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盲目のビブロフィリア 作者:迷路
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33 その女、鋼鉄につき

 真っ赤なずきんと白いフリルの布に包まれた華奢な身体は、汽車の窓から振り落とされると、猛スピードで走る鉄の車体の後方に向けて激しく打ち付けられた。
 彼女は必死に自分の尻尾をアンカーのようにして、黒い汽車のボディに向けて打ち込もうと試みるが、先端のハートが千切れて切断されたそれが硬い鉄の板に突き刺さることはなかった。

 普段はいつも、学校の体育倉庫の裏の木に実ったざくろを食べるためだけに使っていた浮遊の魔法の魔本グリム
 その中に記されている聖刻文字ルーンの呪文を繰り返し何度も頭で暗唱しながら、しつこく汽車へと迫ろうとする。
 強烈な突風と相まって身体が車体に近づくと、ぼやけた視界の中で当てもなく手を伸ばした。
 先ほどまで掴んでいたガラスによって切れた手のひらは、すでに自分の血で真っ赤に染まっている。
 ぱっくり割れた傷はなおもとめどなく流血し、ヒリヒリと痛んだ。

 途端、走る電車の風圧の勢いで小さな身体が大きく回転した。
 その薄っぺらい背中はまたしても黒の車体に弾かれ、背骨の砕けるような感覚が彼女の内側で鈍く派手に反響する。
 視界はいっそうともやの量を増し、意識はさらに遠のいていった。
 リコラスの乗っている車両はみるみるうちに遠ざかっていく。
 わずか数秒で、もう見えなくなってしまった。

 やがて風圧に再び引き寄せられ、汽車の最後尾の車両の窓にその小さな身体は触れた。
 跳ね飛ばされ、そこから大きく斜め下へバウンドする。
 同時に彼女の身体は空中への浮遊を終えた。
 大きくひらかれ解放された景色のなか、むき出しになった線路へと落下していく。

 すぐ目の前には錆びた鉄と硬い枕木、そして敷き詰められた黒色の尖った石。
 電車からはとっくに離されているはずなのに、なおも自分のすぐ近くをレールの上で走っているような煩い幻聴が頭に響いた。
 やがて顔が線路の地面に一メートル、五十センチと近づく。

 眼前、三十センチまで近づいた時だった。

 自分の頭の後ろにあった赤ずきんのフードに、空中で何かが引っかかっている。
 すぐ目の前にはなぜか、とっくに振り切られたはずの電車がまだ走っていた。
 耳に障るガタンゴトンという音は、幻聴ではなかったのだ。
 フードに引っかかったものは、汽車から突出した何かの部品のようだった。
 しかしながら、彼女にはまるでそれが何なのか分からなかった。
 彼女の体はその汽車から伸びた何かによって、かろうじて汽車のスピードに振り落とされることを防いでいた。


 血まみれの目蓋を持ち上げる。
 エルアリアは今にも暗転しそうな朦朧とした意識のさなか、ロボットのようにぎこちなく腕を動かし、赤ずきんの引っかかるものに触れた。


 それは人間の手だった。









 あたり一面が真っ黒い暗闇に覆われた視界の隅。
 リコラスは汽車の車両内のゴム製の床の上で身体を這いつくばらせながら、視界に映る一冊の本を取ろうと手を伸ばしていた。

 杖で立ち上がったというのに、急いで前に行こうと駆けだした瞬間にヌルヌルとした生臭い水で靴は滑った。
 汚れた床をしばし這い、白い両腕とワンピースを赤でびしょびしょに濡らした後、ようやく灰色の床に落ちた『飛び回る蜂バンブルビー』の本に指先が触れる。
 急いで本を拾おうとする手をすかさずアイアンメイデンの腕が掴んだ。


「お願い! この杖だったら渡すわ! だから、今すぐに外のエルを助けて!」

 彼女は擦れた喉で精一杯の叫び声をあげる。
 同時に、お腹の下で抱えて持っていた白百合の蕾のモチーフが付いた杖を、血で染まった床の上に転がして見せた。
 アイアンメイデンはそれを見て、目を細める。

「ふむ、まじまじと見てみると想像していた以上に美しい杖だ。これならきっとメリッサに似合うぞ」

 そういって片手をリコラスのほうへと伸ばす。
 だが、彼女は床に転がった杖をスルーして、リコラスの手をとった。

「立ち上がれるか」

 リコラスは差し伸べられた手を使わずに、身体を杖と脚だけで起こす。
 それから目の前の相手の心臓の本を見つめた。

「いったいあなたは、わたしにこれから何をするつもりなの」

「何をするって、もうすぐこの電車は駅に停まる。サウス・ビーチに到着する前の最後の停車駅だ。べつに駅員も含めて決して誰も君のことを助けに来たりはしない。だが、万が一だ。一般の客が乗ってくる可能性がある。だからそのために車両を変えておく。この大惨事と化した車内のこともだが、何せこの格好じゃまずいだろう」

 ズタボロに破けて黒の生地がほとんど残っていない駅長制服から、黄色い下着をさらけ出したアイアンメイデン。
 彼女はリコラスの手を引いて、三つ隣の車両まで歩いて向かった。
 二人は先頭の車両へ向けて、二つ車両を空けて移動する。
 長い座席のシートの中心の前に立った。

 アイアンメイデンは、リコラスの太ももをワンピースの上から押して椅子に座らせようとする。
 リコラスは抵抗したが、じきに腰かけざるを得なくなった様子で、やむなく少し離れた位置の座席シートへと腰かけた。

 やがて車内には電子音でのアナウンスが流れ、電車はゆるやかにスピードを落とした。
 そうして、海と街の景色が周りに大きく広がった、小さな駅へと停車した。
 新たな乗客は誰一人として乗ってこなかった。

「平日金曜日の夕方の電車は、帰宅のラッシュの前だとこんなに空いているんだな」

 アイアンメイデンは呟く。
 彼女もまた、リコラスと同じシートに腰を下ろした。

「そういえば、今の時期は海に『カツオノエボシ』が大量発生していると聞いた。刺されたら命にかかわるような猛毒のクラゲがいたら、夏休み期間の学生もさすがに泳ぎには行けないんだろうな。それも含めて幸運といっていいのか。今日は乗客が全然いなくて良かったよ。これで他の人間がもしいたら、より手を込ませなくちゃいけないし面倒だった」

 リコラスは聞きながら、エルアリアの尻尾の血で濡れたワンピースの布を堅く握りしめ、歯をぎりぎりと食いしばっていた。

「お願い、お願いよ、彼女を助けて。大切な友人なの。わたしのたった一人きりの友人なのよ。いまあなたが治療をしてくれれば、もしかしたら助かるかもしれない。お願い、エルを助けて」

 嗚咽を漏らし泣いてすがるリコラスに、アイアンメイデンは隣へと座席の隙間を詰めてから、ぽんぽんとその頭を撫でた。

「なあ。君は目が見えなくても、ずっと私とあの子の会話を聞いていただろう。私は君の友達に対して、何も手を出していないんだ。ただ自分の身を守るために『鞘に入った』ブレードを投げて、落ち着いたあとで電車から出て行ってもらっただけなんだよ。いいかい、これは正当防衛だ。最初に尻尾で攻撃してきたのも、あの子からだ」

 静かに諭す彼女に、リコラスは頭に置かれた手を掴む。
 それと同時に彼女に向かって叫んだ。

「あなたには、騎士の誇りみたいなものがまるでないの?」

 アイアンメイデンはしばらく神妙そうな顔をして、彼女の顔を見つめる。
 そのあと手首を離させると、ようやくもう耐え切れないという様子でフフッと笑いを漏らした。

「私はふだん騎士の恰好をしているだけで、騎士じゃないからな」

 彼女はそういうと、かろうじての形で生地が残っていた制服のズボンのポケットから、なにか手帳のような冊子を取り出した。
 リコラスが視るとそれは、小さくて薄いながらもれっきとした魔本グリムだった。

 車両のドアが閉まり、電車が今一度走り始める。
 顔を俯けていたリコラスは、喉の底に残った声を振り絞るかのようにして小さく呟いた。


「あなた、最低な人間よ」


 アイアンメイデンは一瞥するも、何食わぬ顔でそれを聞き流す。
 彼女は黒い腰布の巻かれた下着姿のまま、手に持った魔本のページをパラパラとリズミカルにめくっていた。
 本の文字を見つめながら口を開く。

「君は確かまだ高校一年生なんだろう。だったら、友達なんてまたすぐにできる。むしろ人生のなかで『限りなく大切な友人になる人間』なんていうのは、これから先に現れるものなんじゃないかな。私はそう思うよ」

 リコラスは骨が浮き出るほどに握り締めた手の拳を震えさせる。
 あなたは最低よ、最低。
 下を向きながらそう何度も、押し殺した声で呟いた。

「あなたは本当に最低よ!」

 不意な拍子、隣に座るアイアンメイデンが手に持ってめくっていた小さな魔本を床へと叩き落とす。
 床に転がった本を見て彼女は、ふーと溜め息をついた。

「はあ、もう。いったい何が最低なんだよ。君だっていきなり誰かに襲われたら怖いだろう。抵抗するだろう。私だって同じ気持ちを持った人間なんだよ」

「うるさい!」

 リコラスはアイアンメイデンの顔の頬を手のひらで突っぱねた。

「本当の友達がどうだとか言うんなら、まずはその腐った最低な性格で一人や二人お友達を作ってみてから語ってよ!」

 頬を打たれた彼女は一瞬、静かに表情を曇らせる。
 それから血相を変え、リコラスの顔の包帯を睨んだ。

「お前、私に友達がなんだと。同じことをもう一度言ってみろ!」

 アイアンメイデンは長い銀色の髪を掴み、座席から床に投げるように叩きつける。
 そのままうずくまる彼女の腹部に、強い蹴りを入れた。

「なにが私に友達がいないだと! メリッサのことを、あのメリッサが、私を友達だと思っていないとでも言いたいのか! 私が誰にも大事にされていないと、愛されていないと、私のことを愛していないとでも言うのか!」

 床の上に身体を丸めて横たわったリコラスの腹をひたすらに蹴り続ける。
 やがて彼女が何も言わなくなると、いちど深く深呼吸をしてから床に落ちた魔本を拾った。

「フランクな態度に構えていれば、あまり図に乗ってくれるなよな。世界を何も知らないやつが。本当に大切な人を持ったこともないくせに。真の意味で人を愛したことも、愛されたこともないくせに。分かったようにいけしゃあしゃあと言うなよな」

 彼女は座席にと再び腰かけ、本のページを先ほどの途中からめくり始めた。
 リコラスは倒れこみ、げほげほと咽こんで嘔吐えずいている。
 唾液を灰色の床と衣服に垂らし、うまく呼吸ができない状態でたどたどしく口を開いた。

「ごめんなさい」

 アイアンメイデンは本から顔を上げて睨む。

「私とメリッサが友人ではなく『友人以上の関係』だ、とそう言いたかったんだろう?」

 リコラスは目に涙の玉を浮かべながら、こくこくと何度も縦に頷いた。

「言っておくが、私は普段の性格は極めて温厚だ。別に私をいくらおちょくって挑発したところで、逆上してお前を殺したりはしない。だが、私の一番大切にしていることを蔑ろにしたりすれば、その時は痛めつけて半殺しにする。いっそのこと、もう殺してほしいと願うくらいにな」

 そう言い、アイアンメイデンは最後のページにと手を伸ばす。
 手帳のような魔本を一冊読み終わった彼女が最後のページと裏表紙の間に手を差し込むと、その腕から先は本の紙のなかへとずっぷりと入っていった。
 そして中から、黒い長袖の軍服と深い赤色のネクタイ、真っ白いワイシャツを指で引っ張って取り出した。

「使ったことがあるか分からないが、これは『携帯女神の小さな泉トラベラー・レイク』という魔本だ。こんな姿では落ち着かないからちょっと着替える。実はメリッサに、聖女の杖を手に入れる感動的なところをビデオで録画するように頼まれてるんだ」

 だからきちっとしないと。そう言い彼女は電車のなかで、身体に残っていた制服のズボンと上着を脱ぎ捨てて下着姿になる。


 軍服に着替え終わると、アイアンメイデンはその長く下りた上着を捲り上げ、ズボンのポケットから小さく薄い長方形を取り出した。
 それは最新型のモデルのスマートフォンだった。
 再びリコラスの隣へ腰掛ける。

「私のことを無敵だと目の前で悟った人間は、普通は逃げ出すんだ。単純に勝ち目がないからな。それに比べて君は勇気がある。いや、さっきの赤ずきんの友人も含めて君たちか。彼女は死んでしまったが、久々に威勢が良いやつだったよ」

 これは本音だ、と彼女はいう。

「エルがあの程度で死ぬとは思えないわ。それに尻尾を電流で焼き切られた後でも、まだ喋って話をしていた。つまり全身までは感電して黒焦げになっていないってことよ」

「そう思うならそれでいい」

 アイアンメイデンは、ふと何かを思ったように黙り込んだ。
 顎に手を当ててしばし考えたあと、リコラスの顔を見る。

「君はあの子にずいぶんと依存しているんだな。なんだか少し、気持ち悪いぞ。ましてや相手は女の子なのに」

 彼女は左手に持ったスマートフォンの上に付いている電源ボタンを押した。

「これから何をするつもりなんですか。あなたはいったい、何が目的なの?」

 アイアンメイデンはその問いに答える。

「だから、言っただろう。『スマホのビデオカメラ』で杖を君から受け取るシーンを撮るんだ。記念すべきイベントではどんな時も、ビデオを回して撮影するだろう。メリッサはそういうのを喜ぶんだ」

「ビデオ……ですか」

「そうだ。もしも彼女に、私が暴力や武器で無理やりに君を脅しつけて杖を強奪している様子を送ったとしたら、きっと心が痛んで嫌な気分になる。彼女はいつも困ったことばかり言うワガママだが、その心の底はとても心優しいんだ。だから、リコラスには自分から杖を手渡しながらこう言ってほしい」

 リコラスの耳元へ唇を近づけ、ぼそぼそと耳打ちした。

「では、わかったね。これからすぐに録画を開始するよ。くれぐれも、今言った打ち合わせの通りに頼むよ」

 アイアンメイデンはスマートフォンの画面に表示されたロックボタンを指先で触る。
 事が起きたのは、その矢先だった。


 彼女は途端、首を傾げる。


「あれ、なんだ……これ、なんだろう。画面はちゃんと明かりが入ってるのに、『ホーム画面のロックを解除してください』からいっこうに先に進めないぞ。なんだ、どうなっているんだ」

 画面の下部に表示された鍵のマークをつんつんと人差し指でつつくアイアンメイデン。
 何度もつついた後に、おかしいなぁと舌打ちした。
 リコラスはその間、学校の図書委員の先輩が自分に見せてやっていた様子を思い出していた。


「あの……もしかして、電源を入れて最初のロックの解除の仕方がわからないんですか」

 アイアンメイデンは首をぶぶんと振る。

「いいや、違うよ。わからないんじゃない。一か月くらい前にルリアに買って設定してもらって、つい一昨日に使えるようになったばかりなんだ。だから分からないというよりも、まだ操作に慣れていないだけだ」

 リコラスは自分の人差し指を一本、前に出した。
 続けて、それを右にすいーっとスライドさせる素振りを見せる。

「鍵のマークをスライドさせるんです。タッチするだけじゃなくて」


 スライド……?

 彼女はしばらくのあいだ、眉をひそめる。
 それからうーんと唸り、頭の後ろで結った金色のテールをわしゃわしゃと両手で抱えた。

 そうこうして、時間にして約一分が経過した頃だった。

 下のほうの画面に人差し指を乗せ、そのまま身体ごと右へと移動させる。

「おお、やった、できた」

 リコラスの顔を嬉しそうに見た。


「すごいなリコラス、なんだか詳しいんだな。君もスマホ持ってるのか? 君もそうか、考えてみれば高校生だもんなあ。若い学生もみんな持っていてまいってしまうな、今の時代」

「いえ……わたしは持ってません。ただ、学校の委員会が同じの先輩がいっつも学校に持ってきて自慢してくるので、いつのまにか操作とかアプリのことをだいぶ覚えてしまったんです」

 へえー、と驚くアイアンメイデン。

「なるほどな。それはそれで頼りになるかもしれん。私もつい昨日、一か月かけてやっと『ツイスター』に登録したんだ。でも、何をしていいのか使い方もよくわからん。ルリアに聞けば教えてくれるんだろうが、あいつは『教えたバイト代に一万円よこせ』とかすぐに言うからな。携帯ショップの店員にインターネットの買い方を聞いても、さっぱりわからなかった。代わりにわかりやすく教えてくれ」


 そう言い、スマートフォンの画面へと視線を戻した。
 アプリのアイコンがたくさん表示された画面の前でアイアンメイデンは再び硬直する。

「ええっと……なんだ、えっと、次はどれだろう。ビデオを撮るんだから『ビデオ』と書いてあるマークを指で触ればいいのかな。これをダブルクリックしても大丈夫なんだよな。『ウイルス』とかには感染しないんだよな」

 ちらちらとリコラスの顔を見るアイアンメイデン。


 リコラスは思った。




 ああ。この人は、めちゃくちゃ機械音痴なんだ、と。









 死ぬな。
 気をしっかりしろ。


 意識を持て、赤頭巾。




 エルアリアの頭上から声が響く。
 それは男の声だった。


「死ぬな。悪魔がそう簡単に死んでくれたら、私たちの仕事がなくなる」


 汽車の最後尾の車体から貫通するように現れた男の姿は、鉄のボディの向こう側には存在しないように見えた。
 まるでそこに上半身だけが埋め込まれているように。


「あなた、生きてたの」


 赤ずきんのフードを掴んでいたカラスは腕を引き、エルアリアの小さな身体を黒い鉄の車体の壁のなかへと引っ張り込んだ。
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