殺風景な事務所。
そんな事務所に響く足音。
誰かが階段を上がってくる。
そんな足音に、ソファーで眠っていた神村 洸は目を覚ます。
黒く艶立つ髪は、綺麗に寝かされ、前髪は完全に目に掛かっていた。胸元が開いたYシャツは皺くちゃで、右肩からズレ落ちている。
口を押さえ欠伸をする洸は、ボーッと事務所の出入口を見る。
すると、磨ガラスの向うに人影が写る。そして、勢いよく戸が開かれた。
「洸兄! 朝だよ!」
元気の良い声で入ってきた神村 結衣は、エプロン姿に菜箸を右手に持っていた。可愛らしく長い黒髪を頭の後ろで結い。ふっくらした胸を張り、堂々としている。
まだ眠そうな表情を見せる洸は、暫し間を空け答える。
「――知ってる。って、言うか朝から五月蝿い……」
「五月蝿いじゃないの! 毎日毎日、遅刻して恥かしくないの!」
「……別に」
間を空けてそう答えた洸に結衣が、「私は恥かしいの!」と、怒鳴って戸を勢いよく閉める。その弾みで、事務所の壁に立てかけられていた絵が傾いた。
流石にその音に目が冴える洸は、ソファーから立ち上がり伸びをして、事務所を後にした。
一階では、慌ただしく結衣が走り回っていた。
「シュン! ヒロ! 早く起きなさい! 遅刻するわよ!」
キッチンからそう叫ぶ。
すると、神村 俊也が、キチッと制服を着込み、整った髪を少々気にしながら広間にやってくる。そして、長方形のテーブルの右端に座る。ここが、俊也の指定の席だからだ。
「結衣姉。俺の髪変じゃない?」
忙しい中そう聞かれた結衣は、チラッと俊也の方を見て「変じゃない、変じゃない」と、軽く答える。不満そうな表情を見せる俊也は、手鏡を片手に髪を気にしていた。
「もう、シュン。鏡ばっかり見てないで、少しは手伝ってよ!」
「結衣姉。分かってないな。身だしなみって言うのは、男にとって大切なモノなんだよ」
「シュンの場合、あんまり意味無いよ。元々、素材が悪いから」
その俊也の言葉に反論したのは、今しがた広間にやってきた神村 夏帆だった。少し茶色交じりの黒髪を肩口まで伸ばし、前髪をピンで留めている夏帆は、結衣よりもちょっとこじんまりした胸の前でリボンを結び、テーブルの左端に座る。
そんな夏帆に、俊也は食って掛かる。
「どういう意味だ! 素材が悪いって!」
「そのまんまの意味だけど? もっと、はっきり言って欲しい?」
「ちょっと、二人とも! 朝から喧嘩は止めなさい!」
「全く、俊也も夏帆も朝は、静かにしろよ」
一番身だしなみの整っていない洸が、そんな事をぼやく。丁度、広間にやって来た所だった。流石にこの洸の姿を見た俊也と夏帆は言葉を失い、少し呆れている。そして、思う。こうはなりたくないと。
二人がそんな事を思っているとも知らず、腰を下ろす洸。その手前には俊也が座っており、朝食を食べ始めている。もちろん、その奥に座る夏帆も既に朝食を食べ始めており、そんな二人を洸は見つめていた。
「洸兄。ジッとコッチ見るの止めてくれない? 正直、食べ辛い」
「俺も、夏帆の意見に賛成だ」
「そう、恥かしがる事も無いだろ?」
「恥かしいとかの問題じゃなくて……」
夏帆はそこまで言って言葉を呑んだ。多分、言っても無駄だと踏んだのだ。全ての準備を終えた結衣が、洸の向いに座る。そして、まだ二つ空席なのに気付く。
「ちょっと! ヒロとチーちゃんは?」
「弘樹なら、まだ寝てる」
「はぁ? まだ寝てる? どうして起こしてあげないのよ! シュン!」
「面倒だから……。それじゃあ。俺もう行くわ」
そう言い立ち上がった俊也は鞄を片手に広間を後にする。「もう……」と、小声でぼやく結衣が立ち上がり弘樹の部屋に向ったと同時に、夏帆が静かに広間を出て行った。きっと学校へ行ったのだろう。
暫くして、戻ってきた結衣の横には、まだ幼い弘樹と千尋の二人の姿があった。眠そうに目を擦る二人に笑顔を見せる洸は「おはよう」と言う。すると、二人は眠そうに「おはよう」と、声を合わせて言う。のん気に笑顔を見せる洸だが、すぐに結衣の檄が飛んだ。
「洸兄! 何のんびりしてるのよ! もう、八時十分前だよ! これじゃあ、私まで遅刻しちゃうでしょ!」
「朝から、カリカリしてるねぇ」
「そうさせてるのは、あんた達でしょ」
「血圧上がるぞ」
「五月蝿い」
「小皺が――」
最後まで言わせてもらえなかった。即座にお盆を投げられ、額を直撃。それを見た弘樹と千尋は、目が冴えたのか、ケラケラと笑いながら結衣に拍手を送る。拍手を送られ、少し嬉しく思う結衣だったが、すぐに我に返り叫ぶ。
「あ〜っ! もう、遅刻しちゃう。洸兄! ヒロとチーちゃんの事学校まで連れて行ってあげてね」
「おう……。任せておけ。今日も、俺は遅刻決定だ」
「どうせ、常習犯だしいいでしょ!」
そう言って結衣が広間から出て行った。仰向けに倒れたままの洸は、「恥かしいんじゃなかったのか?」と、一人ぼやいた。そんな洸の傍に屈みこむ弘樹と千尋。二人と視線がぶつかると同時に「洸兄。ご飯」と、言われた。洸はもちろん、笑顔で答えた。「すぐ準備する」と。
この家の大黒柱の洸は、只今高校一年。ついでに結衣も高校一年だ。でも、双子じゃない。元々、血が繋がっていないから。と、言うより、俊也も夏帆も弘樹も千尋も誰一人として血は繋がっていない。その為、俊也と夏帆が同じ中学三年。弘樹と千尋が小学四年生だ。
何故、血も繋がっていないのに一緒に暮らしているのか。と、言う疑問だが。その理由として言えるのは、二階の事務所。そこに、昔住んでいた男。そいつが神村と言う苗字の男だった。ただ、名前は覚えていない。皆そいつを先生と呼んでいたから。
まぁ、そいつに拾われたのがここに暮らす血のつながりの無い六人。けど、そいつも五年前に死んだ。警察は事故だと、言っていたが、洸達は事故じゃないと分かっている。ついでに生活費は、保険金と貯金で何とか賄っている。意外と溜め込んでいたらしく、六人が高校を卒業できる位までのお金はあるだろう。
それに、あの事務所は今も経営中なため、時たま利益もある。殆ど赤字だけど――。
「そんじゃあ。気をつけろよ!」
「うん。洸兄もねぇ」
「ああ」
洸は弘樹と千尋に笑顔で手を振った。小学校前にいるが、ここから高校に行くのは面倒だ。その為、洸はいつも昼頃にしか登校しない。結衣が恥かしいというのは、二人が同じクラスだからだ。その為、同じクラスの生徒には色々と言われるらしいのだ。そんな事、お構いなしの洸は、今日ものんびりと街をウロウロとしている。
「今日も、依頼はゼロか……」
携帯を見てぼやく洸は、ため息を吐き肩を落す。ここの所、全く依頼がない。いや…依頼が無いわけじゃない。殆どの依頼がハズレなのだ。
そんな時、携帯が震える。マナーモードにしているから。
「電話? 結衣からか……。また、遅刻の事か?」
携帯の画面を見ながら不服そうにそうぼやく洸は、めんどくさそうに電話に出る。すると、結衣の声が洸の耳を貫く勢いで響く。
『おっそーい! これが、依頼の電話だったら、どうするつもり!』
耳の奥深くでキンキンと響く結衣の声に、溜らず耳を放す洸は、静かに答える。
「五月蝿い……。そんな怒鳴らなくても聞えてるよ。それに、画面にお前からの電話だって載ってるんだし、依頼じゃ無い事は明白じゃないか」
『何、のん気な事言ってるの。依頼よ』
我が耳を疑い、何かの聞き間違いだと、聞き返す。
「はい? なんだって?」
『しっかりしてよ。依頼よ。しかも、今回は大当たり』
「な、何! 本当か!」
無意識に声が大きくなる洸。流石に、その声に困った様な声で返事が返ってくる。
『本当よ。それより、五月蝿い。少し考えてよね』
「悪い。それで、依頼人は?」
『その事だけど……。今すぐ学校に来て。私の力で何処まで持ちこたえられるか……』
「はぁ? お前、まさか! すぐ行く! 学校の何処にいる!」
『科学室。とりあえず……。粘ってみるから……』
通話が切れる。携帯をすぐにしまう洸は、駆け出した。
学校の科学室。結衣が両手を前に突き出し結界を作り出している。
その目の前に立ちはだかるのは、天井に届くほどの大きな化物。二本の角が額から生え、太い牙がむき出し。腕も脚も太くて大きい。その化物の太く大きな拳が、光りの壁結界に亀裂を走らせる。両手に力を込める結衣は、その力に表情をゆがめた。
「う〜っ。洸兄の馬鹿……」
そう呟く結衣の後ろで、化物の姿に怯えた表情を見せる女子高生。彼女が、依頼人だ。彼女は早江嶋 沙希。一応、同じクラス。あんまりクラスでも目立たないタイプで、結衣も話したのは今日が初めてだ。
何故話したのか。それは、沙希を取り巻く黒い影を見たから。あれは、この化物が現れる時に出る特有のモノ。だから、何と無く気に掛かり声をかけたのだ。そしたら、案の定、こんな状態に――。
「ウウッ。もう……限界……」
亀裂の入った結界が砕ける。化物の拳を受け止める前に。力を消耗し過ぎたのだ。もう、だめと、思ったその時、ガラスが割れ洸の声が――。
「結衣に手を出す――ガグッ!」
殴られた。丁度、化物の拳の前に飛んできたから。その為、もう一度ガラスを破り外へと飛んで行った。
「バ…バカ。洸兄……」
恥かしそうにそう呟く結衣。流石に呆れるしかない。グランドに横たわる洸の周りには砂塵が舞う。流石に授業中のクラスも、授業を中断してグランドに横たわる洸に視線を送る。ムクッと起き上がる洸は、先ほど化物に殴られた傷は無く、ピンピンしている。そして、叫ぶ。
「結衣!」
その一言で何の事か分かった結衣は、叫び返す。
「無理!」
「それじゃあ、どうすんだ!」
「ここで、倒して!」
「はぁ? マジで言ってる?」
「大マジ」
ガックリ肩を落す洸は、急ぎ足で科学室へと戻る。何とか、もう一度結界を張り、攻撃に耐えている結衣。割れた窓から堂々と入ってくる洸は、結衣の傍までゆき化物を見上げる。
「これまた、本当に大当たりだな」
「ようやく仕事が出来るわね」
「あんなぁ……。何か、俺だけの仕事になっている様だが、お前達も鬼滅屋のメンバーだろ。何故に、俺だけに頼る」
少々迷惑そうに呟く洸に、不満そうな顔をする結衣は言葉を返す。
「私は先生に結界術と忘却術しか教わってないの。シュンは一応“絶”が使えるけど、まだ完全に使いこなしている訳じゃないでしょ? 夏帆だって、“壊”が使えるけど、洸兄よりもまだまだ不安定だし。それに、二人は今年受験なの。邪魔しちゃダメなの!」
「なるほど……。何故に、結衣は結界術と忘却術しか覚えてないんだ?」
「私は戦闘のセンスが無いって……先生が……」
「そりゃ、酷い……。悪かったな。へんなこと聞いて……」
そう言って洸が結衣の肩に触れたその瞬間、結界が砕けた。そして、化物の大きな拳が二人に迫る。一歩前に出る洸は、腰を軽く落すと、
「まずは、手始めに……」
と、軽く呟き化物の拳に向って右手を真っ直ぐに伸ばしす。大きな拳は、軽々と洸の右手に受け止められる。その衝撃が科学室の窓を全て弾き飛ばすが、洸の体は全く動かず、黒髪だけが激しくはためく。そして、大きな拳と洸の右手の間から光りが洩れた。
「絶!」
そう叫ぶと右手が触れていた所から、腕がボコボコと膨れ上がる。そして、それが肩まで行くと、風船の様に破裂して木っ端微塵に砕け散るが、血などは一切出ない。この化物には血が通っていないからだ。悲鳴を上げる化物は二・三後退して、もう片一方の拳を洸に向って振り下ろす。
「分かってないな」
そう呟く洸は、右手を振り下ろし左手で化物の拳を受け止める。そして、左手の甲に右手をかぶせた。その間から洩れる光は先程よりも強く眩しい。その光りが洸の手の平へと圧縮されていく。
「壊!」
洸のこの一声で光りが放たれ、凄まじい衝撃が洸の両肩に襲い掛かる。もちろん、その衝撃は化物の腕にも襲い掛かり、腕の皮膚が引き裂かれバラバラに散った。衝撃に耐えた洸は、少々息を荒げている。それもそのはず、壊は破壊力重視の術。その破壊力は術者の体にもかなりの負担を与えるのだ。
「ハァ…ハァ……」
「洸兄……。別に無理して壊を使わなくても良かったのに……」
「な〜に。これも、結衣の勉強の為だ。次は“滅”行くぞ」
そう言い笑みを浮かべる洸の後ろで、顔を背ける結衣は「全く、見てなかった」と、呟く。もちろん、洸には聞えていない。その為、いつもよりも張り切りながら次の術の準備を施す。
右手に長くロールされた符を巻き始める。そして、肘の辺りまで巻くと、符を切りポケットにしまう。右腕に巻かれた符は、微かに光りを放ち始める。
「これで、終わりだ」
そう呟く洸は、ゆっくりと握り拳を作り、「ハアアアアッ」と、息を吐きながら叫ぶ。符の光りが更に強まり、洸の右腕から煙が上がる。それは、符が強い熱を発しているからだ。何かの焼ける臭いが漂い始め、結衣は心配そうに洸の事を見つめている。
「封!」
叫ぶと同時に洸が右拳を化物に突き出す。腹部の方に洸の右拳が直撃し、その直後、右腕に巻かれていた符が勢いよくはがれる。激痛が洸の右腕を襲うが、それを歯を食い縛り我慢する。剥がれた符は金色の光りを放ったまま宙に舞い、化物の体を締め付ける様に巻きつく。
「滅!」
光り輝く符は、洸のその声に更に光りを強め、急に化物の体が青白い炎に包まれ、すぐに灰と化した。化物が消えた後も、青白く燃え行く符が消えた頃には、辺りに散らばっていた化物の肉片なども全て消滅していた。
それからが大変だった。とりあえず、化物は倒したが、高校生から金を巻き上げる事も出来ない。それに、その沙希の記憶を消し、壊した物を直す。これも、大きな騒ぎにならない為の洸達の仕事。正直、化物と戦うよりも、後処理の方が大変なのだ。こうして、大変な一日が過ぎた。
――翌日。
「コラーッ! シュン! ヒロ! 早く起きなさい!」
相変わらず、結衣の声が事務所の方まで響く。目を覚ました洸は、眠そうに事務所を後にし一階に下りた。
既に、朝ごはんを食べ終えている夏帆に、結衣が言う。
「あっ! 夏帆! チーちゃん起こして!」
「ごめん。私、急いでるから。シュンに頼んで」
「はぁ? 何で俺なんだよ!」
夏帆の言葉に反論する俊也。だが、その間に洸が割ってはいる。
「う〜っ。朝はもう少し静かに寝かせてくれよ……」
そののん気な洸の言葉を無視してもめる夏帆と俊也に、結衣の怒りが落ちる。
「うるさーい! 洸兄はさっさと顔洗う! シュンはヒロ起こして! 夏帆はチーちゃん起こすの! って、ちょっと! シュン! 夏帆!」
だが、いつの間にか広間から姿を消した二人。そして、二人の声が、玄関の向うから聞える。
「いってきま〜す!」
「あーっ! 二人とも! って、洸兄! 寝てないで顔洗って、ヒロとチーちゃん起こしてきて! って、もうこんな時間! 後任せるからね!」
時計を見て焦る結衣に、眠そうに欠伸をしながら洸は答えた。
「ああ……。いってらっしゃい」
「いってきます!」
こうして、また騒がしく一日が始まった。
「弘樹〜ッ、千尋〜ッ。起きないと遅刻するぞ〜ッ」
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