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  有明の月 作者:小波
第百九話
 御所の母屋へ通じる廊を案内されながら行くと、向こうから一人の僧が歩いてきた。その者は脇により、頼長に恭しく一礼した。その男は西行であった。
 歌のために俗世を捨てた漂泊の歌人。数年前、頼長に因果必然の法則を説いた男が、なぜ新院の御所にいるのか。
 西行は徳大寺実能の家人で待賢門院にもゆかりがある。亡き母の思い出ばなしでも聞きたくなったのだろうか。

「御時好く見受けられますことに安心いたしました」
 これは世辞などではなく、本当に顕仁の表情は安らいでいたのだ。あの、常に思い煩っているような横顔や神経質ゆえに浮かび上がる眉のあたりの陰は、今や跡形もなかった。
「説法をお聴きになられていたのですね」
 顕仁は「うむ」というようにうなずいた。
「西行はわが母の最期を看取った男。母は最後まで母であったと言っていた。おかしなものだな。母上はそれほどまでにわたしを愛してくれていたのに、わたしは露ほども気づかなかった」
 ここで彼は、はじめて顔を悲痛で歪めた。
「親子の愛とは一方的なものでございましょうや」
「そう。かの者も、そちと同じことを言っていた。母の愛はあらゆる利害にとて左右されるものではないと・・・」
 顕仁の言葉を聞きながら、頼長は父を夕映を、そして師子のことをおもわずにはいられなかった。顕仁とて同じであったろう。あのれが、母・璋子の情に気づかなかったのと同様に、父である法皇が子の思いに気づくことはないのだ。
 ―――愛は苦のもととはよく言ったものだ
 頼長は苦笑した。それは男と女にもいえるだろう。女はいつだって貪婪に愛を欲し、男は与え続けねばならぬ。そして、その逆もくり返されるのだ。なんとおぞましい循環であろう!
「この現状は過去の業によって成り立ているとも、西行は言っていた」
 顕仁は静かに言った。
「わたしの業―――いったい何をしたのであろう、このわたしは。だが、わたしは進まねばならぬ。悪を善に変えることはけして不可能ではない。悪因による苦果はここで終わりだ。わが子の未来のためにも、わたしは善因を積んでいかねばならない」
「新院」
 頼長は穏やかな声で言った。
「池に投ぜられた一石の波紋をとどめる力があなた様にはあると、私は信じております」


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