一杯のラーメン
「死ぬまでには絶体に食べておいた方がいい、幻と言われるラーメンがある」
そんな話を会社の同僚から聞いた。そんな話を聞かされた日には、ラーメン好きの自分としては、行かない訳にはいかない。仕事が終わり、私はさっそく、同僚から教えられた店の場所へと足を運んだ。
その店は、駅から十分程歩いた、閑静な住宅街の一角にあった。店の周りには、自己主張の強い看板の類いは一切なく、一見、すぐにはラーメン屋とわからない佇まい。おそらく、何も知らない者がこの店の前を通っても、ここがラーメン屋と気付く者はそうはいないだろう。
私は期待に胸を膨らませ、店の扉を開けた。店内はこじんまりとしたカウンター席のみで、客はなく、店主が一人、何やら厨房で作業をしている。
私の存在に気付いた店主は、「いらっしゃい」と一言声を掛けると、注文を聞く事なく、勝手にラーメンを作り始めた。
それもそのはずである。メニュー表には「醤油ラーメン」の一品しかないのだ。一品勝負。これは余程自信のある一杯を出すに違いない。私は、より一層期待を高めた。
それから五分程が経ち、「おまちどお」と、カウンター席に掛けた私の目の前に、念願の醤油ラーメンが出された。
空腹を刺激する旨そうなラーメンの香りに、私は堪らずラーメンに食らいつく。自然と口の中に吸い込まれていくラーメン。麺、スープ、具材とその一つ一つの味のバランスが絶妙に保たれ、全てが完璧であった。それは、自分が今までに食べてきたラーメンの中で、確実に一番と言えるラーメンだった。同僚の言っていた事は本当だったのだ。
旨い物に言葉はいらない。私は無心でラーメンを啜り続け、スープの一滴までを飲み干し、完食した後、最高の一杯を提供してくれた店主に、感謝と尊敬の念を込めて伝える。
「旨かった…。こんな旨いラーメンなら何杯でも食べられそうだよ」
しかし、そんな私の言葉に、店主は当然といった様子で言った。
「そりゃそうでしょ、だって幻なんだから…」