大樹の守護者
幽華の森の奥への道程は、存外に何の問題も起きずに進んでいった。
途中昼食や休憩を挟みつつも、かれこれ十時間ほどは歩いただろうか。道中、魔獣の一匹にも遭遇することはなかった。
「なんか拍子抜けだな……。魔獣にも全然出会わないし」
「そりゃあね」
地面に"枝"を刺して、マギカレクトのマップを見ていたリムリーフが答える。
「そのサイとか、結構強力な魔獣でしょ? 下手に手出しとか出来ないわよ。魔獣だって死にたくないだろうし」
「まぁそうだけどさ……」
わざわざ手強そうな相手を狩りの標的に等しない。その理屈は分る。分っていたからこそリムリーフの話に乗ったのだから当然だ。
しかしこうまで目論見通りに行ってしまうと、逆に不安になってくるのが遥歩と言う人間だった。と言うよりも、カードゲーマーの性だろうか。順調に展開を進め、あと一歩で勝てるという時にこそ、相手の持つ手札が気になるものなのだ。相手のカウンターカード一枚で展開がひっくり返るというパターンは、本当に良くある事なのだから。
「このまま行けりゃいいけど」
「大丈夫でしょ」
対するリムリーフの言葉は、非常に軽いものだった。
まぁ無駄に見えない手札を警戒して勝機を逃すという事も同様によくある事なので、彼女の言葉も間違ってはいない。結局、動いてみなければ先は分らないのだ。出来る事は想定と、心構えぐらいである。
「……うん、だいぶ近くまで来れてるみたい。あと三時間も歩けば大樹まで着くわね」
「なら、今日はもうこの辺で休んだ方がいいかな」
リムリーフの言葉に、遥歩は大きく息をついて座り込んだ。、
三時間程度なら、明日の昼前には着ける。それにもう日が沈み始めていた。暗くなってからも進むのは、やはり危険だろう。
木の幹に背を預け、棒のようになった足を揉み解す。休み休みとは言え一日中歩き続けたのだ、足も流石に限界だった。
「疲れた……」
「私も、流石にお尻が痛いわ……」
鹿の上に座っているだけでも、やはり負担は溜まるものらしい。リムリーフも後半は、乗ったり自分で歩いたりを交互に繰り返していた。
「お水出せる?」
「ああ、ちょっと待って。飯とかも一通り出すから」
PWのカードリストを開き、ディスポーサカードのカテゴリを表示する。遥歩はその中から水の入ったタンクや干し肉と言った食料品をインスタントホルダーに放り込み、次々と実体化していった。
デッキに入れている場合は手札に引いてこないと使えないが、インスタントホルダーであれば何時でも使用できる。ディスポーサカードは基本ノーコストなので、出し入れは自由だった。初めてPWで遊んだ時は変わったルールだと思ったものだが、今思えばインスタントホルダーはこの為に用意されたシステムなのかもしれない。
その間、リムリーフはマギカレクトを捲って、野宿用のカレントであるキャンピングフレイムを起動していた。
そうして食事の準備が整ってから、召喚していた魔獣たちにも自由にしていいと指示を出す。
昼食時に気付いたことだが、召喚している間は魔獣たちも普通にお腹が空くらしい。鹿やサイは草食なのでその辺りの草を普通に食べていたのだが、狼は遥歩たちが食べていた干し肉を、非常にもの欲しそうな表情で眺めてきたのだ。蟻については良く分らないが、その辺の地面でモゾモゾしていた。
その時は仕方ないので干し肉を狼に分け与えたのだが、さて夕食は如何したものか。
「お前、自分で獲物獲って来れるか?」
遥歩の問いかけに、狼は威勢良く吠えた。
「よし、じゃあ獲って来い。あ、でも一時間程度で戻って来いよ? 駄目だったらまた干し肉やるから」
狼はもう一度だけ吠え、勢い良く森を駆けていった。
正直魔獣のエサの事は全く頭に無かったので食料が足りるか心配だったのだが、あの様子なら大丈夫そうだ。
「アダは元気ねぇ……」
「アダ?」
リムリーフの呟きに、首を傾げて問い返す。
「名前無いと不便でしょ。アダ森の狼だから、アダ」
何ともそのまんまな名前だ。まぁ凝った名前を付ける意味もないので、別に構わないが。
「んじゃ他の奴等は?」
「鹿はトビ。サイはウィーバ。あの砂はスナゾー。あと昨日のトカゲは確か、灼岩トカゲっていったっけ? しゃくがん……しゃく…………シ○ナ?」
「ア、ソレ、ダメ。ヨクナイ」
そんなくだらない話をしながら。幽華の森の夜は更けていった。
☆
翌朝、遥歩は自身のくしゃみで目を覚ました。
毛布代わりの外套を掻き抱くようにして被り直し、モゾモゾと起き上がる。昨日の夜は気にならなかったが、朝はやはり冷え込むらしい。リムリーフの方は大丈夫だったのだろうか、と目を向けると、
「……その手があったか」
彼女は、狼のふかふか毛皮に抱きついて、安らかな寝息を立てていた。至福の表情である。
しかしこの狼も良く抵抗しなかったものだ。普通なら鬱陶しく感じそうなものだが――いや、コイツも満更でもなさそうか? なんかリムリーフの首元に鼻先埋めてるし……あ、目開いた。
「…………」
暫し見つめ合う。すると何を思ったか、狼はリムリーフの首筋をスンスンと嗅ぎ出した。
「ん……」
リムリーフの身動ぎと共に、狼が顔を此方に向ける。
これ、めっちゃエエよ。目がそう語っている気がした。
「…………」
再度、鼻先が少女の首元に埋められる。
スンスンハァハァ、もぞもぞスンスン――
「んぁ……ッ」
遥歩はその尻尾を思いっきり踏みつけた。
甲高い悲鳴は、朝露に塗れる森の中にそれはそれは良く響いた。
☆
「あ、見えてきた」
「やっとか……」
顔を上げると、遠く木々の隙間から確かに大樹の先端が望めた。
朝に一悶着合って若干出発が遅れたものの、どうにか昼前には辿り着けそうである。
ちなみにアダ森の狼は、遥歩の言いつけにより最後尾で殿を務めていた。トボトボとした足取りで、若干やる気が無いように感じられる。思い返してみればあのケダモノ、昨日の道程でも妙にリムリーフの真後ろを歩いていた様な気がする。以後奴の動向には注意するようにしようと、遥歩は深く心に刻んだ。
そうしてさらに二十分ほどで。一行は大樹の幹がハッキリと望める場所まで辿り着き、足を止めた。
てっきり根元まで行くのかと思っていたのだが、大樹の傍にはやはり強力な魔獣が居ることが多いらしい。
「アダに斥候やらせればいいんじゃないか?」
「いくら魔獣だって、死んじゃったら可哀想でしょ」
リムリーフの言葉に、クゥンクゥンと擦り寄ってこようとするケダモノを睨んで牽制する。
仕方ないのでここから鳥の魔獣を呼び出し、蓮華晶を取って来させる運びとなった。
「えぇっと確か手札に……召喚、『赤羽鷲』」
召喚により現れたのは、赤い尾羽を持つ精悍な鷲だった。
サイズは1/1なので特別巨大と言う訳ではないが、それでも羽を広げれば
二メートル近くはある。鋭く大きな鉤爪や嘴も、人の肉ぐらいなら容易に抉り取れそうだ。蓮華晶を取って来ることも問題ないだろう。
「よし、行ってこい!」
遥歩の掛け声に、赤羽鷲は大きく翼を広げて飛び立った。枝葉の隙間を抜け、風に乗り、瞬く間に小さくなっていく。
そうして後少しで大樹まで辿り着こうかと言うところで――
「「あ」」
突如横から現れた影に、大鷲の姿が攫われて消えた。
「…………食われた?」
「あの鷲を一飲み出来るなんて、随分大きな鳥ね……」
「鳥……いや、あれ鳥か?」
遠すぎて良く分らないが、鳥にしてはシルエットがちょっとおかしい様な……。
「確かになんか変わった形してるかも……あ、こっち向いた」
「ん? なんか近づいて来てる?」
気のせいだろうか? シルエットがどんどん大きくなってる様な……ていうかあの形って……。
「「――ドラゴン!!?」」
その正体に気付いたのは、二人まったく同時だった。
「嘘こっち気付いてる!? どんどん近づいてくる!!」
「見てる場合か! 逃げるぞ走れ!!」
愕然とした声音で叫ぶリムリーフの手を取り、森の中を駆け出す。その背後で、心臓を鷲掴みにする様な雄たけびが、大気を震わせた。