第五章:戦場への旅路(四)
ファンティーネ王宮の大会議堂では軍議が開かれていた。王族と主要貴族が集まり、ヴィルハルト帝国の侵攻作戦に対抗すべく、議論が展開されている。
大会議堂は一方の面に王族を配し、そこを中心に半円の波紋を描くように弓状の机が幾重にも置かれていた。王族の座る位置には、幾つもの豪奢な椅子が周囲よりも高い位置に玉座を中央として横一列に据え置かれている。弓状の机は四つに分かれており、その間は階段になって玉座から離れる方向に上っていた。
玉座にはシャルロ・フォルティア公王が、巨漢を窮屈そうに縮めて収まっている。その両隣には、クレマン第一王子が公王の右手側に、ガエタン第二王子が左手側に座っている。クレマンは憮然とした表情でいる。機嫌が悪いというよりも、威厳を示そうと表情を硬くしているようであった。ガエタンは退屈そうに周囲を見回していた。公王を含め、いずれも目の前の議論に興味を示してはいない。
ガエタンから遠く離れた端の椅子に、アンジェリーヌ王女がいた。本来、王女は軍議に参加することはないが、「後学のため」という名目で特別に許可されていた。
最前列の机の端に、カティアの姿があった。その隣には、頭頂部が薄くなった壮年過ぎの瘠せた男性――テオドール・エッフェンベルクが座っている。クラウディアの姿はない。
中段の中央付近の机には、オーギュストとジェネの親子が座っていた。セドリックはさらに後方の机にいた。
議論は混迷を極めた。会議中にも密偵からの情報が入り、その度に議論が大きく揺れた。だが徐々にそれらの情報が整理され、大勢が決しようとしていた。
主張は二つ。
カノヴィス平原で迎え撃ち、ヴィルハルト帝国軍を打ち破って一気にアンラードを奪還せんとする、シャバネル公爵、ファヴァール侯爵らが唱える強硬論。
カノヴィス平原は敢えて越えさせ、バール街道沿いのボーヴァルエ城で篭城して持久戦に持ち込まんとする、ラリュエット侯爵らが唱える慎重論。
今のところ、前者の強硬論が優勢であった。
伝えられているヴィルハルト軍の兵力は、騎兵三千、歩兵一万、補給隊とその守備兵二千の計一万五千。前回カノヴィス平原に展開した兵力の約二倍である。ゲルトラウト第一皇子が主力を率い、補給隊を含めた後衛の指揮をフェルディナント第二皇子が執る。
この中でも、二人の皇子、特に後衛とはいえ次期皇帝と目されているフェルディナントが戦場に出るという報は、強硬論を後押しすることになった。
「四将軍がいない以上、一気に二人の皇子を亡き者にし、完膚なきまでに帝国を叩くべきだ。アンラードをも奪還すれば、後顧の憂いは完全に絶たれることになる」シャバネル公爵は声を荒げる。
「騎兵三千を甘く見ている。帝国の騎馬隊の恐ろしさは承知の通り。騎兵の威力を削ぐには、篭城が最も有効だ。そもそも篭城戦は守備側の定石。わざわざ敵に有利な場で戦うなど愚か者のすることだ」ラリュエット侯爵が反論する。
「臆したか! ラリュエット卿。先の戦では我が国の魔術隊がその騎兵を無力化し、勝利を収めたではないか。蛮兵にやすやすと国土を蹂躙される辱めに、我慢などできようか。ただ勝てばよいというわけではない。この機にアンラードを奪還するのが、今回の目的だ。それがわからんか!」シャバネル公爵は語気を強めた。
「四将軍が帝国内の治安維持で動けないという情報も確度が高い。ゲルトラウトが功を焦って侵攻してきた今こそ好機とは思いませんかな? 下手に長引かせれば、彼らをも呼び寄せてしまいますぞ」ファヴァール侯爵も続いた。
ラリュエット侯爵は苦々しく二人を睨みつける。勝つことが前提の戦略、勝って当然の戦術、こんなものを論ずるのが軍議であるわけがない。だが今の公国に、長期的な視野に立って戦略を論ずることができる人間は少ない。そしてこの危機に的確な戦術を打ち出せる人間もまた、少ない。ラリュエット侯爵はちらりと玉座を見やり、目を閉じた。
アンジェリーヌは静かに議論を見守る。発言は許されていない。一言でも何か口にすれば直ちに退場を命じられるだろう。かつては王女であっても王位継承権があり、このような場でも自由に発言ができた時代もあった。だが今は『女』であるというだけで何も許されていない。唇を噛み、シャバネル公爵に視線を突き立てる。
アンジェリーヌとて戦術に明るいわけではない。書物を読み漁り、知識として蓄えてはいても、実際に兵を動かすような真似ができるとは思っていない。だが、シャバネル公爵らの主張がいかに愚かで非現実的であるかは理解できた。
三年前の戦いではシャバネル公爵の部隊が帝国軍を打ち破った、ということになっている。総崩れになった帝国軍を蹴散らし、アンラード地方南西部まで押し返したのはシャバネル公爵の部隊だった。しかし、実際にはいくつもの偶然が重なった結果に過ぎない。
――三年前。
カノヴィス平原で迎撃した公国軍は、魔術部隊の活躍もあり、しばらくは戦線を維持していた。しかし時間の経過とともに魔術部隊は疲弊し、魔力が尽きかけた頃には前衛の騎馬隊、歩兵隊は崩れ始め、司令官が負傷したところで後退を余儀なくされた。この司令官こそラリュエット侯爵であった。
偶然にも帝国の前線指揮官が負傷したため、帝国は組織的な追撃が行えなかった。そのため公国軍はカノヴィス平原の端の岩場を越えるまで戦力のほとんどを維持できた。魔力が残り僅かの魔術隊を岩場に隠す時間もあった。
業を煮やしたゲルトラウトが前線指揮を執り、態勢を立て直して追撃に入ったが、ここでも公国にとって幸運があった。騎兵のまとまりに比べて歩兵の連携が悪く、追撃部隊は騎兵が大きく先行することとなった。
追撃部隊の先頭が岩場を越えたところで魔術隊が奇襲を仕掛けた。策ははまり、追撃部隊を分断することに成功した。先頭を行く帝国軍の部隊は転進した公国軍歩兵と魔術隊の挟撃により全滅。帝国の騎兵は機能を完全に失った。遅れてやってきた帝国の歩兵は、それを目の当たりにして極端に戦意が落ちていった。
ゲルトラウトはなんとか挟撃は免れて後退したが、戻る途中で突然落馬した。どこからかやってきた帝国の騎兵に助けられたものの、その騎兵の独断により自軍に戻らず、数騎を従えて直接アンラードへ落ち延びることとなった。指揮官を失い、何故か「ゲルトラウト皇子が逃げ出した」という報までも流れた帝国軍の足並みは乱れ、立て直すことができないまま、シャバネル公爵が代わって指揮を執った部隊に悉く蹴散らされることとなった。さらに言えば、ゲルトラウトの捜索に四将軍が充てられたため、手薄になったアンラードの一部を公国が奪還できたとも言える。
ここで数え上げただけでも六つ。不可解な偶然が、重なった。
あのような幸運が今回も続くわけがない。ラリュエット侯爵の言うとおり、ボーヴァルエ城での篭城作戦がより良い選択であり、その上で魔術隊を有効に使うべきだ。アンジェリーヌはそう考えていた。
強硬論が支配的となっていく中、新たな情報がもたらされた。その報に、大会議堂がどよめいた。
――グスタ・ドヴォラク将軍率いる歩兵隊一千、カノヴィス平原南東へ展開予定――
ラリュエット侯爵が真っ先に反応した。
「四将軍が動かないなどという情報は偽情報だったのだ。カノヴィス平原で帝国を迎え撃とうものなら、グスタ将軍の部隊に挟撃される。ここはやはり――」そこまで言ったところで、シャバネル公爵が遮った。
「馬鹿を言うな! 高々、一千の歩兵ではないか。むしろそれくらいしか四将軍にあてがう戦力がない証拠だ。敵の手の内がわかった以上、この伏兵を抑えれば敵方の策は機能せず、労せずして敵主力を討つことができる」
アンジェリーヌは信じられないものを見る目でシャバネル公爵を見た。何故こうも頑なに強硬論を唱えるのか、理解できない。さすがにこれに賛同するものはいないだろう。そう思った時だった。
「では、我らの部隊でグスタ将軍を抑えて見せましょう」エッフェンベルク侯爵、テオドールだった。
「おお、エッフェンベルク卿。お願いできるか」シャバネル公爵は満足そうな笑みを浮かべた。
「我が部隊に優秀な騎士が一人おりましてな。グスタ将軍にはそれをあたらせましょう。ただ、全体としては戦力が心許なくもあります。どうでしょう、ベルジュラック卿の魔術部隊もこちらに回していただければ、確実ですが」
「公王陛下、いかがでございましょう。グスタ将軍が抑えられれば、敵主力も無力化されたも同然。ここはエッフェンベルク卿に任せてみては。その上で公王御自らご出馬なされれば、士気も益々あがりましょう」シャバネル公爵は公王に向いて尋ねた。
「余に前線に行けと申すか?」シャルロ公王は憮然とした表情で答える。
「公王陛下におかれましては、我らの雄姿をご覧いただける位置におわしますれば、兵卒も気炎を上げて敵を蹴散らしましょう。後は逃げ惑う敵兵に公王陛下のご威光を示されますればよろしいかと考えます」
「ふむ。高みの見物の後にヴィルハルトの田舎者どもを踏みにじる、か。それも一興よの。よし、シャバネル卿の案でゆくぞ。異論はないな」シャルロ公王は気をよくして頷くと、早々に軍議を切り上げようと声を上げた。
ラリュエット侯爵は天を仰ぎ、アンジェリーヌ王女を見た。王女と目が合うと、静かに首を横に振る。続けて後ろを振り返り、オーギュストに目で合図した。
――軍議は終わった。
シャバネル公爵が総司令を務め、歩兵中心に一万の部隊編成となった。魔術隊は主力の前衛が二百、さらに後方からの支援に五十名が配置されることとなった。一方、テオドールの歩兵部隊一千、オーギュスト率いる魔術隊十五名とその守備隊二百が、グスタ将軍にあたることになった。
――エッフェンベルク侯爵家の控え室。
軍議が終わってすぐに戻ってきたカティアは、事細かにクラウディアに話して聞かせた。
「酷いものだったわ」カティアは疲れた表情で言った。
「確かに公国の策は無謀とも言えますが、もたらされた帝国の情報が絶妙です。支持する勢力が大きいものであれば、強硬論が押し通ったのも頷けます。グスタ将軍の情報は不可解ですが、結果には影響なかったようですから、別の意図があるのかもしれません」
「そうね……。あの男が出てきたというのも気になるわ。まさか、とは思うけど……」
「可能性は高いかと思います。エッフェンベルク卿はゲルトラウトの指揮下にありますので、勝つつもりでいるのでしょうが――」クラウディアが硬い表情でそこまで言ったとき、扉が叩かれ、テオドールが部屋に入ってきた。
「カティア様、お早いお戻りですな」テオドールは笑顔を向けて、カティアに話しかけた。
「どうなされたのです、『お父様』。娘にそのような話し方などなさって」カティアは鋭い目つきをテオドールに向けた。
「ここには誰もいないではないですか。私とて気は遣います。ところで、いかがでしたかな。グスタ将軍の情報は予想外でしたが、結果的にはうまく利用できました。魔術隊の一部を分断し、我らも安全なところに向かうことができます。我ながらよく機転をきかせたと思ったのですが」
「あなたもグスタ将軍のことは知らなかったの?」カティアは眉根を寄せる。
「ええ。今回、四将軍は用いないとゲルトラウト様から伺っていましたので。もっとも先ほど連絡がありまして、実際にグスタ将軍はいないそうですよ。公国の部隊の分断を狙ったものだそうです。それにうまく乗ることができましたな」テオドールは控えめに胸をはる。
こうも簡単に諜報員の侵入を許すとは、公国の凋落ぶりは他国の事ながら呆れてしまうと、カティアはため息を吐く。そしてあまりのタイミングのよさにある考えが浮かんだ。
「エッフェンベルク卿、あなたはシャバネル公爵やファヴァール侯爵と直接やり取りはしているの?」
「いえ。あちらとは接触を持たないよう申し付かっておりますので」
やはり、とカティアは思った。
「では、彼らとどのような密約がなされているかは、知らないわけね」
「密約、ですか? まさか。彼らはアヌシュカ様がよしなに利用していると、聞いておりますが」
繋がった。
アヌシュカの名前が出るとは思っていなかったが、これで説明がつく。
主導権はあの男――フェルディナントが握っていると、カティアとクラウディアは確信した。
――アンジェリーヌは私室にオーギュストとジェネを呼んだ。
ラリュエット侯爵を呼ぶかは迷ったが、結局二人だけを呼び、今後のことを話し合うことにした。
「参りましたな。どうも納得がいかない」オーギュストは困った顔で髭を撫でる。
「決まってしまったことはどうしようもありません。この状況でどうするかを考えましょう」アンジェリーヌは暗い表情ながら、気丈に言った。
「正直に申し上げて、我らは自分達のことで手一杯ですな。グスタ将軍に対するなど、今からどうしてよいものやら……」オーギュストはがっくりとうなだれる。
「しっかりして下さい、お父様。それについては、なんとかなるかもしれません。少なくとも、グスタ将軍に匹敵する剣士がこちらにはいます」ジェネはわずかに興奮した様子でそう言った。
「そう言えば、エッフェンベルク卿もそのようなことを言っていましたね。何か知っているのですか?」アンジェリーヌが問う。
「はい、エッフェンベルク家のカティア様と面識がございまして、そのお方の守護騎士が聖剣使いなのです」
「聖剣! それは本当ですか? あ、いえ、疑っているわけではないのですが、びっくりして……」
「お気になさらないで下さい。私もこの目で見ました。かなりの使い手です。……そうですね、ここに呼んでみてはどうでしょう。彼女たちならきっと王女殿下のお力になってくれると思います」
「ジュヌヴィエーヴよ。友人を悪く言うわけではないが、安易に王女殿下にお目通りを許すというのはどうかと思うぞ。正直なところ、エッフェンベルク卿はあまり信用できん」オーギュストは髭を撫でながらそう言った。
「人となりは十分理解しています。エッフェンベルク卿はそうかもしれませんが、カティア様やクラウディアは信用の置ける人物です」ジェネは自信を持って言った。
「わかりました。とにかく会ってみましょう。戦い方についても確認しておきたいところですし」アンジェリーヌはそう言うと、部屋の衛兵に二人を呼ぶように言った。
しばらくして、カティアとクラウディアがアンジェリーヌの私室にやって来た。
「お召しにより参りました。カティア・エッフェンベルクです。お初にお目にかかり、光栄の極みに存じます」カティアが深々と頭を下げる。クラウディアもそれに倣う。
「こうして会うのは初めてですね。アンジェリーヌです。長くご病気で療養されていたと聞いていますが、今はご壮健のようでなによりです」アンジェリーヌは笑顔で応えた。
「恐れ入ります」と言って、カティアは席に着く。クラウディアはその後ろに控えた。
「貴女が聖剣の使い手ですか?」アンジェリーヌの問いに、「はい」と低く答える。
「こんな身近に聖剣の使い手がいるとは思いませんでした。聖剣のお名前はなんとおっしゃるの?」
「マルガリテスです」クラウディアは無表情に返す。アンジェリーヌの顔色が変わった。
「マルガリテス……。そう、ですか。クラウディアと言いましたね。貴女の家のお名前は、なんとおっしゃるのかしら」アンジェリーヌはまっすぐにクラウディアを見る。様子がおかしいことに、ベルジュラック親子は戸惑う。
「バルハウスです」クラウディアは無表情のまま答える。
「何故、帝国の人間がここにいるのです。取り潰されたという噂は耳にしましたが、それでも――」
「帝国で謀反を企てた罪で追われました。濡れ衣ですが、家は潰され、使用人を含め家の者は皆、殺されました。なんとか国境を越えて逃げ出したものの、深手を負って身動きが取れなくなったところを、カティア様に救われました。帝国には恨みしかありませんし、カティア様は命の恩人です。王女殿下のお考えは、杞憂に過ぎません」アンジェリーヌの話を遮り、クラウディアは語った。
「クラウディア、控えなさい」カティアはクラウディアを嗜め、アンジェリーヌに非礼を詫びた。
「信じても、よろしいのですね?」アンジェリーヌは一度も目を逸らすことはなかった。
「ご随意に。私はカティア様の剣であり、盾であります。ご無礼を承知で申し上げますが、公国への忠誠はありません」
クラウディアの言葉に、ため息を吐いたのはカティアだった。
「申し訳ございません、アンジェリーヌ様。この通り大変強情でして……。ですがご安心下さい。きっと公国のために力を尽くしてくれます」笑顔を向けて、そう言った。
アンジェリーヌはふっと笑うと、「わかりました。信じましょう。なんとかグスタ将軍を止めて下さい」クラウディアに優しく微笑みかけた。
その後グスタ将軍の部隊への対応について話し合い、解散となった。
アンジェリーヌは部屋に独りきりになってからずっと、ぐるぐると同じことを考えていた。
まさか、でも、いや、あり得ない。
「(なにか気になることでもございまして?)」誰もいないはずの部屋から、清楚な女性の声がした。
「いえ、……『カティア』という名前に、少し」アンジェリーヌはそう言ったものの、やはりあり得ないという思いで、考えるのを止めようとした。しかし、気になってしまう。
随分前に、亡くなったはずだ。少なくとも公式にはそう伝えられている。仮に生きていたとしても、公国に潜伏する理由がない。帝国の事情は計り知れないが、そのような立場の人間が公国の貴族の令嬢として生きているわけがない。だが、もし万が一、そのようなことがあれば……。アンジェリーヌは念のためエッフェンベルク侯爵家の周辺を調べることにした。
それでも杞憂に終わるだろうと考えていた。国は違えど、やはりあり得ない。
――ヴィルハルト帝国第三皇女、カティア・ヴィルヘルムが生きて公国にいるなど――
更新が送れそうです。予定では量が少なめなこともあり、8/9には更新できそうなのですが、ダメかもわかりません。
誤字・脱字、矛盾点等々、お気づきの箇所がございましたら、ご指摘いただけますと幸いです。
また、よりよい作品作りに向けての参考とさせていただきたく考えておりますので、ご意見、ご感想もお気軽にお寄せ下さい。メッセージにて個別でも構いません。
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