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闇の十字星

闇の調停者

作者:小倉蛇
 矢島は、前日に発生した宝石店強盗の捜査のために、市内最大の繁華街である遺跡町に来ていた。
 襲われた宝石店の店長は、数日前この遺跡町で飲み歩いていた際に、店の警備状況などを聞かれるままに誰かに話してしまったような気がする、と証言していた。だがその時のことはだいぶ酔っていたために、どこで誰に話したかなど詳しいことは憶えていないとのことだった。
 そこで矢島と相棒の安藤由宇良は、飲み屋が開店準備をはじめだす午後五時ごろから手分けして、片端から店長の写真を見せ聞き込みをして回っていた。
 七時ごろになると勤めを終えた会社員が街にあふれだし聞き込みも容易でなくなった。矢島はやぼ用があると言って由宇良だけ先に署へ帰らせた。
 そして彼はある男を探しに行った。その男は“タグ”と呼ばれていた。いつも貸衣装屋のタグがついたままの派手なジャケットを着ているので、そんなあだ名がつけられていた。
 人ごみの中でキャバクラの呼び込みをしているタグを見つけ、矢島は声をかけた。
「あっ、矢島さん、お疲れ様です」
 タグは五分刈りの頭をぺこりと下げた。
「例の件、調べてくれたか?」
 矢島は聞いた。この男は彼が知る限り、この町で一番の事情通なのだった。
「ええ、宝石店強盗の件ですか? どうもめぼしいネタはないですねえ」
「いや、そっちの方はいいんだ。もう一つ頼んでおいたろ」
「ああ、《夜の心臓》って店ですね。ありましたよ」
「どこだ?」
「この通りの二つ先の十字路を右に少し入ったところにパピヨン館って建物があるんですが、そこの七階に。先月オープンした店で」
「そうか、二つ先を右だな。ありがとよ」
 矢島が礼に千円札を一枚渡すと、タグは両手で捧げるように摘んで「毎度どうも」と頭を下げた。


 夜の心臓――それは謎の宇宙生物ミ=ゴがテレパシーで彼に伝えてきた言葉だった。
 二週間ほど前、矢島と由宇良は麻薬密売人殺害事件の捜査で、ある宗教団体の施設へ潜入した。そこで教団員らに捕えられ、邪神召喚のための生贄にされそうになったのだが、突如襲来したミ=ゴのおかげで危機をまぬがれたのであった。その際、矢島の脳内に直接に送り込まれてきたのが“夜の心臓”という言葉だった。
 それを店の名前とあたりをつけたのは、よくよく思い出してみると、そのイメージが言葉そのものというよりはアクリル板の看板の文字だったような気がしたためだった。
 パピヨン館は、落ち着いた雰囲気の上品なバーやスナックが各階に入ったビルだった。その最上階に《夜の心臓》はあった。
 矢島はエレベーターで七階に上がっていった。
 ホールへ出ると正面に黒いドアがあった。会員制のプレートが掲げられていたが、かまわず扉を開けた。
 カウンターの奥で氷を砕いていた女性が顔を上げた。白い肩を露出させた黒いワンピースを着た髪の長い女だった。
「うちは会員制なんですけど」
 矢島を見て女は言った。
「そう、だが……」矢島は言った。「ここを紹介されたんだがね」
「どなたから?」
「うむ、ミ=ゴって言えばわかるかな」
「ではどうぞ」
 女はとくに反応も見せずに矢島をカウンターの席へ招いた。
 他に客の姿はなかった。壁は一面ガラス張りで、夕闇に沈む街が一望できた。
「あんたがここの経営者?」
 スツールに腰掛け矢島は聞いた。
「そうです。甲田小夜子といいます」
「おれは矢島だ。矢島達彦」
「ではお近づきのしるしに」
 小夜子は金色の液体に氷を浮かべたグラスを差し出した。
 口に含むとそれはかすかに甘く、初めて味わう感覚だった。
「何だこの酒は?」
「蜂蜜酒の一種です」
 一気に酔いが回り、脳内に宇宙が拡がっていくようだった。
 矢島は自分が何を求めてこの店に来たのかを忘れていた。
「あなたはミ=ゴに選ばれました」小夜子は言った。「明日夜九時、もう一度ここへ来るのです。仲間たちがあなたを迎えるでしょう」
「あ、ああ、わかった。明日夜九時だな」
「そう」
 矢島はふらつく足取りで席を立ち、店を出ていった。
 エレベーターに乗ると、急に酔いから醒めたようになって、なぜ何も聞かずに店を出てきてしまったのか不思議に思った。ともかく明日の夜九時にもう一度来てみれば何かわかるのだろう、と矢島は考え、今日のところは引き上げることにした。
 パピヨン館を出て街路に立った。ネオンが瞬き、客引きが声を張り上げていた。この季節にしては冷たい風が吹いていた。
 左右から二人の男が近づいてきた。どちらも長身でがっしりした体つきで黒いスーツを着ていた。
「逢空署の矢島さんですね?」
 右の男が言った。
「ああ、そうだが、あんたらは?」
「警視庁の者です」
 左の男が言った。
「本庁の……?」
「お話したいことがありますので、車までご同行願います」
 右の男が言って、前に立って歩き出した。
 矢島が後をついて行くと、左の男がその後ろを歩いた。
 脇道にハザードを点滅させた黒のヴェルファイアが止められていた。
 指示されるままに矢島は後部座席に乗り込んだ。黒服の二人の男は前のシートに座った。
 よく見ると前部との間には透明なガラスの仕切りがあることに矢島は気づいた。二人の男が気味の悪い笑いを顔に浮かべて振り返った。その直後、座席の下から白いガスが噴き出してきた。
「おい、何のまねだ!?」
 考える間もなく矢島はガスを吸い込んでしまった。
 たちまち彼は昏睡した――


 ……
 ヘリコプターの飛び去る音を聞いて矢島は意識を取り戻した。
 音は次第に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
 目を開くと彼は、硬い木製の椅子に座らせられていた。両手首が肘掛けに手錠で固定されていた。
 周囲を見回すとそこは、廃墟の中の一室のようだった。ひび割れた壁、変色した床、ガラスのない窓からは明け方の紫色の空が見えた。
 真後ろにあるドアから人の入ってくる気配があった。首をひねってそちらを見ると、あの黒いスーツの二人組だった。
 どちらも背は高めだが、これといった特徴のない顔立ちで、一人は生白い顔に眼鏡をかけていて、もう一人は浅黒い顔で口ひげを生やしていた。
「お目覚めですね、矢島さん」
 壁沿いに歩きながら、黒い顔の男が言った。
「何だお前らは?」
「私の名はヒドラ」
 目の前を右から左へと横切りながら、白い顔の男が言った。
「私の名はニクス」と黒い顔。「もちろんコードネームですよ」
「本庁から来たというのは嘘だったんだな」
「われわれは冥王星委員会の者だ」
 とヒドラが言った。
「何だそれは?」
「まあ、公安関係者とでも思ってもらいましょうか。桜田門ともあながち無関係というわけでもないのです」
 とニクス。
「公安だと……、いったい何が目的だ?」
「われわれが欲しいのは情報だ」
 とヒドラ。
「報告はしている」
「しかし、未報告の情報があるはずだ」
 ニクスは壁に沿って大きく円を描くように歩いていた。
「何のことだ?」
「まあ、聞いてください。矢島さん」ニクスが言った。「四か月前、つまり今年四月、あなたは逢空市郊外のとある邸宅で自称・天体物理学者の陣野晴嵐氏殺害事件の現場に居合わせた。そして一か月後、五月にはあなたの同僚だった逢空署捜査一課の宮坂俊行巡査が頭部を切断された状態で発見された。その翌日にはハッカーの通称サダコこと松本定夫氏が彼を追跡中だったあなたの目の前で殺害された。さらに二か月後、七月には麻薬密売人殺害事件の捜査中だったあなたは宗教団体《天界大門教》の信者集団死亡事件の現場に居合わせる。これらの事実に間違いはありませんね?」
「ああ、そのとおりだ」
「あなたが上司に提出した報告書によれば、これらの事件には共通してある存在が関わっている」
 ヒドラは矢島から二メートルほどの距離を保って歩いていた。
「そうだ、それが……」
「それが、ミ=ゴですね」
 とニクス。
 二人は矢島が繋がれた椅子を中心に、二つの衛星のようにそれぞれの軌道を歩き回っているのだった。
「お前たちは何だ? 何が目的なんだ?」
「われわれはあなたに協力して欲しいのですよ」
「協力だと。ではこの手錠は何だ? なぜ眠らせてこんな場所へ連れてきた?」
「ことの性質上われわれは慎重にならざるえないのでね。どうかご理解いただきたい」
「なに、質問に答えていただければ、すぐに手錠は外しますよ」
「何の質問だ?」
「そう、つまり情報をね。まだ未報告の情報があるはずだ」
「そんなものはない」
「あなたにはわれわれの知らない情報源があるのではないですか?」
「知らん」
「たとえば、あなたの相棒だった宮坂刑事。彼は首を切断されて殺害された。だがその頭部は現在に至るも発見されていない」
「それがどうした?」
「ミ=ゴたちは、人間の脳だけを取り出して生かしておくテクノロジーを持っているとか」
「だから何だ? お前たちはやつらの正体を知っているのか?」
「ユゴス星よりのもの、ミ=ゴ。その最初の記録はラヴクラフトの小説だった。あるいは古い魔道書にその記載があるという説もありますがね。それはともかく、ラヴクラフトはユゴス星から来た生物を直接ミ=ゴと呼んだわけではない。ヒマラヤにミ=ゴと呼ばれる雪男がいて、それと同類ではないかと書いているのだ。だが、われわれの調査では、ヒマラヤのミ=ゴとは何か正体はつかめなかった」
 ニクスが言葉を継いだ。「パプアニューギニアにはミゴーという鰐に似た怪物の伝説があるんですがね」
「ここ数年」ヒドラが再度話はじめた。「世界各地で新たな未確認生物の目撃情報が相次いだ。それがラヴクラフトの小説の描写とよく似ていることから、いつしかミ=ゴと呼ばれるようになった。ミ=ゴが人間の脳を取り出し保存しているという説もラヴクラフトの小説に基づいている。この未確認生物は、昨年ごろからこの日本でも目撃されるようになり、いくつかの失踪や殺人事件にも関与している可能性が出てきた。いったい、ミ=ゴとは何者なのか、何が目的で地球にあらわれるようになったのか、それを調査するのがわれわれ冥王星委員会の使命というわけだ」
「ラヴクラフトのいうユゴスとは冥王星の別名なのだ」
 とニクス。
「それで、何かわかったのか?」
 矢島は聞いた。
「そう、最近判明したのは、人間の中にもミ=ゴに協力している者がいるということだ」
 とヒドラが言って、ニクスがつづけた。「例えば、あの甲田小夜子という女だ」
「矢島さん、あなたは昨夜、彼女と接触した。その理由をうかがいたい」
「まず手錠を外してくれ。話はそれからだ」
「無理だ。われわれはあなたを信用していない」
「では何を言っても無駄だな」
 ヒドラとニクスは黙って部屋を出て行った。そしてすぐに機械類を積んだ台車を押して戻ってきた。台車を矢島が繋がれている椅子の横に止めると、ヒドラは筐体の上に載せられていたヘルメットを手に取った。ヘルメットからは無数のコードが垂れ下がっていた。
 それを無理矢理、矢島の頭にかぶせあごにベルトをかけて固定した。不透明なバイザーで視界も覆われてしまう。
「何をする気だ!?」
「矢島さん、あなたがわれわれに協力すると言ってくれれば、すぐもとに戻しますよ」
「断る!」
「では、仕方がない」
 ヒドラがそう言うと、ニクスがスイッチを操作した。
 矢島の耳に奇妙な音響が流れた。目を閉じていたが、網膜に光を感じた。回転する光。脳の中を音が駆け巡る。
 平衡感覚が失われ、身体が回転しているように感じた。
 やがて彼は意識を失った――


 ……
 彼は薄暗い洞窟の中を歩いていた。
 岩の切れ目からわずかに光が射しこんでいた。
 遠くで激しい戦闘が行われているような、爆音や銃声がかすかに聞こえてきた。
 ここはどこだ? おれはいったい何をしているのか?
 わけがわからないまま彼は歩きつづけた。
 身体が岩にあたると金属音が響いた。
 見ると、彼の全身は灰色の金属で覆われていた。まるでサイボーグだ。
 鋼の足音を響かせながら彼は歩きつづけた。
 しばらく進むと、明るい開けた場所へ出た。そこには緑色の燐光を放つ水を湛えた大きな泉があった。
 彼が近づくと、静かな水面が不意に泡立ち始めた。その直後、水の中から巨大な蛆虫のような怪物が姿をあらわした。
 よく見ると金属製のセンサーなどが頭部から突き出している。怪物は口を大きく開くと、しなやかに動く触腕のようなものを伸ばして彼の身体に巻き付け、あっという間に飲みこんでしまった。
 彼は消化器官のような管の中を運ばれていった。その過程で、先端に工具をつけたアームが四方から伸びてきて彼の身体を分解していった。手足が取り去られ、頭から胸までを残した状態になると、こんどは別の部品が接続されていった。背中には大きなコウモリのような翼が、さらに四股の代わりにバルカン砲やロケットランチャーが取り付けられた。彼の身体は、羽ばたいて飛ぶ対地攻撃機のようなものに改造されていった。
 それが完成すると、まるで排泄するように空中に投げ出された。
 そこは、巨大戦車とサイボーグ兵士が入り乱れた戦場だった。空には戦闘機が飛び回っていて、爆撃機の編隊も見えた。
 翼が自動的に羽ばたいて彼は飛んでいた。左右のバランスが悪いのでうまく飛べずにふらついていた。
 地上の戦車に照準を合わせると、ロケットランチャーが勝手に発射された。
 ロケット弾が地表で爆発すると、たちまち対空機銃の集中砲火が浴びせられた。無数の銃弾が身体に突き刺さる感覚があった。
 さらに急降下してきた戦闘機がバルカン砲を掃射した。
 彼の身体は、粉々に砕け散った――


 ……
 矢島の意識は現実にもどった。
 ヘルメットをかぶせられたままなので視界は暗黒だった。
 だが、すぐ目の前に映像が投射された。あの廃墟の部屋の光景だった。頭を動かすとそれに合わせて画面も移動した。バイザーがディスプレイになっていてヘルメットに取り付けられたカメラの映像が映し出されているようだった。解像度が低く、色味もおかしかった。
 耳元のスピーカーから声が聞こえた。
「いかががですか、気分は?」ヒドラの声だ。「今、視ていただいたのは未来の地球です」
「ミ=ゴに占領された後のね」
 とニクスの声。
「人類は皆サイボーグ化され、新兵器を生み出すための実験台にされているのですよ」
「ま、もちろん確定した未来ではありませんが」
「しかし、今、対応を誤ればわれわれの未来は確実にこうなる」
「そうならないため、矢島さん、あなたの協力が必要なのです」
「協力してくれませんか?」
「断る!」
 矢島は言った。
 すると目の前の映像が消え、点滅する光があらわれた。耳には奇妙な音が響いた。
 矢島の意識は再度、別世界へと飛ばされた――


 ……
 気がつくと彼は巨人だった。
 身長が数十メートルはある。足元を逃げまどう人間が蟻のようだった。
 そこはトーチカのようなものの残骸が点在する荒野だった。
 多砲塔戦車が砲撃しながら近づいてきた。彼からすれば子犬ほどの大きさだった。
 彼は戦車をつかみ上げ、もう一台の戦車へ叩き付けた。二台まとめて爆発した。
 さらにもう一台、離れたところから彼を狙っている戦車があった。大股で歩み寄ると、それも簡単に捕まえた。
 その戦車は丘の上にある卵型のドームへ投げつけた。
 ドームはあっさりと崩壊した。その中から大量の蜂のようなものが飛び出してきた。蜂型のドローンだった。
 黒い靄のようなドローンの群れが彼に襲いかかってきた。
 腕を一振りすれば数機まとめて叩き落とせるが、数が多くてとても間に合わない。たちまち彼の全身はドローンに覆われた。
 蜂型のドローンは尻についた針をつぎつぎに彼の身体に打ちこんできた。
 彼は地面に倒れ、やがて気絶した――


 ……
「うわあああっ!」
 矢島の意識は戻ったが、まだ体中を蜂にたかられているような気がした。
 払いのけようとして、手首を手錠で繋がれていることに気づいた。
「どうです、協力してくれる気になりませんか?」
 耳元でヒドラの声がした。
 矢島は激しく首を振った。「お断りだ!」
「仕方がありませんね……」
 ――


 ……
 彼は、巨大な機械群に埋もれていた。
 その機械群は小惑星の内部に埋め込まれている。
 宇宙空間を漂いながら敵の艦艇が接近してくるのを待ち伏せているのだった。
 長い待機時間を経て、エンジンに火が点った。
 ゲートが開き、カタパルトが始動した。
 射出される直前、せわしなく警報が鳴りだした。ミサイルが接近している。
 彼がゲートを出ると同時に、ミサイルは小惑星に着弾した。
 爆発が機体を傷つけ、飛翔コースを捻じ曲げた。
 彼の攻撃機はあさっての方向へ暴走していた。燃料も失われ航路の回復は不可能だった。
 艦隊戦の閃光が遠くに見えた。彼は暗黒の虚無へと漂流していた。
 相変わらず警報が鳴りつづけている。酸素が漏れ出し、体温も下がっていた。このままではいずれ生体部品の維持ができなくなる。
 ひどく寒い。その上、呼吸も苦しくなってきた。
 まだ死ぬまでには間がありそうだった。しかし助かる見込みもない。
 ただ暗黒の宇宙を漂流しつづけるだけ……
 息が苦しい……酸素、酸素を――


 ……
 意識が戻ると、矢島は水から上がった男のように息を喘がせた。
「われわれはもっとひどい死に方を体験させることもできるんですよ」
 ヒドラが言った。
「そうしないのは」と遠くからニクスの声。「トラウマになるようなことをして、今後の協力関係に支障をきたしても困るわけでね」
「だが、あなたがそう強情では、こちらとしても手加減してばかりもいられなくなる」
「勝手にしろ」
「そうですか、では……」
 矢島の視界は溶暗した――


 暗闇がつづいていた。
「ぎゃぁぁぁー」
 男の悲鳴が聞こえた。
 今のはニクスの声だったような気がする。
 つづいてヒドラの声が「ああっ、お、お前はっ!?」と言った。
 ばたりと床に倒れる音。血のにおい。
 矢島は両手首に熱を感じると同時に、金属の弾ける音を聞いた。
 しばらくは動けずにいた。
 やがて彼は両手が自由になっていることに気づいた。
 あごを締め付けたベルトを解いて、ヘルメットを外した。
 廃墟の床に二人の男が横たわっていた。ヒドラとニクスだ。二人とも胸を引き裂かれ血を流していた。それは、ミ=ゴに殺された者の死にざまだった。
 ガラスのない窓から陽が射していた。
 部屋の中を見回し、もう一度正面を向くと、いつの間にかそこに一人の女が立っていた。
 髪が長く、白いワンピースを着ている。バー《夜の心臓》のマダム甲田小夜子だった。
「君は……、どうしてここに?」
「あなたを救いに」
 無表情な青ざめた顔で小夜子は言った。
「だが、君は……君はミ=ゴの仲間なのか?」
「そうです」
「おれはミ=ゴに支配された未来を見せられた……」
「それはコンピューターが作り出したシミュレーションにすぎません」
「ミ=ゴは地球を侵略しようとしているのではないのか」
「ミ=ゴたちは人類を救済に来たのです」
「しかし、何人もの人を殺しているじゃないか」
「人類は強い力を持っています。科学も、霊力も。殺されたのは、そうした力を誤った用い方をした人々なのです。ミ=ゴが自分たちを守るための最小限の犠牲です」
「脳を奪われた人間は?」
「救済に必要な処置を検討するためのサンプルでした。その人たちは今も生きています。もちろんあなたの相棒だった宮坂さんも」
「だったら会わせてもらいたい」
「そのためにはまず“救済”を受け入れてもらう必要があります」
「どういうことだ?」
「彼らが今いる場所は地球上ではないのです」
「じゃあ、どこにいるって言うんだ?」
「そこは“救済”を受けた者だけが辿り着く場所です」
「救済とは何だ?」
「では、見せてあげましょう」
「見せるって……」
 小夜子が矢島の目を覗きこんだ。彼女の目は金色に輝きだした。
「うわっ」
 矢島の視界が光に包まれた。
 身体が軽くなる感覚があった。
 彼は重力から解放され、交響する光と音の中を漂っていた。
 その光と音は、あまりにも美しいものだった。人類のどんな芸術家が創造したものよりも、遙かに素晴らしかった。
 彼の身体は感動に打ち震えていた。
 しばらく圧倒的な美の世界を漂った後、彼の身体は現実に戻された。
 重力が身体にこたえ、ぐったりと椅子にへたばった。
「では、今夜九時」小夜子が囁くような声で言った。「《夜の心臓》でお待ちしています。そこで簡単な脳手術を受けるだけで、あなたはより完全な救済者の世界へ到達できるようになるのです」
 そう言葉を残し、女は姿を消した。


 救済……、おれは救済されるんだ、と矢島は思った。
 あの店で、手術を受ければ……、もう一度あの世界へ、より完全に……
 ミ=ゴがおれを救済してくれる。いずれは人類すべてを……
 ミ=ゴは……ミ=ゴは救世主だったのだ!
 矢島は、目を輝かせながら立ち上がると、おぼつかない足取りで出口を探し始めた。
少し間が空いてしまいましたが、《闇の十字星》第五話です。
次回はいよいよ最終回。
「神話を織りなすもの」
お楽しみに!

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