異世界トラベラー、ランチを食す
(ふぅ、これで一件落着っと……)
俺は、異世界のトーキョーという場所にある一軒のビルの前で、背伸びをしながら一息ついていた。
最近、俺の住む世界では『異世界ツアー』がちょっとしたブームになっている。
異世界と自分たちの世界を繋ぐ扉が一般にも開放されるようになったのは最近のこと。きちんと身元が保証されていて、利用料をちゃんと払えば異世界を自由に旅することができるというので、徐々に人気が上がってきているのだ。
とはいっても扉の一般向け利用料は決して安くはない。金持ちはさておき、庶民には“一生に一度の記念”というぐらいだ。
では、なぜ庶民代表の俺、タクヤ・クロガネがこうして異世界に来られているのか? それは俺の仕事に理由がある。
俺の仕事は『異世界ツアー』を企画する旅行社の営業兼企画担当。一応サブマネージャーという肩書をもらって、自由にやらせてもらっている立場だ。
お客様のニーズに応じてツアーの企画を立てるために、この異世界にやってきては、情報収集をしたり、ホテルやレストランに協力をお願いしたりなどと走り回っている。
ついさっきもこのビルの上層階に入っているホテルに、今度のツアー企画の協力をお願いしに来たところだ。成果?まずまずってところだな。
そういうわけで、俺が扉を使わせてもらえているのも、あくまでも仕事の一環ということだ。扉を管理している政府と会社が直接契約しているからこそ、ある程度自由に使わせてもらえるわけだ。
しかし、何度来ても思うのだが、異世界というのは本当にすごい場所だ。
石だか土だかわからない頑丈な造りの塔 ―― こっちではビルと呼ばれているらしい ―― があっちこっちに立っているし、道も細かな石で丁寧に舗装されている。
その道にはジドーシャやバイクという動力のついた乗り物がビュンビュン走っているし、空を見上げればヒコーキとかいうこれまた金属の塊が飛んでいたりする。何もかもが段違いだ。
とはいえ、俺たちの世界では普通に使われている魔法技術の方は全く発達していないようだ。
離れた場所を一瞬で行き来ができる扉はないし、今俺が身につけている腕輪 ―― 自動通訳・翻訳機能など快適な旅をサポートしてくれる便利な魔道具もない。
トーキョーの人たちは、最近はスマートフォンだかなんだかという手持ちの薄っぺら機械を便利に使っているようだが、コンダクトレットに比べればまだまだ玩具みたいなものだ。
閑話休題。
俺がコンダクトレットに入れてあるカレンダーを呼び出して次の予定を確認していると、腹がぐぅと鳴り空腹を主張し始めた。
(そうか、もうすっかり昼だったか。なんか旨いものないかな……)
俺は早速辺りを見渡し、近くに旨そうな飯屋が無いかどうか探した。
食い道楽の俺にとっては、“異世界での食事”はこの仕事の一番の楽しみといっても過言ではなかった。
(…っと、そうそう店を探す前に懐を確認しておかないとな)
俺は財布を取り出して、中身を確認する。
異世界で使えるお金は、俺たちが普段使っているものとは違うため、俺は扉をくぐる前に、扉を管理する窓口で手持ちの金をこの異世界のものと予め交換している。
余ったお金は銀貨や銅貨に戻すこともできるが、正直手数料が痛いので、いつも最小限で済ますのは貧乏性と言われても仕方がないのかもしれないな。
さて、財布には、銀貨に相当する1000円と書かれた紙幣が数枚と、銅貨と交換できる異世界で使える硬貨が少しだけ入っていた。
この異世界の相場からすれば、昼飯を食べるには十分な額、とはいえ、それなりに節約しないと夕飯が寂しくなりそうな具合だ。会社の連中への手土産も買わなきゃならなないし、贅沢はやっぱり難しそうだ。
(さて、どこかにいい店は……っと、あそこはどうだろう?)
近くをプラプラと歩きながらランチの店探しをしていた俺の直感が一つの看板に反応した。
どうやらビルの地下にイザカヤとかいうこちらの呑み屋が入っているようだ。
俺は、アンテナに引っかかった黒い看板の前に立ち、白いペンで書かれたランチメニューに目を通す。
(えーっと、一押しは鶏モモ肉の香味揚げか。“ボリューム満点、オリジナルスパイス!“と来たか。……うーん、なんか旨そう匂いがするぞ。)
俺の腹が先ほどより大きな音でぐぅぅとなる。どうやら、俺の腹もこの店が気になるらしい。
腹の虫に従い、今日のランチを決定した俺は、早速看板の脇にある地下への階段を下っていった。
――――――
(ふーむ、なかなかいい雰囲気だな)
目当ての店は、階段を降りたすぐ左側にあった。
入口にかけられて、淡い桃色の草模様の長暖簾をくぐって店の中へ足を踏み入れると、デンキュウというこちらの灯りから発せられたオレンジ色の光が、店内をほんのりと照らしていた。
地下ということもあって店内はやや暗めだ。しかし、これくらいの方がかえって落ち着けるのかもしれない。
初めて入った異世界の店なのに、何だか懐かしさを覚える雰囲気だ。
店に入ると、ジューピチピチと揚げ物のいい音色がお出迎え。そして、店内には胡麻油の香ばしい香りが立ち込めていた。俺の腹も、待ちきれないとばかりにぐぅぐぅと一層主張を強める。
「へい、らっしゃい!」「いらっしゃいませー。」
店の人と思しき年配の二人 ―― おそらくはタイショーとオカミサンだろう ―― から声を掛けられ、俺は案内された席に腰をかける。
案内された席は、木でできたL字のカウンターの角、厨房の様子が良く見える俺にとっては特等席だ。
カウンターにはガラスのケースが備え付けられ、串に刺された海老や野菜が入れられ、出番を待っていた。これもトーキョーでよく見るもの。中を冷気で満たすことで、食材の鮮度を保つということらしい。
カウンター向こうの厨房は、ケイコウトウとかいう白い灯りで白く照らされていた。調理作業のために明るさを確保しているのだろうが、薄暗さのある店内側から見るとまるで舞台のようにも思えた。
「ご注文はどうしましょう?」
冷たいお茶と漬物、割りばし、紙おしぼりを俺の前に並べながら、オカミサンが注文を聞いてきた。
もちろん、選択肢は一つに絞っている。俺は、この店一番人気らしい『鶏モモ肉の香味揚げ』を注文した。
「ご飯はおかわり自由ですので、遠慮なく仰ってくださいねー」
オカミサンはそう言い残すと、厨房のタイショーに俺の注文を伝えた。タイショーも調理を続けながらアイヨーと一言返す。阿吽の呼吸というのはまさにこのようなことをいうのだろう。
さて、注文の品が出てくるのを待つ間に、俺は店の中をぐるりと見渡していた。
壁にあるのはオツマミメニューと書かれた板。どうやらこれは夜のメニューのようだな。
書かれているのは豚耳炒めに、ピータン、大根もち……確かこれはチュウカとかいうやつだな。ということは、この店は本来チュウカを出すイザカヤということなのかもしれない。
これまでの経験上、イザカヤといえばワショクというイメージだったが、この店はちょっと違うタイプなのだろう。
改めて店内に目を移す。L字のカウンターに10席ほど、そしてカウンターの後ろには4人掛けのテーブルが4箇所あった。店の規模としてはこぢんまりとした部類に入るだろう。
打合せが長引いたせいもあり既にランチには遅めの時間になっていたが、それでもテーブル席は満席だ。それだけこの店は人気があるということなのだろう。これは期待がもてそうだ。
「おまたせしましたー。香り揚げ定食ですー。ご飯はいつでもいってくださいねー。」
そうこうしていると、オカミサンが出来上がった注文を持って来てくれた。
大きな平皿に大きな鶏の揚げ物がドンと載せられている。確かにボリューム満点だ。
その脇に添えられているのはキャベツを千切りにしたものと茹でられたコーンの粒、そして櫛切りのレモン。そして、平皿とは別の深さのある丸い器には真っ白なライスが盛られ、オワンとかいう木の器には緑色のものが入った透明なスープが入れられていた。
メインの料理にライスとスープが添えられたセットがテイショク、これが異世界流というやつだ。
(神よ、今日この場において、かくも素晴らしい食に恵まれたこと、感謝をいたします)
俺は両手を胸の前で組み、心の中で祈りの言葉を捧げる。
異世界の流儀を見ていると食事前は黙想か小声で祈りを捧げるのが主流のようだ。そこで、俺も異世界にいる間はこちらの流儀に沿って黙想で祈りを捧げることとしていた。
さて、食事にしよう。俺はワリバシを手に取り、パチンと二つに割った。
このワリバシ、馴れるまでは正直苦労の連続だったが、一度慣れるとこれほど便利な食器はない。特にこういうテイショクを食べる時にはフォークやナイフ、スプーンのように使い分けなくても、二本のワリバシだけで済ませられるので、非常に楽だ。
ワリバシを手にした俺は、早速メインの料理から手を伸ばす。
予め包丁で切り離された香味揚げの端っこの一切れを持ち上げると、狐色の衣の中で十分に熱された鶏肉から肉汁が溢れ、湯気が立ち上っていた。
そして俺の食欲を刺激するのが、香味揚げが放つスパイスの香りだ。恐らくは複数の香辛料を配合しているのだろう。少しカレーっぽい印象も受ける香りは、早く食わせろと俺の腹を暴れさせた。
これ以上は待っていられない。俺は、豪快に一口目にガブリと食らいつく。
狐色にこんがりと揚げられた衣は、予想通りカリカリサクサクだ。
そして揚げたての鶏肉からは熱い肉汁が溢れ出し、口の中に襲い掛かってくる。
ハフッ、ハフッ、フーッ……俺は思わず天井を仰ぎ、息を継いだ。なぜなら、肉汁の熱気を外へと逃がさないと火傷をしてしまいそうだったからだ。
中身の鶏肉は非常にジューシーで、そして柔らかい。全体に塩コショウが利いており、パンチのある味わいだった。
そして、衣の表面にまぶされた香辛料が奏でる少し辛みを持ったスパイシーな味わいがアクセントになっている。
鶏肉から湧き出る脂の旨み、衣のサクサクとした食感、それに衣の表面に香辛料が放つスパイシーな風味が咀嚼するたびに口の中で混然一体となり、俺を夢中にさせた。
二切れ、三切れと食べ進めた俺は、舌休めにキャベツに手を伸ばす。
丁寧に細く切られたキャベツはシャキシャキで淡い味わいだが、一緒に添えられていたコーンの甘みが面白いアクセントなっていた。これもまた妙なる取り合わせだ。
さて、舌が休まったところで、再び香味揚げに箸を伸ばす。このペースではあっという間になくなってしまいそうだな。
サクサクと香ばしい香味揚げを半分ほど食べ終えた俺は、今度はライスの盛られた深い器を持ち上げる。こちらもまだアツアツだ。
異世界特有の粘り気をもった真っ白なライスは、故郷ではなかなか出会うことができない代物。このライスを食べるのも、異世界の楽しみの一つだ。
ライスから香る甘い香りを堪能してからパクリと一口。少々柔らか目だな。
咀嚼をすれば、いつものようにライスの甘みと旨みが口の中に広がっていく。メイン料理がスパイシーな味わいである分、ライスが普段以上に甘く感じられた。
続いて手にしたのはスープの入っている木の器、オワンだ。オカミサンの話では、今日のスープはどうやらオスイモノというやつらしい。
透明なスープの中には、ゴマの粒とネギ、それにワカメとかいう海でとれる草が入っていた。
俺は、オワンに口をつけてズズっと一口啜る。両親が見れば卒倒しそうな食べ方だが、これがこちらの流儀というのだから合わせるべきだろう。なにより、この食べ方の方が上手く感じるのだから仕方がない。
オスイモノには旨みのエキスがギュッと詰まっていた。確か、こちらのスープは魚と海藻からダシという旨みを抽出していると聞いたことがある。きっと今日のオスイモノにもそれが使われているのだろう。
中に入れられたワカメも、海の香りとうまみを感じさせる。そして、刻んだネギの香味が爽やかさを、炒ったゴマが香ばしさをプラスしている。
全体としては決して主張しすぎない抑えられた味。しかし、このシンプルな味わいが実に旨い。
オスイモノを半分ほど飲んだ俺は、櫛切りレモンを手にして、半分ほど残しておいた香味揚げにざっと絞りかけた。
ちなみにレモンを絞るとき、皮を下に向けるのが俺の鉄則。この方がレモンの皮に含まれる爽やかな香りの成分を無駄なく使えるというわけだ。
再びワリバシを手にした俺は、レモンを絞った香味揚げを一切れつまむと、口の中へ放り込む。先ほどまでのパンチの利いた味わいに、レモンのさっぱりとした酸味が足され、先ほどよりもさっぱりと食べさせてくれる。
何より、レモンの酸味が疲れた体に心地いい。これはやっぱりレモン有りが正解だな。
香味揚げ、ごはん、オスイモノと順繰りに食べ進めていると、俺の隣に座った妙齢のマダムの前にオカミサンが皿を並べているのが目に入った。なるほど、あちらは串揚げか。ひー、ふー、みー、よー、色とりどりの串揚げが全部で5本。あれも旨そうだな。
顔を上げると、今度はタイショーがカウンター越しに男性の二人客に皿を出していた。こちらは俺と同じ香味揚げのようだ。
カウンターの中を覗けば、次の注文分と思われる香味揚げが揚げられてたる。やっぱりこれが一番人気ということは間違いなさそうだ。
ふと、壁に貼ってある一枚の張り紙に目が入った。そこには『みぞれ酒』と大きな文字。どうやら、酒を凍らせてシャーベット状にした商品のようだ。
文字の背景にある精緻な絵 ―― シャシンというやつだろう ―― を見た様子では、どうやらニホンシュという酒のようだ。
その絵をみた俺は以前に呑んだニホンシュの味を思い出す。
ライスで作られたその酒は、さっぱりとしていて実に香りがよい。それがシャーベットのように凍らせてあるのだから、旨いのは間違いないだろう。何より、目の前の香味揚げに合いそうだ。
そう考えると呑みたくなってしまうが、今はまだお昼。この後も仕事で回らなければならないところがある俺の身分では、ぐっと我慢するしかなかった。
そうやってくだらないことを考えながら食べ進めていると、あっという間に最後の一切れになっていた。
あっという間に食べつくしてしまい、なんとも淋しさを感じるのはいつものこと。しかし、今日のところは一つだけ幸いだったのは、最後に大き目の端きれを残していたことだ。これならもう少しだけ堪能できそうだ。
俺は、その最後の一切れを半分だけ頬張ってゆっくりと味わうように咀嚼する。脂の旨みと衣の食感、そしてスパイスやレモンの香りが絶妙にマッチしており、いくつ食べても飽きが来ない。
半切れを呑みこむと、今度は残っていたキャベツを浚える。シャキシャキ感と水気で舌が塩梅よくリセットされた。
そしていよいよ最後の半切れ。もぐ、もぐ、もぐ、もぐ、……ああ、とうとう無くなってしまったのか。
最後に残しておいたご飯に漬物を載せて頂き、オスイモノを啜ってランチを食べ終える。
ふぅ、満足、満足……俺は無意識にくちくなった腹を擦っていた。
オカミサンが新しく注いでくれた冷茶を飲みながら余韻に浸っていると、遅い時間にもかかわらず若い女性が店に入ってきた。
オカミサンとの会話の様子からすると、どうやら常連のようだ。
彼女が頼んだのはどうやらエビフライの模様。確か、エビをまっすぐにして砕いたパンをまぶして揚げたものだ。あれもまた旨いんだよなぁ……
っと、いかんいかん、今香味揚げを食べたばかりなのに、こんなことを考えていてはまた腹が減ってしまう。
俺は、腹の虫が再び騒ぎ出す前に、店を後にすることにした。
今日のランチは銀貨の紙幣でお釣りが来る程度。このボリュームと味わいでこの値段なら、十分お値打ちだ。繁盛するのも頷けるというものだ。
タイショーとオカミサンにごちそうさまと声を掛け、俺は店を後にする。
階段を上がると外はすこし曇り空。先ほどよりもずいぶん涼しくなってきたし、雨でも降りそうな気配が漂っていた。
(どうやら今年の秋の訪れは早そうだな……)
俺は雨が降らないよう天に祈りながら、次の仕事先へと足を速めるのだった。
最後までお読み頂きましてありがとうございました。旅行者ではなく、ただの旅行社の従業員だったこと、お詫び申し上げます。
このお話はプロト版的な短編です。折を見て次話も書くかもしれません。
ご好評であれば第2弾の執筆速度が早くなるかもしれません(笑)
マイページには、他の作品も掲載しておりますので、こちらも合わせてご愛読いただけましたら大変幸いです。
それでは、これからもご愛読ご声援いただけますようよろしくお願い申し上げます。