表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ゾンビ百人一首  作者: 青蓮
54/103

わびぬれば今はた同じ難波なる みをつくしても逢はむとぞ思ふ

 澪標みおつくしとは、川の水深や航路を示す標識だそうです。


 今回のテーマはロミオとジュリエットのような、争うグループ間での許されざる恋。

 ゾンビの世界で定番の決着がつかない争いと言えば……。

 私のグループは、殺す側。

 あなたのグループは、守る側。

 私はあなたと共に、殺すよりは守る側でいたかった。


 今日もまた、河原に何人もの人影が引きずり出される。

 そして、大きな鉈を手にした男が見せつけるようにそれを振り上げ、引きずり出された者たちの頭をかち割っていく。

 引きずり出された者たちは拘束を逃れようとしてもがくものの、目の前に迫りくる刃に怯える事も悲鳴を上げる事もなく倒れていく。

 その残酷な処刑が終わると、男は血肉まみれの鉈を掲げて宣言した。

「今日も我々は、こいつらに食われるはずだった人間の命を守った!

 こいつらが食いちぎった人間の仇を討った!

 これは我々人間を守る、正当にして必須の戦いである!!」


 それに対抗するように、対岸の河原から非難の声が巻き起こる。

「おまえたちの行いは、自らの残虐行為を正当化しているに過ぎない!

 いかなる理由であれ、人間に人間を殺す権利はない。しかも病に侵されて前後不覚の人間を一方的に虐殺するなど言語道断である。

 我々のように彼らを守りつつ自分を守るのが、最善の道である!!」

 『暴力反対』のプラカードや『人権を守れ』の横断幕を掲げた一段の後ろには、鉄の檻に囚われたいくつもの人影がある。

 しかし彼らは自分を守ろうとする人々に呼応する訳ではなく、むしろ目に前にいる者に手を伸ばして涎まみれの黄ばんだ歯をむいていた。


 毎日のように川を挟んで行われる、不毛な罵り合い。

 そして今日もまた、その決着がつくことはない。

 だって、川のこちら側では見つけ次第処刑され、あちら側では檻に閉じ込められる者たちが抱える問題に、今のところ正しい解答は出ていないのだから。


 ゾンビ……腐りかけた体で歩き回り、生きた人間を食うために襲う死体。

 何らかの病気によって死んだ人間が変化した、知能も人格も失ったもの。

 前者の条件だけを見れば、それは人間を捕食する害獣以外の何物でもない。だから今生きている人間を守るために、見つけ次第駆除する。

 しかし後者の条件を見ると、それはあくまで人間に含まれる。病気なのだから本人の意志とは関係ないし、失われた人格や知能が元に戻らない保証はないのだから、人権を認めて守るべきであると言える。


 ゾンビという存在は、人であったのは確かだが、今は人に害をなす。

 人間としての過去と人生、そして人ならざる化け物の性質が同居している。

 だからそれに対応する人間は、どちらを優先すべきか迷う。

 どちらに従って対処してもそれに応じた不満や危険が残るし、後味が悪いことこの上ない……そして、とても疲れる。


 今日もまた、私は胸の奥から浸みだす罪悪感をこらえながらゾンビの処刑を見ていた。

 物言わぬゾンビたちの頭をかち割ったのは、私の仲間。そしてその目を向けるのも苦しい死体に油をかけて燃やすのも、私の仲間。

 私は、ゾンビを人として扱わず殺す側にいる。

 だけど、人の形をした、かつて人として生きていたものが人の手で壊されるのを見るたびに、私はやりきれない気持ちになる。


 この人たちは本当に、こんな殺され方が許されるほど悪い事をしたのだろうか。

 今は人を食おうとするけど、それが病気のせいなら本人に罪はないのではないか。

 でも、この気持ちを分かってくれるのは、川のこちら側にいる仲間ではない。


 不意に、川の対岸から視線を感じた。

 そこにいるのは、私より少し年上の思慮深く優しげな男の人。

 さっきはこちらの処刑人を非難する厳しい抗議の視線を、そして今は私を気遣う悲しげで心配そうな視線を投げかけてくる。

 あの人は、病気の罪人を有無を言わさず殺すような無慈悲な人じゃない。

 かといって、私をこちら側にいるというだけで頭ごなしに批判したりしない。

 あの人は、私の理解者なんだ。


 私はゾンビを殺したくない、でも自分が殺されたくないからこちら側にいる。

 二つの気持ちの間で揺れ動く私を、彼だけは分かってくれる。だから彼と会ってその気持ちを打ち明けられる時間が、私にとって一番心安らぐ時間だった。

 でも、これは大っぴらにしていい関係ではない。

 私たちのグループと彼のいる対岸のグループは、犬猿の仲。ゾンビの処理について真っ向から対立し、お互いを疎んで憎しみ合っている。

 私が彼と付き合っていることを知れば、周りは自分たちのグループのために私たちを引き裂こうとするだろう。


 川を隔てて、人目を忍んでしか会えない織姫と彦星のような関係。

 心を通わせることも許されぬ、ロミオとジュリエット。

 それでも、時々手漕ぎボートでこっそり愛に来てくれる彼に、私はとても救われた。いつまでも一緒にいたいなんて言わない、ただこんな関係でもずっと続いてくれればいいと。


 けれど、それすら過ぎた願いであったというのか。

 ある日私たちは、河原のすぐ近くで会っているところを見つかってしまった。彼はすぐボートで逃げ去って無事だったけど、詰問はすぐ私に向いた。

「おいおまえ、あの人殺しの保護者共と何を話していた!?

 まさかおまえまで、あんなエゴイスト共に感化されたんじゃないだろうな!!」

 私は仲間たちから一方的に尋問され、責められ、ゾンビを殺さないでいることがどれだけ危険かを心を押し潰さんばかりの重い口調で叩きこまれた。

 そして、もう二度と彼と会わない事を、力でもって皆の前で約束させられた。


 私は、目に映る光を全て奪われたようだった。

 今までは彼がいたから、何とか罪悪感や心の矛盾と折り合いをつけてこられたのに、これからはあんな重苦しいものと一人で向き合わねばならないのか。

 周りの仲間は現実を見ろと言うばかりで、この重石を分かち合ってはくれない。

 というより、心を通わせることすら許さないという事が、私の仲間たちがもはや人の情を持ち合わせていない証明ではないのか……。


 彼と話せない日々は、冷たく重く私を蝕んでいく。

 私はこのまま、自分で自分の心の重さに潰されて死んでしまうのだろうか。

 彼に会いたいと心が叫んで、それでも会えない日々は黄泉のように冷たくて……。


 ある夜、私はついに家を飛び出して川へと走った。

 すでに背後では私の逃亡に気づいて混乱が起こっている。見つかればどんな罰が待っているかは分からない。

 でも、そんな事はもう関係ない。

 彼に会えなくなった時点で、私はもう死んだも同然なのだから。

 このうえどんな危険が待ち受けていようとも、今のまま潰れるのを待つよりはずっといい。たとえこの先に待っているのが破滅でも、真綿で首を絞められて死ぬよりはずっといい。


 以前から目をつけていた手漕ぎボートに飛び乗り、私は川へと漕ぎ出した。

 夜の川は本当に暗く、両側の住居から漏れてくる光がわずかに水面の波を照らす程度だ。何も目印がなければ、岩や急流に気づかず転覆してしまうかもしれない。

 でも、この川にはちゃんと目印があるし、私はその意味を知っている。

 暗い水面から道路標識のように突き出した、逆三角の飾りが付いた杭、澪標だ。安全に川を渡るために、浅瀬を示して立てられた印。


 浅瀬なら落ちても立て直せるし、流れも緩やかだから、私はこの澪標を辿って行けばいい。

 身を尽くすなんて洒落た名前をしているくせに、安全に私を導いてくれる。

 私は順調に川の中ほどを越えた。彼のいる住居の明りが、近づいてくる。

 しかしあと数メートルというところで、突然ボートが大きく傾いた。

「え?」

 慌てて櫂を水中に突き立ててみるけど、乗り上げるほど浅い瀬や岩はない。どうしてだか考えているうちに、ボートは激しく揺さぶられてますます傾いて……。


 彼女は、一つ思い違いをしていた。

 澪標が浅瀬にあるのは、そこに誘導するためではない。

 そこが危険だから船はできるだけ避けて通れという意味だ。

 なぜなら……水深が浅いところでは、水底に潜んでいるゾンビの手がボートのへりに届くから。


 ゾンビがほぼ駆逐された地域で暮らし、実際に食われそうになった経験に乏しい彼女は、そこまで頭が回らなかったのだ。

 ゾンビを捕獲するのを手伝っていた男の方はいつも澪標を避けてボートを漕いでいたのに、危険の少ない後方でうつうつと悩んでいただけの彼女はその意味を考えようともしなかった。

 結局、彼女は己の無知と甘さを証明する形で身を滅ぼしてしまった。


 後日、川を挟んで行われた二つのグループの争いは、言葉だけでは済まなかった。

 両者は互いを罵って石を投げ合い、弓や銃を持ち込む者もいた。

 一方が引いてきた鉄の檻の中には、保護してくれた恩人を食おうと唸り声を上げて牙をむく例の女の姿があった。

 元々その女がいた方は楽に死なせてやるから引き渡せと叫び、檻を引いている方は元の仲間にも情はないのかと怒声を放つ。


 自分一人の身を尽くすならいい。しかしその行動に、残された皆の運命まで歪めてしまう可能性があることを彼女は分かっていたのだろうか。

 脳が腐って呻くことしかできない彼女の周りで、理性をなくした怒号が止めどなく飛び交っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ