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おちこぼれエルフは、名探偵をさがしてる〜人魚の都殺人事件 作者:稲葉孝太郎

第10章 君の瞳に完敗

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第18話

 翌朝、霧矢は収穫なしのメールをセシャトに送った。そして、朝食もとらずに、館の裏庭へといそいだ。植えこみのうしろにかくれて、あたりの様子をうかがう。はなれたところに、談笑するメイドたちの姿が見えた。
 霧矢は、ポケットに手をのばし、例の水晶玉をとりだした――光と闇のコントラストに、だまされたのだろうか。朝日に照らされたそれは、昨晩のかがやきをうしなって、安物のおもちゃにしか見えない。
 霧矢はそれを、力まかせに地面へたたきつけた。

 パリーン

 石英せきえいらしからぬ盛大な破裂音を立てて、玉は粉々になった。
 ガラス製だったのだ。霧矢はびっくりして、植えこみのそばにかくれた。
 そして、人魚の呪いが解けたかどうかを確認する。
「……ちがったか」
 さきほどのメイドたちは、あいかわらず水上歩行をしていた。
 不眠におちいりかけたほどの期待が、落胆へと転じた。
「キリヤ、そこでなにしてるの? 今の音は?」
「!」
 ふりむくと、ハンナが立っていた。一般市民と見まがうような軽装だった。
「お、おはようございます」
 霧矢は腰をあげ、壊れたガラス玉に気づかれないよう、視線をそらした。
 ハンナはあいさつを無視して、彼の右腕に目をとめた。
「……あら、血が出てるじゃない」
「え?」
 霧矢がうでを折りまげると、かすかに痛みが走った。手首の下に、うっすらと切り傷がついている。さっきの拍子に、切ったのかもしれない。
「大丈夫ですよ、これくらい」
 そう言って霧矢は、ズボンで血をぬぐった。
「そんなことしたら、傷がむわよ」
 ハンナは少年の手をひき、水辺にしゃがみこませた。
 そして、霧矢の傷をていねいに洗いはじめた。
 ひんやりとした感触に、少女の手のぬくもりが重なる。
「……洗浄は、これくらいで十分ね」
「あ、ありがとうございます」
 立ち上がろうとした霧矢を、ハンナはその場に押さえつけた。粗末なスカートのすそを引きちぎり、霧矢のうでに、それを巻いた。
「あ、あの……」
「じっとしてなさいよ」
「……」
 手首に巻かれたスカートの切れはしが、にじみ出る血でうっすらと染まった。今さらながらに痛みをおぼえた霧矢は、むすび目を作るハンナの手に、視線を落とす。
「ハンナ様……それ……」
「ん?」
 ハンナは、じぶんの左手を見た。
「ああ、これは仕事先で、切っちゃったのよ」
 ハンナはあっけらかんと、そう答えた。霧矢は、セシャトから聞いた水の女のケガを思い出し、無意識に身をひいてしまう。
 けれども、ハンナの傷は、それひとつではなかった。手首から指先にかけて、いくつものあかぎれがあった。とてもお嬢様の肌とは思えない。水仕事をするメイドのような荒れ具合だった。
 霧矢はうっかり手をのばして、ハンナにはたかれた。
「ちょっと、どさくさにまぎれて、さわろうとしないでよ」
「す、すみません……」
 ハンナはひざを上げ、スカートの土をはらう。
 霧矢の視線は、彼女の左手に釘づけだった。セシャトの話によれば、高出力の催眠弾は、やけどのようなあとをつけるという。霧矢には、医学の知識がない。しかし、傷口の状態からして、やけどではなく、刃物で切ったものであるように思われた。
「それじゃ、わたしは仕事で抜けるから。お母様に消息しょうそくをきかれたら、適当にごまかしておいてちょうだい」
 ハンナはくるりと背を向けて、その場を立ち去ろうとする。
 霧矢もあわてて立ち上がった。
「ハ、ハンナ様!」
 霧矢の大声に、ハンナはふり返る。
「足を折ってるわけじゃないんでしょ。ひとりでもどりなさい」
「い、いえ……そうではなく……」
 霧矢は、なぜハンナを呼びとめたのか、自分でもよく分かっていなかった。
 ただ、読書家の本能が、このシーンは重要だと告げていた。
「用がないなら、もう行くわよ。時間が……」
「ハンナ様は、なぜお屋敷を抜け出されるのですか?」
 一見して意味のない問い。霧矢自身にも、趣旨しゅしがはっきりしなかった。
 ハンナはうで組みをして、しばらく考えこむ。
「そうね……気晴らしかしら」
「気晴らし? 気晴らしのために、労働をなさるんですか?」
 ハンナの回答に、霧矢は満足しなかったわけではない。リアルの世界にも、馬車馬のごとく働く億万長者が、いくらでもいるのだ。おそらくそういう人間にとっては、労働という行為それ自体が娯楽なのだろうと、霧矢は小市民的な感想をいだいた。
「ほんとうのことを言っちゃうと、自由が欲しいんでしょうね。わたしはローザお姉様みたいに、この家を継げるわけじゃないわ。かと言って、将来を気にしなくていいほどガキでもないのよ。お母様は、さっさと結婚しろってうるさいし」
「自由……ですか……」
 ありきたりな願望だと、霧矢は思った。
「お屋敷を出ようと、お考えになったことは?」
「……あるわね」
 ただし、とハンナはつけくわえた。
「結局、踏ん切りがつかないのよ。外の世界には、自由があるわ。でもそれは、貧しくなる自由かもしれないし、何者にもなれない自由かもしれない。そう考えると、ここの生活は捨てがたいのよ。お嬢様あつかいしてくれて、好きなときに館を抜けられる……なに、その顔? わたしのこと、卑怯ひきょうだと思ってるんでしょ?」
 霧矢はこくりとうなずき、それからあわてて、首を左右にふった。
「お世辞はいいのよ……正直でけっこう。それにね……」
 ハンナは口をつぐむ。屋敷の庭から、目をさましつつある街なみをながめた。
「わたしは、ベネディクスが好き。人魚がここに目をつけた気持ち、分かるもの」
「おばあさんみたいな台詞せりふですね」
 霧矢の皮肉にもかかわらず、ハンナは機嫌きげんよく笑った。
 彼もつられて、口もとをほころばせる。
「屋敷にいても、あんたをからかってるときはマシね。ほかの使用人は、つまんないのよ。みんなぺこぺこしちゃって、顔色をうかがってばかり……ローザお姉様みたいに、室内向けの趣味でも、身につければよかったかしら。読書とか、日記とか……なんだか深窓しんそうのお嬢様っぽくて、ステキじゃない?」
 その瞬間、霧矢の背すじに電流がはしる。
「……ローザお嬢様は、まだ日記をつけておいでですか?」
「え? ……そうなんじゃないの? どこに隠してるのかは知らないけど。ああ見えて、わりと小心なのよね。だれに似たのかしら。日記なんて他人に見られても、かまわないじゃない。ひょっとして、読まれちゃマズいことでも……」
 そのとおりだと、霧矢は心のなかで思った。ローザの日記は、子飼いの使用人に集めさせた、週刊誌も真っ青のスキャンダルコレクションなのだ。
 まちがいなく、重要な情報源になる――霧矢は、そう確信した。
「そうそう、水誕祭のとき、オオカモメのやつが、近くまで来てたんでしょ? どうせなら、わたしをさらえば良かったのに。案外、どこかの王子様だったりしてね」
 ハンナはそう言って、なぞめいたまなざしを、霧矢にむけた。
 オオカモメは女ですよと、彼はあやうく言いかけた。
「じゃ、おしゃべりはここまでね……バイバイ」
 ハンナは手をふって、霧矢にわかれを告げた。
 彼女を見送った霧矢は、猛然もうぜんと屋敷にむけてダッシュする。
 ほかの使用人たちには目もくれず、自室をめざした。
 いきおいよくドアを閉め、HISTORICAの通話ボタンを押す。
 十秒……二十秒……三十秒……セシャトは、なかなか受話器をあげない。
《……もしもし?》
「セシャトさん! 大発見……」
 さすがに声が大きかったかと、霧矢は声を落とす。
「もしもし、セシャトさん?」
《キリヤくん、電話は危険よ。メールでお願い》
「待って、メールだと伝えにくいんだ」
 霧矢は、ローザの日記について語った。セシャトが押しだまっているので、彼は一抹いちまつの不安をおぼえたが、とにかくすべてを話しきる。もう話すことがなくなったところで、ようやくセシャトの声が聞こえた。
《その日記の在り処は、分からないの?》
「小説には、『だれにも見つからないような場所』とだけ書かれてる」
《だれにも見つからないような場所……ローザの寝室?》
 霧矢も、それが第一候補だと考えていた。
 しかし、自分の部屋に隠すというのは、ありきたり過ぎないだろうか。霧矢は、そう自問して、第二、第三の候補をあげた。例えば、館の宝物庫だ。もともと、人魚の化石をさがすために、忍びこもうと思っていた場所だ。物置にあるというジャコモの情報は、彼のなかでデマに格下げされていた。
《いいわ、スキを見て、館のなかをさぐってみましょう》
「いや、もっといい方法があるよ。ローザから聞き出すんだ」
 しばらく、通話がとまった。セシャトには、霧矢の考えが読めないようだ。
《聞き出す? どうやって?》
「簡単さ。ちょっとムードを出して、それっぽくたずねたらいい」
 プッという失笑が聞こえた。
《キリヤくんが?》
「そんなの、ボクのガラじゃないよ……でも、ひとりいるだろう、適任者がね」
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