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 深緑のカーゴパンツに落ち着いた色合いのジャケットを羽織り、オレンジ色のマフラーを首に巻いた。
 外に出ると寂れた花壇が目に入る。優は昔、自分の父が花壇の世話をしていたのをぼんやりと思い出した。
「うう、寒い」
 グリーンのショルダーバッグをしっかりと肩に描け、ジャケットのポケットに手を入れる。そしてゆっくり歩き出し、外の風景を眺めながら前へと進んだ。
 静寂に包まれた道路はまだ眠っているような印象があり、人が一人も歩いていない景色は孤独でありながらどこか美しかった。

 自然公園の隣に設立された図書館は近年リニューアルを迎えたばかりで、司書のレベルが非常に高い上に、洗練されたデザインが相まって一時期話題にもなったこともあった。
 優は冷え切った体を温めようと足早に自動ドアをくぐる。扇形に広がる灰色のソファと市内の展覧会のチラシ群が彼を出迎えた。
 石造りを思わせる広い玄関ロビーを抜け、盗難防止のセンサーを進む。受け付けに佇む、司書が優を見て、小さくお辞儀。優も釣られてお辞儀を返す。

 返却を終え、優は人の少ない図書館を歩いた。
 開館したばかりの為か、外ほどではないにしろ、まだ館内の空気は冷たく、床を叩く靴の音がよく響いた。
 図書館は吹き抜けの二階建てになっていて、三分の二が図書館として機能している。残りの一は図書館に許可をもらえば使用できる会議室や来館者の為の休憩所として機能していた。
 優は緩やかな階段を上り、心理学の棚に移動する。
 そろそろ棚にある本は全て読み終わってしまうな、と彼は思った。まだまだ知識は足りないのに、読みたいという心はあるのに現実が追いつかないような焦燥感。
 夕香と付き合っていく為の勉強。彼女を不快にさせないための知識。
 まだ自分は学ばなくてはならない。
 嫌われているのは分かっている。
 だからといって彼女を不快なままにさせていいわけがない。
「どうしたもんかな……。心が読めれば一番手っ取り早いんだけどな」
 本を取ろうとして、優の動きは止まった。視界に入った異物に目を奪われたのだ。
 黒いセーラー服に黒いタイツ、オレンジのマフラーをした白いそれ。肌が、あるいは髪までもが輝くような白。瞳は燃え盛る炎のように深い赤。
 彼女はゆったりとした動きで、優の取ろうとしていた本を取った。膝の下まで伸びた大量の髪の束の間から赤い瞳が優を覗く。
「……心が読めれば、こういったものは必要ないのか。わたしはそーは思いません。心の声が聞こえたからといって、会話というツールが必要なくなるわけじゃないです。やっぱり、どこかでソレを理解する為の(すべ)や経験なんてものは必要だと思います」
 どこか無気力とも取れる間延びした口調で彼女はそういい、次に本を掲げて流暢な英語でテンクスといった。
 彼女はのんびりとした足取りで彼の横を通り過ぎ、二階のロビーを抜けた。何故か盗難防止のセンサーは起動しなかった。
「って譲ったわけじゃない!」
 優は彼女を早足に追いかける。エレベーターにたどり着くも、既に扉は固く閉ざされていて、上に向かっているところだった。
 そこでふと疑問が湧く。
 ここは今いる二階までしかなかったはず。
 では、彼女はどこに向かったのか。
 そんなことを考えていると上に登ったはずのエレベータがゆっくりと下りてきた。中に乗り込み、ボタンを確認するが、当然一階と二階のボタンしかない。
「オバケ……なわけないし」
 ふとボタンを見ると艶やかなプラスチックの表面に指紋が乗っていることに気がつく。指紋の数は一階が三回に二階が四回。
 ものは試しと優は一階を三回押して、二階を四回押した。黒い液晶パネルの文字が三を表示し、扉がゆっくりと閉まる。
 次に開いた場所はどこかのマンションの玄関前のような所だった。窓はなく、天井の頼りないオレンジの光が足元を申し訳程度に照らしている。
 目の前には黒い扉。インターフォンはなく、天井付近に監視カメラのようなものがあった。
 ドアノブの上に切手サイズほどの小さく黒いくぼみ。ここにも指紋の跡。
 優は興味本位で人差し指をそこに差し込んでみた。ピっと電子音が鳴り、大げさな機械音を立てて鍵が開く。
「なんか、スムーズ過ぎて怖いぞ。っていうか入って大丈夫なのかな」
 理性と本能が声を合わせて引き返せといった。しかし、優はどうしてもあの本が欲しかった。
 もしも、あの本に自分の妹を不快にさせない何かがあったとしたら。
 そう思うと、自然に体が動いてしまう。
「えっと、あの、おじゃまします」
 優はドアノブを捻り、玄関らしき場所で靴を脱いだ。

 中は薄暗かった。壁に備え付けられた弱々しいオレンジ色のライトがぼんやりと道を指し示す。白い壁に手をつきながら、フローリングを進み、奥から漏れる光に近づいた。
 奥の広い空間には大量の本棚が陳列していた。天井は高く、また本棚も高い。どの本棚も適当に雑誌やら図鑑を区分なく押し込まれていて、雑然とした感覚を生んでいる。優には本棚の配置すら適当に思えた。
 窓らしき場所にはどれも白生地のカーテンが掛かっていて、誰もいない学校の図書室のような静けさがあった。カーテン越しの光だけで室内を照らしているためか、部屋は薄暗い。
 奥から人の気配がするの感じで優は進む。すぐに白いそれと出くわした。
 本棚に囲まれた中央の開けた空間。巨大なクッションに腰を沈ませながら、癖毛で白髪の少女は優の求めていた本を膝の上に乗せ、丁寧に読んでいた。
 無気力でどこか重たげなその瞳が優を捉える。そして首がゆっくりと横に傾けられた。
「おかしいです。なんでここにいるんですか?」
「随分と哲学的なことを聞くんだね」
「いえ、そーゆー冗談はいいです。どうやってここに入ってきたんですか? 狙いは何ですか?」
 低血圧めいた、どこか間延びしたような口調。膝に置かれ、見開かれた本の上で指がタイプを刻むようにカタカタと忙しなく動く。
「どうやってって、エレベーターは知力を使って。扉はなんかあの黒い部分に指置いたら勝手に開いたけど……」
「……それは嘘です。あの扉には私と私の家族しか登録されていません。あなたは何らかの外的手段を用いて侵入した可能性が高いです。ですけど、あれはカオス理論を基礎にしたプログラム。鍵と扉の強度は銀行の金庫レベルものです。母のプログラムと母の用意した扉が、私に気づかれることなく、こう易々と突破されるはずないんですが……。本当に、あなたは、何者ですか」
 少女はのっそりと立ち上がり、目に力を込めた。しかし、やはりどこか眠たげで重い瞳。
「目が悪いの? 君」
「これは睨んでるんです。敵意の現れです」
「いや、何ていうか。その本、俺に譲ってくれないかな。狙いはそれだけ。あ、読んだらちゃんと君に渡すよ」
「エレベーターのコマンドを理解し、そしてあの扉を突破してくる人がまともなわけないです。故にそれはダウトです」
 確かに彼女のいうことも一理あると優は思う。
 やましい気持ちがあったわけではないが、確かに優が勝手にこの部屋に入ったことは事実。許可云々という問題ではなく、それは単純にしてはいけないことであり、何よりも普通はしないこと。
「いや、あの。どうすれば、その本譲ってもらえるかな」
「なんでこの本が欲しいですか? この本を使ってあなたは何を学ぼうとしてるですか?」
「…………あの、俺の友達。そう俺の友達がさ」
 優は少し嘘をついた。
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