序章:暗がりの少女(二)
――暗がりで少女が目を覚ました頃、『ソレ』もまた目を覚ます。
男はスープを胃に流し込む。大してうまくはないのだろう。眉根を寄せて舌打ちをする。ここのところの仕事の出来もあるのかもしれない。街道を行き来するものは少なく、それなりの獲物はたいそうな警護を付けている。近くにあるバンベールの街も最近は警備がきつくなってきており、北にあるラマの村にはそもそも何もない。
男をはじめ、この砦に巣くう山賊にしてみればおもしろくないだろう。
男が食事をしているこの部屋は、砦のほぼ中央に位置する広間で、三百人は楽に入れるほど広い。天井も高く、講堂といった感がある。
敷物がそこかしこに敷かれ、広間の中央では食事が取れるようにもなっている。建物の中ではあったが、天井近くにはいくつか窓もあるため、まるで野宿しているかのように火を焚くこともできた。砦にいくつか部屋はあるが、今のように三十人程度の所帯であれば、たいていのことはこの広間で事足りる。
この古びた砦に、一年ほど前からちらほらと流れ者が集まってきた。お互いに面識のあるものは少ない。結束があるわけでもない。それでも組織として在る以上、束ねる者が必要だ。それを決めるのは簡単だ。腕っ節の強さを見せれば、たいていは納得する。もっとも、組織として機能するにはそれなりに教養のある者も必要となる。
男は、そのどちらも兼ね備えていた。力では、頭目やそれ以外にも何人か、男の上を行くものはいる。だが組織を成り立たせる知識を持っているのは、男だけだった。この砦にいる者としては最も優秀と言える。そのため男は頭目ではなかったが、この砦の中では中心的な位置にいた。
男は元々この国の辺境の村に住んでいた。男の住む村だけでなく、周辺の村々にも影響を与えるほどの力を持っていた。だが帝国の侵攻に遭って家族を失い、すべてを失い、ここに流れてきた。
男ほどの能力があれば山賊などしなくても職にあぶれることはない。しかし男はそうしなかった。男のすべてを奪った帝国に恨みは尽きない。だがそれと同じくらい、何もしなかったこの国にも憎悪の念は深い。
この国の中で『真っ当に生きない』というささやかな復讐を、男は続けていた。いずれ大きな復讐を遂げるのだと、そう考えはするものの、今なお男は山賊として生きている。
男の向かいに大柄な男が座っている。腕っ節は男以上であった。だが、恐ろしいほどに考えが足りないため、周りに迷惑を与えることもしばしばだった。愛嬌があるわけでもなく、ただ暴れるのが好きなだけ。当然、皆この大男のことを嫌っている。その大男はさっさと食事を済ませると、ランプを手にしてニヤニヤと哂いながら広間の出口へ向かう。
(またか)
男はまたも舌打ちする。その大男がどこへ向かったか、男も含めて周りはみな承知していた。これから地下へ降り、薄汚れた『アレ』を嬲りに行くのだろう、と。男にしてみれば大男の気が知れない。腐臭にまみれたあの部屋に男は近づく気にもならない。
最近は女の調達がなかなかできないでいた。必然、山賊たちのむき出しの欲望はこの砦で唯一の『女性』である『アレ』に向けられる。この砦に攫われてきた女たちの中でも、『アレ』はこの砦の山賊たちにとって上等の部類に入った。端整な顔立ちにしなやかで豊かな銀色の髪を持ち、吸い込まれるような漆黒の瞳と、痩せてはいるものの陶器のようになめらかで白い肌は、粗暴な山賊たちを魅了した。だが男はもう、『アレ』を相手にはしていない。汚いから、という理由を付けてはいるが、男は内心で気味悪がっている。
つい最近、この砦としては久しぶりに、上等な少女が攫われてきた。男は出遅れて、その少女がやってきた次の日にやっと順番が回ってきた。イライラが募ったこともあったのか、抵抗する少女を殴りつけながら犯した。その少女はその次の日にはもう死んでいた。
ここではその少女こそが普通なのだ。長くても数日のうちには息絶える。だからこそ気味が悪いのだと男は思った。確かにあえて殺そうとしたことは、誰もない。しかし、それでもここに連れてこられてから約三ヶ月、『アレ』はまだ生きている。
(そう言えば、あのゴミを犯った後だったな)
男はふと思い出した。
十日ほど前、この砦の頭目が姿を消した。逃げた、という者もいる。だが、男はそれを信じてはいなかった。
逃げる理由がない。
山賊風情とはいえ、その長ともなればそれなりに好きなことができるものだ。実際、頭目は権力を笠にやりたい放題であった。その地位を捨てるほどデキた人間ではないことを、男は知っていた。
頭目が消えたのは、ガリガリに痩せ細って今にも死にそうな『アレ』を嬲った後だった。
頭目に呼ばれて部屋に出向いたところ、体液にまみれて意識を失った『アレ』を男はまず見つけた。あの部屋に戻せと言われ、しぶしぶながら『アレ』を抱えあげて部屋を出た。
頭目が自分をよく思っていないことを男は知っていた。頭目は力では男を上回っていたが、男に比べて考えが回るほうではないことを自覚していた。男が全体を切り盛りし、その男を慕っているものが多いことも頭目は知っていた。だからこそ、頭目は折を見てその上下関係を知らしめようとした。そんな卑しい考えに辟易としながらも、男はよく従った。組織として成り立つために必要だったからだ。
男が頭目を見たのはそれが最後だった。
言われたとおり『アレ』をあの部屋に放り込んだ時には、さすがにこれで死ぬだろうと男は思ったが、翌日には別の者たちに連れ出されて嬲られていたようだ。
男以外の誰も気にはしていないようだが、男は気になって仕方がない。
(キズの治りが、早すぎる)
それも、常軌を逸していた。擦り傷程度なら翌日には痕も残らず治っている。腕の骨が折れたときも、5日ほどで、骨が繋がったのではないかと思えるほど回復していた。
もともと『アレ』は奴隷商を襲って手に入れたものだ。仲間が聞いた話では、ヴィルハルトの侵攻で奴隷となったらしい。それならば、と男は考える。当時、ヴィルハルトの蛮兵に従軍する奴隷は両足の腱を切られ、逃げられないようにされたと聞く。実際、そんな女を見たことがあった。だが『アレ』の足には、そんな痕などなかったはずだ。
(治癒の魔術でも使えるのか?)
ふとそんな考えが頭に浮かんだ時、男は背筋に冷たいものを感じた。魔術のことはよく知らない。だが魔術自体、扱うのが難しく、その中でも治癒の魔術は使える人間がさらに限られると言う。しかも腱が切れた状態から元に戻すなど、それこそ王宮付の魔術師ほどでなければ扱えないのではないだろうか、という考えに男は辿り着く。
改めて考えるにつけ、男はどうしようもない不安に襲われた。治癒の魔術であっても使いようによっては反撃することはできるかもしれないし、治癒以外の魔術が扱えないとも限らない。
(そういえば、昨日あいつを連れ出した連中はどうしたのか?)
男の中の不安が、別のかたちに変わっていく。手にしたスープを飲むのも忘れ、汗が頬をつたうのを感じていた。その時だった――。
異変は突然現れた。
広間の入り口あたりで大きな悲鳴が聞こえたのだ。
男は悲鳴が聞こえたほうへ向く。喧嘩や諍いは珍しいことではない。特に今は食事時だ。ほとんどすべての者がこの広間にいるはずなので、仲違いしている連中も顔を合わせるだろう。そう考えはしたが、そんなものとは明らかに雰囲気が異なると男は感じた。
その場にいた全員が、同じところを見た。
そこに、『ソレ』はいた。
(あれはなんだ?)
黒い影。
男はまずそう感じた。いや、それ以外の表現が出来なかった。
影が揺らいだと感じた直後、悲鳴を上げた仲間が消えた。
正確には、その頭が消えた。
血飛沫が天井に向かって伸びる。ガクンと一度沈んだ後、ゆっくりと、斜めの方向にその身体は傾いていく。扇形をかたどるように、弧を描いて床に倒れた。赤い液体がじわじわと床に広がっていく。壁にはべっとりと、赤い線が描かれていた。
(なんだ?これは?)
現実味がない。
目の前の光景が理解できない。
男はそれを呆然と眺めている。
別の悲鳴が上がる。さらに別の叫び声も。
阿鼻叫喚とはこのことをいうのだろうか。男はそんなことを考える。悲鳴、怒号、咆哮。いたるところで空気を切り裂くような声がこだまする。そしてその度に、仲間の身体が消え、辺りは赤黒く染まっていく。
(アレハナンダ?)
黒い影が揺らぐ。
男は、腰から上がごっそりとなくなっている仲間の姿を見る。ぶよぶよとしたものが真っ赤に染まり、白い部分がところどころ見える。赤い液体がぴっと跳ねて男の足元を濡らし、そのほとんどは滴り落ちて床を赤く染めている。異臭が鼻を突き刺してくる。
たった今、ついさっきまでは、男に向かって必死の形相で何か叫んでいた。それが一瞬にして消え去った。腰から下を残して。
ごろごろと人だったものが転がっていく。
腕も。脚も。頭も。腰も。
ごろごろ、ごろごろ。
だがそれもすぐに消えた。男の目の前にある、腰から上がなくなったモノも、間もなく消えた。
(ナンダコレハ?)
その言葉が頭に浮かんだとき、男の意識もまた、消えた。
広間に誰もいなくなると、『ソレ』はピクリとも動かなくなった。
ただ佇む。
思考も停止したままだ。そう、思考は最初から停止している。ただ本能のまま、動くものを襲っているようだった。
そこへ大男が戻ってきた。大男は広間に入ると言葉を失って動きを止めたが、すぐに大声で叫びはじめた。
『ソレ』はゆっくりと動き出す。目の前のものを見据える。
大男が影に気付く。
刹那、大男の右わき腹が失くなった。大きく抉られたわき腹から、ぼたぼたと身体の中身がこぼれ落ちる。
自身の異常に気付き、狂わんばかりになりながらこぼれ落ちたものをかき集めようと腰を屈めた時、両足が消えた。
そのまま自分の中身の上に倒れこむ。両腕も、既にない。
びちゃっ。
それが、大男が聞いた最後の音となった。
『ソレ』はまた停止する。思考は停止したまま。数分止まったままでいたが、耳がぴくりと動く。導かれるようにゆっくりと動き出す。
音もなく、階下へ向かう。
階段を降り切ったところで再び動きを止める。今度は数秒停止しただけで、右手方向へ向き直り、一歩一歩、床の感触を確かめるように進んでいく。
廊下の壁にあるロウソクの火が微かに音を発しながら揺らいでいる。その音とは異なる、規則正しい風の音に、徐々に近づいていく。
『ソレ』の動きが、またも停止した。途端、『ソレ』の思考が急速に回り始める。
(我は何をしている?)
(何故ここにいる?)
(我は何者だ?)
その自問に、回復した思考が追いつくと、断片的であったものがまとまりを帯びてくる。すべてではないが、『ソレ』は理解した。そして壁の向こうの気配を探る。
(まだ生きている)
そのことを確認すると、『ソレ』は姿を消した。
(2009.08.31)
ちょっとした加筆と細かい修正を行いました。
(2009.07.02)
序章(一)の大幅修正にあわせるかたちで少し手直ししました。
あとはちょこちょこ誤字脱字など修正しました。(まだあるかもしれませんが)
誤字・脱字、矛盾点等々、お気づきの箇所がございましたら、ご指摘いただけますと幸いです。
また、よりよい作品作りに向けての参考とさせていただきたく考えておりますので、ご意見、ご感想もお気軽にお寄せ下さい。メッセージにて個別でも構いません。
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