[9]
「若様…まさか…」
ニヤニヤと、その時の事を思い出して笑う通雅を義久が制した
「まさか…まさか…」
あの屋敷に、若様を呼び止めるほど身分の高い女性は…左大臣の娘3人だけ。
一人は、宴の主役の二の姫。
もう一人は、末の姫だが…まだ乳飲み子と聞いている。喋れたとしても、通雅様が言うような風流な言葉ではないだろう。
っとなると…可能があるのは…最後の1人…
「恋の相手は…一の姫なのですか?」
この質問には是非違うと答えて欲しかった…が
「あぁ、少し垣間見たが…とても美しい方だった…声は鈴の音のようで…」
ぽけーっと庭を眺めながら彼は答えた
「なりません!左大臣の一の姫だけは絶対にダメですっ!」
京でもかなりの評判だった。
左の大臣の一の姫は見目麗しく、歌の才もあって、楽も上手い。非の打ち所のない完璧な姫。
そして父は左大臣、母は帝の姉宮、身分も申し分ないため、東宮女御に…なんて話も持ち上がり始めている。と……
「諦めてください!さもなくば出家してください!」
「…諦められない。こんな邪な想いを抱いたまま出家などできない。」
―――近江が広げていた扇を勢いよく閉じた
「…無駄な話が多いわ、義久殿。」
そして雅季に向き直って続けた
「端的に申せば、あなたが“通雅様”と“前の北の方である…望月様”の息子だと言うことです。」
幼いころに亡くした母親の顔は覚えていない。
「………それでも名前くらい知ってるんだけど。」
雅季はそう言うと立ち上がる
「んで、結局なんなの?あんたら2人がわざわざ揃って西対までくるなんて重大なことなんだろ?」
俺は右手を振って、廂に座っていた上総と惟光を対屋から追い出した
「ご一緒でなくてよろしいのですか?」
2人の後ろ姿をみて義久が心配そうな声を出す
「…あんたらがいつになっても口開かねぇから仕方なく、だ。俺はとっとと済ませたいの。」
不服そうな俺の顔を見て近江は笑う
「見目の麗しさや、楽や歌の才は母君から…。大きな背や手足の長さは父上から…。2人には無い聡明さまで持ってお生まれになった若君は完璧としか言い様がありませんね」
「嫌味か」
ぶつくさ文句を言いながらも上座に戻るその姿は本当に華麗で“京一”と呼ばれるに相応しいと義久は心の中で呟いた
ドサッと座りこむと同時に口を開く
「…俺は気が短い。それにあんなクソジジィのことなんて聞きたくも無い。端的に頼む。」
“クソジジイ”そんな酷い物言いに義久はひっかかる
「いくら京で鬼と呼ばれていても、本当は優しい方なんですぞっ!!」
そんな義久に反して、雅季は冷静だった
「…内裏の門で吐いただけで一月後には“大臣の束帯にゲボった奴”“清涼殿の柱に小便の跡をつけた無礼者”ってとんでもない扱いを受けるハメになる。」
突然、変なことを言い始めた雅季に近江は首を傾げる。
「…“本当は優しい”? それは違うだろ。“本当は”なんて余計な言葉が付いてる時点で、それは意味を持たない。」
じっと一点を見つめたまま彼はさらに続けた
「…本当の自分でも、自分の生き様でもない、人間の価値を決めるのは人間なんだよ。周りにどんな味方をつけるか、周りの人間に自分をどう思わせるか、…それで自分に関する噂も価値も左右されていく。」
父親が…“鬼”だと呼ばれているとも知らずに飛び込んだ世界は過酷だった。
影で鬼の子だと罵られ……幼かった自分には地獄と呼ぶに値したかもしれない。
でも、そこで泣けば…“あいつはくそだ”そう簡単に蹴落とされると思った
どうしようもない父親に負わされた“鬼の子”という名を…どう挽回してやろうかと思った
そして…自分は父親のようにはならないと、誓った。
現存する光源氏とまで言われるほど…たくさんの女のもとに通い、自分を売りこんだ。女は俺の思惑通りに、俺を良い男だと広めてくれた。
内裏でも本当の姿を教えたのは片手で数えるほどで、それ以外には程よく良い奴を演じた。
そうやって………誰にも取られない俺だけの不動の立場と場所と価値をこの京で得た。
本当は好きでもない女と体を重ねたくなかった。
本当は泣き喚いて誰かにすがりたかった。
俺はどうしようもないほどに…“本当の”自分を隠すことに長けてしまったのかもしれない…。
……でもそれでいい。後悔はしていない。
そんな道をたどってきたからか
「親父の周りを見ないで自分を押し付けるようなところが…気にくわないんだよ」
雅季の過去を陰ながら見てきた義久は何も言えずに黙り込んだ
「んで、本題はなに?端的に頼む。」
だるそうに脇息にもたれかかる雅季に近江はゆっくり…且つ端的に話し始めた
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