第六十二話
夏の日差しの白が、蔀のはずされた柱と柱の間をぽっかりと切り取っている。
蝉の声がうだるような熱さに拍車をかけ、動くことさえ億劫でたまらなかった。
筧をつたう水の音が聞こえなければ、深緑の海に浮かぶ小舟のような菖蒲の花が見えなければ、到底耐えられるものではなかった。
「おにいさま、どうなさったの?おにいさま!」
澄みきった声は清流のようであり、白く小さな花が風にそよぐ様を頼長に思いおこさせた。
少女の拗ねたような目元。白い額にぼうと滲む蒼い眉を少し寄せ、黒い甲虫のようにきらきらと光る瞳は一途なほどに頼長を見つめていた。
蝉の羽のように薄く透けている衣は、今の季にこそふさわしい。
童女特有のやわらかそう腕や胸や肩が、衣の向こうに見えていた。
幼くとも女ゆえか、うっすらとくびれた腰が妙に艶めいて見える。
「おにいさまが聴きたいと言ったのよ。『源氏物語』―――」
少女は、片方の膝を立てて座っている頼長の足と足の間に身をすべり込ませた。
小さな紅い花のように結ばれた唇が、少女に聡明さと意志の強さがあることを示している。
「伯母さまも聴きたいでしょう?」
少女は愛らしく言いながら女の方を向いた。
「ええ。わが君も物思いばかりなさっていないで、多子の朗読を聴いてあげなければ」
そう言うと幸子は、ひどく緩慢な動作で扇を口元へ持っていった。
妻といい養女といい、人形のような顔立ちをしている。
これは彼女たちの家系すべてに言えることであった。
幸子の祖父は白河院にその美貌をもって仕えた公実、そして彼の娘は絶代の美を誇る女院璋子。岳父や義兄も男振りはよかった。
頼長は幸子の面のような顔を見た。
その無表情さが見るに耐えられず、彼は顔をそむけた。
先程彼女が言った「わが君」という言葉も、顔の表情同様につるりとしたものであった。
何よりも耐えられないのは、多子の読んでいるこの草子だ!
一度通わなくなってしまった心は、もう二度ともとには戻れぬのだろうか。
―――私の思いの半分でも、かの女にあったなら・・・
「内府様」
簀子の上から呼んだのは成佐であった。
頼長は、はっとして立ち上がった。
「おにいさま、どこへ?」
多子は桃色の唇を少し開き、頼長を見上げた。
頼長は多子を抱き上げた。
汗が甘く香った。
「すまぬ、多子。私はこれから大事な用があるのだ」
多子は大きな眼で頼長を見つめた。
「わたしがお引き止めすると、おにいさまに迷惑がかかるのね?」
多子は頼長の首に腕を巻きつけた。
しばらくそうしながら彼女は何かを考えている様子であったが、やがて頼長の腕をすり抜け下に降りた。
頼長は笑って多子の頭に手を置いた。
「いい子だ」
多子もえくぼをつくり応えた。
「北の方」
頼長は幸子を呼んだ。
「今宵は、あなたのところへ」
「あてにしておりませんわ」と、彼女はほとんど口を動かさずに言った。
頼長は一度目を伏せたが、また顔を上げ廊へと出ていった。 |