after? before?
その時は雨が降っていた。雨が降り出していた。雨が降りしきっていた。
強く、弱く、冷たい雨が。
「みいつけた」
彼女は影から二人を見つけた。仲良く相傘をしている二人を。
そして爪を噛みながら彼女は悩んだ。
どちらだろう、と。
頼りない街灯の光ではどちらがどちらか見分けがつかなかった。
だから彼女は、外見的要素でそれを判断した。
何が切っ掛けかは分からない。
それはマフラーの色と髪の色を重ねたのかもしれない。或いは服装かもしれない。
ただ彼女はそれがそうだと思い、雨の中を走った。背中に向かって走った。
走って。
腰だめに構えた包丁を。
刺した。
粘土に指を突き入れたような固く柔らかい感触。
「ふうううううううっ!」
「ぐあっ!」
獣のように唸り、白い息を吐き、えぐるようにして包丁を肉にめり込ました。
あの時を思い描きながら、包丁を引き抜き、何度も背中を刺す。
青い傘がひらりと落ちて相手の姿が顕になった。
誰かが叫んだ。
「……ああああああ! 夕香さん、あなたはっ! そんな、そんなっ! 死なないで下さい! 優さん!」
ブルブルと震えながら目を瞬かせ、何度も首を横に振って誰かが呟いた。
「あ、あ、う、うそよ……。だって、だって私はそんな、ゆづ……きを、そんな!!」
誰かは口から血を吐き出して、濡れたアスファルトにゆったりと倒れ込んだ。
白い少女は酷く狼狽した表情で優の傷口を手で塞ぐ。塞ぐがその血は彼女をあざ笑うかのように溢れて止まらない。
ただ残酷に彼を中心として赤い模様が広がっていくだけ。
雨に弾かれ、濃い朱色は薄い紅色に。
彼の表情は肌色から蒼色に。
「夕香さん! あなたはまた大切な人を! 前と同じように……!」
「わわわわわわ、わたしじゃ、わたしじゃ、ないっ!! わ、私は何も悪くないし! 私は何もしてない! 私じゃ、じゃあ、ゆう……私じゃないの、よ! あのあのあのね、優、私はそんなつもりじゃじゃじゃ……」
ぼんやりとした表情で彼は自分の脇腹をまさぐり、手についた血を光に照らして見た。
黒々としてぬめついた赤い血。鉄さびの香り。
目の前で包丁を持った手を真っ赤に染めて、震えている妹。
俺は刺されたのか。
「ゆうか」
「優さん、もう喋らないで! 血が、血が止まらない! 止まらないんです! 誰か、誰か助けて! 誰か……」
彼女は雨の中、悲痛に叫び、助けを求めるが、その返答はどこからも得られなかった。
ただ雨は血を洗い続け、時間は無駄に浪費され、暗闇からは刻一刻と死が迫る。白い手は赤く染まり、白い髪は血を吸って朱に染まった。
全てが赤色に染まっていく状況で、夕香は目を丸く見開き、今にも倒れそうなほど顔を青白くさせて搾り出すように言った。
「にい……さん、私じゃなくて、あの、本当は優月を! 優月を――」
「――痛いよばか」
彼は。
そう彼は言って眠るように目を瞑った。
小さな声、小さな言葉、小さな呟き。
だけどそれは確かな声で、確かな彼女の兄の声で。
彼女を崩壊させるに足る言葉だった。
「わたしじゃあ! わたわた……わわっ」
夕香はその場に膝をつき、手をつき、懺悔するかのように優に向かって頭を垂れる。
何度もその手で表情を覆うが目の前に広がる惨劇、自分の結果は決して消えてはくれなかった。顔に爪を立てようとも、頭を掻きむしろうとも夢は覚めず、現実は覚めず、兄の血は止まらなかった。
母が死んだ時、彼女を後ろから抱きしめてくれた人は、彼女を慰めてくれた人はもうどこにもいない。
その残酷な事実に、彼女の内面はゆっくりと音を立てて崩れ落ちていく。
そしてとどめを刺す優月の叫び。
「ゆう……さん? 優さんっ! 優さん、しっかりしてください! 優さん! そんな、これからなのに! これからなのに、死んじゃうなんて……! 私を置いていくなんて! いやです! 目を覚まして下さい!」
「あああああああああああああああああ!!」
夕香は包丁を手から零し、叫び声を上げながらその場から走り去った。
私じゃない、私は何もしていない、と呪文のように何度も何度も自分に言い聞かせながら。
大切な人をまた殺してしまったという現実に恐怖しながら。兄に拒絶され、責められたということに涙しながら。
覆しようのない現実に狂気しながら、彼女は全力で雨の中を走った。
ひたすらに、がむしゃらに走った。
「ゆる、して、許してください許してください許してください……」
優月は震える声でそう優を揺すり、血に濡れたその手で彼の携帯を取った。
その呟きは夕香に向けられたものなのか、優に向けられたものなのか、はたまた神に向けられたものなのかは誰にも分からない。ただ彼女は呪詛のように、或いは聖典に記された一説のように祈り、呟き続けた。
続けながら、一一九番に電話を掛けた。知らない相手との電話ということを意識して心臓が跳ね上がる。
だが自分がここで頑張らなければ助かるものも助からない。
そう彼女は頷き、涙を流しながらコール音に耳を傾けた。
「ああああああああのあのあの」
病院は近く、そしてまだ心臓は動いていた。
終りです。お疲れ様でした。
最後が意味不明かもしれませんが、あえて解説はしません。
その意味合いはみなさんが個々に考えればいいんじゃないかなぁと思います。
(私の自己満足で終わっていないことを祈りつつも)
面白いか面白くないかは別として、とりあえずやっと完成です。
本当はもっと短くしたかったんですが書きたいことが山ほどあって、ついついこんな長編に……。
長いからかもしれませんが、それがみなさんに評価していただけて作り手としては嬉しい気持ちで一杯です。
癖のある内容、癖のある分かりにくい文章を汲みとっていただけたみなさんに私はありがとうと言いたいです。
ここまで読んで下さって本当にありがとうございます。
次回作なんかがあったらまた読んでいただけたら幸いです。
追記:その後の話しをしようと思いましたがある意味それはクドいのでやめときました。
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