第二十一章:あっけない終幕、罪は痛みを導く
不意に、村川の携帯電話の着信音が鳴った。
「…チッ、誰だよ、いいところなのに」
目の前のでかい蝿は、もう戦えない。なので、目の前で携帯を開く。
表示されているのは、『クソ校長』。
安部晋三だ。
気が付いたら、ぎりぎりと携帯電話が握りつぶされそうになっていた。
村川は携帯を軽く握り直し、通話ボタンを押す。
「……何ですか?」
『依頼だよ。正一君』
威厳のかけらもない、軽い声。
『蝿の王を守れ、だそうだ』
「……ちなみに、依頼主は誰っすか」
『アスタロト、とか言ってたけど?』
やはり、と村川は思う。
「この学校でのスパイもそいつの依頼ですか?」
『いや、そういうわけでもない。彼女がした依頼は、天使養成学校の全体像と、蝿の王を守れ、だけだ』
アスタロトは多分、村川が密偵者養成学校生徒だということを知らないのだろう。だから、『殺すな』ではなく『守れ』だった。
非常に、やる気がそがれた。
村川は、ある札を取り出し、蝿の王の目の前に落とす。
いつかと同じように。
「もう一回、戻ってきて楽しませろよ。ザコ」
札が光り、蝿の王が漆黒の沼に沈んでいく。
地獄へ、送った。
「もしもし、任務完了」
『了解。では、引き続き現場での任務を続行してくれ』
「了解」
村川は通話を切り、携帯をたたまずに、別の相手に電話する。
「フレイル」
『なんですかー? ご主人』
電話の向こうからは、聞きなれたフレイルの声が聞こえた。雑音などは混じっていない。
「アスタロトは?」
『ぼこぼこにはしましたけど、まだ食べてません』
フレイルの言葉に、ふう、とため息を付く。
「悪いけど、食べちゃダメだ。札で地獄に送り返せ」
『ええー……? 分かりましたけど…』
何かぶつぶつとつぶやいていたが、それは無視して携帯をたたむ。
思ったより、楽しかったな、と余韻に浸る。
堺は、村川を殺そうとするだろう。
そのために、さらに強くなるだろう。
それをいかに圧倒するか。
想像しただけでも、ぞくぞくする。
「しかしまあ……、どうすんだ? この廃墟」
周囲を見回すと、今この瞬間に崩れてもおかしくない程ぼろぼろだ。とっとと引き下がるか、と思い、体育館の出口を見る。
「村川っ!」
すると、そこにはなぜか白羽がいた。
白羽は、村川の姿を確認すると、こちらに駆け寄ってきた。
村川は、優しく微笑む。
が、
がらり、と。
天井が、全壊した。
きゃあ、という、白羽の短い悲鳴。
この距離は、常人ではつめられない。
だから、別にいいか、と思い、あせっているふりだけする。
―こん……ど……そ
不意に、口が勝手に動く。
なぜかは分からない。しかし、少なくとも村川の意思で動かしているわけではない。
―こん……こそ
また、動いた。
いや、口だけではない。体全体が、ぎしぎしと勝手に動く。
――今度こそ…
体の制御が利かない。
――今度こそ、守る!
こんなこと、思ってもいないのに。
こんな無駄なこと、しようとも思わないのに。
――『密偵者』を発動します。関係者以外の方は、直ちに退避して下さい。
一瞬だけ、密偵者が、勝手に発動した。
絶大な跳躍力で、白羽の上に覆いかぶさり、瓦礫をその身に浴びる。
「がああああッ!?」
密偵者が、切れた。そして、降り注ぐ瓦礫により、激痛が体内を駆け巡る。さらに、
「が……ぎいぁああああ!?」
この学校の機密情報を探るために侵入し、帰宅したときと同じ感覚が、追い討ちを掛けるように村川に襲い掛かる。
白羽が、驚いたような、怯えるような顔をしていた。
心臓に、内部で爆発でも起きたのではないか、というほどの激痛がはじける。
頭に、トラックが衝突したと言われても納得できる鈍痛が響く。
血管に、棘付きの鉄球でも流れているんじゃないか、と思ってしまうほどの、切り裂かれるような痛みが流れる。
口の中が、鉄のにおいで一杯になるが、何とか飲み込む。
「ご……ぶ、は」
意識が遠のく。
白羽が、何かを叫んでいる。
何を言っているかは、よく聞き取れない。
意識が、完全に飛ぶ。
「む…かわ、むら…わ、…らかわ、村川ッ!」
村川は、誰かの叫び声で目が覚めた。
「よかった……目、覚ました…」
視界がぼやけているが、声の感じで白羽瑠璃だと分かった。
そして、背中に何か硬いものが当たっている、と思ったとき、初めて床に横たわっていることに気が付いた。後頭部は痛くない。どうやら白羽が支えてくれているようだ。
「ッ!」
村川が体を起こそうとすると、激痛が全身に響き、また床に倒れこむ。
無理しちゃダメだよ、という、白羽の声が聞こえた。
「ごめんね…、私の天使の歌声は氷芽ちゃんみたいに上手くないから、止血しか出来なかった…」
泣きじゃくる、白羽の声。
「…いや、大丈夫だ。ありがとう」
全身に力を込め、痛みに歯を食いしばりながら起き上がる。
「悪魔は…戦争は、終わったのか…」
耳を澄ませても、荒々しい音は聞こえない。
「そうだよ……氷芽が、神に似た者を使ったから」
白羽の回答に、村川は面食らった。確か青咲は、天使が宿っているのがばれるのを恐れていたはずだ。
「本当に…? あいつ、使ったのか…?」
「なんだ、……村川はもう、知ってたんだ…」
ぐすぐすと鼻をすすりながら、白羽が言う。
「それはそうと、だ。これからどうしようか」
村川は、今は何とか意識を保っていられるが、それも時間の問題だ。白羽の白き翼で運んでもらうにしても、あの速度はつらい。
「あ、それは大丈夫だよ」
白羽は、少し落ち着いた声で言った。どういうことか、と質問する前に、放送が鳴り始めた。
『皆さん、悪魔は退いて行きました。我々の勝利です。傷ついた仲間に、美しい歌を手向けましょう』
数秒後、歌が聞こえた。
天使養成学校全生徒、全教師による、天使の歌声の大合唱。
それは、敷地内全体にいきわたるほどの声量でありながら、決してうるさくは感じない、美しい歌。
村川の傷と痛みが、どんどんやわらかくなってきた。
「…なるほど」
今までのこの学校の、戦死者ゼロ、というのは、これに理由があった。
激戦区にて、天使の歌声を合唱なり放送なりで発動し、自軍の傷を回復する。
そして、戦争が終われば、学校全てを包み込む大合唱により、戦っていた者を完全に回復させる。
おそらく、このシステムが無ければ、保護者から文句を言われていただろうな、と村川は少し笑みをこぼす。
「……終わったんだね、戦争」
「ああ……、終わったんだ。戦争は」
白羽と、微笑みあう。
戦争は、終わった。
だが、密偵者に関する問題は山積みだ。
その辺はとりあえずクソ中年に文句を言っておこう。 |