第三十三話
「よかった。父上はわたしを嫌うておるものとばかり思っていたのだ」
彼はにっこりと笑って言った。
「昔から父上との間には溝があるような気がしていたのだ。政においても対立ばかり」
「御上・・・」
「母上のこともあってか、最近はまったくの無音で、わたしを避けておられるのではないかと悩んだものだが、違ったのだな。父上は慣例に倣ったのだ」
まるで山奥に咲いた汚れを知らぬ花のように笑う帝。
父である鳥羽院を、毫も疑っていないのだろう。
あの噂はいつから流れていたのか。
頼長が宮仕えを始めた頃から、それは事あるごとに、当然のように人々の口にのぼっていた。
帝は白河院の御落胤であると―――
御上は、まだそれを知るまい。
臣たちが耳に入れぬようにしているのだ。
譲位の話しとて前々からあった。
顕仁が最近まで知らなかったのは、近臣たちが鳥羽院の話題を避けていたからだ。
頼長は握った拳がじっとりと汗ばんでくるのがわかった。
「どうかしたか?顔が青いが・・・」
顕仁は心配そうに言った。
齢が一つしか違わないせいか、彼は身分を忘れて話しかける時がある。
大丈夫ですと頼長が言いかけた時、外で「御上、中宮様がお見えにございまする」という声が聞こえた。
「中宮が?めずらしいこともあるものだなあ」
「では、私はこれにて・・・」
「別にかまわぬ。中宮はそちの姪だろう?」
そう話しているうちに、数人の女房を従えながら、一人の女が入ってきた。
「叔父上」
「お久しゅうございます、聖子様。一段とお美しくなられましたな」
聖子は少し首をかたむけ、頼長の挨拶に応えた。
「中宮。まさか、きみから来てくれるなんて」
顕仁はうれしそうに言い、聖子の手を握った。
「父上がうるさいのです。だから仕方なく参りましたのよ」
「そう・・・」
顕仁は少し、肩をおとした。
「でも、うれしいよ。そうだ。箏を弾いてはくれまいか?きみの箏が聞きたい」
聖子の眉のあたりが、かすかに動いた。
「承知いたしました」
天子とて人の子。
箏の響きを聞きながら、頼長は思った。
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