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第二章:聖剣激突(三)

「エリーをお願い」

 ジェネはカティアの言葉の意味を即座に理解した。この少女を安全な場所に連れていくことが最優先であると。この場は二人に任せるのが最良の選択であると。
 エリアーヌは呆然と巨人を見ている。
 ジェネはエリアーヌの手を取った。その時、おかしな声を聞いた。

「あの人、どうして……」エリアーヌが呟いた。

 気にはなったが、今はこの場を離れることが先決だと、ジェネは強引にエリアーヌを引っ張って階段を目指した。
 エリアーヌは足をもつれさせながらもなんとかついて来る。
 小さな炎が行く先を照らす。
 ジェネは焦った。あの巨人に不吉なものを感じていた。だから早くエリアーヌを外に逃がし、自分は戻って援護したいと思っていた。

 階段を上りきり、廊下に飛び出た。ジェネは明るさに目を細めながら、廊下の先にある出口を目指す。
 腕に引っかかるものを感じ、走りながら振り返る。エリアーヌが転びそうになりながら走っていた。「もう少し急いでくださいな!」と言ってしまった。その言葉とは裏腹に、必死に走るその姿を見て心が痛む。無理をさせているのは明らかだ。得意というわけではないが、身体強化の魔術でエリアーヌを抱えて行くことも考えた。しかし、あの二人を援護するための魔力をなるべく温存しておきたかった。僅かな逡巡。それが、結果的に絶望的な状況を作り出してしまった。

 ジェネの全身が総毛立つ。突如辺りがくらくなった。重く濁った空気が体中に纏わりついてくる。これまで生きてきた中で最も不快な感覚を覚え、思わず近くの扉に飛び込んだ。錆びた臭いが鼻を突く。そこが先ほどの広間だと気付いた時、絶対にしてはならない過ちを犯したと感じた。
 広間の入り口におぞましい気配を感じ、覚悟を決めて広間の中央へ走った。エリアーヌは引きずられるまま必死について来る。
 そこに意外な人物がいた。猫背をさらに丸めて床を覗き込んでいたその男は、驚いてジェネの方へ向いた。タルナトだった。

 タルナトは、あわただしく広間に入ってきた二人組を見て、驚きとともに不審を抱いた。残りの二人はどうしたのか。ジェネの様子から只ならぬ事態であることはすぐ分かった。あの二人がいないことからも、危険なモノが現れたのではないかと考えた。もっともその考えは、ジェネとエリアーヌの後ろにいるモノを見れば明らかだった。

 ――巨大な獣がいた。

 四肢を床につけ、長い尾が硬くしなやかに伸びていた。全身を黒い毛で覆ったその巨大な姿は、魔獣と呼ぶにふさわしい。体長は馬二匹分ほどもあり、床から頭までも同じく馬の倍ほどある。その頭は、どういうわけか三つに分かれていた。いや、頭が三つあるのだ。
 理解を超えたその姿に、その場にいる三人は息を呑んだ。

 魔獣はジェネとエリアーヌを見据えて佇んでいる。入り口から動かない。

 二人とは少し離れた場所にいたタルナトが、恐怖を押さえ込んで勢いよく駆け出した。普段の姿からは考えられないほど俊敏に、魔獣の背後にある出口へ向かって走る。あの男が昼寝を始めたので、ちょっと金目のものを物色しにきただけだ。ただそれだけで命を落とすなどごめんだと、タルナトは心の中で毒づいた。走りながら苦々しく魔獣を見た。注意が二人に向いているのなら好都合だ。この隙にこの場を離れ、二人が襲われている間に外に逃げれば、なんとか逃げ切れるかもしれない。そう考えていた。

 魔獣の左側の首が、タルナトを目で捉えた。視線をまっすぐにタルナトに向ける。

 タルナトは目をらすことなく走る。想定はしていた。こうなってしまったなら一瞬でもひるませればいい。それができれば逃げ切れる。タルナトはそう考え、低い姿勢になって腰に隠した投擲用の短剣を取り出すと、魔獣の左首にある両目に向けて放った。ひし形をした短剣がまっすぐに、寸分の狂いもなくその両目を抉る、はずだった。しかし、短剣は魔獣の目に確実に命中しながらも、まるで鋼の壁に当たったかのように乾いた音をたてて弾かれた。
 タルナトは速度を緩めることなく、回り込みながら二撃目の短剣を放つ。と同時に、わき目も振らず出口へ走った。
 短剣は空を切る。魔獣は姿を消していた。
 直後に轟音と地響きが同時に起きた。がらがらと天井の一部が崩れ落ちてきた。魔獣がその巨躯を弾ませて天井付近まで跳躍し、前足で壁と天井を打ちつけて破壊したのだ。
 その残骸が広間の扉の前に積みあがる。着地した魔獣は、さらに床を抉って扉の穴を完全に塞いでしまった。
 タルナトの足は止まっていた。奥歯を噛み締め、全速力で後退した。

「あんた、何やってんのよ!」

 ジェネはエリアーヌを引きずりながら、後退したタルナトに近づく。顔をしかめるタルナトに向け、さらに言葉を続ける。

「私達を見捨てて逃げようとしたわね! 根性、曲がってるんじゃないの?」

 怒りを顕わにしてタルナトに詰め寄る。が、すぐに我に返って魔獣に向き直った。
 麗らかな陽射しが魔獣に降り注いでいる。だがそれは、漆黒の巨躯を禍々しく照らし出していた。中央の首が喉を鳴らし、左右の首が息を吐く。長くごつごつとした尾を揺らめかせていた。

 最早、絶望にしか見えない。
 タルナトが放った短剣にも驚いたが、それを全く寄せ付けないことに目まいすら覚える。あの巨体を軽々と天井付近まで持っていくことも、易々《やすやす》と壁や床を破壊するその力も、人がどうこうできるものではない。
 ジェネは必死に考える。こんな所であんな化け物に殺されるのはまっぴらだ。ジェネは視線を天井に移した。いくつかの魔術が頭に浮かんでは消えていく。この状況から逃れる策が思いつかない。唯一得意とする魔術のことが頭を掠めた。ちらりとタルナトを見た。苦々しく顔を顰めている。ジェネは再び魔獣を睨み付けた。
 ふと、エリアーヌが呟いた。

「どうして、この人まで……」

 エリアーヌは青ざめた顔で、それでいて恐怖とは違う、何か信じられないものを見るような目で魔獣を見ている。
 ジェネは、例えようもない不安に襲われる。目の前の絶望とはまた違った何かが、自身の周りで息を潜めているような、そんな感覚に囚われた。

 魔獣はゆっくりと、かつてこの砦にいた少女に近づいていく。
 それ以外に用はない。最も邪魔な二人は、地下で足止めされていることだろう。いい拾い物をしたと、魔獣は地下に潜ませた巨人のことを思った。
 魔獣は歓喜に震えた。この瞬間を待っていた。自分に力を授けてくれた少女。そして、今以上の力を与えてくれるはずの少女。この少女を喰らった後、まだ地下であの二人が生きているようであれば、それを嬲るのも面白い。さらにあの巨人が持つ『欠片』も自分のものにする。そう、魔獣は考えた。地下の気配を探り、激しく鳴り響く音が床に伝わってくるのを確認した。

 油断しているわけではない。魔獣はむしろ慎重に事を進めていた。もっとも、この場所に自分を脅かすものなどいないことも分かっていた。小汚い男の実力の程は先ほど理解した。少女の前で身体を張る小柄な女も、何かできるのならやっているはずだ。そして、少女が何もできないことは十分わかっている。だから『今』、『この場所』には、自分に対抗できるものなどいない。それは確かなことだった。

 だがもう一人、この場に現れるとは思っていなかった。

 音もなく、その男は降ってきた。魔獣とジェネの間、ちょうど真ん中あたりに、まるで重力などないかのように床を踏む音だけ鳴らして着地した。
 金色の髪が陽射しを反射して輝いている。その背には、巨大な鋼の塊が鈍く光っていた。

「なんだ? 冥府の番犬が、なんでこんなとこにいるんだ?」明るい声が響いた。

 意表を突かれたのは魔獣だけではない。突然現れた男の緊張感のない声に、誰もが唖然とする。

「あっ、あんた……、どこから……」ジェネがようやく口を開いたが、舌がうまく回らない。

「ん? どこって、上からだよ。入り口塞がってたし」天窓の一つを指差して答える。

「いっ、今まで何やってたのよ! このおじさんと一緒にいたんじゃなかったの!」

 自分としても何を怒っているのか、そもそも怒っているのかすら分からないまま、ジェネは声を荒げた。

「なんだよ、それが地か?」

 魔獣に背を向けるという愚挙を平然と行いながら、笑顔のまま「そっちのがおまえらしいな」と付け加えた。

 そして、カミュ・ファーネルは魔獣へと体を向けた。

 カミュは胸にある留め金を外し、大剣を右手で抜き取る。そしてゆっくりとそれを左手に持ち替え、左肩に担いだ。首を捻り、「しっぽかなあ」と大剣に向かって呟く。
 それが、合図となった。

 三つ首の魔獣が跳ぶ。

 その速度にジェネは驚愕し、慌てて魔術防壁を展開すべく詠唱を開始する。カミュが意表を突かれたかのように左に大きく跳躍するのが見えた。カミュが元いた位置は、空間そのものが食いちぎられたかのようにびりびりと振動した。

 魔獣は即座にカミュに向けて床を蹴り上げた。カミュが左足で着地した瞬間、魔獣の頭がその脚に迫る。
 カミュは後方へ、さらに大きく跳んだ。
 それでも魔獣は止まることなく、床を押し壊しながらカミュに喰らい付く。
 今度は右へ。

 息もつかせぬほどの追撃に、ジェネは気が気ではない。カミュが大剣を左肩に担いだまま飛び退くことしかできない様子を、詠唱を続けながら胸が潰れる思いで見守っていた。
 ひとたびその牙に食いつかれれば、骨ごと引き千切られるだろう。その爪がかすめただけで、肉は飛び散るだろう。ジェネは自身に苛立ちを覚えながらも詠唱を終え、魔術防壁を展開した。
 その状態でカミュを見る。紙一重でかわすことすらままならないのだろう。迫り来る牙を、横からぐ爪を、大きく跳躍することで避けていた。

 カミュが躱すたび、床や壁が破壊され、破片が飛び散る。破裂音が響き、建物が揺れる。
 爆風にも似た攻撃。巨躯が、疾走する。四肢を床に叩きつけ、カミュを追う。

 ジェネは跳んでくる破片を魔術防壁で防ぎながら、もう一つ詠唱を開始した。徐々に追い詰められていくカミュを見て気が気ではない。他の魔術を展開している状態ではいつもより時間がかかってしまう。はやる気持ちを祈りに変えて詠唱を続けた。
 カミュが広間の壁に追い込まれるのが見えた。何度目か。今度もまたなんとか壁を蹴り、兇刃じみた爪を避けたのを見届けて、ジェネは胸を撫で下ろした。

 タルナトは舌打ちをした。焦りの色が顔に浮かぶ。カミュと魔獣の戦闘が始まった時、すぐにでも壁に張り付いて上の窓から脱出するべきだった。あの二人が来ればなんとかなるかもしれないが、その前に喰われる可能性のほうがずっと高いと、タルナトは感じていた。
 床に大きな衝撃が走った。魔獣の前足によって大きく床が抉れ、破片が容赦なくカミュを襲う。これまでになく大きく後ろへ跳ぶことでなんとかそれを躱すカミュを見て、もう一度、タルナトは舌打ちした。

 エリアーヌは追いきれないでいた。何がどうなっているのかまるで分からないまま、ジェネが造り上げた魔術防壁に破片が当たる度に声を上げている。だが、不安ではなかった。僅かに目の端にカミュの姿が映ったとき、いつもと同じ笑みが浮かんでいるのが見えた。

 魔獣の連撃が空気を裂く。
 三つの首と左右の前足、そしてその巨躯そのものを使って、ただカミュの身体に触れることを考えて放たれた攻撃。そのことごとくを躱し切る。
 右前足から繰り出される渾身の一撃を、左に大きく跳んで避けた。床が抉れ、巨大な穴が開く。

 魔獣の疾走が止んだ。
 その時になって初めて、ジェネとタルナトは異状に気付いた。大きく息を吐いたのは魔獣。カミュは息一つ切らしていない。魔獣に笑顔すら向けていた。
 ジェネは信じられない思いでカミュを見た。飛び退くことしかできなかったのではない。紙一重で躱す必要もなかったのだ。『なんとか躱す』ようにしか見えなかったことが間違いだったと、理解した。

 魔獣は状況を理解できずにいた。いや、既に分かりきっていることではある。だが、どうしてこのような状況におちいったかが分からない。
 こんなはずではなかった。警戒すべきはあの二人だけのはずだ。少女は目の前にいる。アレを喰らえばあの二人をも寄せ付けない力が得られると、魔獣はそう考えていた。では、この男は? この男を凌駕するほどの力が得られるのか? 魔獣は混乱したまま、立ち尽くしていた。

 カミュが初めて自ら動いた。
 魔獣は恐怖を押し返すように、咆哮をあげてカミュへ突進する。
 カミュは魔獣の突撃を軽く右に避けると、大剣をただ振り下ろした。
 大木が折れ曲がるような、鈍く、腹に響く音が鳴った。
 魔獣の尾がどさりと床に落ちた。
 カミュはただ大剣を振り下ろしただけだった。ただ、恐ろしくはやかっただけ。

「オレの勝ちってことでいいか?」

 静寂の中、カミュの言葉が響く。魔獣は動かない。いや、動けない。死の恐怖に怯えている。それは、かつて人間だった頃に味わった感覚だった。






(2009.10.4)
全体的に冗長な説明の削除と表現の変更を行いました。
誤字・脱字、矛盾点等々、お気づきの箇所がございましたら、ご指摘いただけますと幸いです。
また、よりよい作品作りに向けての参考とさせていただきたく考えておりますので、ご意見、ご感想もお気軽にお寄せ下さい。メッセージにて個別でも構いません。

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