有明の月(27/97)PDFで表示縦書き表示RDF


有明の月
作:小波



第二十七話


 ほんの少し開けられた物見から陽がそそぐ。
 頼長は二本の指でずっと、こめかみをおさえていた。
 酔うほどに飲んだわけでもない。
 彼は早く邸に着いてくれることを望んだ。
「これは・・・」
 物見窓から舞い込んできた花弁。                     
 桜だった。
「止めよ。車を止めよ」
 そう呼ばわり、彼は車を降りた。
 たった一本の桜の木。
 ひっそりと道端に佇んでいる。
「綺麗。もう、そんな季節なのだな」
 ひと枝折ろうと思い手をのばしかけたが、彼はふと思いとどまった。
 そして散った花びらの一枚一枚を丁寧に拾い集める。
「土御門の高陽院かやのいんへ立ち寄ってくれ」
 彼は牛車に乗り込むと、それだけを言った。


 池の波がきらきらと。
 水草の葉のつややかさがいっそう引き立ち、ぎょくのようになめらかだ。
 あそこに見えるのは山吹か。
 黄に橙に、濃淡の鮮やかさのすばらしいこと。
 湿った土のにおいがかすかにする。
 燕の声が、遠くで聞こえる。
「花咲きて 実はならねども 長き日に 思ほゆるかも 山吹の花」
 ゆったりとした声。
「お久しゅうございます。姉君」
「こんな歌が、たしか万葉集にあったわね」
 頼長は苦笑した。
「私が歌を不得手としているのはご存知でしょう?」
「ほ、ほ。そうだったかしらねえ」
 泰子やすこは風雅な動作で、頼長を御簾のなかへ招き入れた。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう