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  残月 作者:たまごやき
[49]母親の過去



「………え?」


頭が真っ白になるってこの事だと思った。


―――何も考えられない。





そんな私を彼は頬を塗らした涙を拭いもせず、じっと見る

「お前は親父のところに行け。」

「そんなっ冗談やめてくださいよっ」

静かなこの対屋に私の空笑いが響いた


「…俺が冗談なんかでこんなこと言うと思ってるのか?」

「………どうしてですか? 私は嫌です!そんなの聞けません!!」

時間が経ってようやく自分の脳味噌が事態を把握してきたらしい。

真っ白だった頭の中は、もういろんな色がごちゃごちゃと混ざり合って言葉を考える余裕もなく思ってることがぽんぽんと口から出てくる



「何度も同じことを言わせるな。お前はもう俺の女房として必要なくなった。」

「…そんな…ひどい…ひどいですっ!」

いつものやさしいあなたじゃない。そう言った時に目の端からすーっと涙が垂れていった


「俺はもともと優しくなんてない、ひどいと言われたって何とも感じない。」



もう何と言われたって彼は私をそばに置いておく気がないんだ…

泣きじゃくるしかない。

何年も何年も隣に居たのに…






「……今まで…お世話になりました。」

























……―――――――







「若様、どういう風の吹き回しですか?」

俺の目の前でそう渋い顔をしたのは、親父付きの女房―――近江だ。


「別に。あいつが目障りになっただけだ。」

「そんなことをおっしゃって、本当は違うのでしょう? あなたは何を目論んでいるのです?」

「目論んでいるだと?人聞きが悪いな。 俺が泣かせてまでして親父の下に上総を送り込むとでも思ってるのか?」


俺は正直…近江が苦手だ。亀の甲より年の功とはよく言ったもので…

初老の女房のにやりと笑った瞬間にできる目尻の皺に毎度寒気がする。


そして今回も例外はなく、近江は俺の目の前でにやりと笑って皺をつくる



「ええ、そう思わなければ言いませんし、わざわざこちらの対屋まで参るわけがないでしょう。」


…年の功、恐るべし。




雅季は溜息をついてぼそっと呟いた

「……上総には悪いことをしたと思ってる。」

「悪いことをしたで済ませるんですか…。」

彼は何度もこの台詞を言っている。

自分になつかせるだけなつかせて利用するだけ利用して、最後はあっけなく捨てる。

ということを何度も。

その都度、悪いことをしたと思ってる。そういって逃げるんだ

それなのに嫌われずに今まで生きてこれたのはどうしてなんだろう…



「仕方ないだろ。これ以外に手がなかったんだから…」

女房まで巻き込んで、彼は何を望んでいるのか気になった

「それで?」

「は?」

「あなたは一番信頼していた女房までも手放して、何がしたいんですか?」

私の問いに、目の前の―――私の昔の主に似ている男の子は黙り込む。


そしてしばらく考えこんで、ようやく結論が出たのか口を開いた






「…あの人と幸せになりたい。」






その一言に過去の一幕が思い出される―――






この部屋だけがいつも通りの夜だった。

広大な屋敷の中の…誰も寄せ付けない堅実な警備が施された対屋

『ねえ…近江、』

柔らかな声が私の名前を呼んだ

『いかがなさいました?』

そう返事をして声の主に振り返れば、その人は寂しそうな顔をしていた

『今夜、寝殿とかで紅葉を愛でる宴をしているのでしょう?』

『はい。庭の紅葉が綺麗に色づいてますよ。』

にっこり笑いかければ、彼女も嬉しそうに微笑み返してくれた


そして部屋の奥深くから何枚もの几帳と御簾に隔てられた見えもしない庭のほうを見る

『……私も宴に出たいわ』

『…なりません。』

寂しそうな彼女の顔を見てしまうと、宴に連れ出したくなってしまう…でも…我慢。

今夜は、彼女が誰の目にも付かないように守るのが私の役目だから。


『…ほんの少しでも…だめ?』

『ええ、だめです。』

『じゃあ宴だなんて言わないから…庭の紅葉だけでも廂に出て見ていいでしょう?』

『…だめです。』

『どうして?』


『姫様の―――』


これまでもどこかの公達に姫様が垣間見られたことはあった。

そして姫様の美貌に心奪われ、あれやこれやと贈り物をしてきた。

しかし姫様はそれをやんわりとかわしている。

文といえば従兄弟にあたる東宮や出家した法親王としか交わしていないのだ。

だから誰もが彼女が東宮のため入内すると信じている。


『―――姫様の将来が台無しになってしまいます。』


父親は左大臣、母親は皇女。 

入内して皇子を授かればきっと将来は皇太后……女としてこれほどまでの幸せはない。

だからこそ、わたしは彼女の一番の傍付き女房として、変な虫がつかないように注意しなければならないのだ。


真面目な顔でそういった私を見て、姫様は微笑んだ

『近江は私を心配してくれるのね、ありがとう。』

しかしまた寂しそうな顔で見えもしない庭のほうを向く


『あのね…近江、みんな入内するのが女の幸せだって言うの。』

『そうですね…入内は限られたほんの少しの姫しかできないことですから…』

『………でも私はそれが幸せだなん『姫様っ!』

それ以上は言わせなかった。聞きたくなかった。

いつもにこにこと笑っていた姫様が本当は入内を嫌がってるなんて…知りたくなかった。


『…姫様、廂にでませんか?』

『え?』

『紅葉、綺麗ですよ。』




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