何をするつもりかはわからないが、大技を放つつもりなら接近すべきだと、判断した。
 ジェネは力なく右手を前に差し出している。右手の先が薄く光っているのをマルティーノは目で捉えたが、攻撃されているようには思えなかった。
 ジェネに剣が届く距離まであと数歩。
 その時、すぐ後ろで声が聞こえた。女性の名を叫ぶ声。
 身体が反応した。マルティーノは振り向きながら剣を縦にして、その腹に左手をあてがう。
 直後、鋭い金属音とともに激しい衝撃がマルティーノを襲った。
 左足で踏ん張るが、衝撃を支えきれずに弾き飛ばされた。目にしたのは、身体から光を放つセドリックと、衝撃で折れた互いの剣が宙を舞う光景だった。

 マルティーノは折れた剣を手にしたまま着地すると、すばやく身構えた。警戒しつつ詠唱を開始する。が、目の前に迫るものに視線を遮られた。虚を突かれながらもそれを折れた剣で叩き落とす。乾いた音を鳴らしてそれは地面に転がった。柄の部分だけの、剣だった。マルティーノはもう一度身構える。と、目にした光景に一瞬思考が停止する。
 セドリックはジェネを背負い、リュリュを右腕で抱え、マルティーノに身体を向けていた。その姿が、あっと言う間に小さくなる。

 セドリックは二人を担いだまま、後方に大きく飛び退いていた。十字路に入ったところで着地すると、マルティーノに身体を向けたまま右方向に跳躍した。その姿が消える。直後、壁を破壊する音が鳴り響いた。

「ちっ、初めからそのつもりか!」マルティーノは折れた剣を手にしたままそれを追った。

 十字路を左に折れる。道の左側の建物の壁に大きな穴が開いていた。その向かい側の建物の扉も破壊されている。一瞬だけ迷い、扉に向かう。扉の中に入ってすぐ、マルティーノは舌打ちした。
 路地裏で営業している飲食店の厨房だった。棚が倒され、食器類も散乱している。棚や調理台などが店の中へ続く道を塞いでいた。数人の調理師と思しき男女が、怯えた表情でマルティーノを見ていた。
 マルティーノは入ってきた扉から外に出ると、衛兵に向かって叫んだ。

「南へ向かえ!」



 西日が射す丘を、一角獣が駆け下りる。
 ラディスの街を一望しながらも、エリアーヌには景色を楽しんでいる余裕がない。街は静かに夕刻を迎えているように見えた。そこで何が起こっているのか、知る由もない。

 ラディスの城門前には、オメロとアントニオの他、数十名の衛兵が待ちかまえていた。オメロは二つの槍を手にしていた。
 到着直前に先頭に立ったカミュは、そこから距離をとって立ち止まった。カティアを下ろす。エリアーヌとエリオを乗せたユニもその後ろに立ち止まる。
 リアーナは一歩、カミュの前に出た。

「どうしたんだよ。オメロ、何があったんだ?」

 オメロは答えない。リアーナは不安げな表情で振り返り、カミュを見た。
 カミュは笑顔で応えると、オメロに向かった。

「入れてもらえるか? 連れと夕食を一緒にする約束があるんだ」

 オメロはちらりとユニを見た。が、何も言わずカミュに再び目を向ける。しばらくカミュを観察した後、オメロはようやく口を開いた。

「どこへ行かれていたのですか?」

「結構遠くの森だ」

「馬車で行かれたと聞きましたが」

「使い物にならなくなったんで走って帰ってきた」

「それは災難でしたね。……リアーナ、お前はずっと皆さんと一緒だったのか?」オメロはリアーナを見た。

「え? うん、一緒だったけど……。なあ、一体何があったんだよ」リアーナは苛立ちを隠せない。

「リアーナ、お前はこちらへ来い。ゲオルギオス様を置いていくなと、あれほど言っただろう」そう言って、オメロは大きな槍を差し出した。

 リアーナはどかどかと足を踏み鳴らしてオメロに歩み寄る。ゲオルギオスを受け取ると、なおも理由を問いただした。オメロは「後で話す」とだけ答えて、再びカミュに向き直った。

「公国の使者の皆様ですが、会見が長引いておりまして……。私共がこうしてお迎えに上がった次第です」

「そうか。ご苦労なことだな。まあいいや、じゃ、通してもらうぞ」

「その前に、その怪物はどうされるおつもりですかな」

「これか? 怪物じゃないぞ。ちょっと変わってるけど、ただの馬だ」

「角のある馬など聞いたことがありませんな」

「あ、間違えた。馬じゃない。鹿だ。角があるから鹿」

「……。ここ最近、異形の怪物がミラリア国内でも頻繁に目撃されていましてね。失礼ながら、少し調べさせていただきます」

「そりゃ困る。ほんとにこいつは大丈夫だよ。オレが保証しよう」カミュは胸を一つ叩いた。

 カティアはやり取りを見てため息を吐く。カミュにだけ聞こえるように囁いた。

「あからさまな時間稼ぎじゃない。相手に合わせる必要なんてあるの?」

「仕方がないだろ。こっちだって状況がつかめてないんだから」カミュも小声で答えた。

「そうだけど、時間が惜しいわ。突破できないの?」

「そりゃ突破して中に入るのは簡単だけどさ。その後のことを考えたら、簡単じゃないだろ?」

 カティアは黙る。確かにそうではあるが、ジェネ達に危険が迫っている可能性が高い以上、多少強引なこともすべきだと、考えていた。カティアにとっては国際問題よりもジェネたちの安全が優先されていた。
 
 そのやり取りの間、ミラリアの側でも衛兵がオメロに耳打ちしていた。オメロは報告を聞き終わると、カミュに話しかけた。

「会見は終了したそうです。そのまま晩餐会にご招待するとのことですが、皆様もいかがですか?」

「唐突だな。でもうまい飯が食えるならいいぞ」

「分かりました。あと、そちらの『鹿』ですが、貴方が保証してくださるということですので、馬屋にきちんと繋いでおくことを条件に、ラディスに入れることには同意いたしましょう」

「ああ、そうするよ」

 カミュはそう言うと、すたすたとオメロ達に向かって歩いていく。カティアもそれに続き、ユニもエリアーヌに促されて後を追った。
 
 城門を潜ると、カミュはエリオをユニから下ろした。リアーナを呼ぶと「ラウラに事情を話して、診てもらえ」と言って引き渡す。
 きょろきょろと辺りを見回すと、オメロの案内に従って付いて行った。



 古い建物が立ち並ぶ区画に、セドリックは辿り着いていた。二人を抱えながらなんとか追っ手を振り切ったものの、ジェネによる魔術の効果はなくなりつつあった。
 セドリックはジェネを背中から下ろし、リュリュを住居の側の草むらの上に寝かせた。そのまま腰を落とす。住居の壁に背を預け、空を見上げた。

「済みません。外まで持ちませんでした」

 セドリックのその言葉に、馬鹿ねとだけジェネは応えた。

 人の気配がない。
 古い建物のある場所はラディスの観光名所であるはずだが、どうやらここは違うらしいと、ジェネは思った。見回すと、歴史を感じさせる建物ではなく、ただ老朽化して人が住まなくなった住居があるだけだった。過去に貧民街だった場所かもしれないと、ジェネは考えた。

「少しだけ休んだら出発しましょう。今度は私が運ぶけど、乗り心地は期待しないでよ」

 ジェネはセドリックに精一杯の笑顔を向けた。きっと引きつっているだろうなと思いながらも、無理やり笑顔を作った。危険ではあるが、残りの魔力すべてを使って身体強化と飛翔の魔術で脱出しようと、ジェネは意を決していた。
 視線をリュリュに向けた。やや強張ってはいるが、静かに寝息を立てている。倒れた直後は息を荒げていた。簡単に治癒の魔術を施しただけだったが、それが効いてくれているようだと、ジェネは思った。この子のせいではない。逃げる途中、何度も自分に言い聞かせた言葉を、もう一度強く頭の中で繰り返した。
 セドリックから声が漏れた。セドリックを見る。目を見開き、空を見上げている。そして、

「みーつけた」

 明るい声がした。
 ジェネもそれを見た。胸元を大きく開いた衣装に身を包んだ、赤い髪と瞳の魔術師が空に浮かんでいた。
 膝が震える。絶望が、空から身体を押し付けてくる。それに必死で抗う。だが、諦めは徐々に足元から這い上がってきた。捕まれば、どのような過程を経ようとも自分の死罪は免れないだろう。それでも、セドリックとリュリュは助かるかも知れないという考えが、ジェネの頭を掠めた。

 セドリックがよろよろと立ち上がった。睨みつけるようにラウラを見上げる。
 その姿を見て、ジェネは胸が潰れる思いがした。最後にマルティーノに斬りかかった時のことを思い出す。知らない女性の名を叫んでいた。それが誰であるか聞く気にはなれない。だが、そうだ、自分にだって背負うものがある。誤解されたまま死んでしまうなど、許されるわけがない。そう思い、両足に力を込めた。
 召喚師だと、ジェネはカミュから聞いていた。『召喚師』自体、聞き慣れないものだった。だが、どのような魔術を操るかは聞いている。注意深く辺りを見回す。呼び出した魔獣らしきものは、見当たらない。先手必勝、その言葉が頭に浮かんだ。

「あら、やる気なの? それならそれでいいけど、話くらい聞くものじゃない?」

 ジェネは呆気にとられかけた思考を無理やり引き戻す。時間稼ぎかと疑いつつも、相手の言葉を聴く。

「まあ、何があったか聞きたいのはアタシの方なんだけどね」

 話してくれない? とラウラは続け、地面に着地した。
 
 ジェネは迷うことなく、静かに語り始めた。謁見の間で突然リュリュが教皇を襲ったこと、イオアネスとセドリックのおかげでなんとかここまで逃げて来られたこと、カミュ達は昼前に馬車でラディス郊外へ出かけたこと、それらをかいつまんで説明した。

 ラウラは黙って聞いている。草むらに寝転がるリュリュを見た。カノヴィス平原でのことを思い出した。

「二つ。注意しておくわ」ラウラはジェネを冷たい目で見据える。

「リュリュは憶えていないはずよ。事情を聞くにしても話すにしても、その前提を忘れないことね。もう一つは――」

 ラウラが続けた言葉に、ジェネは呆然とする。

「そんな……。それじゃあ、今回のことって――」

 ジェネはそこまで言って考えた。ラウラの言うことすべてを信用するわけにはいかない。だが、信じるに足る情報であるとも思えた。

「誰かが仕組んだんでしょうけど、誰が仕組んだかはわからないわ。怪しいやつはいるけど、間がよすぎるし、偶然の要素も強い。アンタ達には気の毒だけど、たまたま利用されただけじゃない?」考え込むジェネを見てラウラは言った。さらに続ける。

「さて、時間がないからとっととやっちゃうわよ」
 
 ラウラはそう言うと、詠唱を開始する。やがて魔方陣が地面に現れ、そこから巨大な芋虫のような生き物が浮かび上がってきた。横幅だけで人間一人分はある。頭はない。その代わりに、その先端には身体の横幅と同じ大きさの口らしきものがあった。

「こいつが穴掘ってくれるから、それに付いて行きなさい。言い聞かせてはいるけど、根が単純なやつだから近付きすぎないように気をつけてね」

 食べられちゃうからね、と物騒なことを言ってラウラは笑った。
 とても笑えないが、ジェネは信じるしかなかった。一応「助けてくれるの?」と聞いた。ラウラは「貸しはカミュにつけとくから安心なさい」と悪戯っぽく笑う。
 ジェネは残った魔力でセドリックの傷を癒す。自身に身体強化をかけようとして、セドリックに止められた。セドリックはリュリュを背負った。
 巨大な怪物は地面にかぶりつくと、そのままずぶずぶと地中に潜り込んで行った。

「外に出たら別のを用意してるから、それで国境を越えなさい。一応バンベールまで連れていくようにしておいたわ。さっきも言ったけど、急いだ方がいいわね」

 最後に、じゃあねと一言残し、ラウラはくるりと身をひるがえす。短く詠唱を行うと、ふわりと空中に浮かび、そのまま飛び去った。

 ジェネはそれを見送ると、大きく穴の開いた地面に飛び込んだ。



誤字・脱字、矛盾点等々、お気づきの箇所がございましたら、ご指摘いただけますと幸いです。
また、よりよい作品作りに向けての参考とさせていただきたく考えておりますので、ご意見、ご感想もお気軽にお寄せ下さい。メッセージにて個別でも構いません。

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