第六十話
鳥羽法皇の御所の一室は、まるで水底のように重く静かであった。
わずかに身じろぐ者もおらず、息をするのさえためらわれるようであった。
「なぜです?」
沈黙を、頼長の低い冷ややかな声が刃物のように切り裂いた。
彼は袍の袖が舞うほどの勢いで、散位藤原顕頼の方へ体を向けた。
「大衆は播磨守らの流罪を求めている。なぜ、要求に従わぬのです」
頼長の声は静かであった。いや、感情がまるでないと言ったほうがよいかもしれない。
彼は努めてそうしているようであった。
だが、忠通は弟の声の微妙な変化に気づいていた。
清盛がしでかした事件について、今、議定がなされているのだ。
頼長のこめかみが脈打つ心臓のように動いた。
「散位殿!」
叫んだわけではないが、彼の声はよく通った。
「播磨守およびその男を贖銅の刑に処す」
顕頼は小さいが威厳に満ちた声で言った。
頼長は目を見開いた。彼の肩が怒りのためかすかに震えるのを見た者は、この場に集う者のうち何人いたであろう。
「意図して神輿に矢を射かけるなど、空前にして絶後の所業!それを法皇が赦し給うというのですか」
顕頼は無言であった。だが、それが示すものはわかりきった事実であった。
―――なんということだ
頼長は少なからずの衝撃をもって老人を見やった。
顕頼の権威は摂政である忠通よりも上であろう。少なくとも、この議定の場においては―――。
頼長は老人から視線をはずし、家成をはじめとする法皇の近臣として名を連ねる者の顔を斬りつけるかのようにして見回した。
その眼の動きは寒氷下に流れる冬の川さながらに凍てていた。
清盛の罪状が明らかになった今、ここにいるのは無要というものだ。
公卿たちがぞろぞろと退室していく。
頼長の肩に何者かの手がおかれた。
忠通の手だった。
そっと添えるように触れているだけなのだが、押さえつけられるような重みを、頼長は感じた。
「時代は変わる。神威をも恐れぬ武力が必要とされているのだ」
頼長は忠通の手を払いのけた。
傍目にはなんとも不仲な兄弟に見えたことであろう。兄の言葉に耳を貸そうともしない傲慢な弟と―――。
頼長は全身総毛立った膚の違和を隠すかのように、両手でおのれの肩を抱くような仕草をした。
それは、性別の混乱を引き起こすあまりにも魅惑的な動作として、忠通の目に映った。
だが頼長は忠通など見ておらず、彼の目は顕頼にはり付いていた。
「散位殿。法皇にお目見えしたく存ずる。どうか、取りはからいを」
顕頼は呆れたような顔をして見せた。
そんなことをしても無駄だ、というようなことを彼は言ったが、頼長は気にしなかった。
しかし、まもなくそれが本当だったとわかったのだ。
鳥羽法皇はいつになく強固な意志をもって、忠盛親子を擁護する姿勢を示したのだ。
求めている。
時代が法皇が、揺るぎない武を経済的基盤を彼らに求めている。
そして、それは従順でなければならぬのだ。
頼長はせせら笑った。
法皇が赦そうが、散位が兄が赦そうが、私はけして赦さない。
秩序を乱す者には死を!
律・法が見逃そうとも、この私は見逃したりはしない――― |