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夏のホラー参加作品

階段の踊り場で

作者:榎木ユウ
「あー、この暑いのにエレベーター壊れてんのかよ! くそっ!」





 それは、私がまだ家を買う前の出来事。





【階段の踊り場で】




 私は、大企業の下請け会社で設計作業員として勤めている。結婚を機にオンボロアパートから、二人でも暮らしやすい賃貸マンションに越してきた。
 会社からの距離も近く、周囲にスーパーやコンビニのあるそのマンションは、川が真横を流れているせいか、夏場でも涼しく、特に一番上の階である5階に居を構える私としては、夕方ちょっとでも雨が降ってくれればクーラー要らずになるほど涼しくなったので助かっていた。
 その日はいつもよりは早く、だけど一般的な会社員にはやや遅いと感じられる9時過ぎに帰宅の途についた。夕方、少しだけ曇ってはくれたが、生憎夕立が来ることもなく、湿り気を帯びた空気だけが真夏の暑さを、よりうっとおしいものにさせていた。
 マンション最寄りのバス停で降り、我が家を確認すれば5階の右側の部屋に明かりがついている。妻が帰りを待っていてくれると思うと、少しだけ疲れがとれるような気がするのだから、現金なものだ。

「あー、この暑いのにエレベーター壊れてんのかよ! くそっ!」
 しかし、少しだけ浮上した気分は、エレベーターの故障という有難くない出来事の前には、直ぐに落ちてしまう。今朝まではきちんと動作していたエレベーターは、どうやら私が会社にいっている間に壊れてしまったらしい。
 5階までの道のりを思うとうんざりしながら、私は階段の方へと足を運んだ。
「何が悲しくて一仕事した後に、階段運動しなきゃならないんだか……」
 ぶつくさと文句を言いつつ階段を上ろうとしたとき、ちょうど2階に向かう途中の踊り場に人がいるのことに気が付いた。
 一瞬、人がいたことにドキリとしたが、その人はその踊り場で2階の方を見ているようだった。
 私よりは10は年上の壮年の男性だ。白いシャツにベージュのチノパンという出で立ちから、同じ会社員なのだろうと伺えた。
「こんばんは」
 同じマンションの住人であろう男にそう一声だけかけて、横を通り過ぎれば、男は小さく頭だけを下げて、まだ2階の方を見ている。つられるように自分も2階を見てみたが、廊下を照らす電燈だけが仄明るく光るだけで、特に何の異常もみられないような気がした。
 きっと、これからどこかへ外出するのに、誰かを待っているのだろう。
 私は男を気にすることなく、自分の部屋まで急いだ。

「ただいま、エレベーターが壊れていて散々だったよ」
 部屋について新妻である妻にそう言えば、妻はニコニコと笑いながら、
「いい運動になったんじゃないの?」
と私をからかった。
「これで少しは新婚旅行太りも減ったかな?」
「やだあ、じゃあ私も頑張って痩せないとなぁ!」
 二人でじゃれあいながらも、その日の晩はそれだけだった。

 私が何となく不気味だと思い始めたのは、その次に階段を上った時だった。
「あー、上いっちまったか!」
 その日は定時であがれて直ぐに帰ってこれたせいか、まだエレベーターを使う住人がいたらしく、私がちょうどエントランスに入った時にドアが閉まり、エレベーターは上昇していってしまった。しかも運悪く4階で止まってなかなかおりてこない。
「くそ」
 いつもなら待っているのだが、この日に限って尿意をもよおしていたので、そのまま階段で5階まで上がることにする。5階までの距離ならジレジレとエレベーターを待つより早いからだ。一段ぬかしで階段をのぼっていきながら、2階を通り過ぎたとき、
「……っ!」
一瞬、心臓が止まるかと思うほど勢いよく跳ねた。悲鳴を上げなかったのは、トイレに行きたいのを我慢していたからで、そうでなければ声をあげていただろう。

 今度は2階と3階の間の踊り場にあの男が立っていた。ぼんやりと口を僅かばかり開けて、何を見ているのか分からないようなうつろな目で上の階を見ている姿は不気味で、私は声をかけるのも嫌になり、そのまま軽く頭を下げて上まで上がっていった。

「ただいまぁ……」
「おかえりなさい。あれ? なんだか顔色悪いね」
 出迎えてくれた妻は、俺の顔色を心配する。俺は「ちょっとトイレ」と声をかけて、トイレで用を足してからリビングに戻った。
「トイレ我慢してたから青かったんだぁ」
「馬鹿、違う。階段の踊り場に変な男が立ってたんだよ。この前もエレベーター壊れたときいたし、気持ち悪くてさ」
 私がそう言うと、妻は小首を傾げながら、
「このマンションの人じゃないの?」
と聞いてきた。
「そうかもしれないが、この前も今日も踊り場で上の階、見てんだよ。前回は2階。今回は3階」
「連れの人を待っているんじゃない?」
 妻は私が前回考えたことと同じことを言った。
「毎回待ってるのか?」
 それにしては声もあげずに上の階を眺めている様は、何だか不気味で仕方ない。
「うーん……。じゃあ、今度不審者情報とか気を付けてみてみるね?」
 私の普通ではない様子を、妻はそう言って宥めてくれた。


「またか……」
 ため息を吐いたのは、3度目の階段を上る機会に遭遇してしまった時だ。外は雷鳴がとどろき、つい先ほども大きな雷が近場に落ちた。バス停を降りてびしょ濡れだった私は、エントランスの中が停電灯のほの暗い緑色の電気だけなことに気付くと、うんざりとした面持ちでエレベーターを眺めた。
 停電であれば当然、エレベーターは動かない。瞬間停電なら既に電気もついてよいのだろうが、残念なことに電気が復旧する様子はなく、私は諦めと少しの気持ち悪さを抱きながら、階段に足を向けた。
 まさか、今日はいないだろう。
 そう思いながら、少しだけ小走りで階段を上っていく。中1階は上るときにはいなかったので安心した。中2階も誰もいなかった。
 そして、3階と4階の間、中3階の踊り場。
 ほぼ、真っ暗なそこに、

 奴はいた。

 私はあまりの不気味さに、鳥肌が立つのもとめられなかった。だが、逆にこんなことをして一体この男は何が死体のだという怒りもあって、
「おい、アンタ! なんでそんなところに突っ立てるんだ!!」
と怒鳴った。
 男は何も返事をしない。
 真っ暗な中、外から差し込む稲光が、男を瞬間的に照らす。

 男は、また上を見ていた。そして、また、口をぼんやりと開け、焦点の合わない目で4階を眺めていた。

「ここのマンションの住人なのか! もし違うなら警察を呼ぶぞ!!」
 私がそう怒鳴り散らした時だった。パッ、と勢いよく停電だった明かりがつき、そして3階の階段傍の部屋のドアが開く。
 中から住人の男性が顔を出し、
「どうしました?」
と心配そうに私に聞いてきたので、私はホッと安堵の息を漏らしながら、住人に言う。
「そこの踊り場に人が立って──……」

 指さした先、中3階の踊り場には、誰もいなかった。


「何だか、気持ち悪いんだよ」
 家路に着いた私がそう妻に先程のことを説明すると、妻は顔色を悪くして、
「私も何だか気持ち悪いこと、気づいちゃった」
と言ってきた。
「このマンション、住人の入れ替わりが激しいみたいなの……」
「入れ替わりが……?」
「私たちが引っ越してきてから直ぐにここを出ていく人の引っ越しの車を見たじゃない? あなたに階段の話をされてからも見てみたら、既に2回、別の部屋の住人が出て行ってるの」
「そうなのか?」
 季節は真夏のお盆時だ。転勤や引っ越しには決して向かない時節だろうに、その多さは、何だか異常な気がした。
「だから、不動産屋さんにちょっと聞いてみたんだけど、特に何も出てこないのよね……」
「まあ、不動産屋もわざわざ出てかれるような話はしないだろうな」
 このマンションは相場の値段と殆ど変らない値段だった。曰くつきであれば安くするだろうが、そんなこともなかったし、一応の下調べでも何も出てこなかった。
「なんだろう、何か怖いね……」
 ポツリと呟いた妻の一言に、私は頷くことも出来なかったが、この時には、もうこのマンションから早々に出ていきたいという気持ちが芽生え始めていた。


 そして、それが決定的になったのは、お盆も過ぎたある夏の夜。
 蒸し暑い晩のことだった。
「勘弁してくれよ……」
 その日は普通にエレベーターが動いていたのだが、何故か5分を経ってもエレベターが下に降りてこない。4階で留まったままの状態だった。時刻は既に深夜12時近く。決して騒ぎ立てて悪態をつけられる時間ではない。
 このエレベーターには『開延長』というボタンがついている。そのボタンを押すと、『閉』ボタンを押さない限りエレベーターが閉まらない仕組みになっているのだ。たまに、エレベーターが降りてこないときにその階まで上がってみると、『開延長』が押されたままの状態だったりしたので、今日もまたそうなのだろう。
 いつもなら少しの文句で気も晴れるのだが、今日だけは憂鬱どころか気持ちが沈む一方で、あれ以来、決して近寄らなかった階段を見て、重いため息を吐いた。
 何とかしたいと思いつつ、妻に電話を掛けるが家の電話も携帯電話もつながらない。まだ起きているはずなので、風呂に入っている時間なのかもしれない。

「いるんじゃねぇぞ……」
 願うようにそう呟いて、私は階段に足を向けた。
 中1階は、何もなかった。
 中2階も、何もなかった。
 そして、中3階。

 やはり何もいなかった。

 私は安堵の息を漏らす。あともう1階、上り切れば我が家だ。5階は今現在、私たちともう1組の若い夫婦しか入居していない。各階に3部屋ずつなので、入居者が1部屋ないことは、あまり気にしなかったのだが、最近ではそれさえも気味悪く思えていた。

 私はゆっくりと階段を上っていく。
 4階についた。
 ぐるり、と階段の手すりを支点に身体を回して、上を見上げた。

 中4階。

 誰もいなかった。

 私はその場に座り込んでしまいそうになるのを堪えて、階段を上っていく。
 よかった、あれはきっと4階の住人だったのだろう。
 そう思いながら5階まで登り切り、何気に廊下へと向かいながら中4階の踊り場をみた瞬間。



 奴

 が

 い

 た。



 男は、こちらを見ていた。いつもは目も合わなかった筈なのに、ばっちりと、その、何も見ない目が私をとらえていた。そして、しわがれた響くこともない枯れた声が、聞こえる。
「こ、の、か、い、か」


 呪文のような言葉を理解することはできなかった。
「うわあああああああああああああああ……!!」
 俺は深夜ということも忘れて、部屋までかけた。そして自分の部屋のドアを激しく叩く。
「俺だ! 開けてくれ!! 早く! 早くあけてくれ!」
 みっともないと思うこともなく、目には涙もにじんでいた。
 ひたすら背後からあの男がにじり寄ってきそうな恐怖に、頭が混乱する。

「どうしたの?」
 風呂上りらしい妻が、頭を濡らした状態で慌ててドアを開けてくれた。
 私は、言葉も出せずに部屋に入ると、ドアを閉め、続いて鍵とドアガードも閉めた。そしてそのまま玄関にしゃがみ込み、頭を抱え込んだ。

「あなた、どうしたの? どうしたの?」
 妻が私の身体をひたすら揺らしたが、私は何も答えることができなかった。



***


「……というわけで、私は早々にマンションを引っ越して、ついで踊り場のある階段のついた賃貸は悉く住めなくなって、この家を買ったんだ」

主任の話に、それを聞いていた新築祝いに訪れた部下たちは、一様に顔を強張らせていた。
「す、すげぇ、気持ち悪いんすけど」
「私も鳥肌、とまんないっ……!」
「俺の家、マンションで、しかも階段しかないのにっっ!」
 半泣きの部下たちの中で、今年の新卒入社の男は静かに出された酒を飲んでいた。
「どれ、そろそろ主任にもご迷惑掛かるし、帰ろうか」
「先輩、俺、怖いから今晩泊めてくださいよー!」

 和気藹々としながら部下たちは、挨拶をして主任の家を辞した。
 新卒入社の男の車には、同じく同期の新卒入社の女が乗っていた。交際しているわけではなかったが、たまたま住んでる場所が近くだったので、女は男の車に同乗したのだ。

「榊君……」
 女が男の名前を呼んだ。男は「何?」と前を見ながら切り返す。
「あの、さ……。私、冗談だと思ってて、言わなかったんだけど……。
 主任、最後まで種明かししてくれなくて……」
 女の声は覇気がなく、言葉もどこかしどろもどろだ。
 榊はそんな女の様子を気に掛けることもなく、ただ、前を見て運転している。

「し、主任の家の階段って、U字型じゃない?」
「そうだったな」
 最近の新築の家では多い、手すりつきの階段は、2,3段上がったところで折れ曲がり、2階に続く形をしていた。玄関から入って、リビングに案内されると真っ直ぐに面した階段は、戸を閉めれば見えなくなるが、入るときと、帰るときは確かに目に入った。
「ああいう階段の、三角の部分も、踊り場っていうのかな……?」
「いや、言わないんじゃないか」

 女は半泣きで膝の上の手をギュッと握りしめると、
「あのね」
と言った。

「気のせいかもしれないんだけど……
 気のせいじゃなかったはずなんだけど……

 階段……曲がったところに、誰か……立ってた」

 あまりの恐怖に女の声は震えていた。

「ベージュのパンツの裾と、靴下が見えてた……」

 薄暗がりに、それでも確かに見えた人の足を、女は確かに見ていた。
「さ、榊君も、帰り、あっちの方、じっと見てたから、きっと、見たんだよね??」
 確認するように女が榊に問いかけたが、榊は何も答えなかった。代わりに何でもないことのようにポツリと呟く。

「川の傍っていうのは、意外にいろんなものが集まりやすいんだ。特に川の流れがそこから変わる場所や、川の堆積物がたまりやすい場所なんてのは、気を付けた方がいいって、迷信ではよく言われるんだけどな」
「そ、そうなの? それじゃ、主任……」

 女は思いついた考えを榊に言おうとしたが、榊は「気を付けて」とその言葉を遮る。

「見えることに気付かれたら、ついてくるよ?」

「……!!」

 女は絶句して、声にならない悲鳴を飲み込んだ。序、あまりの恐怖にシクシクと泣き出す女を横目に、榊は軽くため息を吐く。

 運転しながら覗き込んだバックミラーには、誰も乗っていない後部座席が見えるはずだった。だがしかし、そこにベージュのパンツを履いた男が、ぼんやりと口を開けて座っていると知ったら、助手席の女はどうするのだろう……と思いながらも、榊は呟く。

「見えなきゃ、いないと同じだよ」

 家までの距離が、酷く、遠く感じた──。


   終

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