第七十一話
室内はあまりにも暗く、頼長は夢がさめていないのかと疑うほどであった。
宵の口まで赤々と燃えていた蝋燭は、とっくに燃え尽きてしまっていた。
頼長は立ち上がると簀子のところまで出た。
月は出ていなかった。
だが明るいと感じた。それは室内のほうが暗かったからなのかどうか。
風は静かに吹きわたり、夜そのものの匂いを運んできた。
『おまえのやっていることはすべて徒労なのだよ!』
成佐の言葉とともにかすかな苦痛がよみがえり、頼長は眉を寄せた。
彼は黒い空を見上げた。
たしかにおのれは矛盾していた。成佐を学問上の兄弟子と敬しこそすれ、あまりにも馴れ合いすぎた。奥羽の豪族との増徴に関しての交渉のとき、彼は何と言った?『匈奴の如き東夷の者は仁を以て懐くべき。威を以て服す可からず』。そう言ったのではなかったか。
たしかに、彼の言うことにはうなずけるものがある。しかし、一介の家司の分際で口出しできることではないはずだ。
―――私の望むものとはなんだ
河の水が海に流れつくように、弱いものが強いものに喰われるように、けしてくつがえることのない絶対にして永遠の理ではないのか。
摂関家と天皇家の一体化こそが。
愚かしい成り上がりの院近臣たちの、なんと目障りなことか。
神々しい玉体が生まれたもうたのが諸大夫の女の胎だと!
なにが国母か笑止な。
白く艶やかな肌。紅い目元。熟れた唇。黒滝のような髪―――。あれは妖しい女狐だ。妲己のような毒婦なのだ。
頼長が得子を侮蔑する背景には、不運な新院のことがあったのであろう。得子が皇子を生みさえしなければ、と。だが、本当のところはそうではなかったのかもしれない。彼は顕仁に兄を重ねていたのだ。
顕仁と忠通はよく似ていた。顔かたちが、というのではなくその境遇が。
白河院の子であるがゆえにすべてにおいて疎外された新院。
父の忠通に対する仕打ちを、もうずっと見続けてきている。頼長自身もその一端を担ったに等しいことをやってきた。
新院の苦しみは兄の苦しみとして頼長の心に突き刺さってきた。
「兄君・・・」
頼長は思わずつぶやいた。
“兄”という呼び名のなんと恐ろしく虚無的なことか。
彼は部屋に戻ると、文机の上の書類をすべて払い落とした。
腹立たしかった。
すべてが―――!
成佐の言葉がまた耳の奥で響きだした。
頼長は、ぼうと立ちつくしているだけだった。 |