第七十三話
「あっ」
突然姿を現した清盛に驚いた何者かが、腰でも抜けたように這いつくばって逃げようとする。清盛はその者の肩を掴むと力いっぱい引き戻しひっくりかえした。男は踏み潰された蛙のような声を出した。
「内大臣だな。おまえを使わしたのは内大臣だろう?!」
「す、すみませんっ、すみません・・・内大臣?・・・えっ?」
男は両手で頭をかばうような格好をしていたが、きょとんとして顔を上げた。
年の頃、二十前後の若い男であった。
色白でいかにも軟弱そうな体たらくは、清盛の疑念をすべて吹き飛ばした。
清盛は機嫌悪そうに顔をしかめた。
青年は恥ずかしそうに立ち上がると埃をはたき落とした。
「あいにくだな。俺の家に通えるような女はいないぜ」
「あ、いえ。そういうのでは・・・」
青年は右手で頭をかきながら言った。
「じゃあ何だ。昼間から他人の邸をのぞくなど、あまりいい趣味だとは思わんが」
「いえ、その・・・」
青年の返答の歯切れの悪さにちらりと苛立ちを感じたが、清盛は好奇心を持って彼の答えを辛抱強く待った。
「あなたが、あの清盛殿ですね。噂はかねがね。わたくし、時忠と申します。実は前々よりあなたにお会いしたいと思っておりまして―――」
「おまえがか?」
清盛は眉を寄せた。
「あ、いえ。わたくしではなく、わたくしの姉でございます」
「へえ!」
清盛はうなずいた。
この時忠という若者は清盛と同じ氏で桓武平氏の流れをくむが、代々が武家である清盛に対し、彼は堂上家の生まれだ。しかし、清盛よりも家柄は上かもしれぬが、所詮は中級貴族。祖父・父ともに四、五位止まりで母の身分も高いものではなかった。
清盛はしげしげと青年を見た。
聡明というよりは狡猾さを漂わせている顔、それでいて小心そうな眼。それでも、やはり家柄をにおわせる振る舞いは清盛をさして不愉快な気分にはさせなかった。
何よりも興味をひいたのは、この男の姉という人物だ。
「会いに行ってやろう。今夜にでも―――」 |