23.竜殺し(ドラゴンキラー) 其の肆
「私は……戦うんです! 先輩が戦えないって言うなら私が戦ってやります! 私が、先輩の拳に、先輩の剣になります!」
ドラゴンに握られながら、ユーカは声を振り絞って叫んだ。煙の向こう、おぼろげに見える二人――一人と一体の姿が。
「ぐっ……」
俺は立ち上がる。蘇る。こんな攻撃でへたばるような俺じゃない。俺にはまだ生きる使命が70年ほどある。
「おいファナさんよ、ユーカを離せ」
ドラゴンはぐるりとこちらに体を回す。そしてギロリと目を向ける。
俺はドラゴンのその向けた目に手鏡を向ける。反射角丁度。光量丁度。
きらりと光るその光をドラゴンは目の一点に受ける。ドラゴンはまぶしさで、筋肉をわずかに弛緩させた。
その油断をユーカは見逃さなかった。ユーカはドラゴンの手からぽんっと飛び出た。空中で一回転して体操選手のごとく着地する。
「先輩! 先輩先輩先輩! 大丈夫だったんですか!」
「ああ。これくらいのことなんでもない」
「でも先輩、先輩はさっきドラゴンの炎に焼かれたんじゃなかったんですか!」
「ああ。しかし、あれくらいの炎じゃ俺は焼けないさ。あの炎は見かけほどの熱量はなかったものだから、俺の防火仕様の学ランで防げたようだな」
「防火仕様! 先輩の学ランってそんな仕様だったんですか!」
火鼠の衣、平賀源内の発明した火浣布などがあるが、そのような感じで俺の服も燃えない服でできている。消防士の着る耐火服と似たような仕様となっている。
このためドラゴンの炎を浴びても俺は平気だったんだ。
「とにかく先輩は大丈夫だったんですね」
「ああ、このようにぴんぴんして……」
そう言おうとして腕を回そうとしたが回らない。手が動かない。というか立っているのがやっと。
こんな状態では動き回るなんてできないだろう。
「せ、先輩!」
「悪いユーカ、俺は少々計算を間違えたようだ。己の体力を見誤ったようだ。このように俺は無力となってしまった……」
いまにも倒れ込みたいほどの苦痛。決闘での負傷と先ほどの炎の攻撃での負傷、そして今までの疲労が蓄積されて俺は倒れる寸前だった。
「じゃー先輩、私が負ぶってやりますよ!」
と言ってユーカは、棒立ちしている俺をひょいっと背にのけた。
「大丈夫ですか先輩!」
「ああ。すまんなユーカ。この借りはいつか金として返してやるから」
「そんなレンキンなこといいですよ! 先輩との間にはお金の駆け引きなんてないですからー」
「じゃあ、俺に何かしてほしいこととかあるか? お前にはこの世界に来てからいろいろ世話になったから、なんでもいいから一つだけ言うことを聞いてやろう」
疲れ切った俺はついそんな甘い言葉を吐いていた。人間疲れ切ると、気がゆるくなるようだ。
「えー、え、え、えー! なんでも言うことを聞いてくれるんですかー!」
「ああ。なんでもだ」
「じゃ、じゃあえーと……」
そう言ってユーカはしばらく黙る。なにか考えている。いろんな妄想を自由気ままに描いているんだろうか。
「そ、それじゃー、この戦いが終わったらごほうびをください!」
「ごほうび?」
“この戦いが終わったら”という言い草はどことなく危険な予感がするのだが。とにかくユーカが何かごほうびをご所望だそうだ。
「ごほうびってなんなんだ」
「き、キスです!」
「は?」
「ドラゴンを倒したらごほうびにキスを……その、あのー……」
と背中のユーカが熱を持っている。よくよく考えたら幼馴染に背負われつつ会話をする絵は奇妙過ぎる構図である。
しかしユーカ、またこいつはけったいなものを頼みやがる。まぁ、何でも言うことを聞くと言ったのは自分だから、今回はこいつの頼みを聞いてやろう。
「キスか。なんだそれだけでいいのか」
「え、ちょ、あのぉー! まさかまさかのオッケーですか!」
「まぁ、この戦いが終わったら、二人でぱーっとやろうじゃないか」
「え、パーッとって!」
背中のユーカがおもむろにぶるぶると震えだす。人を載せているというのにロデオマシーンのように暴れるんじゃない。
「とにかくユーカ、今はそんなふうに与太話をしている場合じゃないんだが」
「へ?」
俺とユーカの前に炎の柱が向かってくる。しかし、ユーカはそれを本能的に察知し、人間離れした跳躍で炎の柱を飛び越える。
落下し、すたっ、と石畳に足を付ける。足を開いて構えをとる。
「さぁ、ドラゴンさんかもーんです! 私が相手になってやりますよ!」
「あのぉー」
突然、後ろから緊張をほぐすような平凡な声が届いた。後ろを振り向くと一人の兵士が俺たちに顔を向けている。
「おや、あなたは」
「はい。私はカイン様から言伝をいただいて参りました! カイン様いわく、アスリム山に落とし穴が設置されたとのことです!」
「そうか、お勤めご苦労」と俺は返答する。
ようやく落とし穴ができたか。これで準備は万端。
「というわけだユーカ。さっそくドラゴンを誘導しつつアスリム山へと向かいたいんだが」
言葉を遮るようにドラゴンの炎がこちらへ噴かれる。ユーカは反射的にドラゴンの直進する炎と垂直となる方向に飛ぶ。ついでにユーカはさきほど報告を行っていた兵士も掴んで飛んでいく。
「せんぱーい、とにかくあのドラゴンをアスリム山とやらに連れて行けばいいんですね!」
「ああ。攻撃をかわしつつ、アスリム山の落とし穴へと向かうぞ」
「アスリム山はどっちの方向にあるんですか!」
「この街より北の山、あの山だ」
俺は街の背景となってそびえ立つ、アルプス山脈のような草地の広がる山を指さした。山のあたりを凝視すると、山頂あたりに兵士たちが集っているのが見えた。そしてその兵の集団の中央あたりに一本の赤い旗の付いた棒が立ててあった。
「ユーカ、お前も視力は2.0はあるから見えるだろうが、あそこの旗のところまでとにかく向かうぞ」
「んーと、あそこですか。じゃーユーカちゃんの華麗なるランニングをとくとご覧あれ!」
ユーカは掴んでいた兵士を安全なところへ放り投げて、くるりと体を回転させドラゴンのほうへ体を向ける。
「おーにさんこっちら、てーのなる方へ!」
あっかんべーをしてドラゴンをあおるユーカ。ドラゴンの中の理性がざわめいて、ユーカを食い殺さんばかりの勢いで睨む、そして石畳に足をめり込ませて突っ込んでくる。
その動きはもはや人間的な動きでも、動物的な動きでもなく、新幹線、はたまたF1カーよろしくのスピードをもつ動きであった。そんな人間離れした文字通りの“怪物”に太刀打ちできる霊長類はユーカぐらいしかいないだろう。
ユーカのエネルギーは、それほどまでに強力である。その小さな体でどうしてそんな力が出てくるのかと、もはやエネルギー法則から外れたような存在である。
「先輩! しっかり掴まっててくださいよ!」
俺はユーカにしっかりしがみつく。ユーカは地を蹴り走り出す。突っ込んでくるドラゴンの頭突きを、宙に浮きながら体を回転させ、間一髪でかわす。頭突きの攻撃をかわされ、ドラゴンはわずかに進行を止めた。その間にもユーカは街を走りぬく。石畳を駆け、建物を飛び越え、走り抜けていく。後方からドラゴンが走ってくる。ドラゴンが炎を吐こうともこちらは痛くもかゆくもない。
「「右に!」」
俺は炎の進行を脳内でシュミレートした結果よりそう叫び。
対するユーカは、頭の中を空っぽにして、もはや本能的なもので感じ取りそう叫び。
その結果をユーカは行動に移す。壁を蹴って無理やり進路を変更し、矢のように飛び立ち、向かいの壁へと着地する。さきほど蹴った壁はすでにドラゴンの炎で黒焦げとなっているが――そんなのは見向きする間もなく、ユーカ、ならぬユーカーは街を駆け抜けていく。
「ユーカ、右だ。そこの門を通って街を出るぞ」
「えと、インド人を右にですね! ドリフトォ!」
ユーカは地面をこすって急旋回し、門へと向かう。門を素早く通り、そのあと後ろを振り返り、やってくるドラゴンを確認。
「よし、ドラゴンはこっちに来ているな」
「でも先輩、このドラゴン、どうして私たちを集中的に狙ってきているんでしょうか。私、このドラゴンになにか悪いことしましたかねー。全く身に覚えがないんですが」
「それはだな……今は時間がなくて説明できんが」
ユーカには目の前のドラゴンの正体がファナさんであることを告げていない。ただでさえ脳の容量がフロッピーディスクレベルのこいつにややこしい話をさせたら混乱してしまうのがオチだ。
しかし、街の建物でなく、俺とユーカを集中的に狙っているのはなにか意図があるのだろうか。ドラゴンの中にわずかにあるファナさんの思考というか嗜好が反映されて、俺たちを狙っているのか。
ファナさんは悪事がばれた際、悲愴な顔を浮かべていた。あのとき、ファナさんは俺を恨んだんだろうか。逆恨みのような気もするが、俺がちょっかいを出さなければファナさんはこうなることにはならなかったのかもしれないから、俺のせいでもあるかもしれない。もっとも、ちょっかいを出さず、ファナさんの暗殺が遂行された場合は俺が死んでしまうためどうしようもなかったことなのだが。
怒りの矛先は俺、もしくは俺の家来たるユーカ。もしくは単純にシリウスの豚か。
とにかく、こちらだけを狙ってくるのは危険ではあるが、利用しやすいこともある。とにかく、このドラゴンを性急に誘導しなければならない。
「行くぞユーカ、目指すはアスリム山だ」
「あたぼうよ!」
ドラゴンは街の外の草原を駆けてくる。もはや脇には俺たちの進行を遮るものはなく、ただ緑のカーペットが広がるだけであった。
追われるものと追う者。
一直線に走り抜ける俺たちを、影のように付きまとうドラゴン。時折り噴かれる炎の柱は大きく蛇行してかわす。
走っているうちに、俺たち一行は山の足元へとたどり着く。
そこから頂上に見える旗のもとまで走っていく。角度の付いたその道を、ユーカはひるむことなく駆け上る。
「ユーカ、エネルギーはまだ足りるか」
「まだまだですよ! エネルギーは無限大だぁ!」
ドラゴンの攻撃をかわしつつ、緑の草原を走る。脇に咲く花々に目も向けず、まばらに流れる雲を眺めることもなく。ただ無心に走る。
ドラゴンはその重い体を、己の熱機関を燃やして走り続ける。双方のエネルギー機関は尽きることなく、終わりなき追いかけっことなっていた。
その追いかけっこに、もうすぐ終止符が打たれる。
ようやく、山の頂上に立てられた旗へと到達する。まわりには兵士たちがぞろぞろと蠢いている。
「全軍退避しろぉ!」
俺は叫んだ。兵士たちは言われて下がっていく。「退避だぁ」と声高に叫ぶのはカインだ。兵士を誘導し、ちらりとこちらの方を向いている。
「ユーカ、あそこだ。もう目と鼻の先、数百メートルぐらいか」
「よし、あそこまで走ればいいんですね!」
「いや待てユーカ。その前に、俺をあそこまで放り投げてくれ」
「え?」
「あそこの、そうだな、カインさんの方へ俺をぶん投げてくれ」
「なんだかよくわかりませんがりょーかいです!」
そう言うと、ユーカは俺をハンドボールのように片手で持ち、大きく腕を振りかぶって、カタパルトのように俺を放り投げる。
「てやぁあああああああ!」
巨大な放物線を描き、雲に手が届かんばかりの高さまで到達し、くるりとゆっくりとあの赤い旗の場所へと落ちていく。
着地地点にはカインの姿があった。
「な、なんだぁ!」
目下のカインは驚きながら、俺の落下を眺めている。思わず手を広げて、落ちてくる俺に対して移動していく。
そして丁度俺はカインによってキャッチされた。
お姫様抱っこの形で。男同士のお姫様抱っこなんて絵にも毒にも薬にもならないもんだ。なのですぐさまカインから降りる。
「どうもカインさん、キャッチしてくれてありがとうございます」
「あ、ああ。まさかお前が降ってくるとは思わなかったぞ」
カインは突然の状況に困惑している模様。
「落とし穴はもうできたんですか」
「ああ。たしかにできた……んだがな。なにぶん時間がなくてこんなものしかできなかったんだが」
そこには、大きな穴――に、申し訳程度にカモフラージュとしてなのか、草が敷かれてある。
どうみてもばればれの落とし穴だった。これじゃあアホのユーカだって引っかからないと思う。
「まぁいい。落とし穴さえできればあとはいろいろフォローはできる」
「そ、そうなのか」
「それよりカインさん、あんたも危険だと思うから逃げておいてくれ。ここは俺たちに任せておいてくれ」
「え、でも……」
「向こうの岩場に隠れて俺たちの“戦わない戦い”を眺めておいてください。さ、そろそろドラゴンの野郎がやってきますよ」
そう言ってカインを岩場へと押しやる。その後、俺はさきほどの落とし穴の前へと立った。
罠は張った。あとは敵が来るのを待つだけだ。
そう、待つだけなんだ。
ドラゴンはすぐさまこちらへ来た。今までと同じスピードで、目にもとまらぬ瞬く間の時間で俺の数十メートル前の位置に着いた。
そしてちょうど落とし穴の手前まで進行して来たとき、ぴたりと足を進めるのをやめた。足元にギラリと視線を伸ばして。
もはや思考するまでもなく、そこに落とし穴があることが分かったようだ。ドラゴンは落とし穴の前で停止している。
「ギャォオオオオオオオオ――――!」
咆哮を上げる。その破壊音のような声は山にこだましあたりを振動させる。俺の仕掛けた落とし穴に対し「ふざけてるのか」と叫んでいるのか。
「ふざけてなんかいませんよ、ファナさん。こちとら、四六時中真面目に考えているんですよ」
「ギャォオオオオオオオオ――――!」
再び叫び声をあげるドラゴン。俺はドラゴンを見つめる。あらゆる人々を、シリウスの脅しによって喰わされて、一杯喰わされてきたファナさん。
「ファナさん。この戦いは俺の、いや俺たちの不戦勝だ」
「ギャォオオオオオオオオ――――!」
ドラゴンは落とし穴を迂回してこちらに向かおうと――歩こうとして、足をわずかにあげた。
そのとき、ドラゴンの背後の岩陰から何か――風のようなものが吹いてきた。
いや、風ではない。一つの物体であり、一人の人間であり、一匹の人間離れした霊長類だった。
「てやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああー!」
ドラゴンが振り向く間も、ユーカの存在を視認する間もなく、木刀を構えたユーカがドラゴンの足元に突撃する。
片足立ち状態となっていたドラゴンはユーカの突撃を受け、わずかによろめく。ちょうど、背後にある落とし穴の方へと体が傾いた。しかし、体の重いドラゴンはそんな小さな傾きでは奈落へと堕ちないのである。
よろめいた体を立て直すため、ドラゴンは浮いていた足を地に落とそうとするが、
「おーちろぉ――!」
ユーカはドラゴンの浮いた足の付け根に握りしめた木刀の柄を押し付ける。
つばぜり合い。本来なら読んで字のごとく剣の鍔と鍔とをせり合わせることを言うが、今ここでせり合わせているのはユーカの木刀の柄の先についた鍔と、ドラゴンの足の付け根とであった。
力と力がぶつかり合う。つり合っている。どちらも引かない。
「てやぁああああああああ――――!」
「ギャォオオオオオオオオ――――!」
声さえもぶつかり合う。
「私は……負けないですよ! 私は、強くなったんですから! 先輩を守るのは私ですから!」
ユーカは押し続ける。火事場の馬鹿力。尽きることのない力を。
すべての力を思いを一点に注いで――。
ユーカの渾身の力押しはじわじわとドラゴンに効いていき、ドラゴンはゆっくりとゆっくりと傾いていく。
ドラゴンは己の危機を感じて、目下のユーカを見据えた。すぐさま口を開いて、そこからまたも炎の柱を吐こうとした。
「ユーカ気を付けろ」
「分かってますよ!」
ユーカはつばぜり合いの状態のまま、ドラゴンの足の付け根を沿うようにして周った。瞬間的に避けたため、炎の柱はユーカの元いた地面に注がれる。
周ったユーカ。それに気づいてあっけにとられたドラゴン。そのドラゴンの気の緩みをユーカは見逃さなかった。
「てい――やぁ――!」
ユーカは一度足を曲げてしゃがみ、柄を当てていた位置を低い位置に再設定する。そしてそこから斜め上に力をまっすぐに込める。
「場外――反則だぁ!」
ドラゴンが突如、ごろん、っと、ゆっくり、と、時の流れが、緩やかに、なったように、傾いて、いく。
ざざざっ。地面を擦る音。
ドラゴンは重い体を穴の方へと落としていった。崩れるはずのないものが崩れる。バベルの塔が崩壊するような、奇妙な情景。
そしてドラゴンは視界から消える。
穴の中へと落ちていった。
「ギヤァオオオオオオオオオオオオン――…………!」
ドップラー効果でドラゴンの叫び声はしだいに低くなっていく。そしてその叫び声が聞こえなくなった一瞬のあと。
パァアアアアアアアアアアアアアアン――――!
何かが割れる音が、穴の底から響いた。そしてざぶん、と重いものが水に入る音がした。
穴の外にいる俺たちのあたりに張りつめた糸が緩んだような静寂が満ちた。
「え……。何が起きたんですか一体!」
「すべて終わったんだよ。これで、ドラゴンは無力化された」
俺はユーカの元へ歩み寄る。そして無意識のうちにその頭を撫でてやっていた。
「わっ、先輩! えへへへへへ……」
体中を汗の水で纏われたユーカ。頭をしゃわしゃわと撫でられたユーカはえびす顔となっていた。
「ユーカ、よくやった」
「えっへへー。先輩に頭撫でられるなんて久しぶりですよー」
「そう言えばそうだな」
俺の手の下にいるユーカは、幼いころからちっとも変わらないユーカの姿だった。
「まぁ、ユーカ。団欒するのはあとにして、今はやるべきことがある」
「あ、ドラゴンですよ! 落とし穴に落ちましたけど一体どうなっちゃったんですか!」
「ドラゴンなら、この山の洞窟の地底湖に落ちたんだよ」
「どうくつ? ちていこ?」
「このアスリム山の地下には洞窟があるんだよ。そこは一部が地下水の流れる川となっていて、そしてその川の一部には湖が形成されている」
「へぇー。さすがファンタジーの世界、そんなきれいなところがこの山の下に広がっているんですか」
「そうだな。そしてこの山というか、この地域はもともと寒冷な気候でな。冬には辺り一帯が雪になるほどの寒い地域だそうだ。春である今はほどよい気温となっているけどな。で、その寒冷な気候によって、この山の下にある洞窟の水は凍ってしまうそうだ。流れる水も、そして地底湖も」
「水も地底湖も凍るって、氷の洞窟みたいになるんですかね」
「そうだ」
「んーと、それで先輩、その洞窟とドラゴンのことについてどのような関係があるんですか?」
「だからな」
俺は地面に空いた、ドラゴンの落ちていった穴の中を指さす。暗くてよく見えない。
「俺がカインに命令して掘らせたこの穴は、山の下に伸びる洞窟へとつながるように掘らせたんだ」
「な、何ですって! じゃ、じゃあ……この穴の下は洞窟になっているんですか!」
「いや、その洞窟の一部の、地底湖につながっているんだ」
「地底湖?」
ユーカはじっくりと穴をのぞいていく。じーっとみていると、太陽の光を乱反射する水面が見えてくる。
「あ、水ですよ! ドラゴンはあの湖に落ちたんですか!」
「そうだ。じゃあユーカ、あまりだべっている暇はないので、今からこの穴に入って地底湖に落ちるぞ」
「え、私たちも落ちるんですか?」
「ドラゴンが無力化したとはいえ、まだ俺には用事がある。とにかく行くぞ」
「行くぞって先輩、着の身着のままで落ちちゃうんですか!」
「水着なんかに着替えている暇はない。着衣水泳は体育の時間に習得しているだろうから問題ないだろう。さ、早くいくぞ」
俺はそう言って穴の淵へと立つ。深呼吸。大きく息を吸って穴へ――湖へ飛び込む。
「あ、待ってくださいよ先輩!」
ユーカと俺は急いでいたため同時に穴の中へと落ちていく。不思議な浮遊感を感じる。不思議の国のアリスになったような、異世界へといざなわれるような――そう言えば俺たちがこの世界にやってきたときもこんな感じに宙を降りていたと思う。
あれからいろいろドタバタあったが。ようやくドタバタが収まるか。
もしくはもっと大きなドタバタの始まりの合図なのかもしれないが。