第七十五話
何かがきらきらと輝いている。
ああ、瀬戸内の波だ!西国の海だ!
・・・と思ったのもつかの間、それは青々と茂った葉桜を通して射し込んでくる陽の光りだとわかった清盛は飛び起きた。
清潔そうな褥茵の白の上に大の字で横たわっていた清盛は、はっとなりあたりを見回した。どう見ても日は昇りきっている。時子はいない。
廊に響く軽やかな足音。
入ってきた女の姿で最初に目がいったのは、少年のような横顔であった。無紋の朽葉色の袿の下で、歩くたびに紅の袴が見えた。
角盥を手に持ったこの女は、なんて美しいのだろう!
その細い手首を掴み健康的な骨を感じたい。艶やかな髪が流れる横顔に口づけしたい。しかし、ためらわれた。
「・・・時子」
女はにこりと笑った。この禁欲的な笑み!時子がほほえむとき、彼女の周りの空気がぴんとはりつめるのだ。清盛はこの心地よい緊張感がすっかり気に入ってしまった。
「世の常の男性が美徳とすることなんて、あなた様からすれば無粋なのですわね?」
「そんなことねえさ」
清盛は角盥の水を両手で掬い、顔を洗った。
「はしたない女とお思いでしょう?女はいつだって受け身なのですから。おのれの運命に対して―――」
清盛はじっと時子の無紋の着物を見ていた。
この女は俺にすべてを賭けたのだ。一族のすべてを―――。時子ほどの美貌なら、彼女の父親が生きてさえいれば天皇家に嫁ぐことだってあながち夢物語ではない。
『わたくしは、あなた様が見た西国の海を見たいのです』
この女は温床でしか生きられぬ守られてばかりの女ではない。彼女の瞳を見るがいい。少年の頃、胸おどらせた輝く瀬戸内の海波は時子の眼中にもあるのだ!
嫌ならば引き返せた。昨夜、時忠の願いを突っぱねることだってできた。そうしなかったのは、まだ見ぬこの女を俺が欲していたからではないのか。生涯の伴侶に、時子が欲しい!
「わたくしだとて貴族の端くれの娘です。好かぬ殿方を易々と部屋に上げたりはいたしませぬ」
「本当に俺でよかったのか?家を継げるともわからぬ、この俺で―――」
清盛は少し顔を曇らせた。本当に焦慮すべきことだった。
時子は少年のように笑った。
「勝負が決まっている賭け事など誰も手をだしませんわ。ひと目で駄馬とわかる駒に勝なぞ求めますまい」
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