掌編――雨
雨なんか嫌いだ。
健太は窓の外、低く垂れ込める雨雲を憎々しげにねめつけた。
病室は完全防音で、雨音はまったく聞こえない。空調の音が耳障りなくらいだ。
シーツの上に放り出した自分の両手に目を落として、こぶしを握った。
お膳を下げに給食のおばさんがやってきた。最初は看護婦さんかと思っていたが、看護婦さんじゃなくて栄養士さんだとかヘルパーさんだとか教えてもらったけど、健太にはよくわからなかった。食事を運んでくれるから給食のおばさんだ、と健太は勝手に呼んでいた。
「あら、食べてないのねえ。嫌いだった?」
今日の昼ごはんは具が分からないぐらいとろとろに煮込んだカレーだった。
健太は首を振った。むしろ大好物だ。でも食べたくない。
「調子悪いのかな。お熱はない?」
給食のおばさんはそう言うと健太の額に手を当て、首をかしげた。
「そういうわけでもないみたいね。何か気にかかることがあるのかな?」
健太はちょっと考えて首を振った。どうせ、給食のおばさんに言ったって仕方がない。
「わかった。雨だから憂鬱なのね」
健太には憂鬱、という言葉が分からなかった。きょとんとした顔でおばさんを見ると、おばさんはあわてて付け加えた。
「ええとね、憂鬱っていうのはね……どう説明したらわかるかな。なんとなく気分がすぐれない感じ。いやぁな気分。なんかつまんないなーって気持ち」
健太はうなずいた。三番目の説明が今の自分の気分にぴったりだと思ったからだ。
「分かるわ。天気が悪いとなんだか暗い気分になっちゃうのよね。お見舞いに来る人も減っちゃうし」
健太はまたうなずいた。それを見て給食のおばさんはひらめいた。
「わかった。いつもお見舞いに来てくれてる隆くんが来てくれないんじゃないかって思ったのね?」
健太はうなずいた。おばさんは健太の頭をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫よ。昨日帰る時に『雨が降っても来てやらぁ!』って叫んでたでしょ?」
健太が目を丸くしておばさんを見上げると、おばさんは笑った。
「昨日、夕ご飯を持ってきたときに隆くん、そう叫んでたじゃない。だから来てくれるわよ。ほら、ちゃんとお昼ご飯食べておかないと、隆くんが来たときにおなかが鳴って笑われるわよ?」
健太はうなずき、スプーンを取り上げた。
じゃあね、とおばさんが立ち去ろうとする背中に、健太ははじめて「おばさん、ありがと」と言った。
おばさんはびっくりした様子で振り返り、笑って手を振りながら病室を出て行った。
健太はもう一度外をみた。少し雲の色が薄くなっていた。
きっともうすぐ雨も止むだろう。
そしたら、隆が散歩に誘ってくれる。まだ使い慣れない松葉杖で今日もあちこち探検できる。
今日はどこに行ってみようか。
健太はカレーライスをほおばりながら、あれこれ考えをめぐらせて笑みが止まらなかった。