第百三十七話
「これはこれは!左府様、貴殿からの文をいただき心待ちにしておりましたぞ」
声がうわずっている信西を前に、「歓迎されているとは思えませんな」と頼長は素っ気なく言った。彼の氷よりも冷ややかな視線は庭に向けられている。
「例の噂、わたくしは、あなた様がやったのではないと信じております」
「私は自己弁解をしに参ったのではない」頼長は間髪入れずに言い放った。
「私は……信西殿―――あなたとの昔の縁を頼んで参ったのです。不肖は新たに立てられし東宮の傅を所望しております。あなたは法皇のご側近。美福門院様の信任も厚い。この旨、かの君に奏上していただきたい」
頼長の声は後半から震えていた。
信西は無表情だ。
「だめだ」
頼長は凍てつく背中をむりに伸ばした。
「法皇様のご意思は、あなた様の上にはない。そして、東宮博にはもうすでにとある卿を当てている。徳大寺の―――あなた様が一番ご存知なのではありませんか、あなた様の岳父殿ですよ」
そう言いながら信西が顔を動かした。頼長の肩が大きく震えた。彼はそれを抑え込むと信西の視線先を見やった。頼長は目をわずかに見開いた。相手も口を開けていた。
頼長は実能父子をおしのけるようにしてその場を立ち去った。かろうじて辞去のあいさつを述べるだけの気力はあった。岳父が義兄が、そしてなによりあの信西が、無言の嗤い声をあげていた!あの者たちの嘲りが背中に貼りついていた!
―――気づくべきだった。かの男の娘が当今の女御になったときに。なんと憎らしい……
徳大寺父子が御所の内へと消えるのを見、主人をまちあぐむ随身たちはふくざつそうに顔を見合わせていた。みな一刻も早くここから立ち去りたいのだ。天皇御所だということを差し引いても多すぎるこの武者の数に縮み上がっていた。
左大臣の一行だというだけで動いたら何をされるかわかったものではないと恐れ、彼らは微動だにしなかった。
「左府様!」
呼んだのは少々毛色の変わった牛飼童の少年だった。
主は誰が見ても明らかなほど顔が蒼白になっていた。頼長はかなりゆっくりと廊を歩いてきたが、突然「義賢、義賢」と呼びながら両腕を広げた。
「穢らわしい、穢らわしい。こんな侮辱があるものか。この死さえも招きかねない誇り!自分が嫌になる……」
頼長は頼賢に体を預けたまま意味のわからないことを言いはじめる。頼賢は困惑した。焦りもした。警護の武士からは頼長の姿は牛車が邪魔して見えない。しかし、随身たちがいる。あなたを見ている。今だけ、あなたは虚勢でもいいから強くあらねばならない。
「あなたは、立たねばならない」
頼賢の言葉に頼長はばっと顔を上げた。その眼は異様にぎらぎらとしている。
「……わかっている!」
頼長は激しい興奮を抑え込んだためなのか、不自然な声を出した。
「気分が悪くなっただけだ。四郎……」
彼は額をおさえながら牛車に乗り込んでいった。
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