「よう」
「ん、おはよ」
首もとはグレイのマフラーでぐるぐる巻き。
学校指定だという地味なロングコートに身を包んで、あいつは今日も一番うしろの席にどっかりと座っている。
一応バス内には暖房が効いていたから、俺は手袋をはずしながら、その隣に座った。そのマフラー暑くないのかと訊いてみたら、あいつは「まだ寒い」とか言って首をすぼめた。俺は思わず笑ってしまう。
「さむがり」
「うっせえよ」
俺は笑い続けながら、冷え性だというあいつに手袋を貸してやった。近所の店で安く買った、黒い毛糸の手袋だ。両手を揃えて差し出してやると、あいつは「さんきゅ」と小さく礼を言いながら受け取った。
ふと見たら、その耳にはイヤホンが付いている。どうやら新しいMDで、音楽を聴いているらしい。
「なに聴いてるの」
「ヘル・エンジェル」
「なにそれ。曲名?」
「バンド名」
聴くか?、とイヤホンを片方だけ差し出された。
ありがとうと言いながら頷き、それを受け取って耳に付けてみる。途端、ジャカジャカジャカジャカと、けたたましいエレキギターの音が耳の鼓膜に叩き付けられた。
「…っ」
「かっこいいだろ?」
「…うん」
ロック好きの人間にとっては、そうなんだろう。
だが悪いけど、俺の好みには合わない。
サビの部分だけ我慢して聴いて、その後すぐにイヤホンをはずして、あいつに返した。
よければ暫く貸してやろうか、の言葉には丁重な断りを入れておく。気持ちだけ有り難く受け取った。
がたん、がたん。
道の舗装が悪いのか、バスは常にガタガタと小刻みに揺れ、ときおり大きくガタンと跳ねる。俺はもう慣れているので平気だが、バスに弱い人間は間違いなく酔ってしまうだろう。
「わっ…とと」
「今日はまた一段と跳ねるな」
「運転手が、いつものベテランとは違う人みたいだから」
「ああ、なるほど。…いてっ!」
「あ、悪い」
揺れた拍子に、俺のひじが当たってしまったらしい。
謝ると、あいつは大丈夫だと言ってシートに座り直した。
「ケツが痛い」
「そりゃ、20分や30分も乗ってりゃな。お前、確か家は中町だろ?」
「おう。おかげで、ガッコまで遠いのなんのって。私立なんか受けずに、近場の公立に行けば良かったよ。そうすれば、このダセぇコートも着なくてすむし」
「あはは。割と似合ってるぞ」
「うるさい」
ひじ鉄を返された。
と、再び大きな揺れがきて、あいつの体が俺の方に倒れ込んでくる。
「うぉっと」
「大丈夫かよ」
「…ん、」
揺れが小さくなるときを見計らって、体勢を立て直す。それを横から支えてやりながら、あいつと顔を見合わせて皮肉っぽい微笑を交わした。
どうやら砂利道は抜け出したらしい。街並みが少しずつ賑やかになる。学校前のバス停は、もうすぐだ。
「まったく、ひどい道だった」
「ああ。いくら田舎町だからってさ、予算けちらないでほしいよな」
「同感」
懐かしくて笑ってしまう。
確か、初めて会ったときも、こんな会話をした。
『いてっ』
『あ、すいません』
がたん、がたん。
跳ね続けるバスのせいで、隣の人にぶつかってしまった。
慌てて謝ると、『いえ』と短い返事が聞こえた。変声期の途中なのだろうか、少し低い響きだったけれど、その声の主が自分と同じぐらいの年齢であることが分かった。よく見れば、地元でも有名な私立校の制服を着ていたし、背丈もそんなに変わらない。お互い、並ぶと丁度いい感じだ。
相手もそれに気づいたのだろう。目が合うと、親しみやすい顔で小さく微笑んできた。
『ひどい道だな』
『う、うん』
『田舎町だからって、道路整備の金くらい、けちらないでほしいよ』
『…そうだね』
切っ掛けは、それが最初。
他人とお喋りするぐらいしか、他には特にすることもないバスの中、お互い暇つぶしのつもりで取り留めのないことをポツポツと話していくうち、少しずつ打ち解けていった。
遊ぶ約束などしたことがないし、朝に登校するバス以外では会ったこともない。
アドレスや番号を交換することだって、やろうと思えばいつでも出来たけれど、でも2人ともなぜかそれを言い出すことはしなかった。
朝バス限定フレンズ。
バスの中でしか会えない友だち。その事実が、なんだかすごく贅沢なことのような気がして、いつのまにか、別にこのままでいいや、と思うようになったのである。
たぶん、他の場所で会ってしまったら、この贅沢な時間も終わってしまう。
そんなことさえ感じていたから。
ぷしゅー。
バスが止まり、扉が開くと、空気が抜けるような音をたててステップが降りる。
あいつより一足先にバスを降りた俺は、ちくちくと肌を刺す冷たい空気に身をすくませながら、首をひねって後ろを振り返る。ちょうど、あいつも降りてきたところだった。
「じゃあな」
「おう」
白い吐息を吐きながら短く言葉を交わして、そのまま逆方向に歩き出す。
バス停から10歩ほど離れてから、俺は立ち止まってフッと振り返るのが癖になっていた。
グレイのマフラーに顔ごと埋めるようにしながら、寒そうにして歩いていくあいつの猫背が見える。毎朝、その背中が人混みに紛れるまで見送るのが俺の日課。ジンクスみたいなものだ。
明日も会えますように、と。
「…よしっ」
あいつの姿が見えなくなった。
これで明日もあいつに会える。俺は小さく頷いて、再び前を向き歩き出した。
そう、ジンクスだ。ほとんどお遊びのようなものだけど、はずれたことはない。毎日、毎朝、あいつはバスの中にいる。座って俺を待っている。
なんだか少し、特別な感じがするだろう?
「朝バス限定フレンズ。うん、なんか面白い響きだ」
白く浮かんでは消えていく自分の吐息を見つめながら、俺は誰にも聞こえないような小さい声で呟いた。
見慣れた通学路を歩いて、一番最後の角を曲がり、ようやく学校が見えてきたところで、俺は思い出したように「あ。」と立ち止まる。
「そういや、あいつ、俺の手袋つけたまんまじゃ…」
どうりで手が冷たいと思った。
指先の赤くなった自分の手を見下ろして、うっかりしてたのはお互い様だなと内心苦笑する。
歩きながら上着の袖を引っ張って伸ばし、冷え切った手を布越しにこすって温めた。
手袋があれば、こんなことをしなくても良かったのだけど。
「…ま、いいか」
俺は上着の襟に顔を埋めて、あいつの顔を思い浮かべながら、小さく笑った。
手袋は、また返してもらえればいいや、と。
どうせ、また明日もバスの中で会えるのだから。
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