第三章:胎動(三)
エリアーヌの魔術が成功した。
嬉しそうに部屋を飛び出すエリアーヌを見て、カティアも顔を綻ばせる。一方、ジェネは険しい表情で「貴女は、どう思う?」とカティアに尋ねた。漠然とした質問ではあったが、それが何を意図しているかを、カティアは容易に理解できた。
エリアーヌは治癒の魔術に成功した、かに見えた。折れ曲がった茎は天井に向けてまっすぐに伸びている。萎れた花弁は精気を取り戻して色付いている。元の通りに治ったのだ。
しかしそれが「魔術」によるものなのかどうか、わからない。
魔術は、扱う個人よって変化に富む。同じ魔術を扱うとしても、発現方法や発現に至る過程、結果でさえも厳密には人によって異なる。しかし、それでも「魔術」と呼ばれるものには、最低限、共通する法則のようなものがある。その一つが、”詠唱”だ。
詠唱とは、魔力を魔術に変換する際に、言葉――いわゆる呪文――を声に出して唱えることである。
”声”として外界に干渉し、”音”として体内に取り入れるという過程を経て初めて、魔力は魔術に変換される。どのような言葉を紡ぐかは人それぞれであり、それに決まりはない。扱う魔術を説明するもの、思想・信条を詩にしたもの、意味不明な単語の羅列、様々である。
魔力を言の葉に乗せ、それを再び身体に迎え入れることで魔術と成す。それは即ち、魔術の規模――威力――は発声する言葉の多さに比例する、ということだ。言葉が多くなれば、いかに早く言葉を発しようと、時間はかかる。必然、紡ぐ言葉が多くなれば、詠唱時間も長くなる。つまりは、詠唱時間が長ければ長いほど――紡いだ言葉が多ければ多いほど――、魔術はその威力を増す。
このように、魔術に詠唱は不可欠であり、詠唱を行わないものは、魔術とは言えない。
エリアーヌが花を治療した時、エリアーヌは一言も言葉を発してはいなかった。
「『治れ』なんて思っただけで、傷が治るものじゃないわ。少なくとも魔術と言うものは、そうよね」
室内にはカティアとオレストがいる。しかし、ジェネはまるで自分に言い聞かせるように、そう言った。
「まあ、そうね。……オレストはどう思う?」
カティアの問いに、オレストは事も無げに答える。
「(さあの。目の前で起こったことがすべてじゃろう。そもそもあれが魔術かどうかは、どうでもよいことじゃ)」
「なるほどね」とカティアが頷く。しかし、ジェネは納得していない。
「私は”魔術”を教えているのよ。そうじゃない何かを教えるなんて、できないわ」
ジェネは、花瓶の花を見る。艶やかな花弁が、ジェネを見ている。
エリアーヌが「魔術を教えて欲しい」と言った時、ジェネは心底喜んだ。魔術の習得には危険を伴うが、自分の目が届く範囲ならば大事にはならないだろうという自信があった。
不幸な境遇にあって積極性を失っていたように見えた少女が、「危険を伴う」と前提を付けたにも関わらず、魔術と言う怪しげなものに何かしら希望を見出し、生きる目標といったものを見つけ出してくれたと思ったのだった。
魔術の習得には早くても二、三年はかかる。正直、習得しなくてもよいとさえ思っていた。何かを一生懸命やることが、生きる糧になると信じていたからだ。もっとも、カティアの話を聞き、カミュからも「エリーは自己治癒能力が高い」と聞いた時、治癒系統の魔術特性があるのかもしれないとは思ったし、治癒の魔術なら危険は少ないと考えたのだった。
そう、魔術ならば、問題はないのだ。
最初の頃は、エリアーヌも詠唱らしきことはしていた。ところが意識を集中し始めると、エリアーヌはそれに没頭する余り、詠唱を行うことを忘れるようになった。魔術の習い始めにはよくあることで、特段問題はない。むしろまずは集中することが重要であるため、詠唱し忘れることを指導者が注意する必要はない。無意識に詠唱できるようになるには、コツがいるのだ。エリアーヌも見事、見習い魔術師の最初の試練に突き当たったのだ。そう、ジェネは思っていた。
異変があったのは一昨日。
エリアーヌは、詠唱を忘れて意識を集中していた。結果、茎は折れ曲がったまま。しかし、折れたところにできた傷口の一部が、ほんの僅か、塞がっていたのだ。ジェネは見間違いかと思った。もしくは、あまりに小声だったために、詠唱が聞こえなかったのかとも考えた。
そして昨日。
またも同じことが起こった。見間違いではない。明らかに傷口の一部が塞がっていた。そして、詠唱は全く行われていなかった。
自分だけではどうしようもないと思い、ジェネは今日、カティアとオレストに同席してもらった。結果は、信じ難いものであった。治癒は完璧に行われた。数年で到達する領域に、兆候が見られた日を入れて三日、魔術を習い始めてからわずか二週間。そしてそれは、詠唱を行わずに成されたのだった。
こんな事態は全く想定していない。魔術でないとしたら、このまま安易に指導を続けてよいものだろうか。何か取り返しのつかないことをしてしまいそうで、ジェネは頭を抱える。
「どーすんのよぉー!」思わず叫ぶ。
「もうやめる?」
カティアの声に、ジェネはにらみつけると、
「そんなこと、できるわけないでしょう? あんなに嬉しそうにしてたのに、明日からはもうヤメ、なんて、あんた言えるわけ?」
最後は食って掛かるように言った。
結局、しばらくはカティアやオレストも様子を見守るということで、落ち着いた。本人を含め、これ以上は議論しても推測でしかないし、今のところ”治癒”の範囲で収まっている。ただ、痛みを伴うようなので、しばらくは無理をさせない、ということも取り決めた。
ジェネはまだ何事か、ぶつぶつと言っていた。
コン、コン。
やや控えめに、扉が叩かれた。同時に、「カティア様、いらっしゃいますか?」という、凛とした声が扉越しに聞こえた。「どうぞ」というカティアの声に、クラウディアが部屋に入ってきた。
「カティア様、先ほどの件でお話があります。お楽しみのところ申し訳ありませんが、少々お時間をいただけますか」
「ええ、わかったわ」カティアはそう言うとジェネに向き直り、「それじゃあ、また」と告げた。
「ああ、そうだ。今日の夕方くらいにお客様が来るのよ。いろいろ説明が面倒だから、姿は隠しておいてね。居候連中にも、会ったらそう伝えておいて」
ジェネの声に頷いて、カティアはクラウディアとともに自室に向かった。
カティアは自室に入るなり、「剣の稽古はどうだった?」とクラウディアに尋ねた。クラウディアは、「その話はしないで下さい」とため息を吐いて答えたが、すぐに真剣な眼差しで、カティアに向き直った。
「ご指示いただいた通り、カミュに直接問い質しましたが、ただ『わからない』と。帝国に立ち寄ったことは何度かあるとのことでしたが、詳細は語れないとも言っていました」
カミュには諸々の説明は省き、「帝国がお前を捜索している。何か心当たりはないか?」と聞いた。「さあ?」と応えるカミュではあったが、よくよく聞いてみると、帝国領内には何度となく侵入したことがあるらしい。ただあの男には珍しく、帝国内で何をやっていたかは言葉を濁した。「あんまりぺらぺら話すことじゃないからなあ」とはカミュの言だ。クラウディアはカミュとのやり取りを漏らさずカティアに伝えた。
「そう。やっぱり何かしでかしたのかしら。……カミュがはっきりしない時って、大抵、女性がらみなのよね」
カティアの言葉に、クラウディアは「なるほど、確かに」と頷く。
「本国からは、まだ何も言ってきてはないのよね?」カティアが尋ねた。
「今のところは何も……。タルナトが何か命令を受けているかもしれませんが、行動を起こしているようには見えません」
カティアはそれを聞いて考えを巡らせる。
本国からは二つの命令を受けている。その内の一つは、”欠片”を集めること。そしてもう一つは、ある人物を探し出し、帝国へ連れてくること。その際、生死は問わないとも言われている。
人物に関しては、外見的特長が告げられただけだった。髪の色、目の色、肌の色、顔つき、身長、体格、性別、服装、そして身の丈ほどの大剣を持つということ。細部に異なるところはあるものの、服装以外のすべてがカミュに合致した。そもそも「巨大な剣を持つ」という一点を持って、ほぼその人物であると特定できる。その上ほとんど見た目が一致するのだから、帝国が追う人物はカミュであると言っていいだろう。
だが、やはり何かがおかしい。外見的特長がはっきりしているにもかかわらず、名前も性格も教えられていない。さらに、「巨大な剣を持つ」男を捜すのに、その技量にも触れられていない。
どこにいるかわからない人物を、見たこともない人間が探すのだから、外見以外の特徴を”知っているのなら”、捜索する人間に教えるはずだ。では、”知らなかった”のか? それもまたおかしな話だ。外見的特長のみで、性格その他を全く知らない男を、”探す必要”はどこにある? ”探す目的”とは? さらに言えば、”死んでいても構わない”のは何故か? 犯罪者という可能性は確かにある。だが、犯罪者の捜索を自分たちに命令する理由に見当が付かない。加えて、既に見つけているのに本国から何も言ってこないのも不可解だ。カミュが犯罪者なら、すぐに何かしらの命令が下されてもよいはずだ。様子を見ている? 何のために?
疑問が疑問を呼び、疑問はさらに深まる。
もっとも、本国に理由を聞いても無駄だ。自分たちはただの駒。いや、それ以下だ。ただ命令に従って、失敗すれば容赦なく切り捨てられるだろう。
そこまで考えて、もしかすると自分たちは嵌められているのかもしれない、という思いに至った。しかし、”あの男”がそんな遠回しなことをするだろうか? あるいは、”欠片”を処分していることが知れたのだろうか?
今はわからないことが多すぎる。まずは相手の出方を待つしかない。幸い、カードはこちらが握っているのだ。カティアは思考を止めた。
「仕方ないわね。しばらくは様子見のままとしましょう」
カティアの言葉に、クラウディアも同意する。
室内が少し暑くなってきた。カティアは窓から身を乗り出すと、空へ向かって大きく背伸びした。午後の陽射しがまぶしい。せっかくのいい天気なのだからと、クラウディアと連れ立って出かけることにした。
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