第五十一話
「内府様。師父が病に倒れられたと」
「令明殿が?」
頼長の顔に不快の色が走った。なぜ、こんな時に言ってくるのだ。
「わかった。帰ったら使いの者を出す」
成佐を追い越していこうとする彼を、成佐は呼び止めた。
「師父はおまえに会いたいと、おっしゃっているのだぞ」
「学兄・・・」
頼長は額に手をあてがいながら、ふり向いた。
「私は急いでいるのです。師の病床に侍らぬとは弟子として失格だ。だが、今はそれどころではないのだ」
「・・・わかりました」
成佐はそのまま行ってしまった。
成佐は頼長に仕える家司の一人で、長年学問をともに励んできた仲だ。年上でもあり、師である令明に先に弟子入りしていた彼を、頼長は「学兄」と尊敬の念を込めて呼んでいた。
頼長にはじめて学問を教えてくれたのは令明であった。
父のように支えてくれた師の病の報せを聞き、ちらりと不安を感じたが、頼長自身が見舞うことは憚られた。
令明は師ではあるが家司なのだ。
そもそも時間が、彼が見舞うのを許さなかった。
待賢門院の出家により、その余波は彼女の身内全体におよんでいたのだ。
岳父や義兄も例外ではなかった。
父忠実は新院を見限り、鳥羽院の寵妃得子および帝に取り入る動きを見せている。
頼長はそうした父に賛成しかねた。皇后といえども得子の身分が低いことも、関係していたのかもしれない。
―――父君は兄君を意識しすぎている
頼長はこめかみを押さえた。
今夜の宴に、父は来ないであろう。
帝の交代により関白を如元し、摂政となっていた忠通に長男が誕生したのだ。今夜はそのための宴。
四十半ばを過ぎてから生まれた長男である。喜びも人一倍であろう。
だが、この赤子が頼長の前途に暗い陰を落としているのだ。
「車の用意ができましたが」
そう言いに来たのは義賢であった。
「わかった」
頼長は静かに言った。
―――何も起こるはずがない
彼は自分に言い聞かせた。 |