第二十八話
「春ですわね」
弟を見ながら、彼女は言った。
「あなたから春風の匂いがしますわ」
「それはきっと、この匂いでございましょう」
頼長は懐から手巾を取り出した。
「まあ、桜の花びら。これをわたくしに?」
ええ、と頼長はうなずいた。
「姉君も外出いたしたらいかがです。気晴らしにもなりましょうに」
「ふふふ。まったく、あなたという人は。先程の仕返しのつもりかしら?わたくしは外へ出るのが嫌いなのよ」
中年の貴婦人は目元を和ませたが、ふと顔を曇らせた。
会うたびに、やつれていくような気がする。
やつれて・・・
泰子は弟の白すぎる顔を見た。
烏帽子からこぼれたほつれ毛は、なめらかな肌に蒼い影をおとし、童子のように長い睫毛は目元をしっとりと彩っている。
紅をひいたわけでもないのに、色づいた唇。
総体的に蜻蛉のように透きとおって・・・
あの小麦色に日焼けした健康的な少年は、どこへ行ってしまったのだろう。
「父が・・・。父上がそなたをそのようにしてしまったのですか?」
「姉君」
「因果は父上にこそくだるべき。なぜ、わたくしや忠通や、そなたなのでしょう」
「姉君、私は父君を尊敬いたしております」
頼長は静かに言った。
泰子は悲しそうな眼をした。
「おまえはまだまだ若い。やり直せることとてできるのです。わたくしや忠通は・・・」
彼女はそこで言葉を切った。
立ち上がり、御簾をさっと払った。
陽の光りが、暗かった室内を照らす。
「わたくしに『時』を返してくれるのなら、院の皇后という立場なぞいりませぬ」
「・・・父上ばかりが悪いのでは、ありますまい」
頼長は一礼し、退室した。
―――御仏よ
泰子は心の中で祈った。
願わくは、わが弟に幸多からんことを・・・
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。