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プロローグ

 人は、何故『生』にこだわるのか。


〝永遠″

〝不老不死″


 人は、何を死と思うのか。


〝固体の生命活動の停止″


 果たして、それが本当に死なのだろうか?




 赤い。残酷なまでに美しい赤が散る。

 闇に支配された町は炎に蹂躙され、人々もまた同じ。

 漂う火薬の臭い。爆ぜる火の粉。転がる死体の数々。そして、血の飛沫。

 それはまるで、夜に巣くう魔物たちの宴。


「どうして私たちがこんな目に。……お母さん」


 一人の少女が炎に囲まれた床に立っていた。


 外壁は崩れ、天井は既に炎によって吹き抜けとなり、元あった家の形態を有していなかった。

 炎によって、少女の髪が深紅に染めあげられたように見える。

 頬を撫でる炎風。チリチリと刺さる炎の視線。周囲では、火の爆ぜる音がひっきりなしに続いている。

 所々で煉瓦造りの壁が、ごおっ、と音を立てて崩れ落ちる。


 少女は、両手に鮮血を滴らせながら呆然と目の前の死体を見つめていた。大きな目がきらりと輝く。翡翠色の幼い瞳の中で、あらゆる赤が混沌としている。


 その死体は甲冑を身に纏っており、手には槍のようなものを携えていた。顔面は原型をとどめていないほどに黒く焼け爛れ、甲冑の間隙からも同じ皮膚が覗いている。


〝いたぞ! 魔女だ″

〝殺せ!″

〝火あぶりだ!″


 どこからか怒声が聞こえた。少女はすばやく屈み込む。背後で通り過ぎていく足音。自分が見つかったわけではなかった。


 ──早く、お母さんに。


 少女は素足で家を飛び出した。もうこの町にいては助からない。早く母に会いたかった。


 無我夢中で走る。


 砂利が少女の足に食い込む。血が滲み出た。しかし意に介さず、なおも走り続ける少女。


 母は首に銀のロザリオを掛け、森の外れの教会に毎日祈りを捧げる。それが日課だった。いつもは夕飯までには帰ってくるのだが、今日に限ってまだ戻ってこない。町は未だ炎が支配している。


 ──きっと教会に隠れていて、帰りたくても帰れないんだ。お母さん、無事でいて。


 少女は母の無事を祈りつつ、何か言い知れぬ不安を感じていた。

 赤く彩る灼熱地獄を後ろに、少女は教会へと向かった。



 霧のような雨が風に流れる。暗く濡れそぼった森をしばらく走り続け、ようやく教会が姿を現した。が、すでに教会も業火の侵食を受けていた。噴き上がる黒煙が闇に溶け、赤々と燃え立つ火柱が、その闇を灼いていた。


 目の前に突きつけられた絶望に、少女は全身が粟立つ。周囲の気温が極度に低下していくような錯覚。 少女は雨にさらされた身体を、両手で抱きながらふらふらと歩く。一縷の希望を信じて。


──大丈夫。お母さんならきっと。お母さんは強い人だから。


 疲労と空腹が少女を襲う。気を抜くと倒れてしまいそうだった。それでも少女は、母に会いたい一心で耐えていた。肩で息をしながらゆっくりと扉に近づく。

 やっとの思いで入り口の前に辿り着く。扉の隙間から立ち込める異臭に、少女は鼻を押さえた。ひどく焦げ臭い、嫌な臭いだった。


──違う。これは、違う。


 漠然とした不安が、最悪の事態の予感へ、そして確信へと膨れ上がろうとしていた。

 ややもすれば、足がすくんでその場にへたり込んでしまいそうだった。

 一度強く目を閉じ、それから息を詰めて全身で重い扉を押す。


 ギギギ。


 奇怪な生物の鳴き声のような音を立てて開く木製の扉。

 そっと覗き込む。中は意外と明るかった。炎によって闇が照らされているのだ。

 ふと視界を下に向ける。


「──うっ!」


 ぐっ、と喉が震え、目をそむけた。物凄い勢いで喉元までせり上がってきた叫びを、必死で呑み込む。

 夥しいほどの焦げた醜悪な物体が、教会の床の上に横たわっていた。それはまるでこの世に発現した地獄。


「ああ、う、ああぁ」


 そして──見つけてしまった。


 黒くただれた皮膚。斑状になって、粘り付くようにそこに溶け込んだ服の繊維。焼け崩れた顔。とろりと眼窩からずれ出した眼……。紅く染まった銀のロザリオが胸元で炯然とし、仰向けに転がった──母の死体。


 ──嫌だ、そんなの。

 ──嫌!。


「嫌あぁぁぁぁぁぁ!!」


 迸る絶叫。少女は目の前のあまりに凄惨な光景に、とうとうその場にへたり込んでしまう。瞳は焦点が合わず、宙を彷徨う。


「ほう、御主どこかで?」


 教会に響き渡る、しゃがれた、しかし威圧感のある声。


 少女は虚ろな瞳を前方へ向けた。そこには一人の初老の男がいた。彫りの深い風貌。銀灰色の髪に、ギラつくような鋭い双眸。闇を纏ったような黒い甲冑。古風なマントに鏤めた、豪華な装飾品の光沢が炎によって深紅に染まる。


「やはり、御主は」


 男の炯々とした瞳が少女を見据える。炎に照らされているのでもなく、間違いなく男の目が、そのものが光を発していた。


「ふむ、まさかこの状況を生き延びているとわな。だが主の母親は死んだ。その通り、醜悪な姿と成り果ててのう」


 まるで少女を挑発しているかのような物言い。男の口元が、ぐにゃりと歪んだ。


「あぁ、あああああああぁぁぁッ!!」


 憤慨交じりの哀叫と共に少女は右手を前へ突き出す。同時に、爆音と赤く煌めく光の収束体が男へ迫る。瓦礫や炎を巻き込んで直線する光は、まるで猛り狂う竜のようだ。


 やがて閃光が薄れ辺りが露になる。燃え盛っていた炎は消え、あらゆる壁という壁が崩壊し、教会は無残な姿に成り果てていた。しかし、男は先程の位置から全く動いていなかった。ましてや無傷であった。


「竜の吐息か。未完ながらもオリジナルを織り交ぜるとは流石だ。しかし、その術式を向ける相手は我ではないと思うが」

「お前が! お前が、お母さんを殺したんだっ!」


 よろめきながらも立ち上がる少女。最早、立ち上がる力の残っていなかった少女の原動力は、怨嗟と憎悪である。


「そう思うのならばそれでいい。だが──いや、止そう」


 男はマントを翻し、少女に背を向ける。


「少女よ、生きろ。そしてお前の母を殺した我の命をいつか奪いに来るのだ」



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